『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

漢方鍼医会20周年記念大会レポートその2、講義内容を追いかけてみる

 漢方鍼医会20周年記念大会と第18回夏期学術研修会のレポート第二弾となりますが、夏期研の中身について「取穴書」の部分を割愛して書いてみたいと思います。「取穴書」については、最後にまとめて裏話を含めて書きます。

 『これからの漢方はり治療」 ー 証決定と臨床の間にあるもの』が今回のテーマであり、20周年の大会であれば「漢方はり治療の総括」とか、「漢方はり治療の軌跡」等々、二十歳を迎えたことについてお祝いモードでのテーマを掲げるのが普通でしょう。しかし、天の邪鬼ではなく会則の中にも"学術の固定化はしない"と掲げているのですから、もっと脱皮すべき目標へ向かってのチャレンジを打ち出しました。
 そのままを引用したのでは著作権ではないですが、研修会へやってきてもらって実際を体験してもらわないと誤解を生じそうな題名が多いので、ここからは私の言葉で脚色をしての報告と個人的な感想を書いてみます。

  会長講演「漢方はり治療のあゆみ」は、ここは20年のブラッシュアップの印象でした。しかし、20年も経過していると創設後に入会してきた会員の方が遥かに多くなっており、近年に免許取得をしたという人の割合も完全に逆転してしまっている世界なので、漢方鍼医会が創設されたきっかけについての話は鮮烈だったようです。私がこの大会の一ヶ月前に東京都の事業での講習会に宣伝も兼ねて出させてもらったのですけど、その時に漢方鍼医会の考え方の一端を次のように話しました。
 経絡治療の研究会は数多くあって理論もそこそこ語られているが、実際にベッドサイドへ立って最後の決定をしようとしたなら、それまで例えば脾虚証だと推測されていたのに肺虚証や腎虚証にひっくり返されることがある。これは効果がなければ仕方ないのでいいのだが、その理由を先輩に尋ねると「脉がそうなっていたから」とか「経絡の反応がこっちにあったから」など、ベッドサイドの環境優先になってしまっているところが多いと思われます。それでは経絡を積極的に動かす施術はしているもののやり方は「やった・効いた・治った」の刺激治療と大差がなく、証決定が最後にひっくり返っても何故そのように決定を覆さなければならなかったのか理由が知りたいと思っていました。それを紐解いているのが漢方病理であり、実は古典に書かれていることの大半は病理であって特効穴のことはほとんどなく、まして「どこへ・どれくらい刺しなさい」などとは書かれていないのです。
 前述のような残念な体験が創設時のメンバーにもあって、池田政一先生の連載に「漢方病理を基礎にしなさい」という記載を見つけて独自の勉強会を開くようになり、さらに難経の五難という早い箇所にでているにもかかわらず実践されていなかった菽法脉診の意義を見いだして、新しい会を発足させることになりました。漢方鍼医会は研修会であり、個人の研究をまずは小集団で検証し、そして全体で研修するという流れを造り、偉い先生が発言したからとか声の大きな人の意見が通るというようなことを一切していません。
 その成果が衛気・営気の手法や漢方腹診や体表観察であり、今回発行されたテキストであり取穴書などです。さらには客観的な修練法を開発していたり、気血津液論で今まで来ていたのではありますが邪正論も取り込んでいこう等々、まだまだ変革がなされていきます。

   基調講義「漢方はり治療の未来に向かって」は、実行委員長の個人的な鍼灸学校へ入るまでから修行をするようになったきっかけへと続き、これは新しい会員へは「自分だけが優柔不断なきっかけで研修会に関わるようになった訳じゃないんだ」と、かなり親近感を持たれて聞かれていたようです。私は先天性の視覚障害者ですから職業選択の幅がなかったのですけど、晴眼者が鍼灸学校へはいるのは本当に様々な理由があると思います。けれど入学してしまうとその目的を果たしてしまったような気分になり、また国家試験中心のカリキュラムにせざるを得ない現状では夢も頓挫してしまいます。このような現状から夢のある鍼灸術・鍼灸師への道筋へとつながる漢方鍼医会に関われた幸せを感じ、研修会からドロップアウトすることなく継続することが一番大切であることを話してくれていました。
 続いて取穴書作成委員会から「新しい経穴書についての説明」の発表がありましたが、ここには私も壇上に立たせてもらっていましたので回を改めて詳しく報告させてもらいます。

 パネルディスカッション「これからの漢方はり治療 ー 証決定と臨床の間にあるもの」は、まずパネラーが発表した内容について、六名程度で構成された小さなテーブルごとに討議をして、その討議結果をまた全体で発表していくという新しい形式で行われました。単純に小グループへ討議を投げてしまうのではなく、各テーブルにはグループサポーターが設定されていて進行が枝分かれするようになっています。また全体へ発言をする時には、グループサポーターがテーブルの意見を代表して挙手をして発言をするという形式でした。
 私もグループサポーターをしていたのですが、地方組織でかなりベテランの先生がいて、入門ではないがまだまだ養成クラスという人が混在していたのですけど、これは逆に討議を活発化させてくれましたね。ベテランは要請クラスからの素朴な疑問に答えることで気付かされることがあり、ベテランからの発言でパネラーの意見をうのみにするのではないという、とてもいい討論ができたと思います。実際にシンポジウムのように一部の人だけが発言をして、他は眠っているという光景が一切ありませんでしたから。そこで簡単に、独断での感想を。あくまでも独断ですので、あしからず。

 まずは『心虚証について』です。経絡治療が創始された時に、「腎に実なし心に虚なし」と言い切ってしまったものですから、その後に続いた人たちは固く信じてしまい私もその一人でした。確かに心臓の病はあっても心臓そのものに力がなくなれば命が危ういという解釈は正論であり、それは江戸時代からの傾向でもあったという話を聞いて「なるほど」と思ってしまいました。またテーブルのベテランからも、「古典には証というものは元々書いてないのだから心虚証という概念を今さら持ち出す意味が分かりにくい」との発言もありました。しかし、心から治療を始める・心を直接に治療することはあってもいいと考えています。
 これは帰宅してから思い出したことなのですけど、実は心包経から鍼を入れるという治療法を実践していた時期があったのです。脾虚肝実証でのお血タイプの時に心包経には衛気の手法で、そこから足三里へ営気の手法というものであり、確かに脉はパッと明るくなりましたね。この方法については、その後にやはり脾経から治療を始めた方がいいということが判明し、病理的にも説明がかなり強引なので現在は行っていません。
 ということで心虚証について、個人的には遭遇すれば躊躇なくやって構わないと思っていますし数回は遭遇したことがあるのですけど、頻度としては少ないのではと感じています。研修会の中ではトレンドだからというわけではないですが積極的に治療されていたようですけど、後日談としては好結果ばかりではなかったようですし。まだ脉診を中心に決めてしまうケースが多いようで、脉診・腹診・肩上部のいずれもが改善する三点セットで確認することが優先でなければとやはり思います。

 「剛柔選穴」については何度も耳にしてきたものであり、既にかなり実践されているものです。ここへ気血津液論も絡めることにより、夫婦剛柔だけでなく兄弟剛柔の可能性も語られていました。ベテランからは剛柔論は無味乾燥な陰陽関係のことを述べているので夫婦剛柔の単純な用い方しかあり得ないという意見があったり、二手目の重要性について語られていたのですけど「まず一手を終えてからでいいのでは」という意見が多かったりしました。
 剛柔の応用については、相克関係の陽経を用いることで、例えば肝を救いたいなら金克木なので大腸経への施術が援護射撃になるということで「陽虚証に効果的なのでは」、というところから出発してきたと記憶しています。その後に陰虚証へ用いても問題がないことが分かってきたのですが、わざわざ剛柔で補わなくても元々をしっかり施術すればいいのではないかと正論に押し戻されて、六十九難の延長線で自経の補いの次に親経も補いたいが親経は直接手を触れるほどは病んでいない時に剛柔で援護射撃をというパターンが発表されて、多分今はこの使い方が一番スタンダードでしょう。
 私はスタンダードな使い方を最初からしており、今は病的な数脈の時に陽経から施術するのが効果的なのですけどここへ剛柔での選経・選穴を応用しています。これは気血津液論も入っての使い方ということに解釈できるのでしょうが、配穴については複雑なのでまだよく分かっていません。それからできる限りシンプルな治療をと思っていますから、いつも剛柔が使えないかと目を皿にして観察してはおらず、不都合な時に飛び道具の一つとして持ち出してきている感じです。

 「邪正論」については、限られた文字数でまとめるのはとても難しいですね。これも経絡治療へ入門した時から「病は正気の虚より始まる」と教えられてきて、精気を補うことにより全ての病は治癒できると信じて治療をしてきてそれほど不都合はなかったわけです。ここには肺虚肝実証へのアプローチが含まれているので、あまり実践していない人より気血津液論だけで解決できるケースが私には多いと自負しています。それでも井穴刺絡をまず行ったり、小児鍼のように標治法から始めるケースがあったりで邪気を先に除外しているパターンもたくさんありました。それから「ていしん」を逆さに持って外へ出たがっている邪気をその場から抜いてやると、頑固な硬結が緩んで症状の改善につながることも多く実践しており、専用のていしんも開発中だったりしています。
 そこでテーブルでの討論になった時は、以前に発表された難経四十九難の応用というものをベテランに補足してもらったのですが、反対側からのアプローチになるので養成クラスの人からの質問に終始してしまったのが実際でした。剛柔に続いて配穴の難しさもありますし、瀉法ではなく営気の手法で対処するというのも治療法則でまだ四苦八苦しているレベルの人にはちょっと消化不良だったかも知れません。
 私は臨床現場で四十九難はそれなりに応用させてもらっていましたが、午後からの実技でちょうどのモデルがあり肺経の経渠へ営気の手法を施したのは初体験でしたが、あまりにできすぎでしたね。学生時代に二学期の期末テストで実技を待っている時、高熱が出ていて立っているのがやっとの時に肺経の魚際へ毫鍼を見よう見まねで当てたならすぐ風邪が回復してしまった経験があるのですけど、これは邪正論により治療が偶然成立していたものだとやっと理解できました。つまり、パネラーの言葉を借りていますけど「邪がそこにいて蓋を開けてやれば外へ出せるのだから、押し流したり中和させても治せるだろうが蓋を開けた方が遥かに効率的な時にはそちらを選択すべきでは」ということで、決して今まで漢方鍼医会が取り組んできた気血津液論を否定するのではなく時によっては邪正論からのアプローチもして効率的に治癒に導ければいいのではないかというのが要約になりますね。
 まだまだ消化できていない部分が多い邪正論なのですけど、邪があるということは脉状で跳ねている部分が必ずあるはずなので、これに着目していると病理考察を含めて割と切り替えがうまくいくのではと現在は追試しています。

 今回は「まじめ」に講義内容を追いかけてきたので、裏話を含めるスペースがなくなってしまいました。次は江島杉山神社へお参りしてから冷やしちゃんこ鍋での大宴会になった話と点訳作業の話なので、裏話特集ということになるでしょうか?