『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

今さらながら自己治療の大切さ

 今さらながら自己治療のできる鍼灸という職業の恩恵を強く感じた出来事がありましたので、備忘録的に書いてみます。

 ことの発端は先週の後半に強烈なストレスが発生したことでした。ストレスの発生原因については本文と関係がないので割愛しますけど、木曜日の夜に一番目のストレスが発生して肩こりというよりも肩甲間部の痛みを感じ始めました。
 金曜日になると仕事に関わることですから何度も思い出してはまたストレスが蓄積してくるところへ、今度はパソコンの動作がおかしくなるだけでなくシステムクラッシュ寸前の状態となってしまったので余計に仕事へブレーキが掛かり、夕方には頭痛だけでなく眼球の痛みまで感じるようになってしまいました。
 そして自宅へ戻り子供の相手をしながら夕食は済ませたのですけど痛みがつらく、アルコールを飲んでしまったので鍼灸治療もできませんから軽く背中を踏んでもらったりしていたなら痛みが緩和し、その気持ちよさから腹臥位のまま居眠りしてしまったのです。

 この居眠りが背中へ大きな負担となって痛みを決定的なものとしてしまい、二時間も居眠りしていないのに大の男が悲鳴を上げたくなるほどの痛みで目が覚めてしまったのです。
 どんな方向で寝てもすぐ痛みは増悪してきますし姿勢を変える時には思わずうなり声が出てしまうほどの痛みが発生し、動いても地獄動かなくても地獄の痛みが波状攻撃で襲ってきます。
 この状態からではパジャマに着替えるのがやっとで、自発痛で眠れない時間を過ごしている間にどうしてもトイレが我慢できなくなって相当に痛みをこらえながら用を足したなら、この時を逃してはならないと小児鍼用にタンスに締まってある鍼箱をその足で取りに行くのでありました。
 そして激しい自発痛ですから陰実証は動かぬところであり、痛みでまともに脉診ができないものの腹診や肩上部も自分で確認できるものは確認すると、難経七十五難型の肺虚肝実証で太谿を用いるのがベストと診断しましたから、左太谿・左陽池に営気の手法を施し左陽谷にも営気の手法を施しました。
 すると検脉のため姿勢を変えようとした瞬間にギクッという音とともに背骨が動き、激痛は残るものの姿勢を変えることには支障がなくなったのです。

 ゆっくり慎重に身体を動かして布団へ戻りながら思い出したことがあります。
 修行へ入った一年目の秋だったと記憶しているのですが、突然の腰の激痛で早朝に目覚めたことがあります。腰痛が発生した原因についてはハッキリとは覚えていないのですけど、外力が加わったなどはなく疲労の蓄積が要因だったと思います。とにかく突然の激痛の方にビックリしました。
 治療室の二階に下宿させてもらっていたのですが早朝ですから一人きりであり、最初の数分間は痛みに耐えるしかありませんでした。しばらくもがいて足を先に動かせばなんとか姿勢が変えられることが分かったので研修会用の携帯鍼箱を取ることができ、当時の証決定での肺虚肝和法にて自分へ本治法を施したのです。
 和法というのは福島弘道先生が提唱されたもので、実には至らないが滞りが顕著である時に流注に従って鍼を入れて滞りを解消させようとするものでした。現在ならやはり難経七十五難型の肺虚肝実証で治療するのでしょうけど、考え方も技術も時の流れとともに発展し成長せねばならないものですから、その当時の知識や技術には今でも大感謝をしております。
 それで左太衝に和法を施していたなら腰に暖かみを感じ、検脉のために姿勢を変えようとした瞬間に腰からゴクッという大きな音がして痛みが半減したのです。骨が動いたかと思いました。
 自己治療による体調管理は既に学生時代から実践しており、自分の身体によって治療のノウハウを蓄えてきたのですからある種の自信があったのですけど、鍼灸治療のみで物理的な修復も発生させられることが実感できた経験として忘れられないものになりました。

 ちなみに修業時代のものも今回も実際に関節が修復されたかといえば、答えは違うでしょう。手の指がポキポキ鳴るのと同じことで、関節の「遊び」の範囲がジャストへ滑り込んだものであり脱臼や骨盤のズレのように整復されたものとは違うはずです。
 しかし、「遊び」がジャストへ滑り込むことで老廃物が一気に排出されて循環がよくなるという物理的変化は確かに発生していますし、経絡を中心に考えても流注上に発生していた歪みが解消されたのですから、経絡の持つ本来の力を十分に発揮できるようになったことは確かです。
 これほどの痛みがある時に、何もしていないのに整復反応が起こるはずはありませんから、確実にこれは治療効果によるものです。

 それで修業時代の経験も今回もさすがに激痛を一発退治とはならず姿勢を変えるたびに顔をしかめるほどの痛みは残ったのですけど、周囲には気付かれることなく仕事を続けることができました。もちろん二日目には日常生活への支障がないほどまでに回復しており、数日で完全回復です。
 痛みとしては今回の方が遥かに強く、「一般のサラリーマンなら絶対に会社を休んでいる痛みだなぁ」と自分でも出勤前に思っていたほどでした。でも医療人ですから、自分の体調不良で仕事を休むなんて無様なことをせず済んだと、安堵もしていたのでありました。
 ついでに似た症状の患者さんが来院された時に話をしていたなら、「私は会社を休みました」とのことでしたから笑っていいやら自分の環境を幸せに感じていいやら複雑でしたね。

 鍼灸という技術は、自己治療ができるということも特徴の一つです。
 治療効果が実感できますしノウハウも蓄積できますし時には患者さんに施せない実験をすることができますし、何より自分の身体が健康に保てるのですからこれほどいいことずくめのものはないのに、自己治療をしない鍼灸師がいることが不思議でなりません。
 自分の身体を手術してノウハウを蓄積している医者は以内でしょうけど、鍼灸師はどんどん自分の身体へ鍼灸が施せるのですから鍼灸学校入学と同時に、「毎日自己治療をしなさい」と教育されないのも不思議です。
 技術の研鑽は、まず自己治療からと改めて感じている次第です。