『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

ていしんを試作中、45mmの二代目誕生まで

 久しぶりに「二木式ていしん」の改良話と、その使い方についての話題です。

 まだ"二木式ていしん"という名前もなく、試作品の第一弾がやっと出来上がってきたていしんを試作中(その2)、森本ていしんからオリジナルへの段階で既に公表しているのですけど、二木式ていしんの最大の特徴と狙いは刺し手の示指を真っ直ぐ延ばせるようにすることです。
 まだ学生で経絡治療の外観くらいしか理解できていなかったのですけど、初めて経絡治療家の鍼灸院を見学させてもらえるラッキーに巡り会いました。そして、その当時に流行っていた八部長柄という毫鍼を触らせてもらったのですけど衝撃が走りました。示指がピンと伸びるのです。
 この持ちやすさはなんなんだ!!!」という感じであり、無理を言って数本ですけどその場で転売をしてもらいました。もちろん基本刺鍼の練習を夢中になって繰り返しましたし、またまた無理を言って見学期間が終わる直前に20本ほど分けてもらいました。
 この長柄鍼というのは経絡治療創設者の一人である井上恵理先生がまさに「示指を伸ばしやすいように」と龍頭を二分長くするという発想をして製作されていたものです。最初は単純に龍頭を長くする形で製作されていたと聞きますが、一寸の鍼が一寸二分になっていたり寸三の長さに合わせる形にはなっていたようですが、本治法を行うには一寸がちょうど持ちやすい長さだという意見が多く、鍼体の方を二分短くして一寸と全く同じ長さに整えたものが八部長平という鍼だったのです。
 鍼体が八部ということは細い毫鍼で経穴へピタリと当てるのには狙いやすいのですけど、その分毫鍼のいいところである"しなり"がほとんどなくなってしまうので初心者にはお勧めできないというのが周囲の先輩たちでしたが、基本刺鍼の状況を見て追加で転売してもらえたのだろうと今は勝手に解釈しています。ちなみに鍼体が短いということは身体への影響が大きい、つまり豆電球でも目にくっつけるようにして光らせればまぶしいのと同じで、太い毫鍼を使っているのと同じことになりますから、1番や0番という学生は触ったこともない細さではありました。

 私の学生時代はまだ銀鍼を用いていた頃であり、アルコール消毒のみで複数の人へ刺鍼をしていたという頃です。いかに鍼を曲げずに長生きさせられるかがお金のない学生にとっては大切なところであり、クラスメートとの技術競争の目安であり、今のようにいきなりディスポのステンレス鍼を持つよりも刺鍼技術を育てるという点ではよかったと思います。鍼灸師には外科的な腕が必ず要求されるのですから、できれば最初は銀鍼を用いて事故修練の形で刺鍼技術を磨くのがいいですね。
 でも、最初に教えてもらったのは圧進という鍼体を拇指と示指で挟んで押し込んでいくという柔らかな銀鍼に適したやり方だったのですけど、私は苦手でした。次に教えてもらったのが、回旋という龍頭を持って45度ずつくらい左右に回しながら深く刺入していくという方法です。これは柔らかい銀鍼だと龍頭の側で曲げてしまう可能性があるので苦戦しているクラスメートの方が多かったのですけど、私にはこちらの方が会っていて龍頭の持ち方についてはこのあたりからこだわりが生まれていました。
 管鍼術だと切皮後に鍼管は邪魔にならないように薬指と小指の付け根に挟んだままにするのですけど、手法が回旋だと刺し手が安定していなければならず無意識のうちにそのようにしていたのですが、中指を延ばして刺し手全体を支えることが大切だと意識するようになりました。刺し手は中指・薬指・小指の残り三本がうまく使えているかどうかで手法全体の善し悪しが決まることを、この点から学んだように思います。押し手の残り三本の重要性については、ずっと後にならないと気付かないのではありますが・・・。
 こういう学生でしたから、長柄鍼によって示指が真っ直ぐに伸びて長さもちょうどいいというのは、己の未熟さを知るのと同時にこれからの勉強がわくわくしてくるのをハッキリと覚えています。そして鍼先と示指の方向が一致することにより、未熟だった本治法でもしっかり脉が動かせたのは天にも昇るような感動をしたものです。開業してからもずっと、ていしんのみに変更するまでは長柄鍼を愛用させてもらいました。

 毫鍼から全面的に“ていしん”へ切り替えたきっかけについては若葉マーク鍼灸師に贈る私の思い出の症例 刺してもダメなら触れてみなを参照して頂くとして、“森本式ていしん”を紹介してもらった時にも、長柄鍼と同じくらいの感動をしました。段差が付けてある龍頭に相当する部分が、長柄鍼のそれよりもさらに長くなっているのです。ということは、示指を鍼体へ沿わせられる部分がさらに長くできるのです。それだけ気が送りやすいのであり、衛気と営気の手法の区別がさらにしやすくなりました。「ていしんで陰実の処理ができるのか?」という質問を繰り返し受けていたこと、今では懐かしい話です。
 ところが“森本式ていしん”が悪いのではなく森本先生の手に合わせたデザインなので発生してきたことなのですけど、転換手法をしていると鍼体が回ってしまうという悪い癖が私にはありました。手法の途中で鍼体が予期せず動いてしまうというのは、当然あまりいい結果にはつながりません。しかし“森本式ていしん”の細さだと、私の指の形状では強く握らないとどうしても鍼体が指の間で滑ってしまうのです。
 そこで思いついたのが転換手法をしても指の間で滑らない太さにすることであり、「どうせなら示指を伸ばすことにこだわってきたのだから鍼体に平面があれば」ということです。平面を作るためには太さが必然になってくるので、二つの目的でオリジナルデザインの抗争を始めて、その他のことについては前述のシリーズの中で詳述しています。

 こうして試作を繰り返して“二木式ていしん”を作りました。自らの手に合わせてのデザインですから、自画自賛の言葉は不要でしょう。
 そして私以外の人も“二木式ていしん”を手にしてもらえるようになったのですが、ここでまた予期せぬ問題が突きつけられてきました。伝統鍼灸学会で出会った先生から「写真で見ているけどもっと具体的に持ち方を教えてください」と頼まれたのですが、思い切り強く握りしめられているのです。「このていしんは実に握りやすい」とその先生は評価してもらっていたのですが、示指を伸ばすための平面であって握るという発想は全くしていなかったのです。
 ていしんの「堤」のつちへんが金になっているという文字は「当てる」「触る」という意味で、接触した皮膚面が凹むようでは意味をなさないという話を聞いたことがあるのですが、押しつけるような用い方では衛気だけでなく営気の手法でさえ気を動かすことはできません。方向を反対にして邪を払うという押しつけるやり方はあるものの、接触が基本ですから握ってはいけないのです。鍼は指の延長なのですから、「つまむ」ことはもちろん「握る」「握りしめる」は論外です。指の間に「挟む」、あるいは指の間で持つという感覚なのです。

 全くの想定外だったとはいえ、デザインをした私にも正しい持ち方が伝え切れていない責任はありますから、対処法を考案せねばと思いました。とはいえ、既に手にしている先生方に返却してくれとは言えませんし、もうそれなりの臨床スタイルにもなっていることでしょうから、「力の入らないようにはできないか」という発想をしてみました。
 “二木式ていしん”は“森本式ていしん”を改良させてもらったものですから、初代は長さが寸三と同じ55mmです。実は長さについてはあまり考慮していなかったというか、持ちやすさと素早く動かせるという点で一回目の試作品から納得できたので、それ以上突っ込むところがなかったのです。
 いえ、実は長さを小さくしてもう少し工夫を加えようとしていた小児鍼用の“二木式ていしん”を最初は同時に作ろうとしていました。ところが、一回だけ製作してもらった試作品での30mmというサイズはあまりに小さすぎてポケットの中でさえ迷子になってしまいそうであり、、55mmのものをひっくり返して太い方を用いればそのまま小児鍼用として使えることが分かり、途中で中止しているお蔵入りの企画があったのです。
 このお蔵入りの企画を思い出し、確かに本治法をするにはうまく持てなかったことから中間の長さのものだとどうなるかとまた試作品を依頼しました。一寸と同じになる45mmとしました。デザインは初代のものを比率を変えずにそのまま小さくさせました。

 さて出来上がってきたものを手にすると、わずか10mm短いだけなのにとても小さく感じます。55mmから30mmだと25mmの違いがありますから短いと感じても当然なのですが、10mmの違いがこれほどとは想像もしていませんでした。そして握りというか示指を伸ばして持った感触なのですけど、確かに初代55mmより簡単には力が入りません。
 決して持ちにくいわけではなく、コンセプト通りに示指を伸ばせるのですが変に力が入らない長さになりました。40mmや50mmという長さの試作品も考えていたのですが、「これで決まりだ!」と一発で満足してしまいました。

 実際に施術に用いてみると、最初は手が55mmに慣れてしまっているので「おやっ?」という感じが最初は何度もしていました。しかし、前述のように決して短く持ちにくいのではなく、気を付けていないと指から滑ってしまいそうな錯覚をするだけです。ですから、本治法においては余計な力を抜いていないといけないという警鐘を常に鳴らされているようになりました。
 本治法には45mmの二代目の方へと持ち替えることに、何ら躊躇はありませんでした。初代の55mmも私にとっては何ら不都合はないのですけど、よりいいものが手にできたなら後戻りができないという感じだけです。
 では、世代交代ということで“二木式ていしん”は45mmに全て置き換えることにしたのかというと、初代の55mmもそのまま現役を続行させています。というのが、標治法になると施術速度を優先しますから、二代目の45mmでも普通にはできるものの初代の55mmの方が遥かに使いやすいのです。ただし、龍頭に相当する部分が片方だけ平面で片方は丸くなっているタイプについては、あまり利用しなかったことと種類の多さだけで煩雑になってしまうことから、ラインアップから削除してもらい廃盤としました。

 本治法には45mmを、標治法には55mmをと、臨床ではその場その場で持ち替えるようになりました。その場その場で持ち替えることにより、前述のように余計な力を抜いていないといけないという警鐘を常に鳴らされているようになり、これも思わぬ副産物でした。ていしん治療へ取り組まれるのであれば、是非とも複数の道具で常に手の触覚訓練も同時に行っていくことを推奨します。
 それから45mmを持ち始めて気付いたのですけど、うまく乗せていると示指一本だけで鍼を落とさずにほぼ垂直にまで持っていけるので、これは示指を伸ばす練習に使えるようになりました。そこへ拇指をゆっくりゆっくり重ねてきた時の力具合、これが鍼を持つ時の力具合の目安として練習にも応用できるようになりました。慌てて拇指を重ねてギュッという感じで握ってはいけません。これも前述のように、鍼は指の延長ですから挟むものであり、つまんだり握ったりしてはいけないのです。実演ビデオについてはホームページの方で公開していきます。

 毫鍼を使っていた時代も本治法と標治法では鍼を持ち替えていたのであり、“二木式ていしん”を持ち帰るようにしたことは至極当然のことだったのかも知れません。
そして自分でも驚いているのですが、長柄鍼で示指がうまく伸ばせることに衝撃を受けたのは八部長柄であり、本治法へ用いる鍼の長さがここへ戻ってきたのです。どちらもスタンダードな一寸の形状からは変更をしているものの、日本人の手の大きさには本治法へは一寸の長さが適しているのでしょうね。