『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

実践!取穴ビデオと検校精神

 このブログは『にき鍼灸院』のホームページでは掲載しきれない時事ネタを中心に記事の保管をする意味で執筆しているため、元々から不定期の更新としています。そして、ホームページとは役割を完全に分離させています。
 しかし、ホームページ上の細かな経過が伝えられないこともしばしばなので、その説明を書いて行くこともブログの役目に感じています。
 それで今回は、『実践!取穴ビデオ』シリーズを展開するまでの経過について書いてみます。


 ホームページとは今や企業ステイタスであり、学生などが就職活動をする時にも詳細を知らない企業であればまずホームページを閲覧して、それが第一印象となるくらい「顔」となっています。
 独特なことを行っているというイメージの強い鍼灸院は、自営業ということもあってホームページは必須となっています。
 それで私もブロードバンドがやってきた頃からホームページの開設は希望していたのですけど、そして現在のような営業が主目的ではなく資料公開が主目的というコンセプトも決めていたのですけど、HTML講座をいくつか読んでもスクリーンリーダーに記号を読み飛ばさせる設定にしていたことも仇となって目標通りには修得ができませんでした。それにデジカメもまだ所有していませんでしたし・・・。
 そんな時、第三十一回伝統鍼灸学会で当初は一般発表のみの予定が漢方鍼医会担当の実技公開も出演して欲しいということになり、一日目も二日目も登場してきますからそれなりに注目を集めたようで「先生のホームページはどうなっていますか?」といくつか問い合わせがあっただけでなくお叱りを受けることさえあり、おしりに火がついて本格製作となったわけです。

 最初から独自ドメインでの運用は考えていて、一緒に管理してくれるレンタルサーバと契約しましたからディスクスペースも希望以上の大きさがありました。
 「大きいことはいいことだ」とCMソングではありませんけど、スペースがあればそれを何らかの形で活用することを思いつくもので、色々おもしろがっているうちにデジカメの動画モードで撮影したファイルが簡単に公開できることを知り、動画を活用することも構想に入ってきました。

 そして思いついたのは治療ポイントのあれこれを動画で実際にみせてしまうことと、取穴修練の手助けとなるビデオの公開です。
 以前に福岡漢方鍼医会が発足準備をしているのでそのお手伝いに三年連続でお邪魔したことがあり、三年目には「経絡治療の臨床研究」が発行間近だったので取穴部門はほぼ固まっていたことから一日で学習してしまおうということになり、前夜になって「一度きりの修練ではすぐ忘れてしまうのでビデオ撮影をすれば」と突然提案して、その後はそのビデオカセットが長期間に渡り活用されることになった経験がありました。

 さて前置きばかりが長くなっていますので、プライベートブログの一部も流用しながらさらに具体的な経過について説明していきます(文体が変わっている部分が流用です)。

 公開したビデオはツボを撮るためのもので、鍼灸師であるならツボなどお手の物と思われているでしょうが実はなかなか難しいだけでなく、正確に捉える技術を学校で教えてくれる教員もいなければ忘却という難敵が存在しているので一度や二度くらい学習しただけでは全く使い物にならない、常に復讐を繰り返していないと飼い犬に手を噛まれるどころか食いちぎられるほどのしっぺ返しを喰らうような技術なのです。
 でも、実際には自分の得意とする治療法に対するツボしか運用をせず、それも少数のツボしか把握していないのが現状です。それも正確に取れているかどうかを詰問すれば、答えは紛らわしいところなのです。

 それで発行されていたテキストだけではどうにもノウハウが伝わってこず、情報化社会は逆に手や頭で記憶する能力を殺していると危機感を持ったので独自テキストを発行したというのが過去のお父さん達(現在の滋賀漢方鍼医会)の仕事であり、さらに養成学校乱立で教育レベルが一気に低下していることから「ビデオでも残さなければ指導しきれるものではない」と、今回の仕事となっています。
 過去の先輩達は第二次世界大戦中でも寝食を忘れて連日議論しながら経絡治療の基礎を築き、その指導を直接受けた次の世代の先輩も自分の治療室を犠牲にしながら組織拡充を図るなど技術県産と伝承という目的を骨身を削って努力されていたのに、その後は一部の献身的な先輩の努力のみで現代へ細々と伝えられたというのが現実であって、「これを打破せねばならない」という使命感を勝手に感じての行動なのです。
 ビデオにしたならすぐ伝承の問題は解決するものではなく、やはり手から手へ技術指導が基本となるのですけど、基準線がハッキリできることには大いにメリットがあります。

 このように子供達へ残している中で記述したのですけど、かつては杉山検校に対してとはありましたが先輩方への黙祷を捧げてから鍼灸の研修会は開始されていたことを常々思い出しており、検校精神を受け継がねばと感じての行動です。
 杉山検校(すぎやまけんぎょう)とは、杉山和一(すぎやまわいち)のことで、
 詳しくはこちらのページにありますが、己の力でつかんだ名誉と地位なのに私することなく伝承へと力を注がれた精神、それを検校精神として教えてもらいました。
 情報化社会になって安直だったかも知れませんけど、まず私のできる検校精神の現れはこんなところだったというところです。