『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

第20回夏季研滋賀大会(前編)、意図的に脉状は作り出せるのか

 2014年8月24日(日曜日)と25日(月曜日)の二日間に渡り、「漢方鍼医会第20回夏季学術研修会滋賀大会」が大津市のロイヤルオークホテルで開催されました。ここは6年前に第15回大会を行った場所であり、二度目の滋賀漢方鍼医会主催での大会となりました。参考:家族の目線から、夏期学術研修会裏話
 しかし、京都駅からはJR東海道線で新快速なら13分で石山駅となるものの空港も新幹線の"のぞみ"が停車する主要駅も持たない地方開催であり、加えて東京での20周年記念大会や昨年の大阪大会は最初から目玉があったのですけど、お祭りの後というのはつらいものがありました。楽勝で主催できる夏期研などいつまで経過してもないでしょうけど、最後までトラブル続きで難産だった大会でした。
 難産だった原因は実行委員会の取り組みにも原因があり、前編となる今回はその難産の部分を書いていきます。けれど負け惜しみではありませんが、今回の途中までの取り組みは決して幻覚の中で独り相撲をしていただけのものではなく、もっと別のきっかけをつかめば必ず脉診流鍼灸術の革命につながる大切にしておきたい経験であり、その日が来ることを信じて書き残すものであります。

 まず今回の開催を打診されたのは二年ちょっと前、20周年記念大会の目処が立ってきた頃でした。東京以外では愛知・名古屋・大阪に滋賀の四つの地方組織が過去にも開催経験があって夏季学術研修会を主催できる組織力を持っているのですけど、開催場所のバランスや順番からすれば大阪の次は愛知になって東京へ戻ってから滋賀ということになりますから前の主催から4年だったので「まだまだ先のこと」と思っていました。しかし、「そう頻繁に東京へ戻ってこられたのでは同じ地方組織の一つなのだから負担が大きすぎる」という東京の意見も納得できるところであり、少し開催間隔が短くなることは分かっていたものの関西での連続開催をいわれるとは思ってもいませんでした。
 「20周年を越えて新しいステージへ漢方鍼医会が駆け上がっていくためには、関西での連続開催がいいスパイスになる」という意見からのもので、とりあえず意向確認をしてくるということで本部総会の前夜祭での話を持ち帰ってきました。
 さて意向確認をと滋賀漢方鍼医会会長である小林久志先生との話を切り出そうとしてきた時、これはプライバシーに関わることなので正確な情報を記せないのですけど、今回の実行委員長を勤め上げてくれた岸田美幸先生からも大変な話が持ち込まれてきました。まずは足元の大変な話の方を収集させねばということでもあり、「自分の力を思い切り試すには夏季研の実行委員長をやってみるのがいいのではないか?」と打診をしました。紆余曲折はあったものの、滋賀の総会前ではありますが非公式に夏季研を受諾することと実行委員長は岸田先生ということで、わずか一週間の間に開催を決意したのでありました。
 そこからは20周年記念大会は「新版漢方鍼医基礎講座」の執筆には岸田先生が関わり、「取穴書」作成には二木と小林先生が関わっていたことで、まずは夏の記念大会を今後の展望も含めてできる限り多くの滋賀の会員と参加することを目標に動き出しました。参考:漢方鍼医会20周年記念大会レポートその1、まずは客観的報告と全体的
 記念大会の帰りの新幹線では三年も掛かったプロジェクトを成し遂げた満足感とともに、二年後の夏季研主催に向けての取り組み方針を話し合い、まずは秋からの半年間を準備委員会ということでできる限りその間に取り上げたいテーマについてを決定できればということになりました。

 大阪大会の副題が「脉状診 - その臨床的意義」となっており、脉状診というところに興味があるものの具体的にはどんなことがでてくるのかが分からず、準備委員会の段階は具体的なことが一切決まらないままで終わってしまいました。
 そして一年ちょっと前ということで実行委員会へと衣替えをしたものの、大阪大会の閉会式では予告を出さねばなりませんし9月からは講師陣への説明なども早ければ始めなくてはなりません。ところが、大阪大会は主題の「漢方はり治療の新たなる創造」という点では邪正論の治療を出してきたことで合致していたのですけど、中身は邪正論一辺倒となっていきました。講師合宿においても治療法のことばかりが強調される結果となって、脉状観察についても頼子点の記載に準じたものへとリセットしようということでは表面的には副題とも合致していたのですけど、講師陣としては邪正論の治療を急いで臨床へ取り入れねばならないのが実情でした。提案された脉状観察の実技、どこまで消化できていたのか疑問であり、もちろん自分のできる範囲で参加者と技術交流をしてきたのですけど時間配分が早すぎて、脉状観察の実技をした実感がありませんでした。参加をした実行委員も、邪正論の治療はしたけれど、脉状観察はしたのか実感がなかったという意見でした。
 その混乱した中ですから、「滋賀大会でもまた新しいアプローチがでてきたのではたまったものではない」というのが講師陣の反応であり、またこれもプライバシーに関わることなので詳しくは書けませんけど内部的にもぎくしゃくした状態でなかなか副題が決定できず、具体的な中身は大阪大会後に詰めていくということで苦し紛れの感じで「脉状診 - その臨床的意義2」ということになりました。

 そして大阪大会が終了したのですけど、参考:第19回漢方鍼医会夏期研大阪大会に参加して、次回滋賀大会への課題ということで、ここでは繰り返しませんけど基礎修練があまりにお粗末と写ったのでまずは基礎修練に重点を置いた実技構成にしていこうということはすぐ決定しました。
 脉診についても腹部と肩上部を同時に比較しながらの観察という点で強調していこうということはすぐ合意できたのですけど、「脉状診 - その臨床的意義2」という点で脉状をどのように扱っていくかという点では困りました。そこで大阪大会では腹部を用いての手法修練で衛気・営気のどちらでもいい脉状が作れなければならないとされていたことに大きく反発していたのであり、いい脉状かどうかはその他との整合性で判断をするもの、そして胃の気の充実した脉状が分かるようになればという方向へ話が発展します。
 それで実技の中で独自に取り入れてみた腰痛患者の膝を曲げることで、触っていて気持ちのいい脉へすぐ変化すること=胃の気が充実した脉になったこと=胃の気脉が覚えられるのではないかという二木の提案を、月例会の中で確認していこうということになりました。

 早速9月の月例会で試してみたところ、「確かに胃の気の充実したことが分かる」という手応えでした。今だからこそ言えることですけど、私個人としては渋脉を井穴刺絡を擬似的に行う方法で瞬間的に解消させたり戻したりできる実験と同様に、一つのアイテムとして提供することしか考えていませんでした。他の感覚を磨き上げる時にも全く同じことが言えるのですが、脉状を覚えるには落差を付けて観察をしなければなかなか得とくできるものではないので、例示という捉え方をしていたのです。
 しかし、胃の気脉がこれだけ前へ出せるのであれば他の方法でも同じように脉状を意図的に作成できるなら「これが胃の気脉ですよ」という提示ができるのではないか?という提案がされてきました。肩関節痛があったモデルに楽な方向へ腕を動かし治すと同じような気持ちのいい脉状にゆっくりですが変化してくるのであり、それなら複数の実験方法があってもいいかということで追試することになりました。
 いくつかの実験方法が提案されてきた中で、磁石を流注上に配置すると大きく脉状を変化させられるというものがありました。これは奇経治療で磁石がテスターとして使われており、奇経グループが的中すると症状が瞬間的に解消し同時にいい脉状になることも知られていて、ある意味では実績のある方法です。それが単独で貼付をすると、いい脉状ではなく悪い脉状ながらも五臓正脉の特徴を表して来るという点で注目を浴びました。「革命的な発見だ」と、興奮する人もいました。しかし、わざわざ悪い脉状の中から研修をしていくというのは本末転倒であり、その他にも試みては見たものの採用に至らなかった実験がいくつもあります。
 いくつか実験をしている中で、下腿の胃経流注上で押し手を作り、通常より強く押さえていくと渋が、さらに押さえていくと弦が現れてくることを発見しました。自然な形で変化が起こるのではないものの、確かに確認できる変化が引き起こせることは大発見です。これで滑が作り出せれば祖脉が一通り揃うのであり、お腹の上で手を回すことにより作り出せることを発見しました。「おぉっ!これは意図的に脉状を作り出して研修できれば脉診流鍼灸術の革命になるのではないか!!」と、冷静に考えれば糸口の端っこをつかんだに過ぎないのにノーベル賞ものの大発見をしたかのような気分になってしまい、ここから再現性がそこまで確立できていないのに実技へ本当に取り入れる方向へと向かってしまいました。

 しかし、"stap細胞"の結論もまだでてはいませんけどこれとよく似た状況だったことに気付かされます。
 まず胃の気が前面に押し出せてきたと思える脉状についてどのように呼ぶべきかを議論に議論を重ね、「顕現した胃の気脉」と決定しました。顕現という言葉は普段聞き慣れない言葉なのですけど、「はっきりと姿を現すこと」「はっきりとした形で現れること」という意味で、ほとんどの人がそれぞれにイメージしているだけの胃の気脉について具体的な状態ですよということを表しました。胃の気は水穀から作られるもので鍼で補えるものではないのですけど、鍼灸治療がうまくいくと胃の気の巡りが良くなり胃の気脉が充実します。有名な『診家正眼』の表現では、「大ならず小ならず、長ならず短ならず、滑ならず渋ならず、浮ならず沈ならず、疾ならず遅ならず、手に応ずること中和にして、意志欣欣、以て名状し難きは胃の気の脈なり」とあるように、全てが中間で触っていて気持ちいいが何とも表現しがたいのが胃の気脉であるとされていますから、腰痛で苦しんでいる患者に膝枕を入れて楽になった時の瞬時の脉状変化は、痛みによって停滞させられていた胃の気が巡り胃の気脉が充実できたものだと今でも思っています。
 ところが、本部会で概要説明をした途端に、大きな反発の嵐となりました。まずこちらの一番大きな計算違いは、一つは円鍼を用いての出現実験を入れてはいたのですけどその他の二つは鍼を使わずに行う実験だったので、「ここは鍼灸の研修会なのだから鍼を使う研修でなければならない」と猛反発になりました。特に身体を緊張させて一気に力を抜くことを繰り返し行うことで脉状変化を見せるという実験は、胃の気をわざわざ停滞させてから解放させているのでは胃の気脉が充実できているのかとも突っ込まれました。今から考えるとこの実験は、実行委員会の中で脉状の統一見解を図るにはいい予備実験でも外へ出すべきではなかったものかも知れません。
 それから渋や弦と滑の作成実験ですけど、確かに脉状の観察はできるもののもっと見事に・誰もが簡単に確実に再現できる実験であればまだ受け入れられるが、不確実な上にガラスの向こうに出現している状態を確認してくれというレベルでは相手にできないと、これも厳しい反応でした。
 厳しい意見ではありましたけど、まだこの時点では「うちでは100%ではないものの脉状を意図的に作り出すことはできており会員の観察力も向上しているのだから、なんとかこれを出せれば」と、クオリティを高めるための模索を続けました。

 さて長文になってきたので前編はここまでにして、中編ではこれをどうやって本番までに形へと整えていったかを記述していきます。そして結果オーライとなった後編へ続きます。副題だけを先に決めてしまったので実技内容が完全に一致できていたかといえば厳しい採点をされる人もいるでしょうけど、菽法脉診の指の動かし方を徹底させ姿勢も強調し、特に臨床的自然体を導入できたことは臨床力の即向上につながるお土産を持って帰ってもらえたと自負しています。それに「気の抜けた脉(開いた脉)」で、意図的に脉状を作り出して研修することも取り入れられました。敢えて、最後に途中までの取り組みについてまとめてみました。
 stap細胞もある段階では本当に作り出すことができていたのかも知れませんけど、偶然を必然の域に高めてこられなければそれは事実とは認められないのであり、実行委員会での意図的に脉状を作り出して研修するという取り組みも必然の領域には踏み込めていませんでしたね、やっぱり。stap問題よりはずっと具体的で再現性そのものも認められてはいるのですけど、誰がやっても確実にいつでも再現できる方法を確立せねばなりませんし、「明瞭な変化だ」とうならせるだけのクオリティを持たせなければなりません。そこまでできたなら事実としての研修方法となるのであり、脉診流鍼灸術の革命につなげられるのではないかと今後は焦らずじっくり温めていく課題にしていきます。