『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

駅のホームから転落(その3)

木曜日時点での内出血の様子

 駅ホームからの転落事故より、一週間が経過しました。友人が駅のホームから転落!■名前:コバ■6月16日18時55分とブログからもお見舞いをいただき、陳謝と感謝です。

 それで経過ですが、まだ重い自発痛が発生しているものの85%は回復したという印象です。最初は全くできなかった中腰姿勢も少し我慢は必要ですが十分できるようになっていますし、月曜日からはしゃんと立てるようになったという実感で姿勢が元通りににもなりました。先週は前傾姿勢にどうしてもなっていたようで、物理的に目が見えているわけではないのですけど目に見える風景が急に変わった感じです。
 しかし、困った問題が一つあります。心的外傷後ストレス障害PTSD)と書けば大げさなのですけど、突然に転落事故の場面が思い出されてはあれこれ悪い方の結果を想像してしまい勝手に恐怖してしまいます。PTSDについては色々考えることがあったので、次回に詳述します。

 客観的な経過に話を戻しまして、写真は木曜日時点のものなのですけど内出血の範囲は狭くなってきているものの紫色が濃くなってきています。これは現在もそのように進行中です。
 痛みの程度は日を追うごとに軽くはなっているものの、家に帰れば幼い子供がいますのでどうしても抱き上げねばなりませんし、水曜日は外出があったのですけど腰への負担が強すぎて帰宅後には背部が固まったような印象ですぐ横になるしかなく、妻に瀉法鍼での応急処置を頼むと手を近づけるだけで熱感が顕著だったといいます(娘は患部を見て「ぶどうみたい」と喋っていました)。
 そのような生活リズムですから木曜日までは日中に微熱が何度も出ており、身体はだるく時々冷や汗もありました。
 金曜日から微熱はでなくなったのですが、今度は打撲したはずのない左下腹部に痛みを感じ始めます。ずっと脾虚肝実証で治療してきたのですけどお血が大量すぎて深く沈澱し始めたのかと考え、土曜日には軽く触れるだけで左下腹部の痛みが響きますから肺虚肝実証へと証を変更すると左下腹部の痛みは顕著に改善しています。

 日曜日は休息時間が取れたので、一週間ぶりにスポーツプラザへも出かけました。
 私は一流選手に離れませんでしたし公式にJAPANのユニホームを着たこともありませんからグッドアスリートではないかも知れませんが、いつもグッドスポーツマンであるべしとスポーツに取り組み楽しんできました。そして何か障害が発生した時こそ、治療が第一ですがスポーツによる循環改善とストレス解消による精神面の改善を実践してきました。
 末期癌患者への告知に初めて悩んだ時には頭の中がそればかりになってプールでおぼれてしまい、短時間でいいから泳ぐことに集中することでストレスが抜けることを逆に教えてもらった気がします。緑内障発作の時にも軽く泳ぐことで循環改善が急速に行えていますし、解剖学の勉強と称して肋骨骨折直後から泳いで立体的に筋肉構造を把握できた体験もあります。

 まずはストレッチ体操で、大きく身体を伸ばすことにより左腰部の内出血部分が引っ張られることがよく分かります。左側に身体を倒した時にはそれほど痛みがないものの、右側の方が引っ張れるので痛みが発生してきます。立位体前屈では今でも手掌がべったり付けられる柔らかさなのに、最初は指の根本までが精一杯で次第に柔らかくはなってきたものの姿勢が傾いているのでそれ以上は無理をしませんでした。ストレッチでは循環改善に確かな効果はあるものの、お血の解消には至らないというのが印象です。
 次は内出血があまりにひどいので周囲が騒ぎになりますからプールは回避して、ランニングマシンも腰への負担が大きいことから背もたれ付きの自転車こぎにしました。普段は無酸素運動が主体なので有酸素運動ではなかなか心拍数が上がらず、かなり退屈してきた頃からやっと汗が出てきたので観察開始です。脈拍は早くなるものの(数脉には至らず)脉状は次第に太くなり、左関上の脉も硬く沈んでいたのが次第に柔らかく浮いてきています。患部も熱を発しながらも痛みは増悪せず、適度な運動はやはりお血解消の条件だと実感です。
 加えてですが、身体は定期的に洗っていたものの湯船に使って温まることは避けていたので、思い切りのシャワーはスカッとしましたね。

 ここからは病理考察へと移ります。
 前回に独断で四大病型と表現していても調経論と難経で意味しているものが違うと書きましたが、今回もその延長で書かせて頂きます。それで言葉が混乱しないように、調経論で熱の状態を表す四大病型には陽虚型のように型を付加し、難経が表す病理による四大病型には陰実証のように証を付加して書きます。
 まず転落直後は必死の行動と安堵感から陽気が飛散してしまい、陽虚型となり大量の冷や汗を出させています。時間経過とともに精神面は落ち着いてくるものの打撲により大量に発生したお血が陽気の生産を阻害し、左尺骨の傷も回復に陽気を必要としたことから陽虚型が持続して微熱が発生してきたものと想像できます。さらに子供の世話でも生産以上の陽気を使っての行動が続き、なかなか陽虚型が改善しなかったものと考察します。
 ところがお血が段々と慢性化して表面から深部へ沈澱し始めると、陽気の流れは阻害されなくなったので陽虚型から本来の陰虚型へと状態が変化し微熱の発生もなくなったものと思われます。
 これを証中心に考えると、前半は少陽経から侵入してきた熱により肝まで一緒に温まってしまい肝実の状態となり、木克土で脾を押さえつけての脾虚肝実証となります。ところがお血が慢性化して沈澱し始めると少陽経の熱そのものは下がってしまい、肝そのものがお血を貯め込むようになってしまいました。このお血は心が送り出そうとする血の流れを阻害しますし、肺の宣発・粛降作用へも悪影響を与えるため肺虚肝実証へと証が変化したものと考察されます。もちろんこれは七十五難型で治療すべき証です。

 今回は型の変化と証の変化が同時だったのですけど、必ずしも一致するとは限らないと実感しています。実際に金曜日の段階では脾虚肝実証ながら標治法は陰虚型で行っていますし、今後も組み合わせが変化しても何ら不思議ではありません。
 以前からこのように型と証は組み合わせて用いるものと実践してきたのですが、今回の体験により自分の身体からそのような臨床が望ましいのではと感じています。

 もう少し補足しておきますと、型と証に色々な組み合わせが発生してくるのは陰実証、つまり肝実証の時です。
 陽虚型とは陽気不足のことですから冷えとなり治療は陽気を補うということで陽虚証と同一ですし、陰虚型も陰気不足ですから虚熱が発生するので治療は陰気を補うことから陰虚証と同一です。「陰虚証なのに冷え症状がある」という発言を聞いたことがあるのですけど、これは虚熱が少ないために手足などには冷えた部分があったかも知れませんけど本質は虚熱による熱症状です。それと昔に「陽虚とは陽の部位に陽気が不足して・・・」という説明を読んだこともありますけど、表面に多く集まってはいるでしょうけど部位の表現は不要でしょう。
 陽盛型は陽気が充満や停滞していることなので治療は陽気を瀉すこと、難経では陽経に営気の手法を施すことになりますから陽実証と同一になります。陰盛型は陰気が充満や停滞しているので内部まで冷えていることになるのですが、陰気を瀉すという治療はないので陽気を補うことから陽虚証の延長線上に考えるのが妥当でしょう。
 そして陰実証は自発痛以外には不定愁訴がほとんどで、お血の状態により陽気や陰気の流れに差が生じてきますから症例のような変化をしてくるものと考えています。


 ただし、これは中間報告であることと漢方鍼医会の公式見解ではなく独断であることを、改めて断っておきます。それから漢方医学は範囲を自ら限定しないことが技術向上への道であり、古典に書かれていることを実現させることが何より優先されるべき事項であることも付け加えておきますので、特に若い先生達は読みやすく分かりやすい講習会にのみ走られないようご留意ください。