『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

日々の臨床雑感をアップするブログも立ち上げ予定です

 この「にき鍼灸院院長ブログ」はハテナのサービスを利用して構築しています。実はと前置きするまでもないことですけど、『子供に送る、視覚障害者お父さんの子育て日記』というプライベートブログを先に執筆していて、記事があまりに簡単に更新できてしまうことと手間が掛からないことにはまってしまい、思ったことを随時アップする場所と資料としてのホームページを使い分けられればとハテナのサブアカウントを取得して院長ブログも始めたのでした。
 しかし、執筆を始めたなら生来の長文癖がでてしまい、また鍼灸学校学生や業界に対する思いは単文では表現しきれないために長文にならざるを得ず、また夏期学術研修会前後の学術をまとめて発表したり「二木式ていしん」の製作過程をレポートするなどしていたなら、長文が当たり前のコラムとなってしまいました。
 それはそれでアクセス会席を見ていたならやっと思い通りに鍼灸の専門家からのアクセスが増加していたり、一般からも思いもかけないキーワードで閲覧されていたということで一定の立場が確立しているように自己評価しています。

 けれど、当初の目的だった思ったことを随時アップする場所という意味では完全に場所が違ってしまったため、目的遂行のためにもう一つのブログを立ち上げてはと構想しています。
 近日中に(もしかしたならこのエントリーがアップされた当日にも)、「臨床雑感あれこれ」ということで一エントリーが200文字程度のほぼ毎日更新するブログを設置しようと作業中です。流行のツイッター程度の発言に留めることで毎日午後一番の臨床の合間に掛ける程度のものと考えており、本当にその日の雑感をアップしたいと思っています。
(追記)MovableTypeで構築し2010年8月20日から投稿を開始しました。

 ということで、つまずいている間に日々雑感として感じていたことをいくつか。
 1.「医道の日本」をデイジー録音図書で聞いているので今頃五月号を聞いているのですが、800記念号としてのいくつもの投稿には色々と考えさせられるものがあります。有名人が鍼灸のファンであることは大きいことですけど、口を揃えているのは「いい先生に出会えた」ということであり、鍼灸という医療はまず評価はしてもらっているのですけどそれ以上に鍼灸師個人のファンであることが大きいでしょう。「いい先生」は、鍼灸学校に通うだけでは排出されるものではないはずです。
 2.同じく800号記念からですけど、相変わらず保険へ組み入れてもらうことの重要性ばかり強調する原稿が多いと感じます。しかし、現状で借りに健康保険へ組み入れられたなら鍼灸の実力が逆に下がってしまい、医療そのものから排除されてしまう危険性の方が高いと思います。実力を維持するためには、研修会の義務参加の方を先に自主的に義務化すべきでは。
 3.最近特に気になるのですが、交通事故の後遺症で来院したいと患者さんが申し出られるのに保険会社の方が難癖を付けています。しかも「医者の指示がないと保証は出せません」と本末転倒した規定を持ち出してきます。治療を受ける権利も医療を選択するのも患者さんの、自由です。ですから「構いませんからすぐ治療に来てください、痛みが我慢できなかったと説明すればいいのですから」と、患者さんの権利と自由を優先させてもらうことにしています。その後は、当然の権利を主張すればいいだけの話です。
 4.アトピー性皮膚炎の小児鍼患者がまた最近増えてきています。それもステロイド軟膏を塗りまくってどうしようもなくなり、医者から見放されてからやってきます。ネット上でステロイドは副作用が強く常用すべきではないと患者さんが知っているのに、どうして平気で出し続けるお医者さんがおおいのか。

 などなど、その日のうちに書き込んでいくつもりです。200文字という制限をかぶせているので、決して長文にはなりません。
 その上で「にき鍼灸院院長ブログ」の方はコラム欄として今までの路線で続けていきます。更新頻度は減ってしまうでしょうけど、その分だけ時事ネタを取り上げやすくなりましたから社会派ブログとしての色合いを出していくことになるでしょう。

 それでここからはいつものごとく余談ですけど、レンタルサーバを乗り換えてきた肺経についてです。
 ホームページ内のブログも設置しようと考えたきっかけは、ホームページのレンタルサーバを乗り換えたことです。にき鍼灸院のホームページを立ち上げたのは2004年の3月なのですが、ホームページを構築することについてはその二年くらい前から考えはありました。しかし、やっとADSLが普及してきたばかりであり視覚障害者のスクリーンリーダー利用という環境ではよほどパソコンにはまっている人以外には、まだホームページ開設などハードルの高い作業でした。それにデジカメもかなり好きな人でないとまだ所有率の低い時代でもありました。
 ところが2003年の伝統鍼灸学会では一般公園に加えて臨時ですけど実技公開も担当することとなり、一日目だけでなく二日目も登場してきたのですから「ていしん」という刺さない鍼という道具の魅力もあってそれなりに注目を集めることにも也、「ホームページはどうなっているのか」と行く人からお叱りを受けたのでありました。その頃は何度かHTMLの勉強にトライしては途中で放り投げていた状態だったのですけど、「これはいくらなんでもまずいぞ」とおしりに火がついて正月休み返上でHTMLの文法修得に挑んだのでありました。
 それと同時に自作パンフレットの話(その3)、ワープロ専用機からデータ変換で詳述していますけど、それまで書きためていたパンフレットや投稿原稿をホームページ上で全て公開する準備を同時進行で進めていたので、HTMLの記述がある程度のメドがついたところでレンタルサーバも契約してしまったのです。改めて書くまでもありませんけど、「ホームページで何がやりたいのか」「ホームページから何を伝えたいのか」というコンセプトは、既に出来上がっていました。
 それで当時は独自ドメインの取得量がまだ高く、独自ドメインを設定することにまで手が回りませんでしたから最初のレンタルサーバは、独自ドメインの取得から管理まで一連のサービスで行ってくれるところを選びました。50MBからのディスク容量スタートで年間一万円は安い方であり、とても使い切れないディスクスペースだと思っていました。

 ところが、スポーツイベントでデジカメを用いてですがビデオを撮影してきたならこれが公開したくなり、まだ高品質圧縮となるWMVファイルへの変換もストリーミング処理も分からないままにビデオファイルを掲載していくと、ディスクスペースはすぐになくなってしまいました。
 ビデオファイルの圧縮やストリーミング処理も次第に取り入れては着たものの、せっかくビデオが扱えるようになったのなら動画で資料を伝えたいということでディスクスペースの大きなレンタルサーバへ乗り換える決断が迫られました。それで劇的に独自ドメインの維持費が下がっていたので、2006年にどうせなら独自ドメインも自己管理できるようにと書かれてある資料を理解し作業するのはしんどかったですけど移管作業をまず行い、年間3000円ほどの出費増にはなりましたけど1.5GBのディスクスペースのあるレンタルサーバへと乗り換えました。

 ここのレンタルサーバのコントロールパネルはとても使いやすく、メールのウィルス駆除やスパムフィルタも重宝してディスクスペースも次第に増加し、40GBはとても使い切れないスペースとなっていました。
 ところが時代の流れは業者の競争を白熱させており、設置したかったメーリングリストが可能だったりサブドメインだけ閲覧制限を掛ける設定が簡単に出来たり、独自ドメイン内のブログ設置が可能などしても8GBのディスクスペースに年間4000円という維持費は二回目のレンタルサーバ乗り換えの条件として十分でした。
 マニュアルをあちこち読んだり独自ドメインの切り替えタイミングを見据えたりなど二回目でも乗り換え作業には手間が掛かりましたけど、まずメールサーバが混雑していないのがいい。コントロールパネルの操作はなれるまでに時間が掛かりましたけど、工夫で必要な表示へすぐフォーカスできるようになりました。メーリングリストは、これから活用させてもらいます。

 「歌って踊れるなんちゃら」というフレーズが一時期はやりましたけど、「地域に貢献しながら情報発信をする鍼灸師」を今後とも実践していきます。