『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

自作パンフレットの話(その1)、「そのフォントは私が打ち込んだも

 ずっと堅いネタの投稿ばかりが続きましたので、新年の決意は書いたのですから今回は少し柔らかめの話題で参りましょう。
 という書き出しで一回だけのパソコンネタにしようと思っていたのですが、書き進めるうちにどうも数回のシリーズとなりそうです。必ずエピソードは入りますので、半分は趣味の世界になりますけどお付き合いください。

 『にき鍼灸院』へ来院されたことがあったり、ホームページでの待合室の紹介ページをご覧頂いたことがあればご存じでしょうが、当院の特徴的な取り組みの一つとして自作パンフレットを多数用意しています。パンフレット用スタンドが30種類まで差し込めるようになっているので「受診のしおり」を除いて常時30種類のパンフレットを提供していることになります。
 パンフレットを並べておくというのはオーソドックスな方法ですが、さりげない医学知識の提供だけでなく疾患に対する説明を文章でも伝えられるということで、考え方の浸透と治療への理解という点から効果的な方法ではないかと実感しています。

 更新はもちろん内容が古くなったり時限発行であったりなどで廃盤にしているパンフレットもありますから、製作した合計については本人でさえ数を把握していないというのが現状だったりします(笑)。
 一時期は東洋はり医学会が発行していた小冊子も配布していたことがありますし、出来があまりよくなかったことと製作の手間の割には読んでもらえなかったので自作の小冊子はすぐ止めてしまいましたが、手軽に持ち帰れることと読み切るための量が適切ということでB5で2ページ程度のパンフレットが一番いいようです。

 現在までに発行してきたものは、今や懐かしい「ワープロ専用機」で製作したものばかりであり、レイアウト表示というものに切り替えないと拡大文字の確認はできませんし印刷スピードは遅いですし単語登録はできてもかな漢字変換の効率が今とは全く違うという環境なのに、活字文章が手軽に製作できるということが嬉しくて、暇さえあれば打ち込み作業をしていたものです。
 そして、開業から五年目くらいまではどんどん新作を送り出していたのですが、スタンドに常設できる数を既に越えていたこととルーペを用いて見えていたモニタを凝視するのがつらくなってしまい、またパソコンの導入から雑誌投稿の論文へと執筆対症を転換したこともあって、極端に新作のペースは鈍るのでありました。

 数年間は量が膨大なのでそのままでもよかったのですが、時間は流れますからパンフレットの更新をしなければと感じてきたのですけどその時には既にワープロ専用機を独力で扱える視力がなくなっており、十年近くも放置してしまいました。
 しかし、ホームページやブログで新しい資料を発表できる環境が整ったのにパンフレットだけ置き去りというのは矛盾の限界を超えてしまいました。インターネット上では最新版を公開しているからと伝えても、紙で手渡さないと閲覧してもらえなかったりパソコンが扱えなかったりなどで一番身近な人たちの情報が古いままだったのです。それで昨年から重い腰を持ち上げて大切に収納してあったワープロ専用機を再び持ち出してきたのでした。

 ここから自作パンフレットの作り方とかポリシーについて話を展開すべきなのでしょうけど、ワープロ専用機についての本当にビックリしたエピソードがありますので「軽い話題」ですから今回はそちらの方へ話を進めさせてもらいます。

 ワープロとは「ワードプロセッサ」というソフト名の略であり、文章の体裁を整えることが目的のソフトです。
 かな漢字変換を担当するのはFEP(フロント・エンド・プロセッサ)という別ソフトであり、現代ではWindowsならIMEとかATOKなどがこれに当たります。Macintoshでは「ことえり」が付属してきますし、今や懐かしいEGBridgeという優れたFEPもありましたがATOKを使う人がほとんどになりましたね。
 でも、ほとんどの人は日本語入力と画面上で打ち込まれた文字を整えることを一緒にしてワープロだと捉えているようですけど、文字を大きくしたり斜めにしたり色を付けたりして見栄えを整えるのがワードプロセッサの役割であって、実は大別して二つのソフトが協力をしていわゆる「ワープロをする」という作業が成り立っています。

 そして日本語の複雑で他種類の文字を扱うという特殊性から、キーボードとモニタにプリンタまでを一体とさせた「ワープロ専用機」なるものが1970年代後半に登場してきて1980年代には爆発的なヒット商品になったのでありました。
 最初の機種は和文タイプの誤植が防げるというだけの機能しかなかったのに100万円以上もしたのですけど、活字が手軽に作成できるということで数台売れたとの記録があるそうです。その後にかな漢字変換という技術が開発されたことと価格が下落し、企業や学校が導入し始めると一気に普及して、私が手にした初めてのワープロ専用機は親に無理を言ってまだ個人所有が広がり始めた時に第二水準漢字がフロッピーながら扱える機種を学生時代の1986年に買ってもらったのでありました。
 助手に入ると師匠もワープロ専用機を買ったばかりとのことで、次々に新発売される機種のカタログを眺めながら操作の工夫をあれこれやっていたことを思い出します。
 研修会の資料を打ち込める人がまだ少なかったのでちょっとしたアルバイトをしたことがありますし、師匠の発表原稿だけでなく師匠の奥さんが入学願書を提出する時の作文をゴーストライターしたなど、笑えるような思い出がいくつもあります。

 わーぷろ専用機はプリンタも熱転写プリンタですから小さな点の組み合わせで文字を構成していきます。単位はドットで、初期のものは当然ながら数が少なく文字も荒削りなものしか表現できませんでした。
 学生時代に買ってもらったラップトップタイプのものは24ドットのプリンタしか搭載しておらず、開業して間もなくに48ドットのプリンタを登載した上位機種が発売されましたので、データベース機能もあるとのことでしたからすぐに買い換えました。
 この機種でほとんどのパンフレットは製作してきたのですけど、開業して二年目だったと記憶しているのですがパンフレットを読んで不思議な感想を述べてきた若い女性がいました。

 「このフォントデザインはとても懐かしい感じがする」というのです。ワープロ専用機のフォントは会社ごとに開発されていたようですからそれぞれに特徴があるので易しい文字とは感じていたのですけど、懐かしいという表現が引っかかったので「自分の文字に煮ているのか?」のような質問をしたと思います。
 すると結婚前まで勤務していた会社で、紙に描かれてきたフォントデザインをビットマップイメージのデータとして打ち込む作業をしていたというのです。それはおもしろいと作業工程や苦労した話などを聞いていると、どうも苦労した話のフォントをこちらも見かけたような気がするのです。それで「ワープロ専用機がこの会社の機種である」と告げたなら、ベッドから飛び上がらんばかりの驚き方をされたのです。
 「そのフォントは私が打ち込んだもの」というのです。岐阜県の会社に勤務していたのですが、その機種から新しくなるフォントデザインのビットマップイメージを製作する下請けを受注しており、担当がその女性だったというのです。それならパンフレットを読んでいて、文字に懐かしさを感じますよね。こちらは世間の狭さと偶然の一致に、「ほんまかいな」と何度も確認をしたのでした。
 ちなみに苦労した話のほとんどは、第二水準の読むこともできなければ何に使うのか想像さえ付かない漢字のデータ打ち込みをしていた時期のことでした。文章の中に難しい漢字が混ざっていたならそれなりに読み方や意味は想像できますけど、一文字ずつ出てきて「綺麗にデータ化しろ」といわれたならノイローゼになりそうなのは頭に様子が浮かんでしまい、随分と話が弾んだものでした。

 パンフレットをパソコンでも製作できるようにノウハウを今回構築できたので軽く触れるだけのつもりでしたが、記憶をたどるともっともっとエピソードがあるのでしばらくシリーズになってしまいそうです。