漢方鍼医会20周年記念大会レポートその6、「取穴書」について(後編
漢方鍼医会20周年記念大会レポートは第六弾で、「取穴書」の総まとめ後編であり、これが本当の最終回です。
検証合宿のことを全て再現しているといつまでも終わらず本体より大きなサイズになってしまいますし、どこが「取穴書」本体を読みこなし活用するためのキーポイントなのか焦点がぼけてしまいますので、後半ではまとめる作業のことなども書いています。特にWHO標準経穴の公式和訳の許諾を得るまでは、筆舌に尽くしがたい部分がありました。
第一回の検証合宿は会議室を借りての実技でしたがそれでは時間的な制約が大きく、費用の軽減と合わせて実技会場は委員の治療室を提供してもらえることとなりました。「興奮さめやらぬうちに全ての経穴を調べていこう」と気合いを入れて本部例会の前夜に連続で合宿が行われました。その結果は「興奮する」「気合いも入る」で、電車がなくなってしまうかホテルの門限かで仕方なく実技を切り上げていた状態でした。もし時間無制限でできる環境だったなら本当に朝まで実技をやっていたかも知れません。それくらい経穴の検証作業はおもしろく、再発見することばかりでした。
検討合宿の第二回からは「まずは標準経穴を前提に」というスタンスが固まっていたので、文章化作業も並行して進められるように肺経より順番に検証を開始しました。ところが、またまた衝撃の事実がいきなりやってきます。天池がひっくり返ったのではというほど、検討合宿の中でも最大の衝撃波でした。
太淵の部位に「橈骨茎状突起と舟状骨の間」とあります。「えっ、橈骨形状突起は脉診をする時にまず指を当てる部分なのに、舟状骨との間ではあまりに距離がありすぎる、指一本は入ってしまうぞ」と、その時点では意味不明の表現にほとんどの委員が首をひねりました。しかし、「正しい表現でしょう」と主張する委員がいました。解決方法として念のため用意して置いた解剖の本を見てもらうと、なんとなんと橈骨形状突起は橈骨の先端にある小さな突起であり、「母指を強く伸展させた時に背面にできる橈骨小窩の中に小さな粒として触れる」とあります。解剖の一体何を勉強していたんだと嘆いたりしながら、胃経の衝陽の時よりも騒然となりました。
「脉診をする時に橈骨形状突起にまず指を当てろといわれて、解剖とは違う場所を指しているのは変な研修会だと思っていた」と、正しい位置を知っていた医院は今だからと笑いながら話してくれました。後日談になりますが、古い点字の教科書を引っ張り出して調べてみると、やはり橈骨形状突起は正しい表現がされていました。それから同じ疑問を持ちながらも実技指導で「橈骨形状突起にまず中指を当てて」と繰り返されますから、そのように覚え治したという会員もいたようです。一番の笑い話は、娘さんが鍼灸学校で解剖を勉強している時に「お父さん橈骨形状突起って場所が違うのじゃない?」と進言されたのに、「そんなバカなことがあるか」と聞く耳を持たなかったベテランの委員がいたとか。
でも、そうしたなら「今まで脉診をする時に指を最初に固定するため当てていたあの部分はどんな名称なのか」、という次の疑問が出てきました。解剖の本を調べ治してもらうのですが、今度は名称が見つかりません。見つからないということは、解剖学では橈骨の下端に大きく隆起している部分なのに名称が付与されていない?もうしばらく笑いが止まらなくなってしまいました。
そこで『詳解・経穴部位完全ガイド-古典からWHO標準ヘ-』(医歯薬出版)を見てもらうと、あの部分を中国や韓国でも誤って橈骨形状突起と表現していることが多いとありました。つまり、脉診をする時に最初に指を固定する隆起をそれらしき名称だからとよく確認せず橈骨形状突起と呼んでしまい、業界全体の村言葉として定着していたのだろうと想像できます。そして長期間使い続けられてきた村言葉ですから、今後もしばらくは鍼灸業界から間違った用い方が根絶されないだろうとも想像されます。
村言葉は排除しようということであり、まして解剖学として完全に間違った用い方を続けることはできません。けれど脉診を主体とする鍼灸術ではあの隆起に何か名称がないとかなり不便であり、漢方鍼医会では「橈骨下端の骨隆起」という便宜上の名称を定めることになりました。それから前側と外側では一番突出している高さに差があるのですけど、脉診では前側の突出部が基準であることを、改めて確認しました。それにしても腕橈骨筋が付着し引っ張られるために隆起しているだけなので特別な意味がないから名前が付与されていないなんて、解剖学を確立した偉大なる先輩諸氏にも脱帽でした。
「橈骨下端の骨隆起」で文字数を費やしてしまったのでやっと次という感じですけど、連線の概念が既にあったことと太淵での大事件から予習をもっとするようにしたので、あまり問題がないだろうと思われ標準経穴と合致していたものはスムーズに確認されるようになりました。しかし、それでも経穴を一つ一つ注目していくと奥が深くて難しく、そして楽しい。
肺経の孔最は、従来なら尺沢から下方へ三寸で取穴した方が楽だったのですけど、古典に「太淵から七寸」とありますから尺沢からは五寸となり、かなり手首側へ離れてしまったのにこちらの方が脉が動きます。脾経の知己も古典に「膝下五寸に在り」ですから陰陵泉からは下方三寸で変わらないものの、下腿内側の長さの求め方が定められたので従来より若干足首側となり、これも脉が動きます。心経の流注は尺側手根屈筋の橈側もしくは真上が確認され、胆経は腓骨の前縁であることが確認されたのは大きかったと思います。特に陽陵泉については古典でも「外廉陥中に在り」とされるだけで具体的な位置が分からなかったのですけど、腓骨頭の前縁で委員の意見が一致しました。
ビックリしたのは心包経の中衝で、ここは日本が他の井穴と同じ場所を主張して二論併記となっている箇所になります。他の経穴でも脉診で判断をする役割の委員は目で部位の確認をしていなかったものの、中衝は役割交代での移動も含めて晴眼者も最後まで目をつぶってのブラインドテストで確認すると全員一致で中指の先端だと判断しました。労宮と合わせて取穴書でも二論を収録はしてありますが、「お奨めはこっちですよ」と優先順位は書きました。三焦経の会宗のように、思考からの骨度を記載してしまうと逆に不正確となるので「小指伸筋腱を尺側へ乗り越えた陥凹部」と、連線の概念を応用して表現したものもあります。
部位を決定するのも文章化も難しかったのは小腸経でした。解剖学的肢位で取穴すれば赤白肉の間の求め方には問題があるもののそれほど混乱はないのに、臨床室では患者の手を体幹側へ持ってきて取穴をする人が大半ですから前腕が回内されるので注意書きを多くせざるを得ませんでした。特に議論となったのは養老で、手掌を下に向けて、指で尺骨頭の頂点を押さえ、その後胸に手掌を向けると、指が滑り込んだ骨の間の割れ目として取穴する方法は割と古くからあったようなのですが、背側頂点より橈側に来るので疑問符?前腕の動きが複雑であるための現象です。
腎経の湧泉は他の井穴とは違って大きく軽擦をしてから取穴することが可能なのですけど、古典には膀胱経至陰から湧泉に繋がる流注の記載があるというので試してみると、確かに軽擦をしてからの方が脉がよくなります。また湧泉・然谷・太渓・大鍾・水泉・照海・復溜と従来より腎経の流注が一部変更されたのですけど、湧泉の例に倣って太渓から大鍾へ・大鍾から水泉へと軽擦し他方が明らかに脉がよくなり全身の反応も良好です。さらに類推して、復溜は内果尖より上の高さからアキレス腱に沿って軽擦するとより脉がよくなりました。流注に従っての軽擦はやはり大切というよりも治療効果を大きく左右することが判明し、必ず流注に従った記述もするというコンセプトの正しさを実感しました。
「これでもか!」というくらい再発見のオンパレードの検証合宿でした。委員だけで小里方式での治療をしてみたり、他の人を連れてきてブラインドテストで取穴の再チェックをしたりなど、製作までのタイムリミットと費用が許すなら、三倍くらい合宿をやっていてもネタが尽きなかっただろうと思います。
文章化作業も並行して進めはじめたのですが、これが覚悟はしていたものの一朝一夕には進みません。本体作成のための作業の大半は文章化に費やされていたわけですけど、執筆を担当させてもらいましたが残業をして一日に一つか二つの経穴のサンプルを書き上げるのがやっとであり、チェックをする他の委員も飽きてしまうほど繰り返し読んでもらいました。解剖についての指摘も、非常に苦労しましたけど、綿密に調べてくれた委員の方がここはつらかったのではと思います。。そして指摘を受けて修正をして、またチェックがあって修正をして、編集作業というより修行という感じさえしていました。どれだけ書いては消してまた書いて、そして加筆をして削除して、また修正して。
メインとなる第3章については何度かのターニングポイントがありました。最初は親しみやすく誤解も少ないようにと口語体で記述を始めたのですけど賛否意見が分かれ、視野に入れていたDVD台本をということで作成することになり、もう一つ書記担当の委員にも文語体での作成をしてもらいました。そして紆余曲折があって合体をさせる形でどちらもの利点を取り入れた最終的な形態に変化させました。予想外の展開になったのが本音ですが、我々らしい表現にできたのではと思います。
DVDの撮影が年明けから開始されるのでそれまでに揺るがない土台部分だけは完成させるという制約があり、合体を決断してからの時間は二ヶ月ほどしかありません。口語体をベースにはしたものの作業は短時間で行わねばならず、形式の違うものを重ね合わせるのは最初から作り直すのに等しい労力を掛けたように疲れました。まだ光覚のある右目に巨大なめいぼができてしまい、途中で強制的な急用を取らざるを得ないくらいでしたから。お正月はインターネットが接続できない場所へ逃亡をしていました。
DVDについては文章がある程度出てこないとどうにも動けないので、検証合宿が終了してから具体的な計画をということになっていました。カメラリハーサルが最も大切だということは分かっていたのですけど、プロのカメラマンが撮影する市販レベルのものとなれば簡単ではありません。幸いにも委員の患者さんの中にプロダクションでビデオ製作のできる方がおられたので協力していただけることとなり、治療室が休みの日曜日に6週間ほど連続での撮影が行われていました。
DVDについては晴眼者の委員に任せるしかなかったので、撮影やその他の具体的なところについてはノータッチでやってもらったのですけど、騒音が入らないように本番では暖房を消して外の騒音がない時を見計らってと、とても大変だったようです。モデルとなった会員の女性陣も、ただ寝ているだけではなくこれも修行のようなところだったでしょう。
撮影されたものに間違いがないかのチェックもこれまた大変だったようで、仕事が終わってからスタッフ全員でチェックしたり個人個人で見てもらったりと、DVDをプレスして仕上げるのにタイムリミットが本体よりもずっと早くに設定されていたので、記念大会の準備も佳境に入っていたところと重なってこちらも体力の限界みたいだったようです。
DVDにはプロのカメラマンが必要だったのですが、漢方鍼医会には様々な人材がいたもので、現職のカメラマンを続けながら鍼灸師の免許を取得して入会してきた人がいました。もちろんすぐ委員に加わってもらいました。それから臨床取穴のナレーションを入れなければならないのですが、滑舌のいい女性陣をと探っていたなら、これまたプロのナレーターが会員の中にいたのです。
それでナレーションに吹き込んでもらうのに、臨床取穴はオリジナルの文章ですが標準部位は公式和訳ですから、引用の許諾を得ねばなりません。許諾を得るために文章化が始まった頃から打診をしてもらっていたのですけど、音沙汰がないどころか巨額を毎年支払い続けねばならないかも知れないという怪情報まで届きます。文章化のために最初から英文を独自に解釈することはしてもらっていたのですが、いっそのこと独自和訳なら著作権はクリアできるのではないかとWHOまでメールを出してもらい、一度はいい感触の返信がありました。それで標準部位を全て独自和訳に置き換えて編集を続けた時期がナレーション録音の頃であり、標準部位のナレーションがないのもそのためです。
一ヶ月後に二回目のナレーション録音が行われたのですが、独自和訳をはめ込んだので前回との整合性が取れているか、臨床取穴も表現を再度治さねばならない箇所はないかと、また時間と戦いながらの作業となりました。少し冷却期間があったことと独自和訳のおかげで、臨床取穴の文章も結構手を加えることとなり、タイムアップを迎えているのにまだメールが飛び交っていました。それから録音スタジオから確認の電話も。さすがはプロのナレーターですから、あの美声と読み上げの美しさは是非ともDVDをご覧ください。
独自和訳がその後どうなったかですが、最後は「公式訳の出ている言語は公式訳を使いなさい」というWHOからの返信がありました。これで本文へ掲載することは完全に無理となり、何らかの形で収録をしたかったのですが公式和訳が掲載されたので委員以外は見ることができなかった幻の標準部位となりました。しかし、独自和訳から出てきた多くのヒントは、英文解説だけでなく実践やまめ知識のあちこちに散りばめられています。
それから落としてはいけない話に、古典の独自読み下しがあります。古典は「十四経発揮」ですが、文章化に取りかかった時にデータがあったのではめ込んだのですけど、その訓読をどこから持ってきたのかがハッキリしていませんでした。もしかすると著作権に触れてしまうかも知れませんし、独自和訳の経験から独自解釈の意義は大きいということで、古典に強い会員の協力を得て独自読み下しが掲載されています。古典に強い会員も最終的には委員会へ入ってもらったのですが、細かな製作過程が伝わってきていないのですけど相当な時間と労力を費やしてくれていたことでしょう。
話が少し前後しますけど、許諾が得られないまま、また表現の手直し作業へと戻ることになりました。ここは第3章のことだけを書いてきましたけど、この間にも第1章・第2章・第4章の執筆作業も行われています。それから許諾が得られたとしての原稿が一通り揃ってから全体を整える作業もあったのですが、これも時間の制約がきつい状態でした。プロジェクトが始まった後から実は10周年記念大会が漢方鍼医会創設からは11年目に行われていたので、20周年記念大会の開催は一年前倒しにするという決定があり、全ての作業がきつくなっていたのでした。
、最終手段として第3章に標準部位を掲載しない形でも通じるものも製作したのですけど、幸いなことに校正作業目前になってようやくコンタクトが取れるようになり、使用量と合わせて許諾の得られる可能性が高くなってきました。実際に許諾が得られたのは校正作業もかなり進んだ段階になってからだったのですけど、胸をなで下ろすというのはこのようなことをいうのだと思いました。
以上、「要穴の臨床取穴法 〜漢方はり治療に用いる生きた経穴の取り方〜」の総まとめを、委員会に参加した一人として書いてみました。担当箇所に対する思い入れがありますので他の委員ならまた印象の違った報告となるでしょうけど、改訂版を出す時のための資料を意識して執筆をしたつもりです。それから何度か書きましたが、漢方鍼医会の取穴実技はバージョンアップされ、そして現在進行形です。この実技は私がプロジェクト参加を決めた時に期待していた結果を上回り、自分でも驚くほど漢方病理の考察と実技が完全一致となるケースが多く、それに伴い治療成績も向上しています。
まだ手にされていない方は一般販売されていますので、是非とも手元に置いて活用をしてください。