『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

安定し広く鍼灸師が会得できる漢方はり治療へ、夏期研東京大会雑感

 主題「漢方はり治療のさらなる飛躍」、副題「難経の脈状考察?四診法からのアプローチ」ということで、2018年8月26・27日にホテル・メルパルクYOKOHAMAを会場に、第23回 漢方鍼医会夏期学術研修会東京大会が開催されました。
 東京は交通の中心地ですから、全国規模の研修会を行うには参集しやすいというか参集できるようになっているので、過去に何度も夏期研は開催されてきたのですけど本部が運営してきたという感じのことが多く、東京漢方鍼医会が単独で主催したというのは第7回と第9回大会以来ではないかと記憶しています。15年ぶりくらいということになり、その間に学術面はもちろん大きく進化して変化していますが、人員もかなりが入れ替わっているので実質的には初運営の夏期研という感じだったでしょう。そのためホテル探しを数年前から始めていたということで、どうしても首都圏では物価が高いので会場経費が地方開催よりも負担が大きく、最初の壁だったと聞いています。その点で横浜なら新幹線はすべて停車しますし、飛行機でも羽田からリムジンバスで直通があるということで特に支障がないと判断され、今回の会場に決定したそうです。海の見える絶好のロケーションであり、山下公園も目と鼻の先で、横浜中華街に隣接しているという観光ももってこいの場所でした。まぁでも、いつものことですが追加の宿泊でもしなければ一日目にホテルへ入ってから二日目の閉会式が終わると直行で帰宅しなければならないのではありましたけど・・・。次の滋賀で開催するとき、よほどのことがなければまたロイヤルオークになると思うのですけど、せめて琵琶湖の水を直接触れるくらいの余裕ある時間はやはり作らねばと思いました。

 さて肝心の中身へ入っていくのですけど、漢方鍼医会は20周年を過ぎたなら「新版漢方鍼医基礎講座」と「臨床に生かす取穴法」の二冊のテキストを発行したので熟成する段階になると思っていたものが、いきなり次の大阪大会で邪気論(邪正論)での選経・選穴という新しい治療パターンが前面に出てきました。滋賀大会では臨床的自然体ということで姿勢についてのことやいい脈とは何だという基礎重視に一度立ち戻り、一年間をおいての愛知大会では不安定な解釈と運用の邪気論と従来からの生気論(気血津液論)の折り合いについて考えてみようという取り組みをしました。ところが昨年の名古屋大会でまた「陰陽調和の手法」が打ち出され、選経・選穴のパターンが増えてしまいました。そして今回の東京大会では副題の「難経の脈状考察?四診法からのアプローチ」とあるように、診察法の一つである尺膚診を復興してきた段階まではすんなり誰でも受け止められ脈診の補助としても活用がおもしろいと感じたのですけど、腹診と尺膚診から選経・選穴ができるとまで踏み込んできました。
 邪気論は病因へ直接アプローチするということで従来の経絡治療の枠を大きく飛び越えた漢方鍼医会だからこその治療法だと思われますが、周知期間なしにいきなり登場してきたことで大混乱も引き起こしました。私もその立場にいるので面と向かっての反論を書きにくいものの、短期間で実技講師へ治療法を習得するようにいわれても咀嚼の度合いが違ってしまうのは仕方のないことであり、それが夏期研で前へ出てしまったのですから受講する側はもっと咀嚼に幅が出てしまいました。提唱者の森本先生が行っている邪気論の治療とは違った形の邪気論が、あちこちにできあがってしまったというのが客観的事実でしょう。六十九難の治療法則一辺倒の時代であっても治療家それぞれの個性が出ますから全く同じものではなかったにしても、パターンが単純ですから「似て非なるもの」まではいきませんでした。ところが邪気論については、おそらく地方組織ごとにパターンが違ってしまったと思われます。「学術の固定化をしない」が漢方鍼医会最大の特徴ですからこれは認めて時がたてばやがて公式的なものが整理されてくるだろうと騒動が沈静化しつつあったところへ、陰陽調和の手法がまた出てきたのでこれは困りました。
 かつて霊枢・九鍼十二原篇に出てくる補瀉手法から難経の衛気・営気の手法へ切り替えたとき、このときには鍼の響きがしっかり感じられることと練習法も確立していたので混乱なく導入がされました。しかし、陰陽調和の手法は理論面では画期的なものの鍼の響きがしっかり感じられることがなく、練習法も未整備のままでしたから導入に二の足を踏んだり、興味すら示さないという会員の方が多かったようです。そして今回の尺膚の診察を見直そうまではよかったのですが、腹診で選経ができ尺膚で選穴ができると踏み込んでしまったために、「数年間でいくつもの治療法が出てきたのではたまったものではない」と食傷気味のレベルを超えて消化不良になってしまった会員の方が多かったように思われます。私でも本部と滋賀の両方へ所属していなければ、咀嚼が追いついていないところでしょう。さらにここへ邪気論と生気論のどちらからアプローチするのかと、陰陽調和の手法も最大限に活用して欲しいと言われたのでは脳みそがオーバーヒートで停止してしまいそうです。

 そこで講師陣へ入っている私が行った整理法について、ここから書いていきます。まず邪気論と生気論についてですが、近江商人の血を引いている滋賀県人としては活用できるものは最大限に活用させてもらおうではないかということで、診察段階ではフィルターを掛けないようにします。しかし、これでは情報の洪水でおぼれてしまうだけなので、時邪を払ってしまうことにより切り分けができることを発見しましたから、季節の影響を完全ではないものの排除した上に考察法も絞れるというツールを用いて臨床がスムーズになっていることを2018年5月の本部研究部「治療パターンを整理する  - 時邪を応用した切り分けツールの提案」 で発表しています。整理すれば治療パターンは四つなのですけど、ごちゃ混ぜになっている人が多いので是非ホームページの文章も参照してください。
 尺膚については、脈診での不問診ができる立場としてはおもしろいと感じるときと邪魔に感じるときがあるのですけど、これも近江商人の血で最大限に活用させてもらおうということから臨床現場では証決定が素早くできなかったときの補助として、研修会では脈状習得の教材として活用させてもらっています。腹診での選経というのは以前から相当に頼りにしていたものですけど、残念ながら尺膚を選穴の灯台にしてしまうと邪気論と生気論を両立させるのに矛盾が出てしまいますからここはスルーしています。

 さて、ここから少し長くなりますけど陰陽調和の手法についてです。学校で最初に習う「経絡は全身を循環している」という話しに対して五行穴や五要穴が必ず指先からの並びであり、古典の中には経絡の流れはすべて求心性であると書かれてあるものを拾い上げて、矛盾を解消するためにも衛気・営気の手法が経絡の水平方向の調整であるのに対して垂直方向の治療を追加するといいのではないかというのが概要です。理論的には画期的であり、可能性も感じます。問題は「どんな場面なら引用調和の手法を優先すべきか」をあらかじめ確認できるツールがないことと、練習法が未整備なので言葉でしか伝えることができず手法そのものが各人のイメージだけで足並みを全くそろえないところです。特に用いる場面を解説するのに病理の裏付けはいいのですが実際の場面では脈に頼るしかなく、それも浮沈や虚実という相対的な物差ししかないので菽法脈診という遅数以外では脈診の世界へ絶対的な指標を持ち込んだ漢方鍼医会最大の特徴を無視している点が、反発を招きます。実際に現在進行形で菽法脈診の価値や学術的位置がおかしくなってきているのは、非常に憂慮しています。さらに「鍼は垂直なのでその後は精神的イメージで補瀉はコントロールすべき」という方向へ進みましたから、「そんなんオカルトや!!」としばらく追試を放棄していました。
 衛気と営気の手法は警察のスピードと鍼の角度によって差をつけており、霊枢の補瀉については迎随の違いや押手で下圧を加えることによって区別するのですから、陰陽調和の手法も「手法」ですから何らかの動作を追加しなければ区別にならないことは明白です。そこでど派手だった夏期研名古屋大会、今後の課題と併せて反省文の中で「竜頭をわずかに握る」「わずかに押手に下圧を加える」ことで置鍼の精度が飛躍的に向上した過去の経験がそのまま流用できないかとは推測していましたから、同じ考え方をしている先生がおられたことを知ったので東京夏期研の三週間前より猛チャージで追試を再開しました。背水の陣で臨んだ方が効率的なことは過去の経験から身にしみているので、元々から計画的な猛チャージではあったのですけど・・・。
 まず本治法で効果的だといわれていたものについては、わざと下手な書き方をしますけど脈の上下の幅が大きすぎるか狭すぎる場合に、確かに変化が大きいようです。けれど最初や途中でも腹部へ散鍼(ここは衛気の手法)をすれば脈の上下の幅はかなりが平均化されるのであり、わざわざ陰陽調和の手法用いる必要性を感じないのでした。垂直方向の調整が強調されているのですけど、七十五難型の肺虚肝実証は営気の手法によって経脈内の気を動かすことにより経絡相互の連動によって肝実を落とす治療法であり、六十九難にしても四十九難でも経絡相互の作用を考慮していますから水平方向の調整です。また脾虚肝実証については木克土の状態をまず解消するのに脾を衛気で補い、肝経の陽谿である胆経を営気で用いることで病理の解消を図っていますから、垂直方向の調整もすでに存在しています。また剛柔で陽谿からアプローチするという方法も、浅い位置の陽谿に垂直の手法は技術的に困難であり、手法そのものに時間もかかることから適しているとはいえません。そして何より菽法の高さへ脈を整えるという点では、陰陽調和の手法を用いる判定の基準線と異なっているため矛盾があり、今のところ本治法へ導入するメリットを見つけられていません。将来的に「本治法のこの場面は陰陽調和の手法だ」と事前に検証できるツールが登場すれば、そして菽法の高さにも合致できるということであればそこからまた追試をすることになるでしょう。
 鳴り物入りで登場したはずの新しい手法ですが問題山積であり、「未成熟な技術をいきなり夏期研へ持ち込んだことは拙速すぎた」と一年経過して反省が語られましたが、理論の組み合わせ方は画期的なのです。そこで古典から読み取れるものは基本的に正しいというスタンスを持っているので活用法の方を考えてみようと、逆の方向からのアプローチを試みました。何のことはない、標治法のどんな場面で使えるのかを追試したなら、あっさり使える場面の判定と手法の改良はすぐできました。
 垂直方向で内外がアンバランスになっているものといえば、後頸部や肩甲骨周囲で気血が停滞している硬結が思い浮かぶのであり、腰椎ヘルニアならヘルニア周囲に必ず表面と奥の流れの違う不愉快なものを触れます。しかも、ご丁寧に団体様でごろごろいてくれます。これらにどのようにして対処していたかというと、毫鍼の時代には鍼管を使って痛みを与えないように刺鍼して、ピンポイントでうまく当たれば劇的に腰椎ヘルニアが回復していました。ていしんの時代になると刺さらないのですから転換手法を用いることで、少し手間でしたけどピンポイントを意識しなくてもよくなり平均的に効果が出せるようになりました。邪専用ていしんを用いるようになるとタッピングですから手技そのものがとても簡便になり、局所の悪血が動かせるようになりました。ただ、毫鍼はやや深めの四診となりますから熟練が必要でピンポイントになかなか当たらず、転換手法は元々の高い技術が必要で正直誰もができるものではなく、邪専用ていしんは道具を持っていなければなんともなりませんから、いずれも条件が厳しかったともいえます。ところが陰陽調和の手法であればほとんどどんなていしんでも可能であり、緩み方をリアルタイムに観察できるので同時に手法練習もできます。もちろん理論通りの高い効果が出ています。
 硬結というのは気血の停滞ですから上から下まですべてが堅いのではなく、表面は柔らかいが奥が堅くなっているもの(外虚内実)、あるいは表面が突っ張っていて内部はそこまで堅くは感じないもの(外実内虚)となります。ここへ陰陽調和の手法で外虚へは補法を外実には瀉法を行えばいい、単純にそれだけなのですが前述の道具が進化してきても条件が実は厳しかったものがあっさりクリアできているというのは、実に素晴らしいことです。今までの助手に標治法をあまり任せてこなかったのは、一つには「にき鍼灸院」の色を強く染みこませてしまうとオリジナリティーが育てられなくなるということでしたが、もう一つは技術的に同じレベルで手法ができないため「質」が維持できないことでしたけど、邪専用ていしんと陰陽調和の手法を用いれば標治法を任せていけるようになります。
 具体的には、陰陽調和の手法で補法は「押し入れる」のですからわずかに竜頭を握って鍼が沈むようにすればいいのであり、瀉法は「引き上げる」のですから押手も手伝わせて抜鍼すればいいのです。秘訣はどちらもミクロンの単位での操作であり、ごくわずかの力だけにとどめること、力業で行うものではないという意識を持っておくことです。竜頭を握るのはごくわずかの力であり、皮膚がへこむほどていしんが沈んではやりすぎです。押手で手伝うということは下圧を加えるのですけど皮膚がへこむようではやりすぎで、衛気・営気の手法では押手は動かさないことが極意でしたけど少しだけここを変えて抜鍼時に手伝わせるだけであり、これだけでは難しいので刺し手で引き上げるのも同時に行います。補法に関しては三日もあれば習得できる力具合ですけど、瀉法に関しては力具合と刺し手とのタイミングを合わせていくのに一週間では足りないと思われます。またどちらもごくわずかの動きなので、臨床的自然体ができていていい姿勢でないとこのような変化は実現させられません。頭を下げて施術部位を見ようとする人が多くいますけど、それではこのような変化は現れてくれません。しかしながら硬結の変化で手法の善し悪しがリアルタイムにわかるので同時に自己修練していることにもなり、創意工夫すれば短気に習得できることも可能でしょう。逆に言えば創意工夫の度合いが次の研修会で先輩の先生に見破られてしまいますから、自己練習を怠ると大変です。

 えーっと、近年の問題点について長々と書いてしまいましたから、まだ夏季研当日のことについて書いていませんでした。会長講演で印象的だったのはやはり経絡の流れる方向の話で、霊枢ではやや求心性の方が多いような印象だとか難経では二十三難の記述が不自然であることから、様々な意見があることをもう一度紹介されました。しかし、「営気だけが全身を流注にしたがって循環をしている」の最後の一言が決め手でした。ここ数年間は経絡の流れる方向についての諸説を聞きまくったので「そうなんだ」と漠然と思うところがありましたけど、やっと元通りになりました。難経一難をはじめとして古典のあちこちに経絡は一日に五十周すると書かれてあります。一呼吸で六寸で一周するのに約半時間かかることになるのですけど、これらは純粋に営気のことだけを指していると解釈すべきなのでしょう。その証拠に気(衛気)(陽気)は瞬間的に全身へ拡張できるので経穴を触るとリアルタイムに脈状が変化するのであり、逆気という現象があったりもするので気については方向を定めない方がいいのかもしれません。これなら五行穴が必ず指先から並んでいても、さほど矛盾がないでしょう。
 一時限目は基礎収斂で、研究部ですから脈診の指の当て方に問題のある人こそいませんでしたけど、三菽の重さを確認せず指を沈めていく人がやはりいました。菽法脈診が軽視されているのでしょうか?後半は基本刺鍼で、いきなり陰陽調和の手法です。臨床投入について聞いてみると名古屋の会員が半数だったこともあり全員が導入しているということでしたけど、やり方がばらばらなのは今までの講師陣の責任であります。大阪の会員がいたので来年の準備状況の偵察もかねて普段の収斂法について尋ねてみると、猛チャージの中で見つけてきた背部の外虚内実・外実内虚の箇所へ行う方法と同じであり、行き着くところは同じだとわかっていたものの全くのそっくりさんには笑ってしまいました。脈診を絡ませた練習法についてはまだ完成していないのですけど、ヒントになる発言をいくつかこちらがもらってきました。
 二時限目は前半が取穴法で、連線について理解していない人が多いのにはがっかり。取穴書の八綱から五年経過してそれだけ新しい人が増えたともいえますけど、地方組織でしっかり指導をしていない証拠であり、取穴時の姿勢も地方組織によっては非常に悪いのでここは絶対に改善していかねばならないと感じました。後半は診察法で、今回メインの尺膚診です。昨年に続いて講師合宿が一度しか参加できなかったのですけど、尺膚診についてはその前の学術部合宿でリハーサルがあったので研究部の方がむしろ担当しやすく、初めての講師経験者の育成もかねて講師の側で参加を決めた上にペアの先生は東京漢方ですから、ここはお任せ状態にしました。それでも一通り尺膚診について説明がされたなら、その後の実技鍼口はこちらで仕切ってしまいましたけど・・・。若手を助けたのか任せきっていないのか、どうも進行が遅いのは精神的に合わないのでやっちまいました(苦笑)。
 二日目の最初はパネルディスカッションで、三人のパネラーが一気に発表をしてしまい少人数で討議をするというのは、昨年と同じ形式でした。要録の点訳作業も担当していたので一足先に抄録を読んでいたのですけど、発表のほとんどがかぶっていたので懸念していたのですがここは昨年と逆になり、自分の臨床形式と対比する形で話が進行できたので発言が出てきたものの、残念ながら全体的な成果はどうだったでしょうか?それと一気にパネラーの話が出てしまう形式は好まれていませんでした。机がないのも不評でした。シンポジウムのようにずっと聞きっぱなしになる形式へ戻すのは反対ですけど、そろそろ何か変化をつけないとという感じです。
 三時限目は診察法を中心に証決定までを行うということで、まず邪気論か生気論のどちらからアプローチするのかを決めてしまい取り組んだことで混乱はなく、回った班ではうまく進行されました。季節の影響について話は出ていたのですが、昨夜のアルコールの影響の方が強く表れていました(苦笑)。
 四時限目は総合治療ということで、研究部ではもうお任せ状態であり一人の参加者として楽しく実技をさせていただきました。ただ、ここでも取穴の姿勢の悪さが目立つのであり頭を下げて経穴を見ながらというのは、はっきり言って研究部のレベルではありません。今回の特徴として参加回数で自動的に上のクラスへのコース変更をされていたようなのですけど、研究部に若い女性の姿が多くなったのは喜ばしいものの丁々発止の議論をする場面がなく、講師だけでなくベテランの先生へお伺いをして実技を教わっているという形が多かった印象です。ほかの地方組織のベテランから教えてもらえるというのは夏季研だからこそのチャンスですけど、ベテランの先生方が参加のメリットを感じなくなっては困りますので、このあたりは将来の宿題でしょう。

 当日の部分については相当な辛口の批判になってしまいましたけど、これは進行方法が名古屋大会のコピーになっていたので混乱をした教訓が生かせていなかったからだと評価するからです。課題が消化不良の段階でまたもや選経・選穴の新たなパターンが提示され、しかもシステマチックに腹診と尺膚診で割り出せるような説明ですから「一隊どれで考えていけばえんや!!」とさらに混乱してしまいます。残念ながら滋賀から参加した会員の報告も、全員が辛口のものでした。
 しかし、これは東京漢方鍼医会だけの責任では決してありません。数年前から「東京へ来てもらうのだから」とプレゼントを用意しておこうと頑張ってくれたものが、たまたま地方組織がそれぞれの特徴を印象づけるような形で運営を続けてしまった延長線上にあっただけのことです。「本部が研究課題とした項目をカリキュラムへ組み込め」と介入をしてきたことが、東京漢方鍼医会らしさを薄めてしまったのかもしれません。非常に詳しくわかりやすい資料を作成していただきましたし、きめ細かなおもてなしをしていただき、懇親会を中華街で食事できなかったことは残念でしたが関東開催の夏季研では料理もおいしかったです。特に滋賀とさほど変わらない会員数なのにおもてなしのきめ細かさは、ピカイチだったと思います。本当に実行委員会の先生方、お疲れ様でした。
 そして地方代表者会議でも講師反省会でも出ていたとおり、漢方鍼医会はしばらくは提示された学術をしっかり消化して吸収する時間帯へ入っていくべきでしょう。前を見つめて進化し続けなければなりませんが、その前に技術の世界は足下が揺らいでいたのではどうしようもありません。30周年まで折り返しを過ぎたところですから、次の目標は進化し続ける漢方はり治療よりも、安定し広く鍼灸師が会得できる漢方はり治療であってほしいと思っています。