第46回日本伝統鍼灸学会学術大会(大阪大会)が2018年11月24日・25日に、テーマ:「日本伝統鍼灸の確立に向けて −日本鍼灸のアイデンティティ−」ということで、第27回日本刺絡学会学術大会 と併催で開催されました。
学会ということなので基調講演やシンポジウムという癰疽はもちろん、実技セッションや教育講演など多彩なプログラムの二日間でした。伝統鍼灸学会は西洋医学を基本とはしない、経絡治療を中心とした古典に準拠した鍼灸治療を行っている研修会が一堂に集まって毎年開催されている学術大会です。今年は初めて日本刺絡学会学術大会との併催であり、地元となる大阪府茨木市の行事を市民公開講座で多く取り入れるという試みもあり、大きな規模での大会となりました。そのため発表会場が三つ同時並行で行われており、どの講演へ参加するのかを選ぶにも苦心するくらいの充実ぶりでした。
私が所属している漢方鍼医会からは特別企画「平成を翔ける流派と私」へ、地元となる大阪漢方鍼医会代表の本田滋一先生が発表をされました。それぞれの研修会へどのように出会ってどんな特徴があり、そしてこれからの展望について発表をしていくというプログラムでした。
本田先生は元々は中医学での治療をされていたのですが、鍼治療の原点といえば「難経」であり「難経」を勉強している研修会を求めていたなら大阪漢方鍼医会へ出会い、病理考察に基づいて説明ができる治療に共感されたということです。そして研修会へ参加したなら実技の時間になると森本式ていしんを手渡され、鍼治療といえば毫鍼を用いるものだと思っていた概念をいきなり覆されたことも衝撃的だったという話です。現在では大阪漢方鍼医会の代表を努められ、季節の邪の研究など難経の研究とそれを生かした臨床へますます取り組んでおられます。
毎年伝統鍼灸学会へ参加していてほかの研修会の様子は概略的には知っていたものの、技術面が異なるだけでなく本当にバラエティーに富んだ運営がなされているのには何度も感心をしました。またそれぞれの先生は運命的な出会いがあって研修会に所属されていて、愛情を持って鍼灸術の習得に情熱を傾けられている姿を見せてもらいました。一番驚いたのは東洋はり医学会から発表されていた女性、小児鍼が習得したいということでいろいろ模索していたものの卒業間近になってしまい、「おじいさんだが助手を募集しているので見学してみないか」と教員に勧められたなら子供もたくさん来ている鍼灸院だったのでお世話になることになった、それは柳下登夫先生だったといいますから、そりゃ流行っている鍼灸院のはずです。第三代会長だった柳下先生はアメリカ旅行へ一緒に行ったことがあるのですけど、空港で少し手引きをさせてもらったときに肩上部へ置いた手の軽さが衝撃的でした。その後に受けた実技指導でも脈診での指の軽さはまたまた衝撃的であり、もちろん脈を変化させる鍼のすごさは表現のしようがないくらいの感動ものでした。今までに出会わせていただいた名人の鍼灸師でも、トップクラスのすごい先生でした。鍼灸師として個人的に最もあこがれるのは日本の鍼灸界に経絡治療をここまで広げられ数々の名言とともに人生の道しるべになっていただいた福島弘道先生ですが、技術面では柳下夫先生を目標にもしてきました。あの感動するほどの脈状の変化、今の臨床成績からすれば近づけているものと自負はしているのですが追いつけたとはまだまだ思っていません。
ただ、このプログラムは実技セッションやメインシンポジウムと重なっていたので、これからどの研修会へ所属しようかという学生や初学者のギャラリーが少なく感じたのはちょっと残念でした。
その他に今大会で私の印象に残ったのは、やはり奇口九道(きこうくどう)脈診でしょう。経絡治療の六部定位脈診はとうこつ下端で指を三本当て、寸関尺の三部を伺うものであり指の操作は浮・中・沈の上下の動きとなっています。しかし、寸関尺のそれぞれに中央だけでなく外側と内側にも脈診部位が設定されているというものであり、これらは古典の記述もあって正経だけでなく奇経の脈診もできるというものです。当然ながら六部定位とは診察部位の配当が異なります。昨年の金沢大会でパワーポイントを見て「ここの研修会は寸関尺をさらに中央と内外の三つに細分化して診察している」と教えてもらった発表があったのですけど、今回はその理論背景を聞くことができました。
古典には正経だけでなく奇経の調整までしなければならないとそこここに書かれてあるので奇経まで脈診できれば本当に素晴らしいことでしょう。ただ、現代では少数派になっているのは三人の先生が登場されたのですけど両手交互だったり斜めに指を大きくずらせたり指先で押し込んだり引っ張ったりと、それぞれの脈診方法が異なっていたので、実技レベのもハードルが高いからではないかと感じました。
実技セッション中に優劣を比較しながら拝見していたわけではないのですけど、漢方鍼医会が実践している菽法脈診は三菽の重さという絶対値があり、研修会全体での統一した脈診がかなりのレベルでできているものと逆に知りました。六部定位脈診は経絡治療創設時に、なるべくシンプルで習得しやすい癲に絞って編み出されたものという話を聞いたことがありますけど、脈診はあくまでも四診法の一つであり差し支えがなければシンプルな方がいいとは思います。菽法脈診は難経五難に出てくるもので、寸関尺を五段階に分類するので六部定位脈診より細分化しているのですけど、指の重さの決め方について収斂法が確立されており特に三菽の最も軽い位置が絶対値として規定されていますから、脈診に絶対値の概念がある研修会をほかには知らないのでもっとこの点をアピールしていくべきとも強く感じました。
さらに菽法脈診のいいところは治療終了時に五臓それぞれの3.6.9.12.15の菽法の高さへ脈が収まっていればいい、これまた絶対値があるので誤治の確率が非常に少ないという特徴もあります。
ここからは、鍼道具についてです。昨年の道具は臨床家の手の一部、第45回日本伝統鍼灸学会学術大会で道具へのこだわりについて書いたのですけど、今回の業者ブースは狭めで業者さんの方も大変そうでした。広島の大宝には特注品の瀉法鍼をいつも頼んでいるのですけど、量産化を目指して情報交換しているのですが今回は二ヶ月経過しても届かないので、担当者と直接話をしてみたかったですが残念。イトウメディカルでは二木式ていしんがその場で売れていたのがうれしかったです。でも、一年以上前から頼んである次の標治法用ていしんの試作品がまだできあがってこないので、弱みを握っている(?)ことから非売品の特別な鍼も売ってもらえるように交渉成立でした。
円皮鍼については昨年にさんざん書いたのですけど、名古屋の天野先生からもらった情報では絆創膏の種類が変わってしまい使いづらくなっているかもしれないということで今年も一通り業者に尋ねました。持ち手のついているタイプは施術者側からは扱いやすいのでしょうけど、突起部分が鏡餅のようになっているのでそこから気が抜けてしまいます。敏感な患者さんだと違和感に変わるという話を今回何度も聞きましたし、zeroという鍼部分が実際には刺さらないタイプというのも試してみましたがやはり突起から気が抜けていました。ところが一日目は大混雑していたので飛ばしていたすぐ横のブースは円皮鍼|株式会社ファロス PHAROS|鍼灸用品・テーピング専門店であり、ここには滅菌済みシートに貼り付けた以前に愛用していたタイプとそっくりの製品がありました。見本のものはのりが煮えてしまっていてシートからはがしづらかったのですけど、気が抜けないことと適当だろう長さを確認してすぐ一箱購入してきました。同じように滅菌済みシートに貼り付けてあるタイプのものがほかの業者にもあったのですが、鍼が長すぎることと材質が堅すぎてこちらは購入してきませんでした。治療室で現在使用中のものと比べると刺さる長さが結構違っていたのですけど、やはり鍼の材質の違いから発生してくるのだという確認になりました。
さて、ここからが今回の収穫と課題の部分になります(なんと長い前振りだったのでしょう)。
出会いというものは不思議なのか必然なのか「平成を翔ける流派と私」の中でも何度も語られていたのですけど、奇口九道脈診の実技セッションで脈診の指使いが言葉の説明だけではわからないので同行してもらっていた滋賀漢方鍼医会の会員に指を当てながら説明してもらっていたところ、セッション終了直後に声をかけられました。東京から来たというまだ三十歳そこそこの視覚障害者の男性であり、視覚障害者でも鍼灸専門で開業できている先輩たちの情報が得られないかということで参加していたということです。盲学校の在校生は30年前に比べると激減しており、視覚障害者で開業を目指す人も減っていれば鍼灸専門でというファイトのある人は希少価値になっており(鍼灸専門は私の時代でも希少価値どころか否定をされましたけど)、それでも目指したい人はいるので情報が欲しいという話でした。
私は目立った活動はできていないものの、広報部「視覚障害者のための情報提供委員会」の委員ですから、点字プログラムは受付でもらっただろうが事前にテキストファイルで抄録集が届いているかを尋ねると、届いていないということです。完全な個人参加だと把握しきれませんが、賛助団体から参加しているのに情報が行き渡っていないということは委員会の手落ちです。東京在住ということですし2月に次の委員会が杉山神社で開催されるので、しかも次からは実技交流が実現するのでこれを機会に委員になってお互いの情報交換をしないかという話をしました。漢方鍼医会でも視覚障害者で鍼専門の開業をしているのは40代の先生が一番下のクラスであり、開業そのものが30代にならないとなかなかできない時代なものの一般就職が難しいが鍼専門を目指している若い人たちはまだいるのだと、こちらの方が勇気をもらう短時間でしたが中身の濃い話ができました。その後、まずはメールから連絡をして委員会へ参画してもらえるように手続きを進めてもらっています。
それから今年度もまだ常勤助手が「にき鍼灸院」にはいないので、一日目には明治国際医療大学の学生に、二日目は滋賀漢方鍼医会の会員に手引きを兼ねて一緒に参加をしてもらいました。しかし、二人とも若い女性なのですが現在あるいはこれからの就職先が接骨院です。ダブルライセンスの取得者であったとしても院長は経営的に柔道整復師の立場優先になりますから、鍼灸の可能性を追求した仕事内容にはなりえません。私のようにあんまの免許は持っていても営業科目から完全に外してしまわない限り、一番収入が入りやすい科目から経営戦略ができてしまうのは避けられないので、接骨院の形態がある限りはその箱からは抜け出せないのであり、中へ入る人たちも同様になってしまいます。仕事内容が割と自由にさせてもらえるとか出張先だと監視の目がないのでいろいろできると言いながらも、伝統的な鍼灸術のやり方は就職中は「練習のための練習」の領域にしかならないという話をしていました。
それに診察全般がそうなのですけど、特に触診は最初は教えてもらわないと絶対に習得できない分野です。治療の経験値は絶対に必要なものですが、その前に問題意識がどこにあるのか・どんな触り方をすれば情報が得られるのかの入り口は教えてもらわねば習得ができません。見よう見まねで大工仕事をしていてもそれは日曜大工のレベルまでで、基礎から一軒の家をたてるのは理論だけでなく実地訓練を受けないとできないレベルであり、鍼灸も見よう見まねや自己流アレンジでは理論と実際が結びついた治療には成りえません。また「三人寄れば文殊の知恵」ではありませんけど、研修会へ参加して仲間を作り刺激を常に受けていなければ感覚はすぐ鈍くなってしまうだけでなく、鈍くなったことにさえ気づかないということも話しました。
「自分がしてほしかった治療にやっと巡り会えた」と繰り返し語ってくれる患者さんですからここまでのことを学会へ参加していたという話題から後日話していたなら、様々な治療院を訪れたものの接骨院は中身の全く同じ形式的なものばかりであり、同じことを繰り返しているだけなのだから二人の女性は若い時間を無駄にしている・戻ってこない時間をもったいないという痛烈な感想を聞きました。鍼灸にも独自の診察・診断法があると知ってからは、問診だけで痛い箇所だけに鍼をしていることが信じられなくなり、西洋医学はこれからもお世話にならなければならないものの画像やデータに頼っただけの診察にも信頼がなくなったといいます。
二日目の帰りの京都駅で反省会を兼ねた夕食を三人でしていて、ほぼ同じことをすでに話していました。私が脈診でのきわめて浅い鍼(現在は全く刺さらない鍼)による治療を選んだのは、「自分がこういう治療を受けたかったから」の一点だけなのです。高校生の時に強烈な眼球の痛みに苦しんでいても病院では原因不明で治療さえしてもらえず、自分で鍼が持てるようになったなら症状はほぼ治癒したものの治療とは名ばかりのあちこちへ刺しまくっていただけの行為でした。自分が受けたかったのは「痛みや症状」を手にとってわかってもらえることであり、通うのがうれしくて楽しいという治療です。具体的なスタイルは見えなかったものの、余計なことは一切せず一点突破でやってきたのが今の鍼灸院です。滋賀県彦根市はこう通便はよくてもそれほど人口は密集していない普通の町ですが、鍼灸専門で毎日20人を着ることはなく30人を超える患者数の方が多くなっているというのは、「自分が受けたかった治療」だけを実現させたからだと自負しています。鍼灸の受療率が下がり続けているのですけど、伝統的な技術を会得すれば非常に明るい未来があります。それを若い人たちに一点突破で選んでほしいのですけど、まだまだ努力が足らないということですね。