『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

臓器移植改正法が成立、鍼灸は小児鍼を

 少し記事投稿が遅れたのですが、臓器移植法改正案に思うで取り上げた改正案が、衆議院の解散が決定的となったことから少しの手直しのみで急いで可決されました。次の国会では与野党が逆転することも十分に予想され、しばらく臓器移植法には手が付けられないだろうということでは確かに成果なのでしょうけど、やはり問題を積み残したままとしか思えません。参議院の議員さんの名誉で書き添えておきますが、数の論理で議決が急がれたのであって「議論を尽くすべき」と訴えていた議員がかなりいました。

 我が家には三人目の新しい命が授かったばかりなのですが(これが投稿の遅れた要因)、幸いにして血液検査による先天異常は見つからずすくすくと育ってくれている小さな命です。もし、この小さな命が病に突然侵されて「助かる方法があるとすれば臓器移植しかありません」と宣告されたなら、親としてはどんな反応をするのか想像できません。少なくとも夫婦二人っきりで話をする時には「臓器移植に賭けてみたい」という選択肢は出てくることでしょう。
 これは子供がかわいい親としての立場であり、誰も非難できない発想です。しかし、実際に臓器移植を希望し動き始めるかについては、また別問題です。

 まず日本に限らず臓器移植には莫大な費用が必要となります。そもそも西洋医学自体が肥大した構造になってしまっていること自体に問題はあるのですけど、それでも莫大な費用です。費用の関係で命の続きを断念する人がいるというのは、とても不公平なことです。莫大な費用を費やしてわずかな可能性に賭けるよりも、残された時間を精一杯生きることで自分という人間が存在した証を残したいと考える人もいるでしょう。けれど実際に命が助かり、続きが得られたことで大きな仕事をした人たちもいますから、必ずしも否定しているわけではありません。
 最近ではアメリカのアップルでCEOを務めているスティーブ・ジョブスが肝臓移植を受けたことが有名であり、臓器移植の順番待ちが少ないという理由で一時的に住所を移して手術を受けたという報道です。彼の存在は世界のパソコンや先端テクノロジーを左右するものであり、命の続きから必ずや新しいライフスタイルを発進してくるでしょう。だからといって、肝臓を提供したドナーが「自分は本当はもっと生きていたかったんだ」と思っていたかも知れませんし、「自分の続きを偉大な仕事へつなげてくれればいい」と考えたかも知れません。

 ここから本論である子供の臓器移植へと話を戻しまして、今回の改正では一律に「脳死をもって人の死である」と規定されたことに、一つ目の問題があります。人には様々な宗教があって死生観も異なるのに、一律に決めてしまったということはかなり強引でしょう。輸血さえ拒否している宗教があるというのに、「勝手に人の死を決めるな「というところですね。もっとも何度かあったミイラ化しているのに復活の儀式を続けているからと、遺体を隠していたような事件は別ですけど、中学生ともなればしっかりした死生観を持っている子供もいて、けれどそれをどうやって表現するかについてはまだ幼い年齢です。
 次にドナーカードに記入していなくても家族の承諾のみで臓器移植が可能という点ですが、臓器移植推進派のグループや医者から強要をされるケースが出てくる可能性があります。脅迫までには至らなくても強く奨められるケースは確実に増えるでしょうし、有名人が提供をしたとでもなればその後には提供を拒否した遺族に非難の声が挙がるかも知れません。アメリカではスクリーミングルームという遺族が涙を流せる部屋が病院の大半に用意されていて、大きな病院では牧師も常駐していて気持ちを整理するというアフターケアがなされているので臓器提供に向けても遺族で議論できるのでしょうけど、アフターケアのない状況で「臓器提供を」といわれるのは脅迫でしょうね、やっぱり。
 それから子供が虐待されたことを充分に調べないまま臓器提供が優先されてしまうという危険性が出てきましたし、全体に言えることでしょうけど臓器提供を拒否する意思表示の方法が整備されていません。

 まだまだ充分な準備がされないまま改正法が成立したのですけど、私が今回一番目に止まったのはマスコミの報道姿勢です。穴だらけの改正法であることが沢山指摘されているのに、マスコミには改正法が間に合わずに幼い命が費えてしまった両親や手術は受けたけど亡くなってしまった子供のことについて先に取り上げていたことです。穴だらけであるなら推進派を先に取り上げるのではなく、今後の改正に向けてとして否定派を先に取り上げるべきです。
 そしてレシピエントへ臓器が提供されることを当然の権利のように報道していることは、とても腹が立ちます。誰が考えた愚作かまでは知りませんけど、エコカー減税というこの不況なのに新車の買える大金持ちを優遇する制度を堂々と「いいことしている」のように報道する姿勢、かなり間違っています。レシピエントはドナーから引き継いだ命である以上、常に感謝をして二人分を件名に生きなければならないという前提があります。マスコミは、まずここを報道すべきです。

 さて人の文句ばかり並べておらず、鍼灸がどう対応すべきかの意見も書かせて頂きます。まずは東洋医学の特徴であり得意分野である「未病を治す」ことをもっともっと強調すべきです。不幸にして突然発病した病だから臓器移植が必要のようにいわれますけど、大半は日頃のメンテナンスがあれば発病すらなかったものです。この「未病を治す」ことは西洋医学にはできず、ということは西洋医学をベースにした鍼灸を考えている人たちにもできないことです。
 鍼灸とは経絡をどのようにすれば効率的に活用できるかのために考え出された道具であり、単純に痛む箇所へ鍼やお灸をすれば病気が回復するわけではありません。鍼やお灸でどのように経絡へアプローチするかが大切であり、そのプロセスを割り出してくるのが治療家の腕ということになります。つまり「未病を治す」ためには、経絡を主体とする鍼灸でなければならず、それは医療の中でも差別化につながります。
 そして着目して欲しいのが小児鍼です。今回の臓器移植法での改正ポイントは十五歳以下のドナーを認めるということであり、これは小児の臓器移植を待っている患者へ道を開こうということです。それだけ小児にも病気があるということであり、小児鍼が浸透していないということでもあります。私の娘はお友達と折り紙をしていて「お父さんの鍼箱を作っているの」とやっていたくらい小児鍼のファンであり、多少の病気はしますけど病院へ通ったことは一度もないというくらいなんでも小児鍼で回復しています。既にこのブログでも息子の小児鍼からで紹介しているように、普段から小児鍼をしていれば病気そのものになりませんし小児鍼は営業的にも効果的です。ただし、小児鍼の施術そのものは簡便ですけど西洋医学をベースに考えていたのでは自分が何をしているのか訳が分からなくなってしまうので、やはり経絡を中心とした考えが必要です。

 色々と思いつくままに書いてきましたけど、私の中では「法律でこう決まったから人が死んでいる・まだ生きている」と線引きすることにまだ抵抗感があるのです。魂の尊厳を日々考えながら、もっと臨床へ取り組みたいということを考えたニュースでした。