『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

頑張りたくても頑張れないんだ

 「夫婦げんかは猫も食わぬ」だったかな?とにかく元々は他人だった男女が一緒に暮らすのですから喧嘩の一つや二つは日常茶飯事であり、うちの家庭でもちょっとやらかしていました。それが片方の行動に起因することや価値観の違いからでてきたズレであれば当事者なのですから問題解決の糸口がすぐそこにあるわけなのですけど、原因が家庭内にないとか自分の努力が相手に伝わらないことでズレてきているような時には困りものです。
 例えば赤ちゃんの夜泣きが激しくて寝ている時間がなかったり工場からの騒音があまりに激しかったり、失業してしまい収入が途絶えたとかストーカーの被害があるとか、そうそう大音響と罵声を浴びせ続けていた「引っ越しおばさん」なんて迷惑な人もいましたね。また知的障害者の子供がいたり地方老人を抱えていたりなどすると、いくら説明をしても相手に伝わらないのですから大変なストレスが蓄積してしまうことになるでしょう。。

 うちの場合も家庭内に原因がなかったので話がややこしかったのですけど、喧嘩をしていると自然に目の前の相手を非難するようになり欠点の突っつき合いにエスカレートしてしまいます。まぁこれも日常茶飯事ですから何度も同じことを繰り返しているのであり、慣れてしまえば特に問題もないのですけどね。
 ところが今回なのですけど、奥さんが急に昨夜のことを思い出したと発言してきて、「結構な非難のされ方だったのでうじうじ一日考えてもいい?」と一種の逆襲なのでしょうが問いかけてきます。「勝手にさらせ!」といういつものパターンだったのですけど、ふと「うじうじ一日考えてみたならどうなるのだろう」と逆の発想をしてみました。
 自分で書くのも変な話ですが、私の精神力はかなり強靱でしょう。子供の頃には短気な時期がありました。それを父親にひどく叱られて、「絶対に怒らない」と決めていた時期もありました。それから思春期には独特の精神が不安定な時期があり、しかも盲学校という閉鎖空間で少人数と来ていましたから、短期間ですけど自分でもゆがんでいると感じていました。自分を弁護するわけではないですけど、ゆがんでいる範囲は普通の中学生程度に毛を生やしたくらいで、リストカットなど異常行動は一切しておりませんのであしからず。
 それが大きく変わったのは「少年の船」という行事に参加したことで、一人で歩く程度には不自由ない視力ではありましたけど配付される資料や看板が見えない閉鎖空間しか知らない盲学校の中学生が、しかも女子が極端に少なかった環境から一週間も県内の中学生450人と船で沖縄への往復を体験したのです。この大きなギャップを埋めるには自ら殻を打ち破るように行動せねばと強い衝動がわき上がり、プログラムにはなかった個人発表をする時間を談判して設けてもらったのでした。この時の行動から、何でもプラスに考えれば必ず自分の栄養となって殻もうち破れるという信念が産まれました。
 もちろんこの一件だけでなくアマチュア無線で地域の同学年の人たちと少しずつ交流をしていたり、前回にもかいた身体障害者スポーツ大会に参加して実は視覚障害者のパーセンテージはものすごく低かったという衝撃からスポーツ協会の行事に参加するようになり様々な交流が出来ました。また神戸で開催されたフェスピック(極東南太平洋身体障害者スポーツ大会=現在はアジアンパラリンピック)に推薦してもらったのに開業間もないということで選手出場を断念させられたことが、「いつかJapanのユニフォームを着たい」という一心で競技スポーツを長く続けることにつながって貴重な体験をしました。タイムはギリギリ拾ってもらっているレベルでしたけど、水泳でのジャパンパラリンピック出場はメダルをホームページに掲載しているくらい勲章だと思っています。三十代半ばにして、とうとう非公式でしたけどサッカーでJapanのユニフォームが着られたことは、忘れられない思い出になっていますし、「やっぱりできたんだ」という証拠でもありますね。
 それが仕事へのスタンスへもつながり、「鍼灸だけで身を立てたい」という思いは目標設定を高くしなければ実現できないだろうと助手を入れることにまで最初から構想を巡らせており、開業当時はバブル経済の勢いもまだ残っていたことから数年で実現させられました。経験年数は助手育成という面と合わせて、決断力と精神力の強化につながっていると思います。けれど、そのために勉強へ費やした時間は莫大であり仕事と研修会で全く休みのない時期がありました。この時期の日記を読み返すと自分でおもしろかったのですけど、まるで信仰宗教のように自分の仕事を自分で評価していますね。それくらいでないと折れてしまいそうだったのでしょうけど。それを折れないようにしてくれたのは研修会の存在であり、だからこそ後輩育成のためにも研修会は辞められないのであります。

 さて「うじうじ一日考えてみる」ことに話を戻しまして、普段は過ぎ去ったことにはこだわらないことにしているのにあれこれどころか一つ一つ思い出してみていました。すると、どうでしょう!意図的に作り出した思考パターンなのに、あっという間に「頑張りたくても頑張れないんだ」という気持ちになってきました。そして、「このまま頑張らなくてもいいならどれだけ楽になるんだろう」という気持ちにも。
 たった半日だけそのようにしてみただけなので持続的に苦しんでいる患者さんにすぐ結論づけてしまうのは申し訳ない面がありますけど、「鬱病とはこういうことなんだなぁ」と実感しました。「このまま頑張らなくてもいいならどれだけ楽になるんだろう」と本人は常々考えているのですから、鬱に対して励ましてはいけないというのは鉄則であり、鬱状態がひどい時に励ましてしまうと自殺の危険性が高くなるので「頑張らなくてもいい」と言葉がけするのも実感しました。
 少し変な表現かも知れませんが今まで私が気付いていなかったのは、自分や目の前にある解決できる問題に尻込みをしているのではなく多くは自分がどれだけ頑張っても解決の糸口にもつながらないので、疲れて身体症状へでてきてしまっているのだということでした。そしてまじめな人なので「それでもまだ頑張りたい」という思いが、悪循環へつながっているのでしょう。
 ならば名案が浮かんだのかといえばケースバイケースであり、前述したように知的障害者の子供がいたりすると親が元気なうちは何としてでも親の努力で自活できるようにしたいとされるでしょうから、「頑張らなくてもいい」という言葉が掛けられないケースもあるでしょう。一つだけ言えることは解決の糸口がないのであれば負担を分散させることであり、泣いたり歯を食いしばっていても自分しかそれは分からないのだから「陽気に行こう」と笑っていれば周囲も分かってくれるようになることだろうということです。

 ストレスは発散させようとしても、なかなかうまくいかないものです。それよりも「ストレスは必ず溜まるものだ」と思えば気は楽になり、バケツが一杯になるまでに取り除けるものだけ取り除いてしまえば、逐次処理できるものは逐次処理していれば溢れてしまうことはないのです。生ゴミだって最初からベトベトの悪臭がするものではなく、野菜くずなど切った直後はみんな手で直接触っているものばかりです。その処理を後回しにしていたならベトベトの悪臭になってしまうのであり、逐次処理していれば綺麗なものなのです。処理する方法はスポーツをしたり音楽を聴いたりカラオケで歌ったり読書をしたり、何でも好きなことでいいはずです。ただし、大宴会でもすれば別ですが飲酒はその時間帯をごまかしているだけで逐次処理をしているとは言えません。
 昼休みに水泳をして子供の顔も見て、そしてインターネットで色々なニュースも見ていたならいつの間にかいつものペースでまた仕事をしていました。それから、このブログを執筆しているということ自体が、ストレスを逐次処理していることでもありますね。