『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

治療家としての人生の原点

 今回のエントリーは、かつて助手修行について思うことで書いたこととかなりが重なるので、珍しくさらっと単文にまとめるつもりです。
 あのエントリーをたまたまベッド業者の人が見かけたということで、「助手募集についてはなかなか苦労されているみたいですね」とその年に急転直下で可能となった駐車場拡張から電動ベッドのメンテナンスまで行っていたときに報告をもらい、世間とは広いようで狭いものだなぁと思わず感心してしまったことを覚えています。ということは、今回のエントリーも、どこかで誰かとつながるのでしょうか?

 あの年に苦労をした助手確保については、予感通り一年間補充ができないままで過ぎてしまいました。しかし、必死の力が働いていたので次年度について二人の確保ができ、そのうちの一人はとても優秀で、今の常勤が一人だけという状況を見事に支えてくれています。
 けれど、ここ最近は応募そのものはあるのですけどどうも考えが甘いというか、勘違いをしている人が目立つので腹に据えかねて思わず書いているというのが実情です。下積み修行をするというのは誰でもができることではありませんし、そんなに甘いものでもない分だけ、人生の原点となるものですから、こちらとしても真剣に取り組んでいるので未来の鍼灸業界のことも見据えて「もうちょっと自己改革を意識してくれよ!」というメッセージであります。

 鍼灸学校が増えて誰もが入学できる時代となり、優秀な人材も多く入ってくる可能性が高くなったはずです。過去には寄付金によって最終の判断がされていたような話もありましたし、コネに頼らないとほとんど入学不可能だと言われた時代からすれば鍼灸業界からすれば歓迎すべきことです。医療によって救われたので自分も同じ仕事をしたい、あるいは医療にはがっかりしたので自分が変えたいという明確な目標を持って入学してくる人が根っこが強靱なので一番強いと思います。サラリーマンだけの人生で終わりたくないので、人のために役立つ仕事をしたいと鍼灸を思いついたという話は何度も聞きました。滋賀漢方鍼医会の4月の例会報告 滋賀漢方鍼医会月例会報告ブログでも報告されているように、年齢が高くても厚い志を持っている人も多くおられます。
 ところが、鍼灸学校は以前から夜学を中心に社会人経験のある人が入学してくるケースが珍しくなかったところへ、誰もが入学できるようになるとその比率が思い切り高くなったように感じられます。一度きりの人生ですから心残りがないようにチャレンジされることに意義はないのですけど、漢方鍼医基礎講座No.1で、既にこのように話をしていますので引用をすると、

 もう一つの意味で「研修の意義」というものを考えて欲しいのですが、ここに出席されている人もそうじゃないかと思いますし特に現在の学生さんについては当てはまるだろうことなのですけど、「研修すること自体が目的」になっているケースがかなりあるはずです。研修自体が目的ではいけないのです。鍼灸学校には「鍼灸師になりたい」と思って入ってきているのです。しかし、鍼灸学校に入って「どのような勉強をしよう」というところまで描いて入学してきている人が、どれくらいいるのでしょう?おそらく九割くらいは「鍼灸師になりたい」ということだけが目的だったろうと思っています。鍼灸師の免許を取ったらこのような治療をして・このような鍼灸院を経営したい、あるいはもっと研究を深めるための文献を書きたいなどそこまでイメージして入学してきている人が残念ながらほとんどいないと思います。いきなりのパンチでしょうが、研修をすること・学習をすることに対して、持っている意識が違うのではないかと前々から思っていたことなのです。
 野口英世のように手にやけどをして不自由だったものが手術を受けて回復したから、「私はあのように貧しい人を救ってあげてなおかつ新しい医療を研究する医者になりたい」と、そこまでイメージできている人が一番いいのですけれど、そこまで医療の世界が外部からでは正直分からないのです。もっと困るのが「鍼灸師になったらお金が儲かるだろう」というだけで入学してきている人たちです。こうなってくると研修すること自体が・学校で勉強すること自体が目的になってしまうのです。するとそれだけで目的が達成されているために、それ以上の意欲が沸かない。もう卒業してしまった人は自分の胸に手を当てて考えてみれば分かるでしょうけど、一年生に入学したばかりは一所懸命に勉強しているのですが二年生になると少し慣れたこともあってさぼり始め、三年生になると満足の域に入っているのでもう勉強をしないのです。これではダメです。

 この状況は、講義をした役十年前より悪化していると感じます。誰もが鍼灸学校へ入学できるために、一度社会人を経験して「ちょっと自分の思っていたものと違うな?」という単純な動機で方向転換してきているケースが増えています。それも金銭面が安定しているだろうという想像だけで、医療の世界をターゲットにした人が多くなったのではないでしょうか?実はこれ、大間違いで免許は取得できてもその道で生涯生計を立てていける比率が極端に低くなっています。医者や看護師なら長時間労働が引き替え条件になりますがそれなりの高収入となるでしょうけど、うまく就職できたとしても次はリストラに常におびえなくてはならないのが現状です。技術の世界なのですから「腕」が全てであり、「腕」がとも七羽なければ退場せざるを得ないだけです。
 どうして「鍼灸」という分野に目をつける人が多いのかを考察してみると、周囲を見回せばなんとかを専門にしているという看板が見当たらないので鍼やお灸という行為そのものに力があって、知識が覚え込めれば施術も可能になるだろうという計算をして入学した人が多いのではないかと推察できます。まず、ここが違います。歯医者は歯を削ったり抜いたりなど、歯に限ったことですが外科処置を専門にしているので、外科的素質を考えずに入学する人はいないでしょう。鍼灸も患者さんの身体に触れて処置をするのですから外科的素質が絶対条件なのに、手先の器用さや触覚の鋭さあるいは観察眼の鋭さなどを考慮せずにどうして入学してしまうのでしょうか。
 次に、コミュニケーションが下手な人を多く見かけるようにもなりました。病院の問診票でさえ正確な申告をしているとは限らないのに、西洋医学の常識しか知らない素人さんから状態を聞き取って東洋医学の考えに翻訳しなければならないという結構なプロセスがあるのですから、臨床現場ではてきぱきした応対ができることも絶対条件です。ところが、口が重たかったりあがり症だったり日本語の把握が不安定だったり、人と対面しての仕事だということをわかっていない感じです。これも推察ですが、コミュニケーションを取るのが苦手で人数の多い職場になじめず、マンツーマンになる職業をと発想したからではないでしょうか。けれど診察は人と人との接触から始まるものなのですから、接触が苦手な人が医療の最前列に座ろうとすること自体無理があります。ここは「勉強している間に頑張ればなんとかなる」というレベルの問題ではないので、人とのコミュニケーションが苦手な人は鍼灸師そのものが無理です。それでもどうしても医療関係にというのであれば、技師の世界を目指すべきです。

 そして最近で一番「やっかいだなぁ」と感じていることは、就職希望を出してくる人が「ここで教えて欲しいと思って応募しました」という言葉を出すことです。「おまえそれは学校で一体何をやっとったんやねん!!」と心の中で突っ込んでいるのですけど、ひどいケースだと学生時代に実技時間以外では鍼もお灸も持つことなく学生だと知り合いということになるでしょうが一人での治療経験をしたこともないという人が、臨床現場に立って技術を磨きたいなどというのですから笑止千万です。
 下積み修行といっても治療室で患者さんと同じ空気を共有するのですから、患者さんからすればある程度はできて当たり前の人がそこにいると思われていて当然なのに、免許をまず取得してから実際の技術をという考えはどうにも私にはわかりません。ある程度でもその流派の治療法のことはわかっていて、形も一通りはできるがもっと奥深いものを知りたいというのが理想ですし、現代ではこれくらいでないと将来の開業は成功しないだろうと思われます。私は小学一年生からずっと盲学校という閉鎖された環境のみで学生時代を過ごしたので、社会人としての基礎を学びたいという動機で下積み修行を希望したのでした。全く知らない知識や技術、そして自分一人では発想することがなかっただろう考え方について多くを学ばせていただき、師匠のことを今でも心より尊敬しています。この下積み修業時代がなければ鍼灸師としてその後の二木はなかったのであり、二木式ていしんはおろか滋賀漢方鍼医会も存在しなかったでしょう。「人」としての下積み修行をさせていただいた結果だからです。しかし、技術が目的で助手へ入っていたならオーソドックスなやり方とは違っていた、研修会が推奨するやり方とは違っていた治療スタイルに最後までは付いていかなかったでしょう。
 逆に治療に対して取り組んではいたが学生時代に研修会に出会うことがなかった場合でも、就職して毫鍼を突き刺していたとしても“漢方はり治療”出会って「この路線で絶対に人生は曲げない」という決意ができれば、下積み修行は達成できるかもしれません。途中からほれ抜いて、こちらが驚くほどの才能を開花させた人が何人もいます。助手には入ったが途中で振り落とされたりついて行けなくなったというケースは、決意が口先のもので心底からのものではなかった人でした。インスタントで治療の習得などできません。まして自分の経済力のためだけに鍼灸という手段を用いようとする人は、患者さんのことが眼中にないのですからいくらテキストを読み返していてもその神髄を理解などできないでしょう。

 結論です。助手へ入るということをもう一度別の鍼灸学校へ入学し直すような感覚でいるのは、間違いです。金銭の話などはくどいので繰り返しませんけど、技術というものはある程度は教えてもらわねばわからないものの、そこから先は盗むものであり工夫して獲得していくものです。そこそこ仕事ができるようになれば「にき鍼灸院」でも手取り足取りで指導することはありませんし、打っても響かないような人には技術解説も時間の無駄なのでやりません。学びたい」ものは、何ですか?治療のできる技術ではなく、治療家としての人生の原点ではないでしょうか。