『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

レポート、『2日間の見学を終えて思う。』

 今回のエントリーは、前回客観的事実から脉診の訓練をでで予告しておいたとおり、オランダから見学に来られた方のレポートを、無修正で掲載します。
 ただし、"道具である「鍼」を通じて軽擦する手法は"などのように、ていしんで軽擦するという表現が何度か出てくるのですけど、軽擦は手のみで行っており決して鍼を患者さんの皮膚でこするようなことは臨床ではしていません。もう少し書けば軽擦は押し手で行うものであり、鍼は刺し手でもっているものですから鍼で軽擦することはあり得ません。刺さない鍼ですから中医学の手法とは全く異なっているので、そのような錯覚をされたのかも知れません。
 それでは、ここからレポートです。


2日間の見学を終えて思う。


 欧州で中医学鍼灸を学ぶ私にとって、二木先生への訪問は、文化の違う外国を初めて訪問したような感覚だった。
 "YES"-"NO"をはっきり表現する西洋文化にとって、理解しがたい用語で曖昧さを表現する東洋理論はそれだけでも東西のカルチャーショックになる。
 日本で生まれ育った私は日本語の参考書などもかなり読めるので多少理解度は早いが、日本に暮らしていた時期には全く触れなかった学問であり、日本を離れて長いこともあるのでクラスメイトと同じような思考回路もある。そこで今回の見学は東西のカルチャーショックと同時に鍼治療の中のカルチャーショックの2つを受けた。

 二木先生を知りえたのはインターネットである。当初の検索用語は「自律神経」だったと思う。そして興味は「刺さない鍼治療」へと移る。
 近年の医療の行きづまりは全世界で進んでいて欧州でも例外ではない。何かあれば痛み止めなどでその場しのぎ的な医療はこの先明るくはない。急ピッチで進んでいる全世界の人々が繋がれるネットワーク環境が今まで知りえなかった情報を容易に手にすることができ、医療界にも大きな異変がある。地球の反対側から二木先生のサイトを読み興味を持つのは私だけではないと思うが、日本の言語が大きな障害になることは拒めない。日本語の難しさがある為に、日本人を除く世界の人々にとって日本という国は未知の部分が多い国に映る。その日本で刺さない鍼を実践している二木先生はなんだか大変珍しい人物に思えたのが訪問理由の1番目であり、患者向けではなく施術者へのかなり有意義で突っ込んだメッセージをサイトで惜しみなく掲げている点が2番目の理由である。

 欧州では鍼治療なんて野蛮極まりないという人が未だに大半である。一方で長年苦しんでいる病状が鍼灸、漢方、指圧、気功をはじめとする「東洋医術」で治った経験が浸透してきているのも事実である。情報と経験値が少しずつ社会に浸透しているし、移住する民族も近年特に中華系が飛躍的に増えて、一挙に東洋文化ブームが再来した感じがある。
 ここオランダでも鍼灸を学ぶ人が飛躍的に増えて、私の学ぶ中医学校では以前は15人前後のクラスが今では30人になっている。鍼灸学を3年、基礎西洋医学を2年学ぶ単位構成。クラスメイトは100%社会人で年齢も30歳過が平均。男女比は3:7である。人種は様々で、中医学講師は全て中国人。基本言語は英語を適用しており、オランダ人も学内では英語を使用しなくてはいけない。

 刺さらない鍼「てい鍼」は思いのほか小さく、鍼である限り多少は圧をかけるものと思いきや、二木先生の手はその反対でまさに軽擦の治療である。
 「てい鍼」はそのものが体内に入らず、しかも肌に触れる程度の刺激量だ。これは中医学鍼灸の刺激量からすれば比べ物にならないほど微量である。

 二木先生は手始めに手による軽擦によって経絡が変化し、それが脈に反映されることを実際に見せてくれた。私も指圧を通じていろいろな手技を見ており、ある程度理解できるが、脈の変化を確認する事は今までしたことはなかった。なぜなら中医学の臨床で、施術前の脈は取るが施術後に脈を取ることはほとんど無い。これこそ日本鍼灸との相違点の一つで、軽擦―脈変化確認のプロセスはカルチャーショックだ。
 素手で行う軽擦であれば、術者の気の力と経穴の部位でかなり影響するのはうなずける。
 しかし道具である「鍼」を通じて軽擦する手法は、またもやカルチャーショックである。中医学で「得気」の意味をさんざん教わった私には見ている限り「これで効いているのか??」が本音である。なぜなら刺激量があまりにも微量に見えるからだ。
 腑に落ちない私を察して、二木先生は時間を割いて私に施術をしてくれた。その時の感覚は今もはっきり覚えている。
 「てい鍼」による軽擦でしっかりと「得気」が感じられたのだ。しかもかなり響く。
 そして心地よい。これにはびっくり。そのままウトウトした。
 軽擦によって経絡に変化が起きることは理解できるが、てい鍼という道具の軽擦でも十分に変化が起きることが体験できた。しかしこれは二木先生の手だからということも考えられるが、いずれにしてもてい鍼で得気が感じられたのは事実。
 患者さんの中には少し重い症状の感じの人ほどイビキをかいていたのが印象的だ。ここで自然治癒の回復が見込まれるのには全く同感する。

 二木先生が論じる脈診については、あまりにも深すぎるので今回の感想にはできない。私の習う中医学校でも脈診、舌診を行うが余りにも違いが大きすぎ、先ずは自分の学業を修了する必要がある。先生の話される脈診は別の学問といっても過言ではないし、今後の新たな課題になる。

 笑い話みたいだが、英語で脈象を習っているので、英単語から日本語に再度訳した「薄い脈」という表現が二木先生に通じない事も起きた。私はいわゆる「細脈」と表現したかったのだが英語表現ではTinと表現するため、直訳で「薄い」と表現。日本の脈象を覚えていないのが一発でばれてしまった。
 例えば三焦のことをWHO定義はTriple Energizerであるが、学校ではSANJAOと教わり、中国発音や英語表現、ましてオランダ人同士ではオランダ語表現のちゃんぽん文化なので、この辺りは東西のカルチャーショックで理解して頂きたい。もちろん経穴名は番号が基準だが高学年になると中国名が頻繁に使われる。特に奇穴はややこしい。
 ちなみに患者も人種雑多でその文化や環境を理解していないと治療方針にも影響が出る。

 2日間で学んだ事は、この世には全く別の考え方や方法が存在し、自分が何を選択してどう活用していくかを改めて実感した。鍼の世界でもここまで違うのである。
 まさに外国を訪れた感覚で、その国の文化、習慣をどこまで追及していくかは、再びゼロからスタートすることでもある。
 てい鍼治療の追及は再訪問する必要もあり単純には行かないが、各国へ広めるに十分値するものであるし、その根底にある脈診術はさらに奥が深い医術である。今は日本以外での習得はかなり制約あるのが現状だ。
 将来は情報を言語の壁無しに共有できる日が来るのは間違いないし、技術の共有も可能になるだろう。しかし最後はその人の器量に依存されるものであり、そのためには異文化の人間が学ぶプロセスの中でどうしたら効率よく学べるかも重要な鍵の一つになる。
 西洋文化での中医学の浸透をみるとその点は良くわかる。本物の中医学はどうかは私には解らないが、少なくとも合理的な西洋文化に受け入れられるような教育システムを構築している。日本の鍼灸技術は高度なものであるにも関わらず、ほとんど知られていないのはその差が大きい。
 欧州の鍼灸師も個々のレベルが著しく、臨床に強い人や理論に長けている人など何が良いとは一言では表現できない。しかし結局は目の前の患者を楽にする事が治療師である基本には変わりないし、出来なければ意味がない。
 手法は絶えず変化していくし、多様で全く問題ないように思う。ただ一つだけ、そのための土台作りには手抜きはできない。

 二木先生を知り得たことは大草原の中で一粒の種を見つけたようなものかもしれない。
 貴重な見学はもとより、二木先生の手を実感できた事に感謝いたします。
 また気遣い頂いたアシスタントさんにも感謝いたします。
 ありがとうございました。
 オランダの見学生。