『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

子供の頃のお駄賃からの教訓

 今回は文章の組み立てをする前にキーを叩き始めましたから、ちょっとまとまらないエントリーになってしまうことご容赦ください。

 前回助手修行について思うことで、私が鍼灸師として一本立ちできたのは修行があってのことだとその一端を書いてみました。それで現状、新年度からの補充の助手に応募がありません。ど田舎ではありませんけど都会からは少し離れていることと、冬場には積雪で交通事情の悪くなることが必ずあること、そして経絡治療というメジャーではない治療法専門であることを差し引いても、我ながら不思議な状況です。
 しかし、座して待つのみでは何も事態は動かないので、雑誌への広告掲載は行うこととしました。十数年前に一度利用したことがあるのですけど、それなりに反響があり数年経過してもまだ問い合わせがあったので資料請求をしたのですが、ショッキングな返信が・・・。「十数年前であれば一番小さな枠ででも掲載されると何らかの反響があった時代なのですけど、今は思うような反響にはならないことをお伝えしておきます」ということだったのです。

 鍼灸師規制緩和前の2.5倍も毎年排出されてきているのに、しかも盲学校など視覚障害者の受験は減っているのですから、町並みからも爆発的に開業が増えているとはどう見ても考えられないのですけど、学生が卒業後には何をしているのでしょう?昨年に学校から調査に来られた職員さん、「学生から強く調査希望があるのは本当に鍼灸に携わらせてもらえるのか?鍼灸のみの仕事なのか?」ということだったのですけど、「なんとか鍼灸院」や「鍼灸なんとか院」というところでは資格もないのにマッサージをさせられるか鍼灸であっても決められたことのみ行えるというスタイルだということバレバレなのに、何も足かせのない身軽なうちに何故自分が理想とするスタイルを追求していこうとしないのか?不思議でなりません。

 過去にこんなことがありました。家は徒歩で充分に通える距離なのですが、アルバイトでもいいから募集はないかと待合室まで直接話を持ちかけてこられたことがあるのです。その時は年度途中であり次も決まっていたのですけど、それとは全く関係なしに研修会へ参加することを奨めました。治療法も分からず納得もしていない間から、「ここのやり方でやってみたい」というのは単に無職から脱出したいというだけの話ですよね。それでその人、話を持ちかけられるたびに参加を促したのですが研修会には一度も顔を出さなかったのですから、治療法などどうでもよかったということです。
 また、こんなケースもありました。卒業後は遠方の大きなチェーン店で働き、予定の年月が来たので夢だった一人旅をオートバイで実行して再び働こうということで出身校の求人票を見てやってきました。ところが、脉診の意味は分からなくても腹部や肩上部が緩むのは素人が触っても分かりそうなものなのに全く変化が分からないというのです。見学へ入る前の話で感覚訓練は一からやらなければ厳しいだろうという話はしておいたのですけど、仕事は次々に回ってきていましたから今までの技術が通用すると思っていたようなのです。治療方針を尋ねても症状に対する模範解答を戻すだけで、患者さんの状態など全く診察をしていません。それなりに繰り返しの指名があったというので、これがチェーン店の料金体系であり技術だということ、改めて知りました。

 そして今朝の息子の行動で、西洋医学には属さない鍼灸を含めた医療の状態に酷似しているのではないかという引っかかるものがありました。ここからはかなり皮肉を込めての記述となります。
 幼稚園のもうすぐ年長さんになる長男は、クレーンゲームが大好きなので100円玉を簡単に欲しがりますから、貯金箱を与えてお金がどれだけ大切なものかを教え始めました。最初のうちは何かあると10円ずつ上げていたのですがお金を稼ぐということが大変なことだということを教えるために、お手伝いの中でも時間の掛かるものにはお駄賃を上げることにしたなら、自分の貯金で一読レーンゲームをしたのですけど、そこからは自分の貯金からはクレーンゲームはしなくなりました。ゲームは一瞬で貯めてきたものが煙のように消えてしまうので、大好きなクレーンゲームですけど時間的にも物理的にも心を満足させられるほど費用対効果はなかったこと、そのむなしさに気付いてくれたようです。ゲームというものが・クレーンゲームそのものが悪いのではないのですが少ない収入からの投資としては満足感に見合わないということであり、時々はジュースを買っていますけど、これには納得しているようです。
 それでお金も徐々に貯まって500円玉が貯金箱の中へ入った頃から、一気に大金持ちになりたいという欲求がでてきて、これも普通だと思います。けれど問題はここからです。稼げる手段はお手伝いしかないのですから、自分であれこれとできることを探しては申し込んでくるのですけど、その一つにお父さんの背中を踏むというのがあります。本当に楽になるのですから立派なお手伝いであり、大人の方から頼めば何も問題はないのですけど、頼んでもいないのに踏ませろと言い出してきます。それも時間単位でお駄賃の額が決まっているので、できるはずのない一時間近くを踏ませろといって、「今日は背中は大丈夫だから」と断ると怒ってしまいます。「お手伝いなら3分間を無料でどうだ」と持ちかけると、機嫌まで悪くなってしまいます。まぁ子供の頃には何人かに一人はこんなことをしているので、長男の行動そのものには何も思っていないのですが・・・。

 それで、この親切の押し売りのようなこと、引っかかりますよね。背中を踏むといっても長男なりに工夫をしているつもりでも客観的には大した技術ではないのに、報酬だけはできる限り短時間で大量に求めたがる。どうです?ここから先は身内の恥にもなるので書かなくても、文章の流れから何をいいたいのかは分かってもらえるはずです。
 現代の経済状況は厳しく、先立つものが少しはなければすぐ行き詰まってしまいます。でも、それで技術とは呼べない拙劣なことしかしていないのに素人からは分からないからと詐欺のようなことをしてもいいのか?目先の収入のためなら、将来へつながる技術が得られなくてもいいのか?子供の頃に経験したお駄賃の話で教訓を得ている人は多いはずなのに、子供と全く同じことをしているかそれ以下の行動になっている。
 鍼灸術のことを「ハンドワークアート」と表現した人がいます。手の芸術ということですね。私には美術のセンスはないですけど、技術を守ろうという精神力はあります。自分だけは最高の技術を磨き続け、それで患者さんと幸せを分かち続けたいという夢を追い続けます。治療室を回していくのに危険性は伴いますけど、人材については妥協をしないと今朝のことから改めて決心しました。