『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

助手が巣立っていくということ

新郎新婦と記念撮影

 写真は先日「にき鍼灸院」で修業をした助手の披露宴に招かれた時、我が家の家族と記念撮影させてもらったものです。ちなみに助手は新婦の方です。

 私が鍼灸の道に入ったのはブログでも何度か触れてきましたが、先天性の視覚障害者ということで盲学校に小学一年生に入学した時からの既定路線でした。性格的に向いていない人は他の職種を選べばいいとこれも素直に思うのですが、日本の視覚障害者は世界に類のない鍼灸マッサージという職種に従事できるということで、この路線自体は間違いでないと思います。触覚訓練が日常生活の中で既に出来ているのですから鍼灸マッサージの道を選ぶことは天職と表現しても過言ではないと思います。鍼灸専門ということになれば晴眼者とのさらに激しい競争の中へ飛び込んで行かねばならないので苦しい面もでてきますけど、視覚障害者の触覚が真に行かせるのは鍼灸の分野なのですからもっと多くの人に目指して欲しいと願っています。逆に書けば安易に複合食で「食える」ことを優先しても、そこで人生を落ち着けていいのだろうかと問いかけたいです。
 私はラッキーなことに助手へ入ることが出来ましたし、大きな賭ではありましたけど最初から鍼灸院としての建物を構えての開業ともなりました。しかし、それだけでは自己満足の世界にとどまってしまい、地域の患者さんたちへ奉仕することは出来ても社会的なことや業界への貢献と発達には力が及ばないことは明白でした。
 それに助手として育ててもらう中で、所属していた東洋はり医学会北大阪支部の先生たちだけでなく本部の先生たちと憧れの存在に一歩でも近づけるように、開業当初から助手を入れて自分もその人たちを育てていくという構想を練りました。これもどこかで書いたことですけど、高いハードルを設定すれば試金石のハードルを越えていくことなど当たり前の話になってしまうのでストーリーの結末を最初に描いてしまうという手法ですね。ですから、開業時にベッドが二台は必要とは考えていましたが、敢えて三台に増やして開業をしたのでした。

 それで最初に助手を入れるチャンスが四年目あたりにあったのですけど、研修会との絡みや直前でのトラブルなどでうまくいかずに断念。後から考えれば開業からの勢いに任せての行動であり、安定性という点では無茶がありましたね。この失敗のような経験があって一人で仕事をしばらく続けることになったのですけど、有り難いことに一日の来院数が人件費を払っても大丈夫なくらいにまで安定してきたので、免許取得をした新卒者に絞って募集をしました。
 最初の助手が決まるまでにこれまた紆余曲折があったのですけど、臨床スタイルが代わってくるのは当然のことで試行錯誤はどれくらい続いたでしょうか?ところが一人入ってしまうと「類は友を呼ぶ」ではありませんけど同級生もあれよあれよという間に助手へ採用することになってしまい、ベッドを三台から五台に増やすのもあれよあれよと進んでしまいました。その後は助手もベッドも数には変化がないのですが、ていしんのみへの治療へ切り替わるとか電子カルテの導入など変化はあるのですけど、今回の話題とは直接関係がないので割愛します。

 そして助手はやがて独立していくのですが、孫弟子ができるという想像はしていました。正直な話を書きますと助手に入っても途中でドロップアウトした人がいますし、修行は終えましたけどその後が続かなかった人もいます。しかし、結婚をして子供ができてなどの自分の幸せのことは人生設計の中に入っていたのですけど、助手がその後に歩む人生設計のことについては考えてもいませんでした。個人のことなのですから鍼灸以外の場面については知らないことでいいのですけど、実際には様々な場面で承諾を求めてきたり相談を受けたり時には関わりを持つこともでてきてしまいました。
 これは私の鍼灸師人生では誤算だったのですけど、嬉しい面での誤算の方が多くなってきました。例えば刺さないハリ ていしん入門 森本式てい鍼を使った治療(岸田美由紀著):ヒューマンワールドという本を世に送り出したのは、あらゆる面で相当にきつく指導をした初代の助手でした。初めてのことだったのでこちらも分からないことだらけですから、「辞めてしまったなら元に戻ればいいだけ」くらいの気持ちできつくやりましたので、彼女はつらかっただろうと思います。それをバネにして、私よりも早くに単独の著書を送り出しています。さらにはDVDで学ぶ 刺さないハリ ていしん入門(出演:岸田美由紀・二木清文・森本繁太郎)という企画を持ち込んでくれたりもしています。それから夫婦で相模原一番堂 水戸鍼灸院-当院のご案内を開業し、しかも漢方鍼医会本部の指導員に抜擢されている人もいます(奥さんの方です)。
 ベッド数が多くなるということは女性の患者さんに対して介護などが必要になるケースが増えるということなので、どうしても女性の助手が一人は必要ということになります。それがどういう流れか意識して募集していないのに今まで一人を除いて助手は全て女性でした。その人たちも結婚していくのですから、私にとっても娘を嫁に出す気持ちとなります。最近は毎年一人ずつ順調に結婚式をしてくれているので嬉しい限りなのですけど、披露宴に出席したのは今回が初めてでした。スピーチを依頼された時には軽く引き受けたのですけど、まさか乾杯前の主賓としての挨拶と聞いたのは直前ですからビックリで、写真はまだそんなことを知らない余裕の時の撮影でしたね。でも、目の前で幸せを誓う姿は本当によかった。改めておめでとう。

 今後は新規開業がますます厳しくなるのですけど、特徴ある治療法として差別化を図るだけでなく、より完成度の高い技術力にして送り出してあげられればと思っています。それでも成功をするかどうかは、イメージ力と行動力となるでしょうか?