(このブログエントリーは、2024年3月29日に加筆・修正を加えています)
前回ど派手だった夏期研名古屋大会、今後の課題と併せて反省文で、第22回漢方鍼医会夏期学術研修会名古屋大会の全体を書きました。まだ中間段階で新しい手法が提案されてきたことと、初めてのプログラム編成があったのでどうしても隅っこをつついた書き方になってしまったのですが、心からのおもてなしを受けて研修そのものはとても有意義な形で終えることができました。成果は今後に現れてくるものと期待します(追記:研修部の講師を拒否した予測が的中し、その後「陰陽調和の手法」は廃棄されています、かなり嫌味ですけど頭の中だけで考えた手法だったので実現できそうにも泣いての動きでしたから当然のことです)。
私が担当をした入門部では講師による実技公開の時間があり、背部の仕上げにローラー鍼と円鍼を用いて「気を面に広げてそれを流す」というものと、耳前動脈を用いての不問診を個人技で追加しました。どちらも初学者には珍しいの域を超えて驚きの実技だったでしょうけど、詳しく説明された資料が欲しいとリクエストがあり、耳前動脈による不問診については昔々に使っていた特技だったのですけど、少し思うところがあって秘伝状態になっているものを公開の実技に切り替えてみたくなり実は班員に協力してもらった節がありますので、ここにまとめてみました。
なお、どちらも資料を読むだけでは臨床投入はできません。ローラー鍼と円鍼については反復練習をすれば誰でも数日でできる施術ながらも、ペアを組んでお互いに評価しながらの実技練習が必要です。こちらは準備ができたなら、youtubeを含めてビデオも公開していくつもりです。耳前動脈を用いての不問診は誰もが習得できるタイプの技術ではありませんから、漢方鍼医会であっても月例会そのものでは取り上げるつもりはありませんので、あしからず。それから耳前動脈による不問診は、ビデオの制作がおそらくできません(追記:ローラー鍼と円鍼の動画撮影は完了しています。耳前動脈での不問診については2024年に実技に特化した滋賀漢方鍼医会版のテキスト発行の中に脈診で不問診を取り上げたので、その中へ収録もしました)。
もう一つ開発中の標治法テクニックとして「ゾーン処置」も公開しましたが、こちらはWFAS2016の参加雑感、標治法が変わりましたで既に概要の記述をしてあります。頭へ邪専用ていしんでのゾーン処置をしていくと、リアルタイムで筋肉が緩んでちょうどいい具合に背部が仕上がるという様子を、背部に手を当ててもらって観察してもらいました。患部へ直接施術をしないのに変化を出すというのは一番が本治法で、標治法なら遠通しや巨刺などがありますから珍しいものではないものの、本治法と同じくらいの大きな変化がリアルタイムで触れることにはまた驚嘆の声が上がっていました。
個人的にはきめ細かさを落とさずに標治法全体がシンプル化でき、しかもスピードアップに成功しているのでもうゾーン処置なしの治療は考えられません。ゾーン処置も邪専用ていしんの使い方そのものが基本テクニックさえ守ってもらえれば簡便なので数日あれば習得できるのですけど、こちらの問題は若干値段のする邪専用ていしんを購入してもらわねばならないことです。しかし、漢方鍼医会で色々と議論されている邪の処置について効率的な解決ができますから、決して高い買い物にはならないはずですが・・・。参考:邪専用ていしんの説明と使い方(youtube)
前置きが長くなりましたが、ここからそれぞれのポイントについてまとめます。繰り返しますが、読むだけでは習得はできません、実技研修が必要です。
ローラー鍼と円鍼は「分肉間を揩摩し」と古典に記述されているのですけど、要するに筋肉と筋肉の間の溝に気血が停滞するので、これをしっかり流すような施術をしなければならないということです。後頸部では分解後線と大腸経の流注上、肩上部では肩井が存在している僧帽筋の前縁と天・の存在している僧帽筋の後縁、背部では膀胱経一行線にも施術するのですが二行線に分肉のが存在していますから、肩甲骨や肋骨の上へ乗りかかっていてもしっかり行います。腰部では腸骨稜の上縁が帯脈の流注上にもなります。一気には施術できないので適当な高さで区切りながら行うのですけど、左右交互になるように行ってください。左右の順序はあまり関係ありません。文字で書けば非常に簡単なのですけど、これらの位置へしっかり施術できるようになるには反復練習がそれもペアになっての練習が必要です。
ローラー鍼の注意点は、まずは刺激量が適切な道具を選んでおくことです。強刺激のものは軽く滑らせただけでも痛みを与えてしまいますから、滑らないようにしっかり当てる必要があるので一番弱い刺激のもので小さめのものがよいでしょう。施術で最も大切なことはローラーが空回りして皮膚上を滑らないようにしっかり当てることで、竜頭だけでなくガイドの部分へも指を当ててがっちり固定した状態で行います。動かし方は双方向で一つのラインを何度か往復させるのですけど、「分肉の間」へ強めにきっちり当てること。「えっ、痛みが発生しているのでは?」と変な手心を加えず、しっかり空回りでの滑りを発生させないように施術することです。これは自分の身体で練習すればすぐわかることであり、肩甲骨の上へ乗り上げても全く痛みは感じませんから怖がらずにやってください。そのためにもペアを組んで練習する必要があります(追記:2019年の日本伝統鍼灸学会での業者ブースにおいて、クロームメッキと金メッキのローラー鍼を比べると金メッキは明らかに刺激がまろやかなことを複数で確認しています。購入時は金メッキを指定してください)。
円鍼は大きなサイズで、先端の突起がついていないタイプがよいでしょう(本来のものは先端の突起をタッピングの容量で押し当てることにより「分肉間を揩摩し」するのが目的の一つだったと聞いています)。一番大切なのは持ち方で、刺し手で持つのですが小指側に先端が来るようにして中指だけ竜頭の下側へくぐらせます。このように持つと手の当たる面積が大きくなるだけでなく、先端の突起が乱暴に皮膚へ当たることを防ぎながらもきちんと狙ったラインへ施術できます。円鍼を行う前に、特に寒い冬では両手で円鍼の先端を挟んで素早くも見込んで摩擦熱で暖めておくとこれは同時に円鍼へ気を込めることにもなり、使い込んでくると寒い時期でも金属特有の冷たさにならなくなったりします。
ローラー鍼は上下で動かしたのですけど、円鍼は胆経や膀胱経の流注に従って一方向で施術します。帯脈は正中から外へ向かって施術します。後頸部や帯脈上では円鍼を握った状態では施術できないので、ここは無理せず先端の突起を乱暴にならないように気をつけながら施術し、背部は円鍼を説明した方法で握ってできる限り長い距離になるように施術します。掲載した写真は円鍼の握り方を手掌側から撮影したものです。
本治法のみではどうしても細かな箇所や特に停滞が著しい箇所の気血津液を巡らせるために、主に背部へ衛気もしくは営気の手法で調整をしていくというのが標治法の目的になるのですけど、それでも手法はポイントでしか行えていません。時間が経過すればやがて影響は全体に広がるはずではあるものの、臨床家ならわかるのですけど無意識のうちに押手で背部一面を探って影響を面に広げようとしています。それで仕上げ段階で円鍼を用いてより気血津液が流れるようにということを追加している臨床家が多いのですが、下積み修業時代に説明した円鍼の持ち方を教えてもらってからは圧倒的に効率が高くなるので実践をしています。さらに下積み修業時代に経験した大量の置鍼による良さも意識の中には常にあったので、置鍼は気を集めますから引っ張られて血も動くのであり、気を面で動かせるようなアプローチがあれば血も同時になめらかにできるということで偶然にローラー鍼を強く当てて転がしていたことから発見した方法が、今のローラー鍼の使い方です。ですから、背部の仕上げ段階ではまずローラー鍼を行い、最後に円鍼という順番になります。
標治法という点では、もう一つ押さえてもらいたいものがあります。ナソ治療は福島弘道先生が経験背部の頑固なこりに対して開発された素晴らしいアプローチです。禁鍼穴である缺盆へ慎重な施術をすれば絶大な効果があるというのが出発点だったのですけど、現在は私の経験からだと斜角筋を狙うことで広範囲な効果が得られるので、背部の標治法が終わってから仰臥位に戻ってもらい実践しています。ナソ治療は側臥位・仰臥位・座位の順でドーゼが大きく変化することは有名な話で、特に仰臥位から座位への変化はドーゼが大げさではなく一桁上がる大幅な変化となりますから、貧血で患者さんを卒倒させないように残りのドーゼが十分であることを計算してから行ってください(追記:ナソ治療という点ではこの通りなのですが、現在はナソ処置ということで側頸部へ邪専用ていしんをタッピングで行い本治法で作った菽法の高さを自動補正させる目的で用いています、頑固な肩こりについては筋の深さを操作する「押し流す」アプローチがあります)。
もっと注目してもらいたいのが同じく福島弘道先生が開発されたアプローチのムノ治療で、背部へ標治法をして上から下へと気血を主に膀胱経を通じて流したなら陰経がそれを受けて下から上へと登ってきているのですから、今度は鼠径部の経穴でいえば帯脈・五枢・維道・居・の深い部分から陰経が腹腔内へ進入して来ているのを補助すれば、標治法も身体を一周することとなりより巡りがよくなるというものです。開業当初の無我夢中の時代、発想がどうしても力押しになりがちなところを肩こりがおもしろいように緩むことが何度もあって助けてもらい、やっと意味を理解したのでありました。最後に腹部へ散鍼をして少しなでて、これで標治法は仕上げとなります(追記:毫鍼を用いてのムノ知領はこのとおりですが、ていしんでは短径を動かしていることになるのでこのようにはしていません、詳しくは実技テキストに譲ります。また腹部を散鍼してとあるのですけど任脈の散鍼は奇経を動かしているのでいいのですが、プラスして胃経などへも散鍼するとこれは治療をリセットしていることになってしまうので注意してください、現在は任脈のみに散鍼をしています)。
では、いよいよ耳前動脈による不問診についてです。耳前動脈というのはわかりやすいように名付けられた村言葉ですが、意味を持って名前を変更しているものと想像します。解剖学的には浅側頭動脈であり、経穴でいえば頬車・下関・頭維付近で浅い小さな動脈が蛇行をしていますから、ここを触診して身体のどの部位にどんな変化が現れているのかが読み取れるテクニックです。ですから橈骨動脈と六部定位を使い分けているように、あえて浅側頭動脈と耳前動脈という表現をここでは区別して用います。
耳前動脈が注目されたのは、片方刺しでの治療する側を決定するのに有効だという情報からでした。東洋はり医学会がまだ歴史の浅い時代になんとかして本治法の効率を向上をさせたいと苦心されていた頃、あるときに井上恵理先生の臨床を見学させてもらっていると、本治法で左右のどちらへも施術しているかと思えば片方しかされないことがあることに気づいて質問したところ、「脈が整えば必ずしも左右両方をすることはない」という答えでした。これをヒントに追試していくと、左右を行った方がよかったケース・片方だけでもよかったケース・もう片方をすると崩れてしまったケースが存在したことから、左右どちらかを優先的に用いる「片方刺し」の方が治療効果が大幅に向上することを突き止められました。経絡治療の流れを引き継ぐ治療法では今や当たり前の「片方刺し」なのですけど、これは東洋はり医学会が残してくれた功績だと日々感謝しています(追記:このような話を何度も録音から聞いていたのですけど、実際の発案者は福島先生ではなく工藤先生のようであり、相克調整そのものも工藤先生が一番最初に理論的に考えられることを提案されていたと記録にありました)。
ところが「男は左から女は右から」の定番を現代はよほどの理由がなければひっくり返さないのですけど、片方刺しの方が効率的とわかっても定番が確定していなかった時代には左右を決定するのに様々な方法が考案され、その一つが香取利雄先生が提案された耳前動脈を探るというものだったのです。
浅側頭動脈が蛇行していることは少し中医をすればわかることなので指を伸ばして探ってはいたのですけど、「耳前動脈の強さを比較する」と聞いていたので左右で脈圧の違いを比較するものばかりと思っていました。つまり、脈差診で「沈めて陰経」くらいの圧力で脈を触れるものと思っていました。けれど香取利雄先生の触り方は表面だけをきわめて軽く、菽法脈診でいえば三菽もしくは脈拍が強いと接近というところで触知されていたのでした。これは東洋はり医学会北大阪支部で開かれた特別セミナーの時に実技を指導していただいたときの体験だったのですけど、触ってもらったときの指の軽さの驚きは今でもはっきり覚えています。
それですぐ参加者同士で復習を始めたのですけど、「左右を比較する」という概念が頭にすり込まれているので指の当て方やさわり方がどうしても香取利雄先生の軽さにならず、つい浅側頭動脈を押さえてしまいます。「それは重すぎる」とか「もっとスムーズに動かされていた」とお互いの欠点は指摘できるのですけど、あの軽さが実現できません。そういえば香取利雄先生は六部定位を脈診するかのように指を三本そろえられていたので、晴眼者が驚いて「頭でも六部定位が脈診できるのですか?」と思わず質問をして、「これはその時に触りやすい指を交代させながら使っているので三本そろえているだけ」と回答されていたのを思い出し、示指ではなく癖のついていない薬指に切り替えてしまえばと発想の転換をしてみました。ついでですから今までは押さえることを考えるので指を曲げ気味にしていたので逆に反らせ気味にして、さらに普段脈診をしている指腹をわざと避けて反らせた状態で重心の取りやすい遠位指節間関節の少し前くらいで触るようにしたところ、香取利雄先生の指の当て方がやっと真似できました。その後に判明したもう一つのポイントは、現在の臨床的自然体を作りながらしゃがんで触ることであり、これはより指を安定させ余計な力を入れずに表面を滑るように移動させるためです。
学は真似ぶ」と昔から繰り返されていますけど、上手な先生の考え方だけでなくスタイルも真似するということは技術向上の重要ポイントであり、表面的には口にされない部分までいい意味で盗んでこようとするなら真似をすることです。
すぐ臨床室で応用してみると、片方刺しでの判定にも有効なのですが何か今までと違ったものを触れている感じです。この原稿を書いていて思い出したのですが、そういえばあの当時は既に「男は左から女は右から」がほぼ定着していて左右を判定する方法そのものが不容になりつつあったのですけど、香取利雄先生は何かと耳前動脈の話題を持ち出されていました。記憶に残っているのは外耳道の高さを中心にすれば病証のある部分は強く触れるという情報をあちこちから聞いたのですけど、そこから先が前後上下の関係が聞くたびに(耳にするたびに)別情報であり、下積み修業時代はここまでしか活用できていませんでした。
開業をして数ヶ月、ありがたいことに一時間に一人ずつくらいの患者さんが来院されていたので、時間もたっぷりあることから「左の膝が痛い」とはっきり言われた患者さんの耳前動脈をじっくり触らせてもらいました。接近か三菽くらいで触ると左で外耳道の高さより下側で少し前に拍動を触れます。右の腰が痛むという患者さんは、右で外耳道の高さとほぼ一致していて、やや後ろに拍動を触れます。肩こりが強いという患者さんは外耳道の高さより上で拍動が触れて、前後の違いで部位が違うこともわかってきます。前後に蛇行しているものもあります。頭痛がするという患者さんは、外耳道の高さよりさらに高く、より強く触れます。おもしろすぎて次々に触らせてもらっていると、そのうちに部位の特定だけでなく病床の強さまで読み取れるようになってしまいました。
外耳道の高さを臍の高さと基準線にして、拍動の触れる場所の前後上下で病床の部位が特定できます。この場合の上下とは、上は頭頂部の側であり下は体幹側、前後は解剖と同じ表現ですが後ろは限りなく耳介に近い部位ということで前は顔面の大きさで推測します。さらに慣れればほんの少し押さえて拍動の強さから病床の強さもわかるようになります。これが耳前動脈からの不問診を行う規則性です。わかってしまえばなんということはないのですけど、実践できるかどうかは指の当て方でしょうね。
香取利雄先生は左右の判定の役目を終えた頃から、軽く触ると病証の部位が特定できることを発見され、用途を切り替えられていたのかも知れません。いや、耳前動脈を触る意義は左右を比較するのではなく最初から不問診にあったかも知れませんけど、もう先生に尋ねることができないので本当のところはわかりません。ただ私も思うのですが、不問診という分野は六部定位のみと違ってインスピレーションとの連動から頭の中にコンピュータグラフィックのようにイメージを描いているので、誰もが修得できるものではないため具体的な段階までは突っ込まずに口を濁すしかなかったのではないでしょうか?
今回耳前動脈による不問診を公開に切り替えようかと思った要因は、ゾーン処置を行うと蛇行していた耳前動脈までもがきれいになるのであり、治療の前後で比較をしていけばインスピレーションの比率を低くして修得のできる可能性が高くなると計算できたからです。しかし、インスピレーションとの連動は不可欠であり、連動できる思考回路は先天的な素質かも知れません。それでも時代は流れ、研修会は漢方鍼医会しか知らないという若い会員なら菽法脈診の三菽の触り方ができるので、対応関係を明示すれば修得ができる人をより発掘できるでしょう。基本は教えられても、その先が本人次第というのがやはりもどかしいのではありますけどね。
ローラー鍼と円鍼の組み合わせは、古典の記述から実践形式にしたものであり、治療の持続力を向上させられます。初めて公開したときには動きが派手なこととローラー鍼は押しつけて転がしているので、見た目から「そんな乱暴なことを」と最初はめちゃくちゃに非難されました(関西弁で言うボロカス状態でしたね本当に)。しかし、その後に体験する人が増えたなら動きからの誤解が解けて、若い会員から教えてほしいと言われるようになりました。ローラー鍼に元々こんな使い方は想定されていなかったでしょうけど、製作の意図としては気血の滞りを流すためのものであり、意図を延長して活用範囲を広げたのです。
円鍼の持ち方は今のうちに次の世代へ伝えておかないと、せっかくの制作者の意図が失われてしまうという危機感がありました。現在多く使われている大きなサイズで先端の突起を取り払ったものは、東洋はり医学会の先輩のどなたかが考案されたものだと聞いていますから、そのときに持ち方も考案されたと推測できます。道具を新たに製作したり改変するということは深い意図があってのものなのですから、使わせてもらう側も「どこに意図があるのだろう?」と考えながらだと、もっともっと効果が発揮できるようになるはずであり、拡張した活用法も出てくるでしょう。ディスポ鍼の時代になって工夫の余地がなくなり、本当にいいものが次々に消えてしまっています。
私もベテランの年代へ入ってきていますので、伝えるべき技術を次の世代へと思うことが多くなりました。入門させてもらった頃には戦後から高度成長期の時代に苦労に苦労を重ねて技術を会得された苦労人の先生が多く、それだけに先生たちは思い切り個性的でした。いや、個性的にならざるを得なかったのでした。そういう先生たちですから持っていた技術も微に入り細に入りのものであり、教えてもらったことはその世代だけのものにせず拡張をして次の世代へ伝えるべきだと使命感に押され、今回の執筆になりました。クオリティを高め、研修会で広く伝授できるように今後も努力していきます。