『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

第24回漢方鍼医会夏期学術研修会大阪大会、少々投げやりな結論ですが

 第24回漢方鍼医会夏期学術研修会大阪大会が、2019年8月25日・26日と京都ガーデンパレスを会場に開催されました。主題『漢方はり治療の継承』、副題「難経脈論に則った季節と漢方はり治療および陰陽調和の手法」ということで、ここ数年間(かなり正しく書くなら本部20周年記念以降に出されてきている様々な治療法や手法)をすべて取り入れて消化できればというプログラム構成になっていました。

 2012年の9月に開催された本部20周年記念大会は「新版漢方鍼医基礎講座」のテキストが春に発行され、「取穴書」が大会で発行されるという漢方鍼医会が歩んできた道のりの集大成になっていました。漢方鍼医会20周年記念大会レポートその1、まずは客観的報告と全体的 では六回分の記事で詳述しています。しかし、「学術の固定化はしない」がほかの鍼灸研究会と漢方鍼医会の最大の相違点であり、明くる年の大阪大会でいきなり邪論による治療が最前列に出されてきて「これを追いかけねば次のステップはない」のような雰囲気となり、次の年の滋賀大会と2年後の愛知大会ではあまりにヒートアップしないようにと配慮したものの、本部で時邪の処理についてが新たな試みとして追加され全体の流れは邪の処理へ傾いていきました。
 さらに名古屋大会で「陰陽調和の手法」ということで、経絡が循環しているのか求心性なのか古典の記述に矛盾があるところを垂直方向での手技を加えることで解決していこうという提案がされてきました。東京大会では尺膚診にスポットライトが当てられ、これは脈状観察の手がかりになり診察そのものが簡便ですから、実際の治療ともっとリンクさせていく詰めが必要なところでしょう。
 これらの大きな流れをすべて受け止めての漢方鍼医会になっていくようにというのが、第24回漢方鍼医会夏期学術研修会大阪大会の概要です。いい表現をすれば「普段やっていることをすべて集めてきてみんなでもっと深めていこう」ということであり、悪い表現をすれば「全部入りにしたから好きなようにやってくれ」というところでしょうか。参考資料の中に、治療法の選択肢としてやや投げやりな表現というか自分がやりたい方法を選択すればいいという書き方があり、これが漢方鍼医会の現状を表しているように感じています。

 それではプログラムに沿って書いていくと、まずは会長講演。最初に脈診での浮沈の基準についてテキストの記載が落ちていた話から始まったのですけど、「中脈」という言葉を使うのに違和感があるのは私だけでしょうか?脈差診(比較脈診)の時代、「最初に真ん中で均等に触れる中脈を探しなさい」と教えられて散々にここでわからなかった時間が長く、単純に九菽を境に判断してほしいというシンプルな表現だけがいいと私は感じています。それから補瀉法について、古典をさらに読むと瀉法は刺鍼している記載がほとんどだが補法は接触だけではないかと読み取れる箇所が見受けられる。ていしんの有効性の話は興味深かったです。そして近年は季節に応じた治療をどのように組み立てていくべきかを継続講義の形で行われており、五気と六気の二つが存在してくることについてかなり詰められてきているように感じました。ただ、これを聞いて初級クラスのまだまだ手探りの人たちは、カレンダーともにらめっこしながら臨床をしていかなければならないのかとため息をついていないか心肺もします。五行穴・五要穴の表を壁に貼って選穴を確かめながら行っていたというのは昔からの経絡治療のスタイルであり、この程度なら慣れるまではカンニングペーパーとにらめっこしながら習得しておりパターンを飲み込むのもある程度の数でできてしまったのですが、数年間はカレンダーを見ながらというのは占いの世界に勘違いしそうです。臨床とはもっとダイナミックなものであってほしいですし、出会い頭に想定外のことがぶつかってきてしまうのが臨床ですから季節をまず前提とするのか目の前の苦しみを前提とするのか悩ましいところです。私は季節の影響は指で払えばノイズの除去はできると考えるので完全に後者です。
 基調講義については、随分とネタにされてしまいました。内容の半分以上が漢方鍼医会の変遷の歴史話であり、聞く立場によっていいわけだったり納得をしたり「へぇー」という裏話集だったり全然わからなかったりだったでしょうから、これは評価が相当に分かれるところでしょう。ネタにされた立場からは、それだけ漢方鍼医会での立場が重いのだと肯定的に評価してもらえていると捉えています。最後の方で季節の治療について話されたのですが、症状や脈状については詳しい説明ながら治療法がどんなやり方でも効果が出せるという点は肯定できるものの、投げやりな書き方がやはり気になりました。初心者の育成という点では、基準線があった方がいいと感じます。

 昼食を挟んでいきなりディスカッションが行われたのですが、これは本番になってどうしてこの時間帯なのかの意味がやっとわかりました。大阪漢方鍼医会が主張する「季節の治療」とは、五気に従って自動的に用いる選穴が数カ所はじき出されるのですから、反応は確かめるもののそこへ瀉法をするのだという意味がやっと参加者へ伝わってきたのです。「有無を言わさず」というよりも「問答無用で」と表現した方がわかるように無条件でまずは瀉法から入るのが実態だというのは何度も本部での話は聞いてきたのですが、本当にやっていると大阪以外の人は信じていなかったのでその後の実技でも一部混乱はあったでしょう。
 文字だけで表現すると「随分乱暴なことをする」と感じてしまいますけど、強烈にズボッと抜き去る瀉法をするのではなくやんわりと時邪だけをまず排除するというイメージの方が正しいと付記しておきます。でも、そのままで本治法が成立する確率が結構高いというのはまだ受け入れられていませんし、治療時間の短縮ができているというのはもっと納得できていません。該当する経穴へ瀉法をするのですけど、これが一発で納得できるような形になっていたことが大阪の会員でもまずなかったからです。それから瀉法をどの程度まで行えばいいのかという目標設定、脈診以外での確認ツールが存在すれば歯止めがかかっていいのですけどそんな話は出てきませんでした。貯金にいくら貯金を継ぎ足しても貧乏にはならないのと同じで補法に補法を継ぎ足しても悪くなってしまうことはあまりないものの、必ずしも借金ではなく必要経費の部類かもしれませんけど抜き続けていればいつかは貧乏になってしまうのであり瀉法で抜きすぎると悪くなることが多く修復が困難になりますから、「どこまで」を見極めるのが非常に難しそうです。
 それから胃潰瘍とか気胸とか骨折とか物理的変化があるようなケースだと、「季節の治療」だけで押し切れることはまずないでしょう。発表にもあったように症状からして潰瘍の患者さんで土用に入ったので脾経を使うようになったなら急速に回復したというのは、発表者も少し話されていたように最初から脾経を用いていればそのときから回復していたのではないかという公算が大きいからです。
 けれど私の臨床も六気がベースではあるものの、まず該当する経絡の陰経と陽経の井穴を摂按(せつあん:指を経絡とは垂直の方向へ数回動かし衛気を排除する方法で擬似瀉法になる)を三セット行い、時邪から受けているノイズを除去してから漢方はり治療へ入っているのでやり方としては全く同じでした。問答無用で摂按をしています。ここで問題というのか大きな違いは、本当に鍼を用いて瀉法をしてしまうのか指で疑似瀉法の段階までなのかであり、できる限り瀉法で攻めたいのか衛気も補い陰実証も駆使してという風にしたいのか臨床スタイルの違いが方法論の違いになってくるのでしょう。
 「陰陽調和の手法」については非常にコメントしにくいのですけど、私がかなりパネラーへ噛みついていたように、従来のように経絡の流注に従い軽擦をしてから取穴してということをすると理論が破綻してしまうので取穴はどうやって正確にできるのかと質問を繰り返したのですけど、話は平行線のままでした。垂直方向の手法ということですから水平方向からのアプローチという表現をしたのですけど、録音を聞き返してみると私の表現も少々わかりづらかったかも知れません。とにかく正確な取穴をするには流注上の軽擦が必須であり、既に水平方向へ流しているのにそこから垂直方向の手法というのはあまりに強引であり手法時間や陽経の浅井箇所とか問題点を指摘し始めたならきりがありません。
 標治法では外虚内実あるいは外実内虚と内外の差が大きいときに垂直方向の手法というのはあり得ますし、臨床でも重宝しています。ですから、手法そのものを否定しているのではありません。けれど古典のあちこちにそれこそ難経では一難に「経絡は一日に五十周する」とあるのですから、経絡に一巡してもらえば求心性の問題はクリアされてしまいます。ということで、やはり治療を組み立てて行くには経絡が循環してくれていなければ理論が成り立たないのですからわざわざ本治法へ用いる必要性を全く感じられないのです。それに圧倒的にすごかったというものを見せてもらったことがありませんし、年々理論が複雑になって「ほんまにこんなんでできるんかいな」と思っている人の方が多いはずです。本家本元でも統一されていないことが暴露されていますし、研究段階へ戻すべきだと改めて思います。

 ここから四時限にわたって実技が行われたのですが、研究部では講師陣が一つのテーブルに複数配置され、これは普段あまり実技が一緒になれない先生方との交流ができて非常に楽しい時間となりました。若手の先生へ指導方法の伝授もできたかと思います。「季節の治療」では経渠が使えるケースはかなり多かったという印象なのですけど、あえて渋っている脈状のモデルをこちらで選んでいたというのも事実です。六気での摂按をするやり方も一つ実践してみましたが、こちらでも大きく脈状が変化できることを確認してもらいました。
 気になった点は、臨床現場になると自然体で立てていない人がほとんどだったということです。基本の自然体でさえ普段の地方組織で練習していないのだろうと見受けられるケースがありましたし、臨床現場でアレンジしての臨床的自然体についてを理解していない講師陣もいました。特に背部で「陰陽調和の手法」を練習していたとき、臨床的自然体ができているかどうかで効果が大幅に違うのであり本家本元の会員が誰もできなかったのはなんということでしょう。陰陽調和ではなくない害調和と表現した方が、理解してもらえるのでは?手法時間の長さについてもばらばらであり、逆にナソ・ムノでは鍼を当てているだけでかまわないというのに動かしたい欲求が大きく、治療の考え方に強引な面が目立ちました。
 それから研究部へ参加しているのに、一人で証決定のできない人が混在しているのも気になりました。研修部ならまだわかるのですが、四時限目の総合治療で周囲からも指導を受けているようでは、大幅なスピードダウンであり効率が悪すぎました。助手として働いている会員なのに基本が習得できていないケースも、ちょっとお粗末でした。
 次の滋賀夏期研を見据えて耳前動脈の触診についてちょっと披露してみたのですけど、指の重さがあまりに強すぎるのは最初は仕方ないとして見本に追随して改善しようという姿勢にならない人がほとんどだったというのはかなり問題です。私も初めて提唱者の先生に触ってもらい「こんなに軽くほとんど浮いているようなのものだったのか」と衝撃を受けたのですけど、その場から指の重さについてすぐ検討と練習を繰り返したのに「いやぁこれはなかなかできません」と形をまねようともしないのは困りものです。確かに不問診は誰にでもできる技ではないのですが、最初の心の持ち方からなんですよ。
 そして一番問題に感じたのは、診断での脈診のウェイトがあまりに大きくなっていたことです。診察の段階で脈診を徹底的に駆使するのは何ら問題ないのですけど、診断の段階で最終決定権が脈診に傾きすぎていると書いています。尺膚診にしても脈状の裏付けをとるという位置づけですし、邪を探すのはもちろん脈診です。けれど触覚には個人差が大きく、そして熟練が必要な技術ですからあまりに脈診のみに傾くと新しい入門者がいなくなってしまいます。もちろん伝統鍼灸学会で技術交流をやってみるとほかの研修会での脈診は単なる確認ツールだったことに衝撃を受けたのですけど、脈診のウェイトが高すぎるのも大きな問題です。私は大師匠が不問心の名人でありその流れを受け継いで不問診を臨床で相当に用いて時間短縮をしているのですけど、診察では最大限のウェイトにしても診断ではあくまでも総合判断です。脈診で証決定しているとワンパターンになってしまうか、治療法則を無視して気になった箇所へ鍼をするだけの凸凹治療に陥ってしまいます。
 最近の漢方鍼医会で脈診のことに執着している人ほど、今度は菽法脈診のことがおろそかになっているというのはどこか本末転倒してしまっています。いい治療ができたときには各部が菽法の高さにぴったり合致している、その確認がこれから必要でしょう。

 付け加えになりますが、三年後に滋賀漢方鍼医会が次の夏期研担当になることが二ヶ月前に急遽決定しました。2022年か2023年かに担当せねばならないことは以前からわかっていたのですけど、どちらにしてもその前にワンクッションあるはずのものがいきなり次の開催ということで、突然にプレッシャーが大きくなりました。夏期研を主催していくということはものすごい量の準備をこなしていくことであり、主題・副題を定めて勉強をしていくことよりも事務的な準備の方が遙かに大変で二年前からの大事業になります。
 それなのに会員の覚悟ができていない間に次の開催の予告についてとりあえずの決定を出していかねばならず、会員全員という形で準備委員会を組織して滋賀の得意技は何かをまず確認しました。滋賀漢方鍼医会がずっと取り組んでいるものは基本技術をとても大切にしていて会員全員へ浸透させていることです。ですから、夏期研の記事を書くたびに本部はもちろん地方組織での基礎技術修練への取り組みで粗が見えてしまい文句を書いてしまっています。今回の夏期研でも基礎修練の時間はあったものの基礎を繰り返して悪いことは何もないのですから、大幅に時間を割くことは一つ決まりました。しかし、これだけでは夏期研にならないので補助療法の実技プログラムへ、完全に独立した枠として一つか二つか組み込んでいこうということにもなりました。でも、実技の組み立ては白紙状態です。それを閉会式で話さねばならなかったのは今回一番緊張した場面だったかもしれません。
 ほらは吹いていませんけど、白紙状態のものをいかにも「これでやりますからこうご期待ください」と宣伝するのは、ますます自分へのプレッシャーが大きくなりました。3年後の2022年まで、長丁場での取り組みになっていきます。ずっと緊張し続けている必要はないものの、3年後は吐法もなく長いです。

 今大会の私なりのまとめです。いい意味でも悪い意味でも漢方鍼医会の現状を集めた大会であり、よかった人にはよかったでしょうし迷いをさらに深めてしまった人もいるでしょう。なんかこちらも投げやりな感想になってしまっていますけど、すべてを肯定していこうとすればこういう書き方しかできません。それがいいのか悪いのかと詰問をすれば、あまりいいとはいえないでしょう。
 それは最近の会員数減少に歯止めがかからないところに現れています。夏期研の旅に新しい技術を習得施与までは技術革新だからいいのですが、毎年方向が変わっていくのはついて行けない人の方が多いです。鍼専門で時間が足りないくらいに忙しく仕事のできている人ならおもちゃ箱に新しいものが次々入ってくるのですから面白いかもしれませんけど、実際は開業して鍼灸専門でという人の方が遙かに少なく保険治療で足かせがあったりマッサージや柔整の方が稼ぎの大半だったりするのですから、あるいは雇われていたり副業をしなければならないとかが実情なのですから「学術の固定化はしない」といいながらも「食える鍼灸師の育成」を落としていてはいけないと思います。食える鍼灸師を育成するためにはシンプルな土台でなければならず、そこへ個人でデコレーションしていけるというスタイルが理想的じゃないでしょうか。
 経絡治療分野の鍼灸研究会全般に若い鍼灸師の入会が少ないことと途中で退会してしまうのは共通の悩みのようですが、漢方鍼医会だけでなく鍼灸業界全体のためにまずは研修会へ鍼灸師は所属して常に勉強を続けるべしということを広く認識してもらえるようにせねばなりません。そのためには、もうマスコミを使ってもいい時期ではないかとも考えています。