『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

「鍼灸師の手」

 2010年の3月に開港した茨城県の空港ですけど、開港時点では韓国への定期チャーター便が決定しているだけで国内定期便がないという「箱もの行政のお粗末さ」の見本のような空港です。立地条件からいえば東京まで二時間近く掛かる場所であり、特に飛行機に乗ろうとするならさらに時間は必要です。しかし、立地条件だけで空港を作っても利用者が必ず現れるかといえば、もちろん答えはノーです。
 茨城空港がどうして建設されたのかとかどこから資金がでてきたかなどは既にかなりが報道されたので割愛します。そして、開港から一ヶ月遅れて神戸への定期便がスカイマークによって運行されるようになったのですけど、わずか五ヶ月で休止という報道も既に大きく流れています。自衛隊との共用であることは分かっていたようですけど、茨城県側はスカイマークに対して自衛隊の訓練によっては飛行ダイヤを強引に変更させられる可能性を伝えていなかったようですし、その報復なのでしょうか運行休止はスカイマークのホームページで先に発表されて直接の連絡をしなかったといいます。

 搭乗率が70%を越えていたというのに、行政側の怠慢が原因ですね。「箱を作れば」「誰かがやると言い出したなら」その後の責任は知らないという雰囲気であり、このニュースを聞いて「今の日本の鍼灸学校に似ているなぁ」と感じたのは、私だけ?

 私が滋賀県立盲学校を卒業した25年前でも、確かに卒業後教育などはありませんでした。しかし、当時はまだ理学療法士の資格がなくてもある程度の視力があれば病院のリハビリ室に勤務することが可能であり、鍼灸だけでなく按摩の資格も同時に取得していますからまじめでさえあれば自宅開業もしやすく、視覚障害者ですから転職もできないということで食べることだけの仕事ならみんなできていたようです。
 逆に今の方が卒業後教育のプログラムが実施されていたりはするのですけど、まず大きく違うのは国家試験となり実技をする時間が大幅に減っているので学生時代の実力が違いすぎます。いや、学生時代に鍼を持ったのが数回しかないという実例もあるようですし、自分の身体へ刺鍼することで最初の練習をしたという経験がなかったりもするようです。
 私は鍼なら「ていしん」しか現在は持ちませんけど、決して毫鍼のことを軽視し手などいません。むしろ「鍼灸師の手」を作るというには毫鍼は絶対に必要であると考えています。毫鍼を刺す・刺されるなら痛くない方がいいに決まっていますから、これを短時間に確実に修得するには自分の身体で刺鍼練習することなど、技術職の人なら素人さんでも理解していただけるでしょう。自分の身体ですから、痛くないように刺鍼する工夫など誰でもしますからね。
 そのような「鍼灸師の手を作る」はずの時間帯に実技を行っていないということ、これは資格取得が第一目標であり「箱もの行政」と同じことをしているだけです。食える鍼灸師を育成しているかどうかなど評価のしようがないことをいいことに、とにかく国家試験さえ突破してくれれば後のことなど知らないという状態です。

 しかし、茨城県の空港は存在している以上は維持費がかかりますし、数は分かりませんが利用したい人もいるはずですから今後も利益のでにくい営業活動をせねばならないでしょう。もっとも営業マンの月給と利用率がイコールでないため、どこまで本腰が入った営業かも怪しいところですが。
 ところが免許取得はしたが「鍼灸師の手」を持っていなければ、新人鍼灸師といっても治療成績が収入とイコールとなってきますからこちらは困ったものです。まして近所の人が痛みが苦しいので新人でも構わないから施術してと藁をもすがる思いで治療を求められた時、「ぼちぼち鍼を刺す練習をさせてもらおうか」なんてことになっていたなら鍼灸の信頼を損なうだけですし、近所の人は不幸そのものです。

 今回のエントリーの構成を考えていた時に、思い出したことがあります。ご主人の仕事の関係で移住されてきた中国の方だったのですが、来日して十年も経過していないのですけど日本語も上手で鍼灸師の資格も既に取得されていました。どうして知り合ったかといえば募集広告を専門雑誌に出したことからなのですけど、滋賀県という地域性からその日のうちに電話がありました。
 募集条件に合致はしていなかったのですが、せっかくの機会だから見学をという話になりました。その日の朝に話を聞いていると、「開業して看板も出しているのに患者が来ないんですよ」という表現なのです。語彙の差もあるでしょうが「そりゃ看板を出しただけで千客万来にはなりませんよ」という話になり、臨床を見てもらうと経絡を軽く動かすだけで全身が大きく動くことは衝撃的だったようです。その後は研修会に所属され、家庭の事情で引っ越されましたけど向こうでも研修を続けておられます。
 「箱もの行政」と同じような教育を受けて、しかも中国本土なら開業の看板を出せば人がいくらでも集まってきたのかも知れませんが、残念ながらここは日本でした。けれど「鍼灸師の手」になっていなかったことを認識するチャンスはつかまれたと思います。

 もう一つ書いていて思い出したことがあります。助手に入ってまだ間もない頃でしたが、そろそろ背部の置鍼もということで練習させてもらっていたのですが最初は全て修正されてしまうのです。修正と表現すれば優しく響きますけど、抜鍼されて師匠が全てやり直されるのですからプライドが傷つきます。
 学生時代に一通りの治療は出来るようになっていて、それを評価してもらい助手への道を開いてもらったはずなのですから、「全て抜鍼されてしまうなんて」と怒りに似た感情さえわいてきました。けれど師匠曰く、「反応へ刺鍼することは確かにできているのかも知れないけど置鍼はきちんと経穴書の位置に出来ていなくてはならない」と指摘され、天柱や風池というよく知っているはずのツボでさえ反応はすぐ捉えられていても骨際ではなく五分や一寸下がった経穴書の位置には刺鍼していなかったのです。これを見せつけられては何も反論できず、「鍼灸師の手」は意識していたのですけど感性のみで動かしていたのでは適当な治療にしかならないのかも知れないと猛反省でした。これが自分たちで五行穴・五要穴の経穴書を作成する原点にもなったのでありました。

 話がバラバラになってきたので強引にまとめますけど、現状の鍼灸教育は「箱もの行政」と全く同じであり免許取得が出来てもイコール治療が出来るというレベルにはないので、学生諸君には臨床家の研修会へ是非とも積極的に参加して欲しいこと。そして「鍼灸師の手「になっていない人は、プロ意識を持って自らの努力と研修会参加により作り上げて欲しいこと。決して独断では「鍼灸師の手」は完成されないこと。最後に「鍼灸師の手」を持っている治療家でなければ、患者さんの切実な要望へは応えられないこと。治療と称した詐欺行為だけは、して欲しくないですね。