『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

練習のための練習をせなあかんがな

 前回人の悪口は嫌いなのですがということで「むち打ち」のことと診療報酬の不公平さに愚痴を書いたのですけど、やっぱりというのか当然の報いというのか記事をアップした数日後に子どもと出かけていた公園で、コンクリート柱に右こめかみから激突をして手を引いていてくれた子どもが危険にさらされてはならないと強くその瞬間に握り返していたなら首が変な姿勢となってしまい、軽い「むち打ち」症状を自分で体験することとなってしまいました。ちなみに手をつないでいたのは、二歳四ヶ月の長男です。

 強い肩こりが急に発生してきて頭重も併発し、外出中はそれほどでもなかったものの帰宅後には気分が悪くなってきました。右の首筋が変に引き延ばされたような自覚もあります。
 高校時代に盲人野球(現在の名称はグランドソフトボール)で二塁から三塁へ走っていた時に相手チームの野手と激突し、大会終了して数日後から首が具合悪くなり何度か監督をされていた理療科の先生に鍼灸治療を受けた経験があります。水泳では顔面ゴールの経験がありますしゴールボールで顔面ブロックをしたりブラインドサッカーで相手選手とこんがらがってしまったなど、視覚障害者のスポーツは所詮痛みを伴うものですから軽い「むち打ち」は繰り返し経験しているのではありますけど、悪口を吐いたなら必ず自分へ跳ね返ってくるものだと人体実験の一つでその晩は症状経過を観察することにしたのでありました。
 幸いにも明くる朝の自己治療で症状のほとんどは回復し、子どもと一緒に朝風呂へ入ったなら清々しく出勤できたのでありました。

 さて悪口そのものの話はここまでとして、どうして悪口を吐いたり言いふらしたりするのかについていい機会ですから人体実験中にちょっと考えてみました。ちょっと考えただけなので、文学者や専門家の意見を調べたわけでもなくほとんど思いつきの範囲ですから、その点はご了解ください。
 悪口を吐くということは、「恨み」をはらす一つの手段ではないかと思いました。プライドを傷つけられた・価値を否定された・身体を傷つけられた・自由を束縛されたなどは対人関係や社会制度にかかわらず強いストレスとなり、「恨み」そのものとなります。そして「恨み」はいい意味か悪い意味かは別として、生命体が本来もっているエネルギーを増幅させるスイッチを入れます。一つの例が、環境変化に応じてきた「主の進化」ですね。
 そこへ精神的な強いストレスが加わっているのですから、「恨み」が蓄積してくると大抵は爆発的なパワーとなって外へ噴射してきます。これがいい意味で作用すればビッグなビジネスチャンスをつかむことになるのでしょうけど、偶然しかそのようなことはありません。自分自身へ盲目となっているのですから、破れかぶれとか八つ当たりとか、こんな人を制止するのは容易ではありませんよね。
 けれど「恨み」のパワーが爆発的に強く外へ噴射すると犯罪もしくは自分自身も傷ついてしまう結果となるので、悪口という小出しの状態でガス抜きをしているのではないでしょうか。そう考えると、前回の記事は私のガス抜きそのものだったわけですね。

 ところで、ここで話が終わってしまっては鍼灸院のブログではなくなってしまうこともありますし、私自身が納得できなくなってしまいます。悪口を吐きたがる仕組みの一部が分かったのなら、悪口ではないガス抜きとパワー爆発の道を考えてみたいと思います。
 イチロー選手のことは何度か取り上げてきたのですが、今の日本のスポーツ界で注目を浴びる石川遼選手と類似点を考察してみると、二人ともずば抜けた精神力での自己コントロールができていることが分かります。過去のスポーツ選手ですぐ思い浮かぶところならプロ野球なら長島や王、プロレスなら力道山ジャイアント馬場、プロボクシングなら具志堅、水泳の北島浩介など、いずれも精神力での自己コントロールがずば抜けていた選手たちです。
 では、その精神力はどのようにして養われたのかも考察してみると、人並み外れた練習が積み重なってのものでしょう。でも、練習量だけでいえばプロ選手以上に激しくつらい練習を続けているスポーツマンは多いのに、安定した自己コントロールに至るケースはなかなか出てこないようです。

 ここから今回の本題となるのですが、さらに気付いたことがあります。
 それはずば抜けた選手たちは練習に入る以前の段階から入念な準備があり、その計画性と軌道修正能力に優れていたのでしょう。自分の体質や身体能力に合わせた種目を選び、「最終的にはどのようになりたいのか」という目標を一番最初に描いて、とりあえず練習をするのではなくどのように練習すればいいのかの準備から取り組んでいたのだと思います。運動不足の人がいきなり身体を動かして故障してしまい治療に来院された時、「あんたは練習をするための練習からせんとあかんがな」と関西弁ののりですから笑いを交えて説明することがありますけど、とりあえず練習するのでは何もうまくならなければ逆効果もあるという証拠ですね。
 それとずば抜けた選手には、スランプやケガなどで一直線には進めなくなった時に、最終目標は変更することなく迂回路をすぐ準備できる能力が備わっているのでしょう。学生はがむしゃらに練習をしたがりますし、「メンテナンスができなければいい選手には慣れない」と治療の日には部活を休んでくるように指示するのですが、これに従えなければそれだけの選手というのもその通りですね。


 さて、結論です。その世界のイチローに誰でも近づけるで、「見えない努力」と「ブレイン具マネージャーを意識しうまく使い分ける」ことを書きましたけど、それがどうしてイチローだからこそできるのか逆に書けばどうして万人にはできないのかは言及できませんでした。というよりも、私自身にも未だに分かっていないと思います。
 しかし、今回のことでもう一つ気付いたのは、上記の二つを実行させるには周到な準備が必要だったということです。オリンピックの金メダル獲得を見て感動したからと自分も明くる朝から練習を開始しても、これも前述の「練習のための練習をせなあかんがな」で終わってしまいます。大きな目標であればあるほど、まず計画が大切であり計画を挫折させない精神力の鍛錬から入らねばならないということです。
 ちょっと自画自賛になりますけど、私が開業をしてまだ数年目、年齢にして二十代半ばで楽しめる治療室を目指してという文章を、当時所属していた東洋はり医学会の機関誌に投稿しています。今もこの姿勢はもちろん変化していません。開業に際しては充分な準備をしたつもりであり、軌道修正も柔軟にやっているつもりです。