『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

経絡に一周してもらうと、矛盾は解消される

(これは2019年7月21日の、滋賀漢方鍼医会の朝の挨拶を文章化し若干の加筆をしたものです)

 先月に学会誌が発行されすでに読まれたと思うのですけど、その中に4月の外来講師講演が文章化されて掲載されていました。講師の荒川先生は「取穴書」作成の時にも少し文章を見ただけで、「こことここがおかしい」と鋭い指摘をすぐいただきそのときの印象があまりに強いので、個人的には名前をずっと覚えていた先生です。本部を中心に難経の注釈書を改めて作成されているのですけど、そこでもご指導をいただいている先生です。
 講演の前半は「私がまとめたのではなくほぼ受け売りのものを集約して話しているだけだよ」と前置きされてはいたのですが、非常に面白い話だったので録音は二度聞きました。そして今回学会誌で文章化されたものをもう一度読んでみると、ここ何年か漢方鍼医会では問題にされている経絡の流注のこと、つまり求心性なのか循環をしているのかという古典によって記述が食い違っている矛盾について私としては結果が見えました。

 私がトリガーポイントや刺激を中心とした考えではなく経絡を積極的に動かしていこうとする鍼灸について説明をしようとするとき、素人さんだけでなく一般鍼灸師へもこのような切り出しから始めます。まず「鍼灸や治療の起こりとはどういうことだったと思います?」という点から、猿から進化をして長い手足と二足歩行をするようになって木の上から降りてきた人類なのですけど、それでも農耕を始めるまでには時間がかかっていました。では、どうしていたかというと食べられる果実や野菜や草などを集めていたでしょうし、野生の動物を狩猟する生活だったのでしょう。
 性別からの差は生じますから、女性は子育てと自分たちのすみかを守ることを主な仕事としていたでしょうし、男性は体力を生かして狩猟に出かけることを主な仕事にしていたと思われます。狩猟の際には、毒のある草を触ってしまったとか毒蛇に噛まれたり毒虫に刺されるということもあったでしょう。毒がないにしても動物に襲われることもあったはずです。出先で命を落としてしまうこともあったでしょうが、愛する家族の元へ帰りたいと思うのは本能なので必死に戻ってきます。すると、けがをしているのを見て驚きます。赤くはれ上がっている程度なら、「治れ治れ」とその箇所をさすっていたことでしょう。最初の医療行為ですね。ですから、治療をすることを「手当てする」というのです。荒川先生の話にも、「子供の頃に医者へ行って手当てをしてもらった」というのは、同じようにまずその箇所へ手を当ててもらうことから始まっているのだといわれていました。
 赤く腫れている程度ならまだいいのですけど、毒が入っていたならどす黒くなってしまいます。「これはどうすればいいのか」と考えたなら、「そうだ放血(私たちの言葉では瀉血)をすれば助かるのではないか」と、傷口を切開してみると楽になったという経験が自然発生していたでしょう。ところが、「なかなか毒が排出されないから」という時に手当てをしている側の人が口で吸い出してやろうとやってみた、そういうことも当然自然発生していたと思われます。子供の頃にけがをしたなら自分で水道で傷口を洗うのですけど、もう少し思った通りにならなかったなら犬が傷口をぺろぺろなめるように本能で自ら傷口をなめたり吸い出したりという経験を、誰もがしているはずです。このように毒に犯されたものを傷口から吸い出していたときに、不幸にして手当てをしていた側が血液を飲んで死んでしまったという事故があったので、これを防ごうと動物の角をくりぬいてストローのようにして吸引するという知恵が出てきました。ということから、放血させる(瀉血)治療のことを「吸角僚法」ともいうのです。西洋でも東洋でも、医療の始まりは瀉血療法から始まっていることは間違いないと思われます。
 ところが、次は歯が痛いとか頭痛がするというのでその箇所を揉んであげようとか手当てしてあげようと思うのですけど、痛みが強すぎて「触らないで!!」という場合があります。それでも苦しみ方がひどいので気休めにと我々は専門家ですから経穴名で表現してしまいますが合谷を揉んでみたり、たまたま足三里に手があったとかしたなら「あれっ、治ったぞ」という経験があり、これらの積み重ねからツボ療法というものが発生してきたのも想像に難くないところです。荒川先生も話されていたことですが、治療をすることが目的ですからツボはまず求心性に発見されてきたのだろうと思われます。私個人はツボが求心性に発見されてきたのかまでは考えていなかったのですけど、末梢の側から発見されたのだろうということは同じ支溝でした。
 そして私が想像していたのは、ツボとツボが発見される中で「どうやらこれは一本の流れになっているぞ」ということも発見され、流れをたどっていくとその中間にもツボがあることが発見されてと経脈と経穴は二人三脚の交互に前進していく形で発見されてきたのだと想像していました。ところが中国で何年か前に、ツボは所々しか記載されていないのに脈はしっかり描かれているという図が発見されました。つまり、経穴よりも経脈の方が先に存在していたという説が出てきたわけです。これは想像外の事実が存在していたんだなぁと思っていたところ、荒川先生のお話を聞いていると末端の方から治療をするということがわかってきたのだが治療を体系立てようとすると循環をしていてくれなければ具合が悪い、具合が悪いというよりも実際がそうなのだから理論をくっつけてきたときに循環というものを考えたり発見したりしながら身体そのものへ合わせてきたのだろうというお話でした。

 それで「経絡というのは求心説なのか循環説なのか矛盾があるよね」という問いかけがあったのですけど、私は今回文章化されたものを改めて読んでいて全く矛盾していないと直感しました。また講演の後半では七十に難から、経絡は循環しているとも付け加えられています。
 自分の手足を見ていただければわかるように指の末端は細いですし、だんだんと太くなっていって前腕から肘というようになり、下肢でも同じことです。このような形状を考えるとツボとは先端の方では浅く、体幹へ向かってくると深くなっているというのはごく当たり前のことです。ですから、川の流れから大会へ注いでいると説明されている五行穴という概念には、陰経でも陽経でも流注とは別次元なので何ら問題はないと以前から考えていましたし、陰経と陽谿で五行の組み合わせを変えることで表裏の調和が保たれています。また五要穴については末端から同じ並びであり、これは経穴の深さと主治症が一致するためのものだということなのでしょう。ちょっとややこしいのが五行穴と五要穴の大半がかぶってしまっているところなのですけど、原穴の扱いを見ればこれらも考慮されているというか臨床的なところがわかります。六腑は陽谿であり消化吸収と排泄を自ら行っているので原穴が独立しているのですけど、五臓で消化吸収を行っているのは脾だけであり脾は五行では土なのでその力を借りているということで兪土原穴になっているというのは、池田政一先生に何度も教えてもらったことです。
 岸田先生や小林先生は気が見えるといわれていますが、気には流れがあり方向も存在していると聞いています。ただ、そのときによって方向が違うようなことも聞いているのですが、これは治療家が「こういう治療をしたい」と流れをコントロールしているのではないかと想像しています。私はそんなことをしたことがありませんしできませんけど、治療家に技量があれば気の流れる方向を制御することもできてしまうのではないでしょうか。
 そしてあちこちの古典に書かれていることでもあり、難経の最初である一難には、昼に二十五周・夜に二十五周・一日で合計五十周するとあり、これだけでも循環していると書かれてあります。そして一呼吸では六寸とありますから、大腸経の陽谿から温溜までが六寸なので一呼吸で進む範囲はこの長さだとわかります。これは営気の話です。衛気というのは脈の変化が瞬間的であることからもわかるように、ワープをすると表現するとちょっとおかしいですが瞬間的に大きく動きます。
 中学の理科で習った原子の構造を思い出してください。太陽経の衛星軌道モデルで習っていると思いますが、太陽が原子核で惑星が電子という構造です。中心にある原子核とその周辺を電子が回っているのですけど、ちなみに原子の重さのほとんどは原子核の重さで1838:1ということで電子はものすごく軽いです。そして私が今ここで手のひらにリンゴを持っていたとするとこれが原子核で、1kmから1.5kmくらい離れたところをミカンのような電子が回っているというような、微小世界ではすかすか状態の相当な隙間があるそうなのです。ですから電子というのは自由に飛んでいると想像してください。原子が重くなるということは原子核の中にある陽子と中性子の数が多くなるということなのですけど、その数と同じだけの電子があるものの必ずしも決められた軌道だけを回っているのではなく突然外の軌道へジャンプしてしまったり中の軌道の方へ移動してきたりと、太陽系でいえば火星が突然冥王星の軌道へ移動してしまったり海王星木星の位置になったりするようなものです。なぜか海王星木星の軌道へジャンプしたなら木星海王星の軌道へと等価で入れ替わるらしいです。そんな感じで衛気というのは自由気ままに飛んでいける性質があり、脈が瞬間的に変化するのです。我々が研修している鍼灸術は気の調整を重視していますけど、イオンのように自由に飛び回れる電子を動かすことで全体を制御しようとしていることにたとえられるでしょう。けれどその根底には大きな影響力を持つ原子核に当たる営気が握っており、循環していることが経絡の意義だと捉えられます。

 私が開業をしたとき、経絡治療のオーソドックスな本治法をしてから標治法へと師匠の治療スタイルから変えました。「必ず本治法をしてから標治法にしなさい」と古典には書かれていないのですけど、私は素直かと問われればひねくれてはいるでしょうけど、見た目と違ってまじめなのです。とりあえず教えられたことは一度やってみる、それで実現ができなかったときには実現できるようにとほとんどは工夫という抜け道を探そうとしてしまいますが一応努力という勉強をして追いつこうとします。ちょっと信じられないですか?ですから、福島弘道先生がされていたように本治法をしてから標治法というスタイルとしました。まぁ本治法という言葉はおそらく経絡治療という枠組みができてから発想されてきた言葉でしょうし、標治法はその裏返しでどちらも古典のそれらしき言葉からもらってきているだけなので、治療順序は局所的なことを後付けに書かれてあることから判断されてきたのでしょう。ただ、この後の考察の中心からも本治法が先で標治法はその後の順番が適切だと、私は確信しています。
 師匠の治療室では脈診を含めて最初の診察をしたなら、いきなり背部へ大量の置鍼をしていました。短くて15分から長いと1時間以上も置鍼をするのです。長時間の置鍼をするとその毫鍼周囲に気が集まり、気が集まると言うことは血もそれに引っ張られて動いてきますからものすごく気持ちよくなるので置鍼の良さを私は「これでもか」というくらいに知っています。この置鍼の気持ちよさを本治法を先に行っても補える方法はないものかと考えて、経絡は一日に五十周するということは一周は約半時間であり、本治法と標治法の間に休憩時間を半時間くらい入れようと思いついたのです。普通だったならカップヌードルができる3分くらいを考えるでしょうけど、経絡が一周することを基準にその10倍で設定してみました。これを実際に自己実験してみると、非常に気持ちよかったのです。そして経絡が一周循環するのですから、私の当時の本治法では力の及ばなかったことを経絡が回ってくれることによって補ってくれるだろうという計算が成り立つとわかりました。ですから開業時から、本治法が終わると「しばらく休んでおいてください」と半時間程度寝かすことを一貫して行ってきました。
 それで先ほどの話の続きになるのですが、気というものは求心性なのか遠心性なのかよくわからず瞬時に飛んでいくという性質があり、営気は経脈内を循環するものということになります。この二つの生湿の整合性を取ろうとするなら、本治法をした後に経絡に一周してもらえば、瞬時に飛んでいくことも逆方向なのかということも循環しているのかも一周回ってもらえばすべて解決されていることに今回改めて気づきました。私が開業をして31年目に入っているのですけど、やってきたことの正しさをほかの先生が証明してくれたというのが今月一番印象に残ったことでした。

 ちょっと臨床の話をします。たくさんネタを提供してくれているあの女医さんなのですけど、昨日の土曜日に来院されました。実は四日前の水曜日にも来院されているのですけど、このときにはそろそろ疲れが蓄積してこのままだと頭痛になりそうだということでのメンテナンスでした。育児中なのでゆっくり眠れることがなく、本治法後にはすぐ爆睡となり喜んで帰宅されています。それなのに三日後の来院ですから、なぜだろうと思います。以前にぎっくり腰になってしまい「どうしても明日のどこかで挟んでほしい」というようなことがありましたから、またぎっくり腰になったのかと思いつつ「どうしたのですか」と問診すると前回治療の明くる日から経穴だと左の風池や翳風のリンパが腫れてきてしまったのだといいます。「疲れているんだなぁ」と言われますから、これは中身がわかっているだろうと突っ込みを入れると、実はあごにも痛みがあると言います。「先生これははが悪いと思いますよ」と伝えると「私もそうだと思う」とのことです。でも、母親に相談したならまずは鍼治療にと言われ、自分もとりあえず痛みを止めてほしいことと歯医者は午後からもあるので鍼治療へ先に来たと言うことでした。あごも触診するとやはり腫れているので、痛みは鍼灸院で止めることはできますけど虫歯か歯槽膿漏がありそうですから、午後からちゃんと歯医者にも行ってくださいということで治療をしています。
 この方は先ほど話したように出産経験があり年齢的にも悪血はたまりやすくなっていて、現在は痛みがしっかりあるということで肝実証になる要素がばっちりです。それで肺虚肝実証として復溜を取穴しただけなのですけど、「あぁ結構痛みが引いてきました」ということで続いて陽池にも営気の手法を行うと、「今度はあごに響いてきた」と言われました。以前にも患部へ触っていないのに響きを感じたということを聞いていたのですけど、医者の立場にしておくにはもったいない人です(笑い)。その後に検脉をしてから、本治法の仕上げに必ず行っている側頸部の邪専用ていしんを行おうと手を持って行くと「もう痛みが消えてしまった」と「まだ丁寧にやってもらえるのですか」と喜んでいて、その後は治療システムを熟知されていますから爆睡されていました。
 後半の標治法で戻ってくると、手がすごく温かくなり歯痛は全くなく首のリンパが腫れていることを自分でわかっていたのですけどこれもすべて解消していました。ただ、あごの腫れだけはまだ残っていたので「やっぱり歯医者は必要ですね」と言うこと、これが昨日の臨床でした。

 あくまでも今回の話は私の経験から出てきているものではありますが、核心だと思っています。皆さんがまだやったことがないのであれば、本治法をしてから患者さんを一度しばらく寝かせてみてください。今まで休憩を挟んだことがなければいきなり30分も寝てもらう勇気が出ないでしょうから、10分でも15分でも構いません。その後にどんな変化があるのか、確かめてみてください。手足の暖かさとか皮膚の状態にも、大きく変化があるのは珍しくないです。すごく面白いと思いますし、治療効果が上がる秘訣になるでしょう。