『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

奇経治療の考察(その1)、治療パターンときっかけ

(この文章は2020年1月の滋賀漢方鍼医会で朝の挨拶と基礎講義の一部を文章化したものです、内容が多岐にわたっているので一部追記をしました)

 昨年の12月に本部で「時邪を応用した切り分けツールの提案」の第二弾を発表させてもらいました。まだ公式ではなく私の研究という段階ではありますけど、滋賀では追試をしていただいている先生もおられますし実技でも時々取り入れてもらっている六気の該当する井穴を摂按、つまり経絡を垂直に横切ることですけどこれを行うと瀉的な作用となるので、言い換えれば瀉法を施した状態がシミュレーションできるので時邪を取り除いた状態を作り出しています。
 わかりやすい表現をすれば、時邪というのは地球上で生きている限りというよりは宇宙で生きている限りになりますけど、地球上で生活していると地球が自転していますしその前に太陽を公転しているので必ず季節の影響を受けています。この影響の考え方として四季を四時として一般的に感じられる季候で分類する方法があります。次に五気は昨年の大阪夏期研で提示されたアプローチとなるのですけど、五気の場合には春夏秋冬に加えて季節の変わり目の前18日間に土用が必ず挟まることになっています。その該当する経絡の該当する経穴、もしくはその陽経からまず瀉法を行うというのが大阪から提案された時邪の処理方法でした。
 漢法苞徳会から講師に来ていただいて紹介していただいたのは、六気に基づく方法で今追試しているものです。六気は五臓に心包を加えて、二ヶ月ずつの担当をしているという考え方であり、冬の大寒から起算していきます。漢法苞徳会では陽経は用いられていなかったのですけど、漢方鍼医会では陽経からの治療もしているので陰経と陽経の組み合わせを六気に当てはめるように応用してきました。これを具体化させて、井穴を摂按すると時邪の影響が取り払われた状態、ノイズが取れた状態とも表現していますけどここから漢方はり治療を行えばより治療がやりやすいのではないかと追試していたなら、陰経か陽経かどちらかは脈状が跳ねてしまうのでこちらは使えずきれいな脈状の側を使うことがまずわかってきました。そして時邪を払うときれいな側で沈むか浮くかの変化もすることがわかり、脈状が浮いたときには生気論で脈状が沈んだときには邪気論から考えていく方がわかりやすいこともわかってきました。これが時邪を応用して切り分けツールとして活用できる概略です。

 それで今の漢方鍼医会で、何がわかりにくいかです。鍼灸治療全体がそれほど簡単なものではなくいろいろな方法があってどの方法でも治すことができるのは事実です。昨年の大阪夏期研での基調講義の言葉を借りると、戦後の教育は西洋的な教育なので他者を否定する論法で行われてどんどん論破していくことで発展してきたのですけど、東洋的な考え方はあれもいい・これもいい・こっちもいいと他者の否定はせず肯定的なので、鍼灸治療にも「これが正解」というものは存在しないということでした。どっちも正解・どれも正解なのですけど、ただ我々はより効果が上がるものをということでいろいろな追求をしています。ここでややこしくなっているのが、治療法則(治療法)と手法がごっちゃになってしまっていることなのです。
 具体的には生気論でも衛気の手法だけでなく瀉法は用いることができますし、縦方向の手法というのも提案がありますし、邪気論で考えるとしても瀉法を行うのか営気の手法でいいのか縦方向の手法なのか、そして標治法についてはどうなのかとなります。けれど今は、治療法則に話を絞っていきます。
 そうすると、四つのパターンに分類できます。まず大きくは陰経からなのか陽経からなのか、そして生気論なのか邪気論なのか。これが切り分けていければ、治療はとてもやりやすくなります。本部で発表した午後の実技で、私の班では実際に実演してほしいということであり、できるだけたくさん見せてほしいという要望でした。そこで「普段はこんな乱暴な臨床はしていませんよ」と断った上で、問診は主訴だけで脈診や腹診も私を含め全員がさっと観察するだけで、すぐ井穴の摂按をしてこれを観察していきました。ものすごく脈状が変化すること、これは皆さん納得をされました。陽経の側か陰経の側か、どちらから治療すべきかも判断できることを納得されました。浮沈についてなのですけど、最初の診察段階では見解が分かれるのに脈状が変化しますから「これは浮いてきた」「さっきより沈んだ」と意見が一致しました。明らかに沈んでいたものが浮いてきたりしますから、価値がわかっていただけたようです。こうなると生気論か邪気論かは答えが提案されているので、菽法から外れているものを探せば最終回答にたどり着きやすくなります。「普段はこんな乱暴な臨床はしていませんよ」と何度も断りながら最終回答へ当てはめていくと、どんどん治療ができてしまったのです。ジャスト一時間くらいで、研修会の実技なのに私以外の五人全員が標治法も含めて治療できてしまいました。
 治療室へ戻ってきて同じことをやろうと思ったわけではないのですけど、「あのときに証は全く考えず症状だけを聞いて脈だけを触る」、普段の治療室とは違って時間をかけてゆっくり触れられる環境だったのではありますけど「研修会の中でも不問診がよくできたよなぁ」と思いだし、実際にこの切り分けツールを活用するようになってから同じようなことはしていたのですけど、最初の段階では主訴については問診するものの証については全く考えないようにして腹診も後回しにしてみました。つまり脈を診てから次に手足の五行穴に触れて、手足のむくみなどを観察してそこからやっと腹診にまで来たときに、初めて証について考えるようにと変更をしてみたのです。そうすると脈診をするのが楽しいのです。助手時代にやっていた不問診に近いことが、できるようになったのです。助手時代は治療そのものに責任はなくそこは師匠の仕事でしたから、助手としては好き勝手に診察へ集中することができていたのです。脈に触って不問診から、「今回はこんな症状がありませんか」とか「前回からの経過はこういう感じですね」ということをしていたのです。ところが自分が院長になると治療をせねばなりませんから、証決定をせねばなりませんし手法や標治法のことも考えねばならないのですけど、腹診を後回しにして脈診していると助手時代のあの頃の不問診に近いことができるようになってすごく楽しい年末の治療ができていました。

 ここから話の流れが変わっていきます。先月の月例会でも奇経治療について新しい展開として取り組んでいることを紹介したのですけど、こちらの話が本日の本流になります。
 その前に滋賀漢方鍼医会主催の夏期学術研修会が、二年ごということになりました。サブテーマとして補助療法を打ち出したのですけど、補助療法としてまず取り上げやすいかと着目したのはナソです。一部の先生にはすでに追試をしてもらっているのですけど、今までナソを触るときには肩上部の緩み方や改善というところだけを問題にしていたのですけど、するとどうしても肩井や天の堅さを重視してしまいます。私も普段そうしていたのですけど、滋賀夏期研が決定してからナソを探るときに指を伸ばしてではなく指を曲げて手背の側で探るようにしてみたのです。この方法は東洋はり医学会の本部へ通っていたときに教えてもらっていたことなのですけど、この方法で手法の善し悪しがわかるということも知っていたのですけど普段の臨床ではそれほどこの方法は考えていませんでした。ところが今回取り組み治してみると、肩井の部位で選経が合致しているかどうかがものすごくよく判別できることに気づいたのです。「あれれ肩井の反応で診断した方がよりいいよなぁ」ということが、しばしば出てきました。それでは選穴が判別できる部位はないのかと探っていると、斜角筋の部位でわかりました。ナソのさわり方によって、選経・選穴の確認ツールにできてしまうことが、しかもこれほど簡単な工夫でできてしまうことがわかってきました。これで脈診を診断に使うウェイトが減らせてきたのです。
 本部の発表の中でも話していたことですが、ツボに指を当てると瞬間的に変化をするのですけど反応に遅延があるかということについて今まで考慮していませんでした。実は井穴の側は反応が早いのですけど、豪傑の側になると反応が遅延しているのが私の想像を超えていました。ナソの触り方が指を伸ばしたものではなく曲げて触るので、経穴を軽擦してから一歩移動してきてナソに手背の側で触るので今までよりもタイミングが遅くなっているのですけど、つまり左手でツボを探りながら右手で脈やナソを同時に観察しているのではなく軽擦だけをして一瞬の間があってから脈やナソの確認をすると、もっと選穴のバリエーションが・使い方があるのだとわかってきました。まずここが前提になって、次の話になります。
 (追記)このナソでの選経・選穴の確認は、生気論と邪気論どちらでも可能です。というよりも、どちらにも使えるものでなければ意味がありません。たとえば選経を脾経で考えたとき、生気論であれば衛気の軽擦をして毛穴の状態と肩井部分の緩みを確認するのですけど、邪気論であれば経穴を摂按することで同じ変化が出ます。逆の表現をすれば邪気論で運用すべき選経・選穴のところへ衛気の軽擦をしてもさほど好ましい変化にならないのに対して摂按なら期待通りの変化が得られ、邪気論だとして摂按から入っても変化が得られず衛気の軽擦の方が好ましいなどで比較もできます。ナソ所見の確認は、治療法によって選経と選穴の組み合わせが違ってくるので効率よく探し出すためのものであり、選経・選穴を割り出してくるツールではありません。証決定はあくまでも四診法による総合診断であり、診断結果を検証するツールの三点セットをバージョンアップしたものと考えてください。

 話が次の段階へ移ります。昨年の11月に「漢方鍼医会の奇経治療を再構築したいから、治療体系の中へ組み込みたいので本部の新井芙美法先生とペアを組んで再構築してくれないか」という話が来ました。このときには「奇経治療」と言われたものですから、当然の発想という感じで私が教えてもらってきた東洋はり医学会の福島弘道先生がベースを作られ改良が加えられた宮脇スタイルを思い浮かべました。
 それではやってみましょうかということになったのですけど、まずテスターは非常に時間がかかり煩雑な行程となるので使わないでできないかという話が出て、「助手時代にやっていた指だけで判定する方法というのがあるので」ここから贅肉を削りに削ってスリムにした方法ができないものかとやってみました。一週間で初期の形ができたのですけど、さらに新井芙美法先生から治療に異種金属を用いるというのは昭和の先生が考え出したことであり、磁石のテスターはそれこそ異種金属を用いた治療の後から考え出されたことなので「古典に記載されているものだけで奇経の治療は構築すべきではないか」と意見が出されました。漢方鍼医会で行う奇経治療なのですから、それはそうです。
 最初の一週間でテストをしていたとき、当然のごとく異種金属を前提に用いていたのですけど同一の鍼のみでできないかと試みたなら、銅のていしんのみで効果が出せそうだということがまずわかりました。そして主穴へ10秒・従穴に5秒という割合で、これを5セットくらい繰り返すことで宮脇スタイルの50%位の効果ですけど、十分に今まで教わってきた二経を用いての治療スタイルの効果が出せることは先月の月例会でやってみたことです。
 (追記)古典で二経を用いる治療については、「刺抜の法則」が書かれていて主穴と従穴の組み合わせで治療することが読み取れます。刺抜ということは置鍼をしていたこともわかるので、この落差をもっと大きくしようと異種金属の発想が出てきたのも容易に想像できます。ただ、ていしん治療が漢方鍼医会の代名詞になっているので今さら手足の痛そうな箇所へ毫鍼は避けたいという意見は一致し、置鍼をていしんに置き換える工夫として主穴と従穴に交互に当てるという方法を考えてみました。秒数についてはまず臨床の中へ取り入れられる時間という前提があり、その中から落差を発生しやすく頭の中でのカウントもしやすいということで、10秒と5秒の組み合わせが自然にピックアップされてきました。ここでも書かれているように、10秒と5秒の組み合わせは高い再現性を研修会実技で証明しています。


 それで銅の鍼だけで治療を成立させていこうとすると太さが必要であることと、きれいな接地面が必要だということもわかってきました。この時点で専用鍼が必要だと考えました。試作品をすでにいくつか発注済みだったのですけど、伝統鍼灸学会の業者展示でものすごくいい銅の鍼を見つけて、片方の接地面がものすごくきれいだったのでこれを両端にしたものはできないだろうかとすぐ制作してもらったものが持参してきた専用鍼です。これは最初長さ55mmで製作して重量があるのがいいと感じたのですけど、45mmでも試作してもらったところ白衣のポケットへ入るようになりますし、後での話になりますけど奇経で鍼を当てる時間というのは非常に短いのでポケットから取り出してすぐ使えなければ便利ではないのです。それから45mmの鍼だと小児鍼にそのまま使えるのです。最近の子供は脈が沈んでいたり細かったりすることが多いので、脈状を太くしたいですからきれいな面取りがしてあって鍼そのものが太いですから小児鍼でも用いるようになり、一本新しい鍼を年末に作ってしまったというところです。

 ところが、元々の漢方鍼医会学術部から要望の奇経治療というのは、古典に最初に出てきている奇経は一つだけを用いているので、この治療を再構築してほしいということだったのです。レクチャーのやり直しを聞いた時点では、脈診でも「難経」の時代までは片手ずつで行っていてその後の「脈型」で両手同時に行うことが提案されていて、今日の我々は片手ずつでも行いますが両手同時の脈診もしていてその方が情報量が多くなり便利です。後世では両手同時に脈診していることも結構書かれてあり、「奇経を二つ組み合わせて用いる形式がどうしてだめなのか」という疑問が最初はありました。
 けれど奇経を二つ組み合わせて用いる形式で欠落している点は、奇経の流注がほとんど考慮されずグループで用いることしかないことです。奇経について任脈と督脈については前面と後面の正中を通るもので占有穴も有しており、帯脈も体幹をぐるっと回る流注を有していることは皆さんご存じのことです。でもほかの奇経でも占有穴こそ持っていませんが所属する経穴が書かれてありますし、任脈も督脈も正中を走るだけでなくそこからぐるぐると流注が伸びているのです。督脈ではお腹へ入って女子胞に至っていますし、泌尿器を司っているとも書かれてあります。任脈は上肢までかなり伸びてきています。今まで外関-臨泣の組み合わせで用いてきた陽維脈ですけど、足臨泣も治療穴で用いますから胆経上をカバーできていると思い込んでいたのですが実は陽維脈の流注が胆経上をカバーしていたりもします。ということは「いいとこどり」だけをしているのであり、きちんと古典に記載されている奇経を運用していこうとなるとまずは一経だけの治療ができるようになっておかないと本当の奇経治療は再構築できないのでと、軌道修正が求められました。このレクチャーは忘年会の冒頭でしたから、その後がえらいことになったのはわかりますよね(笑い)。
 それで問題は、一経だけの奇経治療というのがどういう場面で用いればいいのかということです。やり方自体が書かれていないのです。古典の中には鍼やお灸を適宜用いなさいとしか書かれていないのです。えらいこっちゃ、ですよね。それで考えました。消去法で絞り込んでいこうと。
  1.本治法の前に用いるかどうか
 これは一経だけだと任脈なら列缺に鍼やお灸をするということになるのですけど、これだけで効果が出てしまうのであれば本治法をする意味がなくなってしまいます。そこまで効果が出ることはないのですけど、ここで脈状を作ってしまったのでは治療の意味そのものがなくなってしまいます。ということで、本治法の前に行うというのは却下。
  2.本治法の直後
 本治法で作った脈状をわざわざ壊してしまうことになるので、本治法自体の否定になってしまいますから理論上却下です。
  3.本治法後に標治法へ入る前のタイミング
 本治法から標治法へそのまま入っていく治療家なら先ほどと同じことになるのですけど、本治法からある程度時間をおいて標治法へ移るケースのことを考えています。これからやろうとしている標治法は計画性を持っているのですから、奇経を加えて変化が発生したのでは単に邪魔をするだけのことになってしまいます。それから本治法の脈状を強化しようというのが標治法なのですから、奇経は「正経満逸するときには奇経がこれを受け」と気を待避させるのが目的なので理論的におかしいので却下。
  4.標治法の直後
 これも標治法そのものを否定してしまいますし、お灸をしているならお灸というのは結構余韻が残るものなのでお灸の余韻でよくわからないということもありますから、このタイミングも理論的におかしいので却下。
  5.ほかの補助療法の後
 ナソやムノの補助療法をしている、あるいはお腹への散鍼の直後なのですけど、これもナソ・ムノ・腹部散鍼を否定してしまうのでだめです。「あれっ、奇経を行うタイミングがないじゃないか」ということになるのですけど、
  6.仮の終了をしてから行う
 消去法で絞り込んでくると、このタイミングしか出てきませんでした。まず一度仮の終了をします。「この後にも残ってるんやけど一度起きて」とか了解してもらい、「もう少し症状が残っていますよね」とこのまま放置しておいても時間経過で回復するのがわかっているものをもう一押ししたいというようなときに用いるのはどうだろうかというあたりから連想していただければわかりやすいと思います。基本的にこのタイミングが一番いいということについて、あれこれやってみた結果なのです。30代前半の喘息の患者さんがいて、小児喘息がひどかったのですけど二十歳くらいで一度治癒してこの10年間はなんともなかったのに数年前からまたひどくなっていて、すぐ熱が胸に蓄積していました。治療をしていくとステロイドが四ヶ月で離脱できてよかったのですけど、先月の12月半ばになってまた具合が悪くなりステロイドを何度か使ったということでその日は胸にすごく熱がありましたから、今まで説明してきた1から6のタイミングですべて奇経を試させてもらったのです。了解を得て、どのタイミングで胸の熱が一番消失するかをいちいち確認させてもらったのです。そうすると消去法で予測していたとおり、一度仮の終了をしてさらに「もう少し胸に熱がたまっているから」ということで後に出てくる診断基準に基づいてこのときには任脈、呼吸器ということで直感的にも理解してもらえると思うのですけど列缺へ専用鍼を当てると見事に胸の熱が引きました。そして本人も「最後のこれはすっとした」という感想でした。このタイミングがベストだろうと、今のところは思っています。

 さて、それでは奇経をテスターを使わずどのようにして診断していくかなのですけど、これはツボそのものを押さえていきます。押さえ方は今まで滋賀でやってきた足の奇経で用いるツボを押さえてきたあのやり方でほぼできます。今度は手の八総穴についても押さえなければならないのですが、左右同時に押さえることで「どっちが使えるかな」「さっきよりもこっちかな」ということは把握できると思います。三日か四日程度練習すれば、ほとんどの人が会得できるレベルの手さばきだと思われます。
 (追記)この「滋賀でやってきた押さえ方」というのは、用いやすい方でかまわないので母指もしくは示指でツボの中心めがけて手応えが戻ってくるかどうかを確かめる押さえ方です。ツボの手応えを診断基準にしています。従って本治法で触れる経穴とは真逆で、真上から思い切りという感じで押さえる必要があり、時には患者から悲鳴を聞くこともありますけど痛みを与えるのが目的ではありませんから、そこは考慮しておいてください。相当な圧力で押さえることにより「今は奇経のための選穴をしている」と意識を切り替えていることと、思い込みによる奇経の取り違えを防ぐことを目的にしています。また押さえる力が強いので、八総穴の位置をよく確認してから行う必要があります。奇経で強い圧力だからといっても、ツボの位置が間違っていたのでは話になりません。また好奇心で何度も繰り返し押さえるというのも、患者の不信感につながってしまいますから、「一発で見抜くんだ」という気合いも大切でしょう。診断できた後には確認でもう一度ツボを押さえますから、一発勝負にこだわらなくてもそこは大丈夫です。
 左右については、だいたいが脈位側に現れやすいです。申脈だけは右側に出やすくいですけど宮脇先生が提唱されている「定側」に近いものがあるだろうと思われます。しかし、宮脇スタイルでの定側よりも左右にはばらつきがあるのが実感ですから、左右同時にツボを確認していくことは必須です。

 そして適合しているかどうかの確認方法は、肩井を触ります。先ほどはナソを手背で軽く触れてくださいとしていたのですけど、今度は肩井をぐっと押さえます。まず肩井を強く押さえて堅さを確認しておき、使えると判断した奇経の八総穴を強く押さえて肩井が柔らかくなるかどうかを確認します。奇経が該当していれば、すごく柔らかくなります。
 そこへ専用鍼を、5秒間だけ当てます。これは私の身体でさんざんに実験をしました。それから「この奇経は絶対に該当している」という患者さんの時に、いろいろな秒数で試させてもらいました。それから先ほどの喘息の患者さんも試させてもらっています。きわめて短時間なのですけど、その方が絶対に効果があります。ここが一経での奇経治療が定着してこなかった理由ではないかと、勝手に想像しています。
 そして用いるべき奇経なのですけど、これは上半身の症状に対しては手の八総穴に下半身の症状に対しては足の八総穴に現れる確率が高いようです。ただし、任脈と督脈は上半身でも前面に症状があるのか後面に症状があるのかで違ってきますし、帯脈の体幹をぐるっと一周回るような症状に対しては流注を最初から考慮しておく必要があると思います。後は陽維脈のように、八総穴は外関なので三焦経に属しているのですけど胆経まで伸びているなど特徴的なところを付け加えて覚えておけばかなりの臨床がこなせるのではないかというのが、日数がまだ浅いのですけど今のところの印象です。

 一番印象的だった奇経での症例は、私が朝の挨拶をしていると二回に一回は登場してくれている女医さんなのですけど現在三人目を妊娠中で、胎児が下がってきているので切迫早産になっては困るということから本来の産休は2月からだったのですけど12月から入らざるを得ない状況になっていて、この日は結構下がってしまっている状態でした。本治法をすれば上がってくるのはわかっているだけでなく、証決定のためにツボを触るだけでも胎児が上がってきていました。「最後にもう一押ししたいよね」ということで、この方はいろいろとわかっておられますから触ってもいいという了解の元にいろいろ試したのですけど、最後の最後に奇経で列缺へ行いました。「これはほとんどわからないと思いますよ、5秒程度しか鍼は当てませんから」と種明かしを先にしてからやったのですけど、専用鍼を当てた瞬間にお腹へ響いたということですしそれまで以上に胎児が上がってきたということでした。単純に銅の棒の鍼ですから、列缺にペンで印をつけて「10円玉を朝晩5秒ずつでいいので当ててみて」と宿題を出してあるのですけど、これがどうなるのかが楽しみです。
 それから本人はそうは思っていなかったのですけど肩こりがひどくなりすぎていて、肘が痛くなりこのままでは年越しできないと飛んできた人がいます。全体の治療が終わって「痛みはまだあるけどかなり動くようになりました」ということですから、もう少しなんとかしたいということで最後の29日か30日にもう一度だけ予約は取れるのですけど今なんとかしておかないと不安でしょうからということで、この場合は陽維脈で外関に専用鍼を5秒間当てただけなのですけど「これはすごくよくなりますね」ということがありました。ほかには腕の挙上が十分できなかった患者さん、これは督脈で左の後谿へ5秒間当てただけで「なんでこんなに上がるの?」という反応でした。腰痛の患者さんでも寝起きの時に、円皮鍼を行うほどでもないがもう少しだけ突っ張りが残っているというときに陰脈で照海へ行うと「あぁすっと起きられますね、先生のところは手足で治しているんですね」って、今まで知らんかっったんかい!!という感じでした。
 ただし、全員の患者さんへ行うわけではありませんし、たとえ話ですけど洗面所の排水で放置しておいても流れてはいくのですがゴミが詰まっていて排水の具合が悪いとき、このゴミを掃除してやれば排水はきれいに流れるようになります。そんな感じで時間経過から放置しておいてもそこまで問題になるものではないのだけれど、排水溝のゴミを掃除してやればきれいに流れるようなイメージが連想できるときに「もうちょっとだけ」「もう一歩だけ押してやればきれいになれるのに」というときに、用いると効率的ではないかというのが私の印象です。排水溝を掃除してやれば一週間くらいはきれいに水が流れているので、その間に全体の掃除をしてやればもっとよくなるということです。

 それから話が冒頭の治療法則というか治療論というか、漢方鍼医会では大きくは生気論と邪気論ということになっていますが、ここで先日の治療室からの話を挟ませてもらいます。言葉がまだ本部で定義されないので勝手に私が用いているのですが、「邪気論」については大阪漢方鍼医会が自ら「邪気論」だと言われましたので、その反対で「生気論」ということにしています。
 この間の患者さんなのですけど、メンテナンスで来院されているのでそれほど症状がありません。その日も肩こりくらいで、生気論でも邪気論でもどちらにしても肝経から手を入れるくらいしか選択肢がありませんでした。切り分けツールからは邪気論が割り出されてきたのですけど、寝不足があって男性ですけど腹部の悪血も認められましたから邪気論の方が話は早いだろうと納得の所見でした。でも、症状がそれほどなく生気論で行ったとしても選穴を変えるだけということで、最終的には肝病で中封へ営気の手法で治療をしているのですけど肝虚陰虚証として曲泉へ衛気を行うとして探っても反応はいいので比べていたのです。すると「先生さっきから何をしているの?」と質問されてしまいました。「これは一つの経絡上ながらどのツボを使おうかと考えているんやけど」と答えると、「たったそれだけのことで違ってくるの?」との再質問です。「これは治療の方向性のことで」と正直にしゃべっていたなら段々と不安そうな表情に変わられてくるのです。これをどうやって説明しようかととっさに考えました。最初はネジのことを思いついて、プラスとマイナスのネジがあるけどプラスの時にはプラスドライバーを持ってこないと回せないけどマイナスの時にはマイナスドライバーを持ってきた方がいいでしょうと説明しました。「そりゃそうだ」とはなったのですけど、私自身が考えをその先に進めていくとマイナスのネジへプラスドライバーを持ってきてもこれはだめなのですがプラスのネジへマイナスドライバーを持ってきたならこれは回せるは回せるのです。これでは漢方鍼医会が治療パターンとして行っているものと、ニュアンスが少し食い違ってしまいます。
 そこでもう少し考えて、たとえ話を変えました。自動車のハンドルはセンターライン側の方がいろいろな面で運転しやすくなりますから日本の場合は左側通行なので右ハンドルになっています、アメリカや中国や韓国がそうですけど右側通行の国では左ハンドルということになります。どちらがいいかというと、運転しやすければどちらでもかまわないのです。日本で左ハンドルの外車に乗ってはいけないのかというと全くそのようなことはありませんし、中国や韓国ではしばらく前だと日本の中古車がそのまま輸入されていましたから右側通行の国で右ハンドルの自動車がいくらでも走っていたという実際がありました。東南アジアでは日本の中古車が最初にたくさん入ってきましたから左側通行の国が多いということですし、アフリカでも左側通行の国が多いので日本のジープをそのまま持って行ってよく売れるらしいです。どっちが運転しやすいかというだけの話で、左右のどちらが優れているという話ではないのです。ただ「うちの愛用車は左ハンドルだから日本のどこに行くにもこの自動車で出かけるんだ」といわれればそれだけですし、右ハンドルで逆の主張であっても特に何もありません。これを治療パターンに置き換えると、「自分は瀉法から入りたい」という人はそのように組み立てをすればいいのであり、補う側から入りたい人はそのように組み立てればいいのです。ところが自動車の話に戻しますけど、これが田舎道で対向車がないところだと右ハンドルでも左ハンドルでも全く関係がなくなってしまうのです。それこそ「どっちでもいいよねぇ」となります。
 そこで私はどのように考えているかですけど、その国の法律に従うというのが前提ではありますが「今日は荷物が多いので軽トラックがいい」とか「人数が少ないから軽自動車がいい」、「人数が多いから8人乗りのミニバンがいい」とか乗る自動車そのものを変えます。それから場所によって田舎道をゆったり走りたいなら普段は右ハンドルだが左ハンドルの大きな外車に乗ろうとか、その場その場で目的に応じて自動車だけでなく左右どちらのハンドルなのかも切り替えて運用するのがいいと思っているので、「切り分けをしながら治療パターンを使い分けているのです」という説明をして納得してもらえたようです。頑なに右ハンドルの方がいい・左ハンドルの方がいいと主張される方はそれでいいと思うのですけど、使い分ける人がいてもいいと思います。一番効率的に運用できる方法がわかってくることと、後進育成の立場で悩みを作らせないというか「こっちの先生は右ハンドルがいい・あっちの先生は左ハンドルがいいといわれて困る、真ん中ハンドルというのはないのか」と、それでは三輪車になってしまい子供の乗り物です。
 (追記)価格低減のために三輪車トラックというのが昔に存在していたのですけど、風が運転席へ直接入ってきてしまうだけでなくステアリングが悪く交通事故を多発させたので、評判がよくなかったそうです。車いすラソンの専用車は三輪車なのですが、進路変更があまり得意ではなく普段の利用には不向きだそうです。三輪車の自転車やバイクは老人がバランスを気にせず荷物運搬に都合がいいらしいのですが、その分スピードは出ません。タイヤは四つある方が用途が広くなるようです。
 とにかく後進育成のために、整理をしておいた方がいいというのが最終的な意見です。

 最後になりましたけど、今まで教わってきた二つの奇経を組み合わせての二経治療というのは、いったい何だったのだろうという話です。これは本治法を含めて仮の治療終了をしてから行うというのが目的みたいなのですけど、とりあえず症状を軽減させたいというケースはあり治療家としては当然思うことです。それから古典の時代にはもっと大きな鍼を刺すか当てるかしていたのだろうと思われるのですけど、道具がおおざっぱですからやっぱり治療家の素質が大いに反映されたのではないかとも想像されます。それを補うためにまずは症状を緩和したいということで、奇経を二つ組み合わせて使ったなら本治法の前に行うことができますし、組み合わせさえ判定できれば素質に関係なく症状の軽減ができてしまいます。判定というよりも「この症状にはこの組み合わせ」と丸暗記でも症状がある程度緩和できるのですから、それで中期の頃に奇経治療が大流行したというのではないかと類推ができました。そのエキスだけを持ってきて、さらに落差をつけるために異種金属を用いた、そして異種金属を添付する前に何か確かめる方法はないかということで磁石でテストがプラスとマイナスにしてできるのではないかということでやってみたならうまくいったというのが、昭和の先生たちが付け加えてきた方法ではないかと思えます。一経だけの奇経を考える中で、このように類推できるようになりました。だからどちらも奇経治療と呼んでかまわないのではないかと思うのですけど、まず学習方法として一経での奇経治療ができることを会得してから二経での治療を学ぶのか、同時並行がいいのかこのあたりはわからないところなのですけど開発としては一経の奇経治療をしばらく本部の方では行うということなので滋賀の方でも一緒に勉強していければと思っています。