『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

古いシステムを打ち破るには

 2010年7月の参議院選挙では、昨年に歴史的政権交代を成し遂げたばかりの民主党が「一人負け」の大惨敗を演じました。これは政権交代後の国民の期待を裏切り続けてきた結果であり、「身から出たさび」ですから仕方ないことでしょう。ただし、地方区で議席を大幅に回復した自民党比例代表の得票率では過去最低を更新したのであり、いつも問題になる一票の格差衆議院の倍以上となる5を越えていたと言うことでこの格差が少なければ、あるいは比例代表の得票率ではそれでもトップだったということで、一年足らずでは民主党を見限るのは早いと考えている国民がまだまだ多いという結果もでています。
 このあたりは「衆参ねじれ」状態から、与野党が国のためには・将来のためには何が出来るのかを真剣に討議し決定していくスタイルに変わってくれればそれはそれでいい結果になると思うのですけど、問題は古いシステムをうち破っていけるのかというところにあります。

 つい先日に工業高校に通っている女子生徒が、「女子の立場からはちょっとわかりにくいけど土木課とどこかを統合しようという話にうちの学校はなってきている」ということを喋ってくれました。その瞬間「それは当然のこと」と応える私でありました。
 日本の人口は既に減少に転じているのであり、しかも新しい道路が必要というのは一部の未開通の高速道路くらいで普通の道は造りようがないくらいに整備されているのだから、補修をする業者が生き残れるくらいなのだから土木課そのものがあちこちの工業高校には存在しなくてもいいのです。今までは公共工事がいくらでも出てきたので土建業者が競合することもなかったものが、これからは「どのように多角化しながら続けていくのか」あるいは「どこで辞めようか」の選択をする時期に入って来るとも付け加えました。加えて今後はニュータウンの新規開発はおそらくないだろうし、どうしようもない物件の建て替えによる新築以外はリフォームで充分な時代に入ってきているのだから、土木に特化した教育の方が時代に遅れているとも話していました。

 ところがです。政権交代した後でも「和歌山の土建業者が倒産してしまうので和歌山だけは今まで通りに事業を継続して欲しい」と陳情した知事がイルカと思えば、地方自治体独自に20%の公共工事を上澄みしたという香川県など、今までのシステムを壊すことにへっぴり腰なところばかりです。
 このようなことを長々と書いていたなら鍼灸との関連性がまた薄くなってしまうので、それはプラウト主義と鍼灸治療の今後についてというエントリーでの経済面への言及に譲ります。

 今回問題にしたいのは「古いシステムを打破する」ことの大切さです。これは一部のパイオニア的取り組みをしている人たちの努力で成し遂げられるものではなく全体の意識が動かなければ、それも守る方向ではなく攻める方向で動かなければシステムはひっくり返らないということです。
 日本の鍼灸というものは江戸時代に栄華を極めていたのですが、明治維新に伴い西洋医学が導入され漢方撲滅の危機が訪れました。西洋医学の導入は欧米に追いつけ追い越せで合わせたことと、戦争で有利に使える技術だったことが要因であり、政治的には撲滅する意味があまりなかったので「民間医療としての優秀性」を訴えることによりこの時期は乗り越えられました。ただし、西洋医学の知識も導入することはこの時から必須となったでしょう。
 次の漢方撲滅というのか鍼灸を取り上げようという危機は、第二次世界大戦後のいわゆる「マッカーサー旋風」でした。あろう事か第二次世界大戦中に、日本軍はアメリカ兵捕虜に対して拷問の道具としてお灸をしたというのです。GHQの責任者として赴任してきたマッカーサーは、拷問の道具となるお灸や針金を身体に突き刺すという鍼など野蛮なことは禁止すると宣言したのです。医療技術としての素晴らしさを知らなければ、見た目だけならその通りでしょうね。この時に「西洋医学的にも治療効果が証明できる」という証拠を提出し、この危機を乗り越えてきたのでありました。
 危機は乗り越えられ鍼灸治療は視覚障害者の職業としても認め続けられるようになりました。しかし、その代償として西洋医学の教育比率がますます高くなり、それだけなら解剖学や生理学など基礎医学を学ぶチャンスなので歓迎なのですけど、細く材質のいいものが製作できるようになってきた毫鍼と相まって深く刺鍼する西洋医学を基礎とした鍼灸へとシステムが大幅に入れ替わってしまったのです。「鍼灸という職業を守るためには西洋医学と連携したものへと切り替えねば」と、治療効果を証明してきた業界トップや研究者から末端の鍼灸師までもが動いたのでシステムも変わってしまったのでしょう。

 ところが何度か書いてきたことなのですけど、農耕が始まるまでは狩猟で生活をしていた古代人たちは傷を負ったり毒虫などに刺された時に「手当て」というものをするようになり、直接に患部へ手を触れられないような時に偶然にもツボ療法を発見してきたというのは想像に堅くない話です。そしてツボ療法が発展して経絡の発見へとつながっています。つまり、経絡や経穴というものが先に生命の中には備わっていて、それをどのようにすればうまく運用できるかということで考案されてきた道具が鍼灸なのです。ですから鍼灸術というものは臓腑経絡説に根ざしたものでなければならず、経絡を動かすための手法などに修練は必要なものの「ていしん」のように全く刺さらない鍼でも臨床に何ら不都合を生じなくなります。
 逆に表現すれば鍼灸という道具の真価を発揮させるには経絡をどのように動かそうかというバックボーンが必要であり、西洋医学的に治療効果が証明できたというのは「病気が治癒する」という着地点だけは一致しているのでそこから逆残して物理的変化も予測しているだけなのです。西洋医学からの研究が全く無駄なものとはいいませんけど、物理的変化を追尾しようとすれば刺鍼することが前提条件になってしまい、研究すればするほど鍼は深くなるばかりでしょう。それから臨床で効果があることは証明できるのに、「ていしん」を含めた接触鍼という分野は存在しているのに否定を受けてしまうという、何とも政治の臭いが消せない状態になってしまいます。

 ここで話の視点を変えて、先日の漢方鍼医会臨床家養成講座の中で開業に向けての時間があり意見交換がされていたのですけど、「刺鍼することを除外しての開業というのはあり得るのか」という質問がありました。まだ入会して三年目のクラスですから臨床には試行錯誤の時代なので当然の質問でしょう。私のところへマイクが回されてきたので「患者さんは西洋医学で回復しなかったか困難と思われたのでその他の医学を求めて鍼灸治療を選択されただけであり、回復することが唯一の目的であって決して鍼を刺して欲しいと来院されたのではないはず」と答えました。
 そうなのです。患者さんは「鍼灸治療」を求めていても「鍼を刺して欲しい」とは求めていないのです。一部には刺鍼される快感や響きが大好きという人もあるでしょうけど、世間一般の大多数は「針が刺さるのは痛くないだろうか」という潜入観念だけで鍼灸治療を敬遠されているのですから、刺さなくても治療が可能なら絶対的にその方がいいのです。刺鍼したがっているのは、鍼灸師だけなのです。

 現在の鍼灸業界は教育レベルから治療効果を含めて西洋医学を基本とし、これに立脚する限りは「鍼を刺す」という大前提を壊すことが出来ません。リーマンショック以後の景気の流れは安定したかのように数字だけでは思えますけど、国民の審判が参議院選挙に現れたように古いシステムの打破を求めています。
 鍼灸業界も古いシステムを打破せぬ限り、日本経済のように自らの手で首を絞めている状況に等しいと思われます。それでもギリシアのことを教訓に日本経済はどこかで古いシステムにしがみつく人を排除して脱皮をしようという動きが芽生えてくるでしょうけど、鍼灸業界が崩壊しても国民生活に与える影響は大打撃ではないのですから自己革新でシステムを刷新しなければなりません。
 それでも私一人のことでいいならブログで大上段に構えたこのようなエントリーを出さなくてもいいのですけど、鍼灸というものが途絶えてしまうのは世界の医療にとっては大打撃です。まして「刺さない治療」が実現できているのは、日本の鍼灸を除いては世界にどれほど存在しているのか?でも、少数の努力ではシステムは刷新されません。