『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

久々にニューサイエンスへのヒントをもらった、伝統鍼灸学会

 六月に「東京宣言2011」への、一つの感想ということで日本伝統鍼灸学会と全日本鍼灸学会共催大会による大会の感想を書いたのですが、この時には本来三日間の日程であったものを一日に短縮した上に大きいとは言えない会場に人数を入れたものですから、最後の宣言文の時には疲労困憊で実はあまり理解できていませんでした。そしてレポートを出さねばということで書いたのですけど、実際に出来上がってきた文章はちょっとイメージとかけ離れていました。本題に入る前にこのことを少し触れておきますが、鍼灸を知らない人に対しては「これから頑張りますよ」のように見えるのですけど東京宣言は世界の鍼灸業界に対してがターゲットのはずではなかったのでしょうか?どこかの福祉大会のような、日本のマスコミや行政に対するアピールではおかしいはずです。まして日本伝統鍼灸学会が宣言採択の医院に名を連ねているのに、ディスポ鍼について研鑽するような文章は、伝統鍼灸と相反しているのでは?
 あっ、福祉大会のことを引き合いに出してしまいましたけど、決して福祉団体のことをどうとか思ってはいませんし自分も視覚障害者の団体には所属している身分であり、アピールの矛先について書いていますので表現が気に障る方がおられたなら、お許しください。

 それで六月は基本的に全日本鍼灸学会の大会に加わったという形だったので、総会を兼ねての学習会が11月6日に開催されたので参加してきました。一般研究発表は本来六月に発表される予定だった縁者がそのまま回ってきたとのことでしたけど、継続発表が中心なもののかなり興味のある内容もありました。そして特別発表と会長講演については東京宣言に関することだったので、話そのものはとても聞きやすかったのですけど中身は残念ながら焼き直しの範囲でした。
 二つの講演がともに踏み込みが今ひとつ欲しかったのに大きな空振りだったので段々と脱力していった学習会だったのですけど、最後のシンポジウムはとてもおもしろく盛り上がりました。今までの大会を振り返って、これからの姿への希望を語られたり意識が及ぼす影響のことや、奨励からのことなどが語られていたのですけど噛み合う部分と議論になる部分が当然あって、このシンポジウムのやり方は新しいもので階運営の参考にもなりました。
 中でもおもしろかったのは脉診のことで、意識が男女が逆だとなれば逆で脉診できてしまうという話でした。「そんなこと!」と思いたいですが実際に比較脉診から菽法脉診へと変わってきましたし、意識を切り替えることで陽経の診察をしていますから大げさなことではないのかも知れません。またアーユルベーダの脉診部位は、同じ橈骨動脈でも経絡治療の尺中が寸口にずれてきて、肘側で脉診すると教わったことがあります。「だから脉診は当てにならない」とか「迷信に近いもの」という批判を受けてしまうのですけど、科学派を自称する人たちの鍼灸でもまだまだ治効機序は改名されていないのであり、その根本である西洋医学にしても自然治癒力は全く改名されていないのですから、目くじらを立てるほどのものではないと割り切ればいいのではないでしょうか?

 そして久々にニューサイエンスと結びつけるヒントが得られました。物質というものは細かく細かく分析していくと分子や原子から構成されているというのは中学の理科で学習することですからよく知られているのですけど、原始は中心の原子核とその周囲を回っている電子から構成されています。そして原子核の中には陽子と中性子というものがあることまではこれも理科で学習していることなのですが、この陽子と中性子を結びつけている「強い力」を発見したのが湯川秀樹博士でありノーベル賞に繋がっています。
 この「強い力」は中間子というものを交換することによりバランスを保っているのですけど、ここまで細かくなったものを素粒子といいますが素粒子の世界になるととても不思議なことがいくつもあります。例えば原子核の周囲を回っている電子は太陽と太陽系の惑星に例えられますが、実際にはもっと複雑なのですけど一応そのようなモデルとして頭に描いて頂くとして地球の軌道を回っていたものが突然に土星や水星の起動へとジャンプをしたり、海王星が地球の起動へやってきたりなどのことを突如として行うことがあります。そして、それだけ細かなものですから「何が起きているのだろう」と観察をしようとした瞬間に影響が発生してしまい、客観的な事実というものはなくなってしまいます。例えば顕微鏡で細かなものを見た時、光や電子をぶつけてその反射してきたものを観測しているのですからそれだけ細かなものはぶつけられた光や電子によって動いてしまいますから、「観測した」のではなく「現象に参加した」ことになるのです。
 そして素粒子は、あまりに小さいですから物理的な面だけでなく同時に波としての側面も持ち合わせます。微少な世界では素粒子は寿命そのものが短いのでめまぐるしく構造が変わっているので波としての側面が無視できないのです。池に投げた石は水面に当たって波紋を作りますが、石はそのまま波紋へ変わってしまうと量子力学では定義されます。「石は池の底へ沈むだろう」と疑問に思われるでしょうが、これは安定した結晶同士がぶつかっているので変化がないだけです。シャボン玉なら割れて液体に変化しても不思議に思わないのであり、超常現象でも錯覚でもないのです。
 ということで、微少な世界では、ある時は粒子でありある時は波なのですから、この点からしてもその位置や形状などを特定することはできないのです。まして観測しようとすると干渉をしてしまうのですから、何が真理なのかは、現時点では不明なのです。いや、真理を追求しようという姿勢そのものがエラーかも知れません。
 ここへ最近読んでいる宇宙論の話の中で、おもしろい知識を教えてもらいました。分子はある状態になると相転移」という現象を起こすことがあります。複雑な話はウィキペディアの相転移の解説をご覧頂くとして、水が氷になったり氷が溶けて水になることが一番代表的な例です。つまり整列した秩序ある状態なのに何かの地点で無秩序な振る舞いをしてしまう、あるいはその逆に無秩序に動いていたのに突如として秩序ある結晶へ変化してしまう物質がいくつも存在しています。金属がものすごい低音になると電気抵抗がゼロになる、超伝導もその一つです。この境目は原因があってもなくても構わないそうで、誘発要因はあるのでしょうけどややこしいことこの上ないですね。

 これらの知識を気と経絡に当てはめてみると、おもしろい解釈ができます。気というものは無秩序にあちこち走っていることもあれば秩序を持って経絡の内外を運行していることもあり、時には津液を引っ張っていったり対外へ飛び出していったり対外から飛び込んでくるものもあったりで、まさに物質として働いたり波となっていたり変幻自在です。でも、あまりに微少であり働きとしての寿命も一つ一つは短いので波としての側面が大きいでしょう。
 これに対して経絡は物理的な側面が大きいので、普段は潜在的であるのに軽擦によって意図的に活性化することができ我々が期待する治療という現象につなげられます。ということは、経絡の運用はある種の振る舞いを誘発しているのですから、様々なアプローチで治療効果が得られたものは全て正解なのであり、どこにも不正解はないのですけど完全な正解も得られないでしょう。しかし、何をやっても構わないのではなくある種の秩序は必要なので、秩序を守らないものは誤治という結果で戻ってくることにもなります。
 そして経絡の「波」としての側面が脉診として捉えられるのですが確実な位置というものはないので「脉診をする」という現象に参加するのですから部位や位置が変わってもその答えが戻ってきますし中身を見せてくれないこともあります。
 さらに電子の軌道ジャンプのように素粒子には「トンネル現象」というのがあって、まさにトンネルを抜けて山の向こう側へ出現するのと同じく信じられない距離へジャンプするのに全体バランスは保たれているという不可解な事実があるそうです。これも気が経絡というトンネルを抜けて瞬時に目的とする場所へ到達して目的の仕事を可能にしていることに似ていて、それでいて経脈というトンネルを通ることで全体バランスが整っているのでしょうか。

 まだまだ直感的な考えの中ですからうまく表現できていないのですけど、今まで「気」とか「経絡」を固有の存在のようにして捉えようとしていたのですけど、場面ごとに側面が違うのだとすればかなりうまく説明できそうです。それに治療へ応用できることも。問題は「そのような現象が日常茶飯事に発生している」ことを証明することであり、できれば可視化した形で証明していくことなのでしょうね。