『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

軽擦を行う意義と経絡治療(その3)

 「軽擦を行う意義と経絡治療の第三弾になります。

 前回は中医学と経絡治療の違いに付いてまで書きました。基礎部分については国家予算をつぎ込んでまとめ上げたものであり古典が基準となっていますから中医学は大いに利用させて頂くべきものであり、流派を越えての共通言語としても中医学の果たす役割をこれからは見直していくべきではないかという意見です。
 しかし、治療段階になると中医学はいきなり経穴に頼ったものへ急降下してしまいます。これは邪推を含んでいるでしょうが学者だけでなく臨床家も集めてまとめた中医学なので、基礎部分では一致するとしても臨床部分ではお互いの主張がぶつかり合い、落としどころがなくて経穴をどのように選択するかの段階で尻切れトンボになっているのではないかと想像しています。
 これに対して日本独自で発達してきた経絡治療には治療法が存在し、証決定を含めると一連の治療体系が確立されているものが多くあります。経絡が先に存在していて鍼灸とはそれを効率的に操作するために考え出された道具であるとするなら、経絡治療と呼ばれる分野の鍼灸術でなければならないというのが私の考えであり、臨床実践の中からの感想です。

 くどいようですが書き加えておきますと、経絡が先にあって鍼灸という道具がでてきたのですから治療効果の判定はできても西洋医学をベースに治療体系を組み立てることは完全なエラーですから、このような日本の鍼灸の現状も間違っています。
 これから勉強をしていこうとする若い鍼灸師たちは、中医学で基礎を学ぶことは大いに結構でありますけど、中医学と経絡治療は似て全く異なることを理解しておいてください。

 さて、次なる質問です。
 「午前中の説明の中で『気』という言葉がやたらと出てきましたけど、気を調節するだけで全ての治療が可能なのでしょうか?」。

 ここは、まず『気』というものを直感的に理解することが先決と思われました。
 「日本人というものは実は気がよく分かっている人種で、例えば元気がいいとか熱気がするとか殺気を感じるとか、変わったところでは色気があるとか。あなたからは色気が出ているかな?」。
 あれれ、見学者は女性だったんですね。

 そこで手を取りながら、「例えばあなたが私のことを以前からとても好きだったとしたなら、こうやって手を握る機会があるとそれだけで気持ちいいでしょう。これは相手と気の交流をしたいからです。今まで近づくことさえできなかった憧れの人であれば、隣に座っただけで有頂天になり身体がぽかぽかしてくるのは、気というものは近距離であれば飛んでいくこともできるからです」。
 これで「にき鍼灸院」で行っている元々刺さらない鍼である”ていしん”のみによる治療が可能であることを証明できますし、時によっては接触をせず接近で治療をしていることも無理なく説明できます。

 「逆に私がとても嫌な上司だったとして、宴会の時にお酌をしてくれと無理矢理手を握ってきたならどうなる?鳥肌が立つでしょう。それは毛を逆立てて相手の気が入ってきて欲しくないと抵抗をしている証拠なのです」と加えました。

 直感的には『気』とはこのようにすぐ理解できるものなのです。
 しかし、気を捕まえることはできません。気のことを深く理解するには実践が必要であり、気を操作できるようになるにはそれなりの時間が必要になります。治療に携わっていて早い人でも半年、位置年半くらい掛かったとしても不思議ではないくらい気というものには奥が深いです。
 それから鍼を深く刺入することを前提としているのであれば、やはり気を理解することはちょっと困難です。研究レベルにおいて刺入による効果判定という分野は現代医学の中で取り上げてもらうために必要なことかも知れませんけど、古典には既に休診という種類があるくらいなのですから毫鍼に固執すること自体がやはりエラーだと言えます。

 気が経絡を動かす手段だということが、これで理解されたことと思います。