『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

第40回日本伝統鍼灸学会へ参加しての所管

 2012年10月27日(土曜日)から28日(日曜日)にかけて、日本伝統鍼灸学会の創立40周年記念学術大会に参加してきました。途中で何度か都合で参加できなかった年はあるのですけど11年連続での参加であり、通算すると15年は参加を続けています。
 今大会は40周年ということで総括の意味が大きく、特に第一日目は近年の焼き直しの印象がありました。ということですから、シンポジウムの結語でも「日本伝統鍼灸の確立はまだまだ」という状況なのでやや批判的な感想が多くなってしまいましたけど、今後への私なりの提案も書いてあります。

 まず招待講演の「鍼術・灸法の思想史的考察」、         京都大学人文科学研究所教授 武田 時昌先生のお話ですが、「へぇーっ、こんな先生が大学教授の中にもいたんだ」という漢字の、表現は悪いですが関西のおっちゃんが喋ってくれている雰囲気でした。
 昨年の『東京宣言2011』ですが、様々な項目に渡って言及し世界へ向けて初めてメッセージを出したという点では評価できると客観的には思うのですけど、伝統鍼灸の立場からすればディスポ鍼のことが書かれていたり西洋医学から目を向けて欲しいかのような中身を含んでいるので、政治でいわれる「弱腰外交」のような面が多くあるので個人的には納得をしていません。けれど鍼灸の部外者から見ると、「こんなにも素晴らしい日本文化を世界へ向けてアピールを始めたんだ!」という漢字に受け取られているみたいです。もちろんお一人の意見ですから世間の反応は様々なのでしょうけど、アピール文を考えた人たちからは「狙い通りだったぞ!」という手応えが確認されたでしょう。
 先生は鍼灸師ではなく臨床にも携わっておられないので、話そのものはとてもおもしろく聞かせて頂きました。中国や韓国は古典書物を世界文化遺産へどんどん登録して保護しているのに、日本はほとんどされておらず自国の文化をもっと誇りにして大切に育てていくべきというお話、もっともです。復興予算を被災地以外の自分の管轄下へ持ってくることばかり必死の役人さん、国の中に誇れるものがたくさんあるのですからそんなことに労力を費やさないでください。

 会長講演「現代における伝統鍼灸の立ち位置」で、日本伝統鍼灸学会会長の形井 秀一先生のご後援ですが、経絡治療の成立について知らなかった事実もあり歴史的な部分に興味ある話を聞くことができました。やはり鍼灸師は法律の分類では医療者としての位置にないこと、けれど国民の期待は大きくまた海外からの注目も高まっています。
 初の国際部企画「日本伝統鍼灸の国際化の可能性を探る」〜手始めに日本伝統鍼灸の世界での現状を認識しよう〜という公園ですけど、「医道の日本」や「鍼灸ジャーナル」で世界の情勢が時々報告されているのは読んでいましたけど、中国がビジネスとして輸出をしている中国針の光が薄れ始め、日本の鍼灸に目が向き始めているというと頃はとても嬉しかったですね。しかし、手放しで喜べないのは日本から英文での論文が出てこないきつい指摘も。

 特別講演「体表をみつめる伝統鍼灸」、−体表を診察・治療の場とする科学的根拠とは−、ということで      明治国際医療大学鍼灸学部健康・予防鍼灸学教室・同大学大学院鍼灸学研究科の矢野忠先生からの講演は、昨年の疲れ切っている時間帯に"矢野マジック"ですやすや眠らせてもらいましたからかなり警戒していたのですけど、今回は逆マジックで眠れませんでした(笑い、おっと失礼)。
 近年注目されている皮膚は露出した脳であるという研究成果を、鍼灸の立場からさらに掘り下げてデータも提示して頂いた内容は説得力がありました。ここに「ていしん」のことをもっと突っ込んで話していただければ、もっとのめり込めたのですけど・・・。それと漢方鍼医会20周年記念大会レポートその1、まずは客観的報告と全体的な裏話で報告しているように、山口先生のご講演を漢方鍼医会会員は先に聴いていたので驚きの部分はなく数値を客観的に聞くことができたのが眠らない要因だったかも知れませんね()再び失礼。

 シンポジウム「日本伝統鍼灸の確立に向けて」ということで、                小林 詔司  篠原・昭二・宮川浩也・戸ヶ崎正男・松田博公というそうそうたる先生方が壇上に並ばれ、舌戦を繰り広げられました。実行委員長の加賀谷雅彦先生が、シンポジウムではなく記念式典の時に話されていたのですけど「日本伝統鍼灸の確立」で名称を区切って欲しいと最初主張したがまだ荘は言えないと押し返されたらしく、確かに中身はまだ混沌としていて「日本の伝統鍼灸とはこれだ!」という姿にはほど遠いと感じました。
 臨床を通じて患者さんの病からの回復と健康増進が医療の目的なのですが、西洋医学とそれ以外の医療では随分と異なっていることは明白です。西洋医学では細胞レベルまで細かく分析し、それを再構築していくのですから手術という手段が発達し薬物投与によるコントロールという発想になるのですけど、これはこれで多くの昔なら困難だった症状から救える手段を提供してくれています。ただし、費用対効果という面ではどんどん効率が悪くなって、実は長寿をもたらしているのは西洋医学そのものではなく衛生面と食料によるところが遥かに大きいというのを見失っているのですけど。
 そして鍼灸ですが、日本には西洋医学をベースとしたもの・中医学をベースとしたもの・経絡治療をベースとしたものの大きく三つがあり、比率は前者の方が大きく経絡治療をベースにしたものはほんのわずかです。しかし、中医学が入ってきた頃と今では実践されている比率にほとんど差がなく、西洋医学ベースのものと混在させた折衷派がここ近年でもまた誕生してきているとのことです。そして経絡治療ベースの我々も中医学から理論を一部もらってきており、「折衷の文化」をいつの間にか行っていました。
 学会終了後に漢方鍼医会で勝手に反省会をしていたのですけど(夕食で飲んでいただけですね)、入会間もない人が半分だったので過去の大会で話されていたことを説明しながら話していると、実技を見てもそうですがこれだけ研修会があるということは「小異を捨てて大同団結する」ことそのものが困難なのではと改めて感じました。経絡治療ベースの枠組みを規定することは可能であり大切ですけど、それ以上をまとめることに何か意味があるのか?

 そして今回一番感じたこと、実技供覧「気と触診」です。首藤傳明(弦躋塾)、馬場道敬(経絡治療学会)、天満博(古典鍼灸研究会)、中田光亮(東洋はり医学会)、原オサム(積聚会)とそうそうたる先生方が実技を披露して頂きました。解説が多く参加していた学生を意識して噛み砕きすぎているくらいの印象はありましたけど、どの先生の技術も円熟されたものであり、不問診という言葉も目立ちました。
 しかし、見ていて思ったのです。壇上の先生方の技術は確かに素晴らしいが、それがきちんと継承されているのか?例えば太淵が多く使われていましたけど、あっちの先生とこっちの先生では取穴法がかなり異なっています。その先生が用いればそれは太淵であり、患者の変化も確かにでているのですけど、それが同じように後輩となる私たちが再現できるのでしょうか?
 ちょっと話が飛ぶようですが、それぞれの先生がされていた脉診はこれはハッキリと異なります。治療体系が違うのですから脉診での診察目的が違っているので、異なっていて当たり前なのです。ですから選経・選穴が異なる治療をされても、それは納得ができます。けれど脉診される時の指の圧力が全く違うのに、「浮脈はこうです」「陰経がこうなりました」と説明されても、それは客観的な診察をしているとはとても言えない。要するに自分がしている脉診に対して、その脉が変化するように取穴をして鍼をしている、円熟された先生方はそれでいいのですが軽傷ができるのでしょうか?
 脉診で唯一共通して話ができるのは、遅数です。これは動かしようがありません。浮沈についてですが、ここに菽法脉診の概念を持ち込めば三菽が浮の基準線であり、十五菽が沈の基準線となるので、遅数と浮沈が共通していれば相当に話が噛み合ってくるはずなのですけど、問題はその研修会の治療体系の中へ取り入れてもらえるかです。
 そこで見ていて取穴はどの研修会でも共通できることなのですから、伝統鍼灸学会として取穴実技を実施すればと思ったのです。まず幹部の先生たちで実技をしてもらい、それを指導者クラスの先生たちと共通認識の実技をして、さらには末端の学生も含めた人たちと共有していく。年に一度の学会ですから、学会参加をすることで研ぎすまされた取穴実技を個人が身につけることはできないのですけど、何年も何年も掛かってしまうでしょうけど、取穴実技が繰り返されれば自ずと用い方に共通点が出てくると思われますし、日本伝統鍼灸の枠組みというのも自ずとでてくるのでは?

 WHO標準経穴が2006年に決定され、2012年の第20回国家試験で標準経穴での教育を受けた鍼灸師が既に誕生しているのですから、古くからの免許取得者もこれを踏まえなくてはならないのに現状はほとんど無関心です。伝統新旧の先生方は、己の指の下に感じる感覚で治療をして実際に効果を出されていますから、余計に無関心です。まぁ西洋医学ベースの人たちは、元々経穴が治療ポイントの「目安」くらいですから、標準経穴があってもなかっても構わないのかも知れませんけど、それでは鍼灸という道具の真の実力を発揮させることはできません。
  漢方鍼医会では、「要穴の臨床取穴法」という本を2012年の夏に出しました。WHO標準経穴を基準線に「生きて働いているツボ」を五回にわたる合宿で検証し、DVDとともに指の動かせる文章を作り上げました。この「取穴書」を使って実技をするようになってから、一つの経穴で「これだけ動くのか」と思えるほど全身の動く経験をするようになっています。逆に言えば今までも経穴は捉えられていたのでしょうけど、より的確に捉えられるようになったので全身が動いてくれるのだと思います。
 もっと書けば的確に捉え切れていなかったために脉を整えようと次の経穴を探ってしまい、私の場合ですけど結果的に理論との合致に目をつぶって凸凹を調整する治療を続けてきてしまいました。菽法脉診を取り入れるようになり病理考察からの証決定で本治法の鍼数は三本程度に減らせてきていたのですけど、それでも二本目・三本目になると病理考察にその必要性があるのか疑問を持ちながら鍼をしていました。ていしんを試作中(その9)、適切な衛気・営気の手法についての中でも腹部を用いての臨床的手法修練について書きましたが、常に手法のチェックもしているのに疑問を持ちながらの治療もあったわけです。円熟された先生方は、きっと指が吸い付くように経穴を捉えられているから(強引に引き寄せているという説もありますが)、一つの経穴に一本の鍼で大きな効果を出されているのだと今まで実技を拝見させてもらっていましたし、今回もそのように見えました。しかし、名人技を研修会は目指してはいないので、少なくとも私はそうは思っていないので「取穴書」が必要だったのです。訓練法まで練り出されてくるとはボーナスをもらい、名人でなくても病理考察と合致した一本だけの本治法が臨床では多くなってきました。もちろん二本目・三本目が必要な時には、病理考察もそのように考えられるなら躊躇なく行っています。
 シンポジウムの最後で意見を述べさせてもらったのですが、真正面から話してしまうと全ての研修会にけんかを売ってしまうのでトーンダウンさせた発言にはなりましたが、絶対に必要な取穴の実技をすれば基準線が整うという主張なのです。我々は既にそれを実践し、半年経過していませんが会員の臨床は着実に変化をしています。

 数年前の学会の帰り道に話していたのですけど、今の執行部の先生方がお元気なうちは安定して継続開催されるでしょうが、代替わりをした時に日本伝統鍼灸学会は存続できるのか?末端会員の戯言ですけど、かなり不安を感じています。
 日本伝統鍼灸の確立も含めて、学会ではありますけど公開実技から一歩踏み込んで参加実技が取り入れられたならと強く感じた大会参加でした。