『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

「鍼灸ジャーナル」からの取材を受けました

四人で記念撮影

 今回のエントリーは、プライベートブログ『子供に贈る視覚障害者お父さんの子育て日記』の2010年2月18日から、関係部分を抜粋しての転載です。「お父さん」と表現しているのは院長の私のことであり、子どもへ残すために執筆している日記ですから文体が少し違っています。
 また微に入り際にいった報告は取材を受けた関係からで着ないものの、後日にもう少し学術面を中心としたエントリーもアップする予定です。今回は時間軸に沿ったドキュメンタリー的な報告ですね。


 朝にはどんよりした重い雲があった2月18日の木曜日、今日はお父さんにとって嬉しい一日であり今後の鍼灸業界に対して一石を投じることになった一日になったかも知れないということで、まだまだ興奮が押さえきれないのであります。
何がそんなに嬉しかったかというと、「鍼灸ジャーナル」という雑誌から午後に取材があったことです。以前から一度お話ししてみたいと思い続けていた先生の方から、お父さんを指名して対談するという企画でした。

 さて、今日は主役を横取りしてしまいお父さんの話にここから路線変更です。
 当初は午前中の途中から見学をして昼休みに対談、その後にまた見学という出版社からの申し込みでしたが日程の関係から午後からの見学となり、仕事が終わってからの対談というスケジュールでした。それでさらに気合いを入れるべく、昼休みに泳いだのでありました。さすがにいつもの時間ぎりぎりに鍼灸院へ戻るというのではまずいので、いきなり600m連続で泳いだなら時間圧縮に成功して、マンションで食事をしてから鍼灸院へは余裕で戻れました。
 最初の患者さんが入られたあとにご一行が到着されたのですけど、自由に治療室の中を歩いてもらうために編集者とカメラマンにも白衣を着てもらいました。いつもの見学であれば情報提供を一切せず自分の今持っている知識と診察法で患者さんを予診してもらい、その結果報告と治療方針を聞くというスタイルなのですがこれではあとの対談につながりませんし偉い先生にそんな失礼なこともできないので、解説を入れるという形での見学としました。

 そうそう、誰が来られたのかを書いていませんでした。松田博公(まつだひろきみ)先生であり、共同通信社の通信員をされていたのですがご自身でも鍼灸師免許を取得され、現在は鍼灸学校で教壇にも立たれておりジャーナリスト活動も継続されています。四日市喘息の取材をされていた時に自分まで病となってしまい、西洋医学で回復しなかったものが鍼灸により回復したことが接点であり、唯一の鍼灸ジャーナリスト。
 お父さんとの接点はメルマガ「あはきワールド」で、松田先生の情熱的な記事を読ませてもらったこととお父さんもホームページ紹介や記事を投稿したことで、直接に情報交換することはなかったものの名前がずっと気になっていたのでありました。いや、こちらは覚えてもらっていたのがラッキーの立場ですけど。

 見学が始まったなら臨床家としての血が騒いでしまい、「鍼灸の科学化」だけではないにしても先輩たちが鍼灸をメジャーなものとするために西洋医学的根拠や化学的な反応とか再現性の追求で苦労してこられたのですけど、今一番考えている「鍼灸の客観的修練法と評価法」について対談の前に中身を全て話してしまったでしょう、きっと。
 何せ「ていしん」を先生にも持ってもらい、編集者のお腹を借りて手法の時間が今まで考えていたものと違って長すぎることを体験して頂いたのですから。最初から「ていしんのみによる治療なのにスピードが速い」ということを驚かれていたようですけど、ご自分の手で行った手法ですから客観的評価は動かせません。問題はその結果を受け入れて、治療へ素直に反映できるかという点ですけど、その臨床家の思想にも寄りますが結果が照明してくれるはずです。
 それと脉診についても指の当て方がバラバラなので、議論が噛み合わなくて当然であり菽法脉診なら深さの基準線にできるのではと、先生に指を当ててもらいました。脉診を少しでもかじったことのある鍼灸師なら必ず陥る落とし穴なのですけど、どうしても指に脉が触れていないと不安になるので強めに押さえるだけでなく指を挙げる操作が苦手なので、最初の指を乗せただけの位置に戻せないのでダメ出しの暴挙。
 どちらの実技も研修会の中で発達してきたものですから、最初からできる鍼灸師などどこにもいないので松田先生の技術がずれていたわけではありません。古典に書かれていることが忠実に理解できていなかった、その後の鍼灸師が悪いのです。そして、まだ本当に忠実に再現でき現代的にも適合させられているかと問われれば、まだまだだと思いますけど。

 ありのままを見学してもらってからの対談ということで、本当にいつもの予約時間通りに仕事はしました。でも、やっぱりどこかで緊張していたようでカルテの記入漏れがあったりしていましたけどね。
 十九時半頃から二階の和室で対談が始まり、内容については細かく記載しませんし再現もできないのですけど、今まで漢方鍼医会が行ってきた「学術の固定化はしない」という点が評価されたのは内部にいると気が付かない点でした。証決定ができたならこことここへ鍼をするというのが普通の理論であり勉強会の進め方ですけど、選択肢が多すぎて初心者が着いてこられない迷走した時期もありましたけど今は選択肢の序列が整理されたので臨床の幅が広くなったと自分でも感じていたことが、他の団体では壁になっていたんですね。改めて所属団体を強引にでも変更したことに、安堵と誇りを感じるのでありました。
 それと丸尾先生のところから独立させてもらった時に、師匠の治療スタイルを引き継がずにオーソドックスなスタイルへと路線変更したのに何もとがめられなかったことへ、二十年ぶりに改めて感謝をするのでもありました。

 予定時刻となりかなりの量も喋ったので、対談は終了となりました。プランの関係でホテルが京都とのことでしたから一緒に夕食をと思っていたのですけど諦めていたなら、向こう側から「少し飲みましょう」との提案です。対談中も缶ビールが飲みたかったので、実は提案していたんですけどね。
 お店はあらかじめ中華料理に決めてありましたから、電話を入れておきました。生内さんも若森さんも一緒です。若森さんはまだ新しい自動車が決まっていないので、鍼灸院へ宿泊することにもなっていました。
 「少し飲みましょう」が、ここも例のごとく「大いに飲む」パターンになってしまいました。何せ紹興酒をボトルで入れたのに、一本では足りなくしてしまったのですから。このペースだと相当にオフレコの話があったことも当然であり、悪口に関してはほとんど出ていませんでしたけど対談中にも出ていたように開業鍼灸師がもっともっと元気でなければ日本の鍼灸の未来は厳しいですね。鍼灸学校の考え方も今のところ変わりそうにないのですけど、現実とずれていることに気付いて欲しいものです。
 挑戦しようとしている「鍼灸の客観的手法修練と育成」ですが、マスコミベースで大ブームになるなど、これは逆効果しかないので絶対にやりません。地道に浸透させるしかないので一年や二年で達成で着るものではありませんけど、まして業界全体が顔を背けるでしょうからバッシングも覚悟ですけど、とにかく勇気と推進力をいただいた取材でした。取材を受ける立場ではありましたけど、逆にお礼ばかりです。

 さて写真はプライベートブログからは差し替えて、左下に院長で右下が松田先生、左上は助手の若森で右上は助手の生内で、対談後に記念撮影して頂いたものです。