『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

第47回日本伝統鍼灸学会、ハンドワークアートを大切に

 11月23、24の両日、東京都江戸川区のタワーホール船堀で第47回日本伝統鍼灸学会学術大会東京大会に今年も参加してきました。大会テーマは「日本伝統鍼灸の確立に向けて―日本の鍼灸の発想と継承―」でした。学術大会なのでプログラム的に仕方ないところはあるのですけど、「継承」というのであれば参加者が体験できたり手ほどきを受けられるような実技がほしいところでした。かつては基本指針を希望者全員へ行ったりしていたのですけどね。
 けれど最近の鍼灸学校学生は下積み修行に入るチャンスがないのか入る気がないのか、師匠のそばにずっといて患者対応だけでなく社会人としての基礎を学び取ることをしておらず当然ながら細かな技術を盗み取っていないので、我々の時代で先輩諸兄から受け継いできた技術が途絶えてしまうかもしれないという危惧と寂しい気持ちを抱いているこの頃、ビデオで治療現場を撮影して技術公開をしていくという新たな試みはとてもよかったと思います。研修会によってはyoutubeで治療しているところを公開していますけど、ビデオの中でしゃべりながらというので実際の治療とは少し違ってしまい、私もこれに似たことはいくつかビデオをアップしているのですけど物足りなさを感じていました。それを昔の活動弁士のように会場で解説を付け加えるという形式、金沢大会で連続での実技公開があったときよりもずっとわかりやすかったです。WFAS2016はかなり寝られた実技公開でしたけど通訳が必ず途中に入ってしまうので、これらからいいとこ取りをしたというところだったでしょうか。個人的にはこの試みは続けてほしいと感じました。
 発表内容の細かなことについてはほかのブログなどで報告されていますから私は割愛させてもらいますけど、脈診についての対談は「おもしろかった」という意見が多かったのですけど漢方鍼医会の会員としては「これはひどい」というのが率直な感想でした。経絡治療が成立しただろう戦中のことから話が始まるのは筋道としても、その当時の書物から六部定位脈診で十二経絡の虚実が読み取れるのかなどを延々議論するのは時代錯誤も甚だしかったでしょう。別に陽谿が脈診で診察できてもできなくても、要するに治療プロセスの中で脈診がうまく活用できていればその治療家に任せておけばいいのであって、敢えて経絡治療と表現しますけど令和の時代にこの技術をどうやって発展させていくのかの議論の方が大切です。それぞれの研修会で脈診の扱い方はかなり異なっているのですから、壇上で議論してもらわなくてもよかったです。そして漢方鍼医会と東洋はり医学会以外では、証決定の決定打に脈診を用いていないのですから脈診の価値について語るべきと最近思っています。これは小委員会へ参加して実技交流を私が提案し、本格的に実施してみてそれぞれの流派を認められるようになり脈診のことがこれほど異なっていたのかという現実を見て、考えが変わりました。

 ここからは大会テーマに「継承」が含まれているので、「継承」ということで書いていきます。まずは先ほども書きましたけど、ビデオで治療風景を残すということはある意味では寂しい現実なのですけど、ある意味では書物では伝えきれないところが残せるので有意義だと思います。まぁビデオだけで満足して実際の研修会に参加しないでは「絵に描いた餅」に毛の生えた程度になってはしまいますが・・・。
 それから脈診についても詳細に活用していないと嘆きも書きましたが、それぞれに素晴らしい技術をお持ちなのでこれを継承していく動きの方が大切です。西洋医学エビデンスに対応する研究ばかりされている昨今、鍼灸学校では本当に臨床のできる学生教育がされておらず乱立状態で以前ほど裕福な経営をしているところがめっきり減っている鍼灸接骨院へ相も変わらず就職先を求めている現状、無免許なのにマッサージをさせられることがわかっているのにそれで患者の期待に応えられる技術者は育ちません。育てようという気のある先達が非常に少ないのですから、技術継承を目指している師匠を見つけることが若い人たちには第一の課題だということもう少しわかってほしいです。
 一般講演の中で、橈骨動脈の解剖からの考察で三部それぞれに違う脈が触れることを解明したという報告があり、これは興味深かったです。私が滋賀県立盲学校に在学していたときに京都大学医学部の学生が行っている解剖実習を二度見学させてもらったのですが、一度目は二年生だったのでおとどろきと珍しさで時間が過ぎてしまったのですけど二度目は経絡治療の世界へ足を踏み入れていたので、橈骨動脈がどうなっているのかをいくつも比較しながら見学していたのを思い出しました。確かに六部定位の位置になると脈管が細くなり、ちょっと違っている陰証があったと記憶しているのですけど解剖的には結構複雑で、寸関尺それぞれに触れる動脈が実は異なっていると解釈できるそうです。この話は継承してほしいです。

 業者ブースを画面が見えないとわからない「易」の時間にゆっくり冷やかしていました。ここで大発見です。ローラー鍼の製造元のカ株式会社 ナケンで触ったなら刺激がきつすぎて痛いのです。「これはあかんやん」と思い切り文句をつけたのですけど、金型は昔から一切変わっていないと反論されます。「そんなことないで、使ってるうちに刺激が柔らかになるんか」ということで持参していた治療セットの中から金メッキのローラー鍼を取りだして比較するとこちらは痛くありませんから、これはメーカー側も納得です。けれどどうしてこれほどの違いになるのだろうと、今度は一緒にいた名古屋の会員も巻き込んで議論が始まります。そこで展示してあるローラー鍼を順番に試していくと、同じ刺激弱タイプなのに何もメッキのしていない銀色に見えるクロームは痛いのですが金メッキだと途端に痛くないことがわかりました。この大発見は何度も何度も繰り返して確認し、業者にも確認してもらいました。
 ローラー鍼は一往復程度を軽く皮膚上を滑らせて使う方法もありこれは痛みをあまり気にしなくていいのですけど、背部全体を施術するためにはローラー鍼をしっかり皮膚へ押さえつけて横滑りがないようにしなければならないので痛みに気をつけねばなりません。「気を面に広げる」と表現していますけど、背部への針数はできれば減らしたいもののそれでは効果が限定的になることと持続力を上げるためにローラー鍼の施術を考案したのであり、本当に気持ちよさが倍増します。それに助手の仕事としても適当です。ということで、今まで院長だから金メッキでそれ以外の人は普通のクロームとしていたのですけど、保管庫に残りが数個ありましたがすべて金メッキのローラー鍼へ入れ替えることを即決しました。この情報は継承していきます。
 それからまだあまり公には報告できないのですけど、漢方鍼医会での奇経治療を作り直そうということでプロジェクトが動き出しています。それに絡んでのことなのですが、ていしん治療が漢方鍼医会の代名詞のようになっていますからていしんでも効果は出せるものの本治法と混同しないように専用の鍼を作った方がいいと考えて試作品に取りかかってもいたところ、先端の形状に求めていたものが大宝医科工業株式会社(ドメインのページが表示できないので紹介ページをリンク)にありました。この求めていた先端の形状を両端に持ってくることはできないかと相談したところ、こちらも試作品でまずは取りかかるということで話がまとまりました。奇経治療も継承せねばならない技術ですがハードルが高いので個人的にはほとんど放置していたのですけど、若い先生の言葉に目から鱗が落ちて再び取り組んでおり、継承できるモデルが作れるかもです。今年も業者ブースでは大収穫です。

 そして学術大会といえば半分お祭りですから、しっかり時間を作っての懇親も深めてきました。会場が東京の時には日曜日に終了したなら必ず立ち寄っている公式HP】東京深川、森下にある馬肉料理みの家では、良質な桜鍋や馬刺をご賞味ください、もう20年以上も前になりますがちゃんこ鍋を予約しておいたからとつれられて地下鉄で移動してきたのですけど、お店が休みで別を探そうということになったなら有名な桜なべの店がそこにあったということで入ったのがきっかけでした。私が何人も連れて行きましたし、そのうちに漢方鍼医会の中では有名になって出かける人も多くなり、今回は団体様での予約になりました。我が物顔で騒いでいた上に領収書を人数分発行してほしいとわがままを事前に伝えていなかったりと悪逆そのものだったので、ちょっと羽目を外しすぎでしたね。ここからは地下鉄で移動していたのでおとなしくホテルへは戻ったのですけど、日付変更線までまた部屋で飲んでいろいろと話をしていました。今の漢方鍼医会はどこへ向かおうとしているのか、学術の固定化をしないことが最大の特徴であり特色なのですけど何もかも全部入りではベテランは面白くても新しい人を育てる土壌にはならないことを、かなりヒートアップして話していたように記憶しています?
 そして二日目が終わったなら、昨年の学術大会で知り合って「視覚障害者のための情報提供委員会」へも参画してもらった先生と約束をしていたので、再び「桜なべ」へ。白杖を持っていて目立つことこの上ないのに、よくぞ明くる日でも入店させてもらえたものです。また大きな声でしゃべっていましたけど、時間が早いので人数もそれほどでもなく領収書も一枚だけとシンプルだったので笑顔で応対してもらえました。研修会は違えども、視覚障害者が鍼灸師として生き残るには勉強をするしかなく、勉強さえしていれば治療家が障害者であろうがどうであろうが患者さんは全く関係ない顔をしてくれますし、むしろ視覚障害があることで見えている世界にも期待をしてくれているという点で、話が大いに盛り上がりました。まさに私が30数年前に目指そうとした世界のことを、令和の時代になっても同じように考える人が存在してくれていることを心強く感じたのでありました。

 願わくばこのような無骨のある人がそこここにいてくれることと信じたいのですけど、そこは残念ながら下積み修行を嫌ったりとりあえずの安定した収入の道にしがみついたり、西洋医学ができないことを鍼灸に求めて入門したはずなのに西洋医学の集客力に依存したりのケースが多いので、何か一つはじけてしまわないかと思ってしまいます。地域医療で求められているものは的確に治療効果が出てくれる診療であり、仕事や日常生活を圧迫せず受診できる体制なのですから、それがかなえられるのは開業鍼灸師しか方法はあり得ないのです。伝統鍼灸学会へ参加するとそれぞれの地域で頑張っておられる先生方の姿に接することができ、一年に一度のリフレッシュを今回もさせてもらえました。
 けれど、だんだんとハンドワークアートと表現された手技手法の芸術のような世界が薄れていることも実感せざるを得ないのも確かでした。鍼はミリ単位ではなくミクロン単位の操作で効果が左右されるものであり、うまく作用できればたった数本・たった数分の治療で驚くべき変化が出てくれるものなのに、目先の効果のために手数が多くなりアートの部分が失われていっているのです。その点、漢方鍼医会のていしん治療はごまかしができないのでハンドワークアートの軽傷にはもってこいです。ただし、「しなり」があるために毫鍼は手法がおおざっぱな段階からでも経絡が微妙なところを吸収してくれますけど、「ていしん」は直達的なので術者の手法がダイレクトに反映されるので結果が大きく違ってしまいますから、実践へ踏み出すときに大きなリスクがあります。それでもあえてハンドワークアートの世界へ飛び込んで本当の地域医療をしてくれる後輩を育成するため、これからの鍼灸師の時間を私は提供していきたいと考えています。