『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

西洋医学・東洋医学、どちらにも文句があります

 前回「臓器移植法改正案に思う」を投稿したところ、検索エンジンからたまたま閲覧頂いた方よりコメントを頂きこちらからも返信はしたのですけど、どうも普段から抱いている西洋医学というのか日本の医療事情というのかについて突っ込んで書いてみたくなりましたので、下書きもせずいきなりエディタに打ち込んでいますから言葉が乱暴になっていて暴言も相当に含んでいるでしょうがその点を踏まえてお読みください。
 それから西洋医学だけでなく、鍼灸を取り巻く課題と不満についても書き添えていますので決して他人の悪口だけを夏期並べたのではなく改革のための投稿であることもご理解ください。

 なお、現場で救命救急医療に必死で取り組んでおられるお医者さん、末期医療で命を看取りながら生命のことを真剣に考えられておられるお医者さん、新しい生命の誕生を自らの時間を犠牲にして捧げられているお医者さん、過疎地で地域社会と一体になりながら働き続けられているお医者さんなどなど、素晴らしいお医者さんが数多く存在されていて尊敬していることを先に述べておきます。
 また鍼灸師においても、古典研究から身銭を切って研修会活動を続けられている多くの先輩に学ばせてもらいましたし、後輩にもそのような努力をしてくれる人たちが出てきていることを頼もしく思っています。一人の鍼灸師として出来る限りの研究活動をして、更新育成に務められればとささやかな努力は怠らない所存です。
 ただ、どこかで不良学生が事件を起こしたなら「あそこの学校は危ない」とか「あそこの学校は不良だらけだ」と悪い噂とレッテルは早く蔓延してしまうもので、一部の心ない医療者の行為が全体でも同じように行われていると世間から受け止められているのは事実であり、それ以上にお金を含めて技術もモラルも低下しているので不満があり私の現役中に改革を起こさねばと勝手に使命感も感じているのです。


 世間からは「医療関係は経済的に裕福だ」という目で見られていますが、実際はどうでしょうか?以前に「総理大臣が一括でもしてくれれば」の中で歯医者の養成は過剰であり収入は激減して廃業する人も少なくないということを書いていますけど、医療系の学校へ入学希望している人の大半は実情を知らないので今でも経済的な裕福を求めての希望でしょう。まぁ志望の理由はどうでもいいのです、資格取得までにその道のプロになればいいわけですから。
 しかしながら、規制緩和少子化から入学への敷居が下がったため自分の「外科的な腕」のことを考慮せず入学してくる人が増えたことは、やはり問題でしょう。「適正というよりも素質のない人でも入学できる時代になってしまった」と書いた方が、表現としては正しいでしょうか?
 私は盲学校のみで学生生活を送りましたから、小さな頃から職業訓練のため復学してきた中年の人たちを沢山見てきました。中途失明という奈落の底へ突き落とされた自分を奮い立たせているのに、医療という分野への適応も求められるというさらなる過酷な現実、絞り出されてくる涙の中で人間改造をされている姿を見てきました。同じ境遇の人たちが集まっての明るい雰囲気の盲学校でしたからつらさは仲間意識へと変わったのでしょうけど、それでも外科的な素質がないために鍼灸の道は断念されていた人も見てきました。
 人生でつまずいた経験のない学生に、「医療のプロになれ!」と叫んでも資格取得さえできれば何とかなるくらいにしか受け止められないかもですね。

 その典型は歯医者であり、インプラントなど外科的なテクニックがますます求められていますから、お金が目的では付いていけない世界になっているのに入学してから、「自分には素質がなかった」では笑い話にもなりません。鍼灸学校へ入学するのに、自分では鍼灸治療を受けたことがないという学生は珍しくありませんけど(ものすごく問題なんですけどね)、歯医者へ通ったことのない人はいませんから歯医者の実体は分かるはずなのに入学時によく説明していないのは業界側の責任です。
 同じく病院を訪れたことのない人はいないはずで、相当な偏差値が必要な医学部ですからお医者さんとは多方面の知識と外科的な腕が必要だと分からず入学希望を出す人はいないでしょうから、具体的な診療科目のことまでは分からなくても産婦人科や小児科などへ意欲のある人のための入学枠というのはあってもいいと思います。国家試験の突破は必要なのですから、入学枠を設けたから全体の質の低下に直結はしません。むしろ質の低下は教育側の問題でしょう。

 前回に診療科目の比率コントロールをすることに対して、「やりがいと適正を損なうという理由で日本医師会が反発している」と書いたのは表現に乱暴な面はありましたけど先ほどに説明した理由も含めて、無茶な話ではないと思います。全般的な知識はもちろん必要ですし、「眼窩だから皮膚を縫うことは出来ない」とか「内科だからリウマチのことは全く知識がない」では済まないのですけど、医学部で病院実習を終えた段階で診療科目の比率コントロールをしても「やりがいと適正を損なう」ことにはならないはずです。より外科的な腕に優れている学生を外科の分野で研究させればやりがいが増えますし、外科的な腕が今ひとつの学生には内科や精神かという分野の方がやりがいを感じるでしょう。専門科目がほとんど決まった上での臨床研修医制度なら、今のような矛盾も少なくできるはずです。
 むしろ「リスクが高いからこの科目は避けたい」「勤務がきついと聞いているのでこちらの楽な科目にしたい」と勝手に選ばせる方がやりがいと適正を損ねているでしょうし、やりがいを感じて従事しているお医者さんの足を引っ張りかねません。
 私ごときが書くのは生意気ですけど、医療とはご奉仕なのですから「リスクが高い部門は敬遠したい」という発送を野放しにしている教育体制と法体制には、大いに文句があります。緊急課題である医者不足を解消するには診療科目ごとの比率配分をコントロールすることと、セカンドオピニオンを徹底させることと電子カルテの義務化、そして昔のたばこ屋のように開業医の科目ごとの地域制限をすることだと思います。そうすれば新規開業は都会では無理ということになって無医村の快勝へと向かいますし、病院勤務のお医者さんが増えるということは過酷勤務が減って労働条件の改善につながります。さらには開業が難しい科目のお医者さんにも労働条件の改善につながります。このようにすれ十年後には医者不足から脱却できるはずです。
 それと西洋医学には、もう一つ。「手で診察をする」ことを完全に忘れていますから、これは絶対に伝統的な技を回復して頂きたい。患者さんが目の前に座っているのに目はデータだけを追っていて、「痛む」と訴えられているのに平気な顔で「検査は何ともないです」と言い渡し、ひどいと「気のせいです」とは医療の姿ではありません。

 さて身内の鍼灸業界のことですけど、こちらの状況はもっとひどい。まず健康保険が扱えないのですから経済的に恵まれるケースはまれであり、その前に身分そのものが何も保証されておらず不安定です。そんな業界なのですから診療科目に専門性を掲げていても、本当にその分野の勉強をしているかといえば半分程度の人しかやっていないでしょう。
 例えばスポーツ分野に取り組んでいると要っても、トレーナーの勉強を本当にしている人の割合はそれほど高くなく、「自分が興味ある分野なのでそのような人たちを扱いたい」という願望で専門性を掲げていたりします。羊頭を掲げて狗肉を売っていては、業界全体のレベル低下となります。
 それからこれは鍼灸師でないと理解しがたい事情なのですけど、西洋医学をベースとして施術するのか東洋医学をベースに施術するのかという問題があり、最近では国家試験の関係から中医学が割り込んできて、弁証論治を掲げながら鍼をする時には筋肉や神経走行の方を重視していたりと「自分が何をやっているのか」が分からない状況さえあります。完全に教育レベルで間違っているものであり、経絡というものが人体に備わっていて経絡をどのように効率的に活性化させるかということで考えられた手段が鍼灸なのですから、西洋医学をベースに施術するというのは単なる刺激を加えているだけで、それは鍼灸術ではありません。鍼灸術とは東洋医学をベースに独自の診察法と診断から行うもののみを刺すはずです。
 実際に「ていしん」のみで施術をしていて毎日新しい患者さんが紹介してもらえているのですから、患者さん側も治療側も理想とすべき施術のみを追求することだろうと訴えます。