『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

軽擦を行う意義と経絡治療(その6、最終回)

 「軽擦を行う意義と経絡治療」第六弾、最終回です。

 前回でまとめきるつもりだったのですが、私の臨床スタイルが形成される過程に触れ始めたなら文章量が膨大となってしまい、分割せざるを得なくなりました。無駄な文章を書いたつもりはありませんので、未読の方は是非ご覧ください。

 核心的な質問が突然飛んできたのでこちらがビックリしました。
 「ずっと説明を聞いていると『気』を補うとか操作するという話に終始しているのですけど、『気』を動かすだけで全ての治療が本当にできるのですか?」です。。
 私にとって漢方はり治療(経絡治療)のみで臨床をずっと営んできましたから疑いのない部分なのですけど、以前にも素人さんながら医療関係の雑誌を読みまくって知識のある人に同じ質問を受けて回答に困ったことがありました。しかし、今回は鍼灸学校の学生ですから正面突破での回答ができます。

 まず鍼灸で操作できるものは『気』です。『気』のみが操作できます。霊枢九鍼十二原篇には文字通り九鍼が紹介されているので断言しすぎの面はありますけど、『気』を操作するために考え出された道具なのですから、これは当然のことなのです。逆に西洋医学を基準に鍼灸の効果を説明することは、毫鍼を深く刺入することによる代謝産物が変化しての二次的要素としては証明できるかも知れませんけど、これは経絡とは全く別次元での話であり「やった・効いた・治った」の三た治療を苦し紛れに正当化しているだけの受動的な操作に過ぎません。
 東洋医学は陰陽・三才・五行の哲学レベルに始まり、五臓六腑と気血津液という人体生理を調節することで成り立ちます。このうち津液と血は物質そのものですから、津液は瀉剤を用いれば汗をかかせるとか大便として排泄させることができますし、血も瀉血という方法で無理矢理抜き取ることが可能です。しかし、抜き取るばかりでは受動的な治療しかできないので能動的な治療が必要であり、気を操作する鍼灸が考案されたという歴史考察には無理がないでしょう。

 気はまだ科学では証明されていませんけど、やがては証明されるのではないかと私は考えています。軽擦をするだけで気が流れて人体が大きく変化するのですから、微小な物質だと考えるのです。そして微小がゆえに意識を傾けることによって操作ができると考えています。私は初心者の指導で気を補う才気の時、「とりあえず指先に注意を集中してください」といいます。これを言い換えると「指先に気を付ける」となり、意識によって気は操作できるのです。
 できればここに動きがあった方がよく、気功法では手かざしばかりがメディアに取り上げられていますけど内気功であれば呼吸や規則的な動きを患者に要求していますし、太極拳は全身を使って気を調整している代表例です。軽擦によって気が動き、経絡も動くのです。
 ですから鍼に手法があると気を操作しやすく、逆に置鍼中心の中医学では気血津液を論じながらも気を操作しているとは言い難いのではないかと思います。

 そして経絡治療では補瀉という概念を重要視しますが、漢方鍼医会では『衛気の手法』『営気の手法』の二つで概ね対処しています。もちろんその他の補助療法を用いることがありますし養生法などもありますから、本治法のみが"漢方はり治療"ではないこともご理解ください。
 衛気とは通常『気』と呼んでいるもの、あるいは陽気と表現してもいいですし経脈の外を巡って経絡を護衛している素早く動く気と、そのまま理解しても構いません。この手法は極めて軽微に行います。
 営気とは血中の陽気のことであり、経脈内に存在していて津液とともに血を構成しています。陽気と比較すれば陰気ということになり、その手法は衛気よりも深い部分へ到達するように行います。
 では漢方鍼医会の実技において補瀉をどのように実現しているかですけど、衛気の手法は即ち陽気を補っており営気の手法は陰気を補っています。難経には「営気を補うことは瀉法である」との記載があり、補瀉の概念を難経に基づいて実現させているのです。
 それから軽擦についてもまだ公式見解ではありませんが、気の流れる速度より素早く軽やかに行うのが衛気に対する軽擦で比較的ゆっくり動かすのが営気に対する軽擦として追試しているのですが、結果は極めて良好です。

 それで「気を操作することで治療は全てできるのか」という中核部分になります。
 気血津液の特徴を考えると、まず津液は自分だけでは動けず気や血に引っ張ってもらう必要があります。つまり瀉剤で津液を直接動かすことも時には必要でしょうが、まずは気によって溢れているものは所定の場所に治め乾いている場合には潤すように引っ張ってもらうことが重要になります。血はどろどろになって全身の循環をも阻害するお血に陥ってしまい程度が重くてどうにも動かしがたい状態になってしまうと刺絡(瀉血)によって取り除く必要がありますけど、「血中の陽気」である営気が巡っており、この力で動いていますから営気が操作できれば血の病についても積極的なアプローチが行えることになります。そして気は経脈の外を巡り素早く動いている陽気ですから、全身の保護をし不純な代謝物を処理もしくは排泄させるように働きますから、気を調節することで鍼灸が守備範囲とする病気のほとんどは治療可能なのです。
 東洋医学では汗吐下和温といって、汗で出させるか・吐き出させるか・下痢させるか・調和を測るか・温めるかという治療の選択肢が提示されており、全て調和を重視しているので瀉剤や瀉血といった抜き取る方法は緊急の奥の手であることをものがたり、気の操作によって生命統制機構である経絡の調節を重視してきたのです。
 余談になりますが、漢方はり治療では毫鍼が手に馴染み愛用し続けている治療家も多いのですけど、"ていしん"を使用することで理論的にも臨床的にも都合のいい場面が私には多く感じられ、治療力に何らの差も生じないのですから"ていしん"のみによる治療家も増加しています(もっとも毫鍼を扱う技術があってのていしんですから、お間違えなく)。
 "ていしん"は元々刺さらない鍼なのですから、津液や血を直接動かしているのではなく、「衛気の手法」「営気の手法」によって気血津液の調和を測っているのです。


 さぁ朝から続いてきた見学も夕方を過ぎて間もなく終了しようという時間帯になり、色々と整理できた面もありまだまだ混乱している面もあったのですけど、最後に難経七十五難型の肺虚肝実証と証決定した患者さんに腎経へ営気の軽擦を行わせてみました。
 肩こりの患者さんの肩上部が本治法だけですっかり解消している時にも驚きを隠さず大声を出していたのですが、自分が行った軽擦によって不充分ながらも明らかに腹部は緩んで肩上部も緩んでいたことには今度は身動きできない様子でした。後で感想を聞くと、「自分でも同じことが再現できたのが嬉しかった」とのことです。
 これは経絡を最大限に活用した治療法であるなら初歩の初歩なのですけど、様々ないきさつから鍼灸術全体の中では極めて少数派にとどまっていることに今さらながらこちらも責任を感じたりしていました。


 六回にも及んでしまったこのシリーズは、ここで完結です。
 なお、このような見学があったこと自体は事実ですが質問や回答については順番を入れ替えながら加筆・修正をしています。
 一人でも多くの鍼灸学校学生が、鍼灸師が伝統的な経絡を最大限に活用した鍼灸術へシフトしてくれるようにと、その推進力の一つとなるように今後もブログを続けていきます。