『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

私には素晴らしいプレゼント

 それはあまりに突然の連絡だったので、ビックリする間もなく淡々と電話が終わってしまったくらいです。

 何がそれほど後からでないと喜びを実感できなかったくらいの連絡かといえば、私の師匠が第十五回漢方鍼医会夏期学術研修会滋賀大会に参加申し込みをされてきたのです。
 私が実行委員長をさせてもらっていることは年賀状などで伝えてはあったのですけど、「参加して欲しい」という旨を伝えたことはありませんでした。普通に考えても自分の師匠に「こんな実技の研修会をしますから参加をよろしく」なんて大それたことは言えませんよね。招待をするというのであればまだ話は分かりますけど、詳述はしませんが今は研修会の上位団体が異なって久しいのですから実技体系も当然異なってきているので、全く考えてもいなかった連絡だったのです。

 前回点字と点字プリンタのレンタル点字の触読をしていたので学生時代にモデル治療をしてもらうといきなり脉の変化が分かったという話は書きましたが、そしてその衝撃から人生が決定づけられたことも書きましたが自分一人で技術を身につけることなどとてもできません。
 幸いにもその前年に先輩が研修をさせてもらっていたことから大阪の鍼灸院で夏休みに集中的に見学をさせてもらえることとなり、見学が始まった時点ではあまりに不勉強で分からないことだらけでしたが必死で勉強を続けたのが認めてもらえたようで、「助手に入りたい」という希望を何とか叶えられるようにと動いてももらえたのでありました。
 そして出会えたのが私の師匠です。

 元々船乗りだった師匠は左足を船のベルトに巻き込まれてしまい大腿切断を余儀なくされたという身体障害者でもあり、陸に上がってからは職業を転々としているうちに理髪店の経営に行き着いて職人を置くまでになっておられました。ですから、助手時代は何度も散髪をしてもらったので一度も理髪店へ行ったことがありません。
 それがどうして鍼灸の道へとさらなる転身をされたかですけど、「マッサージの技術があればサービスアップになるかなぁ」と軽い気持ちで夜学に通い始められたとのことです。
 ところが一年くらい経過したところで、「最近カミソリをしてもらうと痛いんだけど」と指摘をされたそうです。指圧の練習をしているうちにいつの間にか力が強く入りすぎるようになってしまったようで、ここで理髪店を続けるかマッサージ業へ転身するかの決断をまた下すこととなり、人体に対する興味が深くなってきていたので敢えて安定した生活を捨ててマッサージの世界へ飛び込まれたとのことでした。

 そこからは様々なアルバイトで食いつなぐ生活となり、その中でもまだ奥を追求したいとのことで鍼灸学科へも通われることになって、その後に「鍼灸の可能性に思う」という原稿で詳述したように無名の大家に弟子入りされ、そして私を助手として迎え入れてもらうまでになったわけです。
 私の助手時代の話はまた別の機会に書くとして、私が開業をした時には治療理念や多く学ばせて頂いた人間は引き継がせてもらったのですが治療スタイルは引き継がなかったのです。治療の根幹はもちろん同一であり治療法そのものも同一なのですけど、二年足らずでしたけど助手をさせてもらったのに治療スタイルは引き継がなかったのです。
 しかし、師匠はそれに関して何もいわれませんでした。周囲の方が治療スタイルを引き継がなかったことにビックリしていたのですけど、師匠は何もいわれませんでしたし十年間くらいは年に数回ずつ治療室を訪問させて頂いてもいました。

 そして上位団体が異なるようになってから少し密着度が緩み、ていしんのみの治療へと変化してからは敢えて積極的な情報交換はしなくなっていました。
 三年前に結婚をした時の披露パーティーに出席してもらった時、二次会でしたから同席はしていなかったのですけどていしん治療に非常に興味を持たれていることは聞いたのですが、それから新しい助手が入るたびに見学をさせてもらっているのでその時にもていしんの治療に興味を持たれていることは聞いたのですけど、まさか本当に研修会へ参加されるとは夢にも思っていませんでした。
 実践!取穴ビデオを公開し、滋賀漢方鍼医会のページでは特設ページを公開している期間だけ一覧にしたページも用意しているのでその連絡をメールしたところ、明くる日に申し込みの電話があったという次第です。

 二年がかりで準備をしてきた今回の夏期学術研修会ですが、最後の申し込みで私には素晴らしいプレゼントをいただいた気分になりました。