『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

滋賀漢方鍼医会三十周年、特別セミナーの報告

 私が所属している滋賀漢方鍼医会は、1985年に東洋はり医学会滋賀支部として発足し2015年に通算30周年を迎えました。一口に30年といっても、普通のサラリーマンでいえば勤務の大半の時間に当たりますから世代も入れ替わり、既に発足当時の先生方はどなたも在籍されておりません。どんな研修会や集まりもそうなのですが、維持・継続をしていく日々の努力が一番ですけど発足時のパワーも莫大なものが必要です。改めて研修会発足に尽力された先生方へ、敬意を表すものであります。

 簡単に今までの歩みを記述しておくと、初代支部長を務めていただいた先生は東京での脱サラから地元彦根へ戻ってこられてからも勉強のため各種の研修会へ顔を出していて、当時の東洋はり医学会北大阪支部に出会われていました。同じ頃に盲学校で東洋医学を担当されていた我が恩師も東洋はり医学会の福島弘道会長が著述された「経絡治療要綱」を独自にテキストへ採用し、これまた関西地域での『わかりやすい経絡治療講習会』を北大阪支部長が実行委員長で開催されるということでこの二人が出会われ、滋賀支部育成のためにしばらく北大阪支部長の先生が講師として参加し力を貸していただけるという条件で東洋はり医学会滋賀支部が発足をしたのでありました。
 発足当時のメンバーは晴眼者もある程度はいたもののほとんどは盲学校の卒業生であり、約一年経過した時点で聴講制度が発足し特に学生は無料で参加できるということも手伝って、私と現在滋賀漢方鍼医会の会長を務めてくれている小林久志先生が最初に参加をしたのでありました。つまり、現在では私と小林久志先生が一番の古ダヌキということです。会場費が無料ということで滋賀県立盲学校の実技室を使っていたことは、今となっては懐かしい思い出です。
 その後にメンバーの入れ替えが繰り返され、この頃にはもう漢方鍼医会も発足していたのですけど初代支部長が東洋はり医学会の本部とのトラブルから退会されたときにはこのまま維持ができるのか、大きな危機が訪れたこともありました。二代目支部長の時に発足10年の記念誌を発行した担当は私だったのですけど、コンセプトが甘く生徒会活動での文集のようなできばえにしかならなかったことは、苦い思い出です。
 しかし、私も発表をした四国の伝統鍼灸学会へ記念誌発行後の10周年記念旅行をした時、帰りの電車で文集のようになってしまった記念誌を五年後にもう一度作り直したいという構想をを話し合っていると、思わぬ提案から総合テキストを作れるということになりました。前述のように既に漢方鍼医会も発足しており、二足のわらじを履いているような面はあったのですけど、滋賀としての研修会の舵が総合テキスト発行ということで大きく変更されていくのでありました。
 構想の目玉企画は、過去を振り返ると東洋はり医学会の本部へ参加して一番変わったのが取穴が綿密になったことであり、治療効果が飛躍的に向上したので取穴に関する文章を徹底的に洗い直したいというものでした。生意気ですけど当時に発行されていた取穴に関する文章は一般的な経穴所より具体的な指示があったのでとても参考になったのですけど、読んだだけではわからない文章で実技で指示されているものを教えてもらわねば中身の伝わらないものでしたから、これを読んだだけで取穴のできるものへと作り直そうというものでした。この流れは、漢方鍼医会20周年記念で発行した「取穴書」へと引き継がれています。
 ところが、東洋はり医学会は本部と支部が親子関係であり、独自テキストの発行を認めてくれません。しかし、それでは当時の自分たちとしては持てるだけの力を注いで作り上げたテキストを世に送り出すことができませんし、これまた生意気ですけど漢方鍼医会にも一石を投じたい気持ちもありましたので、やむを得ず「滋賀経絡臨床研究会」という独自団体を二年間経験しています。この「経絡治療の臨床研究」というテキスト、時代の流れで色あせてしまった部分は多いものの首藤傳明先生と南谷旺伯癬性という大御所からの推薦を取り付けたり、前述の取穴部門が先頭にありますし付録文章も多いということでホームページ上で宣伝していただけなのですけど、最終的には相当な金銭的利益をもたらしてくれました。
 最初から滋賀経絡臨床研究会は脱皮をする前の繭のような位置づけでしたから、二年後の漢方鍼医会10周年に合わせて滋賀漢方鍼医会が移行をする形で発足をし、現在に至ります。でも、前述の「経絡治療の臨床研究」の中に腹診点方式というパターン照合で証決定のできる解説が含まれており、併用するだけで病理考察からの証決定と基本理念はぶつかっていないとこちらは思っていたのですけど、滋賀は異質な存在だと最初に定義されてしまったところがあります。パターン照合による治療を行っている研修会は伝統鍼灸学会の中にはいくつかあり、これは今でもそれほど悪い方法だとは思えないのですけど、様々なアプローチが可能になっている現在の漢方鍼医会からすれば広い間口をわざわざ狭くして病態によっては効果も発揮できないことから、新しい人たちへ教えることはしていません。
 それよりも滋賀漢方鍼医会から発信された情報としては、証決定のためにまずは経絡を軽擦して選経・選穴を確定させていくことや、脉診のみに頼らず腹部と肩上部の改善も同時に観察していく三点セット、自然体を発展させた臨床的自然体、さらには「ていしん治療」の書籍を世に送り出した会員もいますし、「新版漢方鍼医基礎講座」と「取穴書」の制作にも参画し、夏季学術研修会も二度主催をするということで地方組織の中でも他と遜色ない重要視される存在になったと思います。
 特に滋賀が担当をした第15回夏季研から提案された腹部を用いての臨床的手法収斂は、主観的に評価されるしかなかった鍼の手法を参加者全員で評価できるようになり、客観的に手法収斂ができるというものでは世界唯一の方法だと自負しています。「取穴書」で正しい経穴の位置を把握し、これも滋賀が担当をした第20回夏季研から取り入れた臨床的自然体と手法を組み合わせると従来の経絡治療の枠組みを超える治療が可能になったとも自負しています。

 さて、ここからやっとですが特別セミナーの具体的報告に入ります。2015年が滋賀での研修会通算三十周年になることを、実は私も小林久志先生も最初は気づいていませんでした。気づいていたのは学術広報部長の岸田美由紀先生で、既に年賀状の段階で何か記念行事をやりたいというようなことが書かれていたと、これを東京の本部会へ出席したときに元助手をしていた水戸先生から聞いたというのですから、実に回りくどいですね。
 毎年二月と三月は次年度へ向けて決算と予算と事業計画の会議を役員で行うのですけど、二月の段階で記念行事の話が出てきましたがまだ日程も定まっておらず形式もこれから部内で詰めていくという段階でした。この段階で、今後の会員獲得も含めて外部へ向けての特別セミナーをという話は聞きました。三月になって夏季研のない年ですから、以前にも一度夏季研のなかった年に滋賀単独で合宿を行ったことがあり、この形式で一日目を特別セミナーにしてそのまま合宿へ入り、夜は祝賀会をして二日目はまた実技をということで大枠を決定しました。
 合宿部分については今回のレポートとは直接関係がないので省略しますけど、結果からすると特別セミナーの手応えを持って祝賀会が行われ、非常に盛り上がりお祝いに花を添えることができました。また二日目の実技も月例会では取り上げにくいか一つの駒しか割り当てができない実技に十分な時間が与えられ、臨床テクニックをさらに磨くことができました。

 まず特別セミナーのテーマですけど、これは滋賀漢方鍼医会全体として“ていしん治療”に取り組んでいるのですから、「刺さないはり てい鍼治療体験」セミナー、そうだ、刺さないはり体験しよう!という学術広報部の出してきたものへと決定しました。漢方鍼医会本部ではまだ一般向けの一日講習会というものをやったことがないのですけど、“ていしん治療”ということでは東京都鍼灸師会主催の学生向け講座で私が二年連続で担当をしたことがあり、また岸田美由紀先生も刺さないハリ ていしん入門 森本式てい鍼を使った治療(岸田美由紀著):ヒューマンワールドの実技セミナーとして何度も東京で開催していることから、人口密度の関係でどうしてもセミナーは東京ということになりがちですけどむしろ関西で初めてのセミナーは遅すぎたくらいです。
 ですから、学術広報部長でもありますから基調講義は岸田先生ですぐ決定でした。基調講義の前には外部参加者を対象としているので、この分野の鍼灸について概略を説明する話がいいだろうということで、笑いもとれるということから私が指名されました。そこで「鍼は元々刺すことが目的ではなかった?霊枢『九鍼十二原篇』から - 経絡治療の歴史を解説」と、自分のホームページ用に書き下ろした資料を使い回しながら本当に古代では刺すことそのものが目的ではなかったことと古典の重要性について、話をすることにしました。
 実技についても、これは昨年に第20回夏季研を経験していますからノウハウが蓄積できています。脉診の指の当て方から菽法脉診、自然体から臨床的自然体、基本刺鍼から腹部を用いての臨床的基本収斂と、基礎技術と臨床へ生かすための新たな収斂法をペアにしていくことで伝える側も筋道が立てやすいですし受ける側も臨床への手応えをつかみ取ってもらえるプログラムが準備できました。これは定番になっていく実技プログラムだという手応えがあり、後は受ける側の知識や技量に応じての時間配分のノウハウが蓄積できていけば、各地方で一日講習を開いて“漢方はり治療”の普及に弾みをつけていけるでしょう。

 問題は、参加者を集めることです。特に今回は発想から実施までの日数が圧倒的に短く、短いということは情報を流していく時間も方法も極端に限られたルートしかなかったということです。鍼灸学校へ入るといきなり西洋医学のオンパレードであり、国家試験対策のために削られた乏しい実技時間も学校側のやる気の問題が大きく左右はしていますけど西洋医学ベースのものをこなすだけなので、入学前に抱いていた東洋医学への神秘的イメージは半年もすれば吹き飛んでしまっている人がほとんどです。それにディスポーザブルの鍼はステンレスを用いることが大半ですから、最初から深く刺すことに技術の壁を感じないままの人がほとんどになりますし、実技時間がないということは自分へへの刺鍼練習もしないということなので「鍼は痛いもの」と自己暗示の世界に入ってしまいますから、痛みもない刺すこともしない“ていしん治療”へ興味を持つ学生は希少種です。けれどセミナーとなれば学生を集められるかが参加者数のキーポイントとなりますし、将来性ということでも大切なところです。
 私も何人か連絡の取れる学生に声はかけたのですけど、うまくいきませんでした。それに自分のところで情報をストップさせてしまうのは昔の学生と違っているなぁというところで、正直悔しい気持ちにもなりました。学生時代の仲間を大切にしないと、自分一人では技術を獲得できないこととモチベーションが卒業後に維持できないという事実、どうしてわからないのでしょうね?今の滋賀漢方鍼医会の会員はもちろん、第一線で活躍し続けている鍼灸師は必ず仲間を持つことでモチベーションを維持しているのであり、一人では技術という刀がすぐさびてしまっていることにすら気づかないのです。
 私は盲学校へ小学一年生で入学してからずっとストレートでそのまま進学し、普通科の高校生からそのまま専攻か理療科で免許取得までしました。つまり、学校といえば滋賀県立盲学校しか知らないのであり、給食を十五年間も食べ続けて社会人となったのですから、外の世界を全く知らないという状況でした。だからこそ下積み修行を自ら希望したのであり、ラッキーなことに視覚障害者でありながらも受け入れてもらえたことは本当にうれしかったことでした。そして小林久志先生というこれまた才能に恵まれた仲間がずっとそばにいてくれたこと、これが鍼灸師をずっと続けてこられた原動力でした。もちろん東洋はり医学会や漢方鍼医会の素晴らしい先輩諸氏にたくさん導いていただきましたし、私の助手として修行をしていった人たちとの交流も大きな要素となりました。そして家族の存在ですね。
 少し話が脱線しましたけど、ふたを開けてみれば参加者数は目標を下回っての五人。でも、今回はこの時間帯と限られた情報網のみで五人集まってくれたことの方がお大きかったと思いますし、初めての挑戦としては混乱が発生しない人数だったことが幸いしていた面が正直ありました。私が講師をしたときに150人近くになるとスタッフを入れていても体調を崩してしまう人がどうしても出てしまいましたし、マイクを使ってアナウンスしていても参加者へ実技の意図が十分に伝えられていなかった面がやはり出てしまいましたから、丁寧にできる段階でノウハウを蓄積していくことだと教訓になりました。
 それから「やっぱり」という感じだったのですけど、卒後に危機感を感じて情報を探っていたという人の方が参加者のほとんどでした。唯一の学生も長い社会人生活から人生このままで終わらせたくないという大きな決意を持って転換をしてきた人だったようで、若い学生と熱意が違っていたのでしょう。
 それでも技術を獲得するには数と時間がどうしても必要なので、若い年齢層を取り込んでいくことが必須です。安易に社会人を数年経験して学生に戻った人より一大決心で転換をしてきた人たちの方が熱意がすごいですけど、医療を行うには哲学の癰疽も大きいので適性があるかどうかが特に年齢の高い人には重要となります。その点でも、適性がなければ別の道を探り直せるのですから若い年齢層の人たちが下積み修行の苦労を惜しまず、高い意識を持ち続けてほしいものです。

 関西初のセミナーは小規模な形でしたけど、滋賀漢方鍼医会としては記念行事としてとてもいい経験を積むことができましたし、今後の希望が膨らむ一日となりました。
 今回このブログを執筆していて三十年を振り返り強く感じ決意したことは、あえて経絡治療と表現しますけど、今の鍼灸業界で独立してご飯を食べている鍼灸師の大多数が経絡治療家なのに、この方向へ鍼灸業界がシフトをしてこないという矛盾を絶対に解決せねばならない時間帯に来たということです。先輩諸氏も業界そのものを動かそうと努力を続けてこられたことでしょうから簡単なことではないとわかっていますけど、今自分の治療室が彦根という田舎なのに誰も予想していなかったほどの患者数を毎日こなしていてまだまだ奥が深いのですから、治療を求めている患者さんがそれだけいるということであり鍼灸師のためにも鍼灸という技術を伝えていくためにも、セミナー形式で会員数を増やしていく取り組みも今後は定期的なものとしなければならないと強く感じています。