『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

多様性は宝、第41回日本伝統鍼灸学会へ参加して

 【テーマ】日本伝統鍼灸における経絡の意義 −日本伝統鍼灸の確立に向けて− ということで、2013年9月28日(土曜日)から29日(日曜日)にかけて、第41回日本伝統鍼灸学会京都大会が開催されましたので、毎年参加をしてきているので今年も参加してきました。

 まず今年の大会の率直な印象として、「内容が多岐に渡り非常におもしろかった大会だった」と感じました。一言で『鍼灸』といっても中医学を中心としたもの・西洋医学を基準としたもの・いわゆる経絡治療をベースとしたものと大きく分けられるのですが、"伝統鍼灸"というくくりにした時には経絡治療をベースとしたものであるべきと個人的には捉えてきました。そして経絡治療がベースであるなら、それらはやがて統一されるべきだろうという風にも。しかし、今回の大会で「多様性はそのものが鍼灸の宝である」という言葉に、やっと納得をしました。
 特に第一日目の教育後縁、「穴法図と経絡図のイコノロジー  −実践と教養の双系性−」という演題で長野仁先生のお話を聞いて、それまでも森ノ宮医療学園のミュージアム鍼灸に関する資料を収集し歴史的考察が進められていることは知っていたのですが、ここまで詳細に過去のことが分かってきているのかというのは本当に驚きでした。そして日本における鍼灸の歴史を解説して頂いたわけですが、いくつもの流派が誕生しては統合され、あるいはどこかへ没してしまい、または過去の研究が復活されて新たに活用されているなどを知ると、多様性があったからこそ鍼灸術というものが発展をしてきたのであり、鍼灸という道具が多様性を認める素晴らしいものだったということを改めて認識しました。スライドが私には見えないので一部話が混乱した部分があるのですけど、見えていた人には、本当に引き込まれるような一時間半だったろうと思います。

 北辰会の藤本蓮風先生による講義は何度も聞かせて頂いたことがあるのですが、特別講演「鍼狂人 藤本蓮風が臓腑経絡を語る」の話は、途中にご自身の娘さんを悪性リンパ腫で亡くされたという話が衝撃的でした。しかし、それをバネにその後何人かの悪性リンパ腫を完治させたというところに藤本先生のすごさがあり、医療陣のあるべき姿の一つを見せてもらったと感激しました。
 今回は大阪大会で聞いた舌診の話とはひと味違っており、どのようにすれば藤本先生の域に達することが出来るかを教えてもらったので実技も北辰会を見学させてもらいました。北辰会の実技も何度かは見学しているのですけど、あれだけ問診を長時間やって一本のみの施術で患者さんには帰ってもらうというスタイルが私には真似できないものの、一本のみというのにはやはり魅力がありますね。実際に私も最近の本治法は一本のみで終わることが珍しくありませんし。

 二日目のシンポジウム「日本伝統鍼灸における経絡の臨床的意義」は、その前の会頭講演「鍼灸臨床に不可欠な経絡に関する知見 − 経筋研究から見えてきたこと −」との合わせ技だったのですが、我々が普段メインで扱っている十二経絡の変動を脉診を中心に四診法で判断して治療しているスタイルには、もっと深い部分で経絡が立体交差していることと横の連絡があることをそれぞれの先生が強調されていました。このこと自体は当たり前のことで、悪い表現ですけど"今さら"というところなのですが、逆手に考えればそれだけ標治法にも気を配っておかねば片手落ちになるということであり邪正論での治療を最近の漢方鍼医会はクローズアップしているのですけど、邪正論で診察し治療をしても標治法は必要なものだという確信が持てたことは臭覚でした。
 業者点字は一日目で回ってしまいましたから、二日目のお昼にランチョンセミナー「お灸女子を広めよう〜人と人をつなげる鍼灸を目指して〜」というのにも助手に誘われて参加してみました。豪華なお弁当が無料でもらえたのがラッキーでしたけど、企業の宣伝枠ですから美味しい話が羅列されているものでしたね。これも時代の流れの一つなんだなぁと感じました。
 午後一番の国際情勢「鍼灸に関する国際情勢とこれから」は、「2011東京宣言」や昨年の大会で聞いたことに新たな情報が追加されてきたのですけど、日本という国は自ら「こんなに素晴らしいものを」という技術やアイデアを民間が盛りだくさんに持っているのに活用しようともしない、非効率的な運営しかできない国だと改めて思いました。まぁその非効率さに抵抗をしているから、技術力が高まるという点はありますけど・・・。そして国際情勢の報告を聞く度に、中国という国の強引というよりも傲慢さにも驚かされるのであります。今さらながら、「ていしん」との違いを確認するために中国で中医学の治療を実際に受けてみたいですね。
 そして最後の特別研究2「病体に応じて発現する経絡・強力反応点 −始原東洋医学の立場から−」というのは、色々とおもしろい報告があり知っている名前がいくつもでてきて嬉しいところもあった反面、「そんなことあるんかいな」と今までの経絡に対する認識と全く違ったことが最後はオンパレードになっていたので、超能力の世界に聞こえてきました。鍼灸漢方医学の一つであり、世界三大伝統医療の中でも突出して知られていて世界中に広がっているものなのですけど、私は客観的な歴史から「経絡を効率的に運用するために開発された道具が鍼灸である」と語ってきたのですが、その経絡そのものが時々によって全く変わってしまうといわれてはかなり困りましたね。もっともその流派も道具としては鍼灸を用いるのであり、発見された先生も鍼灸という道具を扱うことからそのようなことを発見されたのですから、やはり「卵が先か鶏が先か」の議論をしているようにも聞き終わってからは思えました。

 今回最も心に響き反省してすぐ実践していることは、五行穴・五要穴を全て触診するということをおろそかにしていた点です。指先ではなく手掌そのもので大きくざっと触ることを明くる日から取り入れているのですけど、これだけでも脉診では捉えられていなかった経絡の変動を察知し、証決定を変更したものがありました。必要に応じて経穴そのものの触診も加えていますが、今はざっと大きく全てを触ることに重点を置いています。
 病理考察に基づく証決定が一番大切であり、最近では気血津液論だけでなく邪正論からのアプローチも加わっているのでバリエーションがさらに多くなり、我ながら守備範囲が広がり確かに今まで苦労していた症例で楽ニチユに結びつけられるものが増えています。けれど落とし穴は必ずあるもので、広がった守備範囲の分だけポテンヒットを与えてしまう確率も幾分かは上昇しており、それはパターンへはめ込もうとするところでした。
 これを防止するにはやはり触診をすることであり、頭の中で描きつつある病理考察と実際に各経絡に触れての反応が違っていることが多かったことに、正直なところ最初は愕然としました。治療室で患者さんが治っていくのですから、「この症例はこのパターンが気安い」と病理考察が強引になっていることが私の悪い癖であり、研修会でじっくり時間を掛けて診察したりいくつもの班を巡回させてもらうなどで付きに一度は修正をしているものの、時間の限られている治療室ではまた悪い癖に戻ってしまいます。頭の暴走を制御できるのは手であり、手の動きを制御するのは頭ですから、体表観察の中で五行穴・五要穴を一通り触るということはどちらにも大切なことでした。といっても、一週間である程度の法則性を発見しつつあるので、また悪い癖の中へ入ってしまわねばいいのですが。

 医療関係雑誌には目を通していても、一つの研修会に所属して話を聞いていると、マインドコントロールではありませんがそれだけで鍼灸の世界のほとんどが見えているような錯覚に陥ります。ある意味では治療技術のために仕方のないことなのですけど、わざわざ自分で自分の領域を狭くするというのは違うと思います。たまたま発表をしないかということで参加した伝統鍼灸学会で、盲学校の純粋培養で育った高校生まで「障害者のほとんどは視覚障害者じゃないのか」と錯覚していたことと同じ間違いに気付き、毎年参加するようになりました。そして五行穴・五要穴を全て触るということにも目を開かせてもらうと、「鍼灸というものが多様性を持っていることこそ宝である」ということに、納得をしたのでした。
 いえ、経絡治療においてはどこかが抜け出し(もちろん漢方鍼医会がその役目を果たすべきと思っていますが)、治療法の勢力図を世界レベルで塗り替えて行かねばならないと今でも思っています。多様性は宝であっても宝の持ち腐れにならないように、経絡治療の流派は数本に集約されるべきでありそうすれば治療法の勢力図が塗り替えられるだろうと改めて強く感じたと宣言しても構いません。
 その一つのステップとして、来年に滋賀漢方鍼医会が担当する漢方鍼医会夏季学術研修会の学術校正に携わっています。今回は実行委員長をサポートする役割ですけど、学術構築のためには上下関係などないのですから伝統鍼灸学会で得られた膨大な情報も生かしつつ、基礎修練を中心にさらにいいものを目指していきます。