『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

親父、本当に長い間ご苦労さまでした

今回のエントリーは実父(ここから先の表現は親父)が亡くなっていた場面から、どのようにして警察にも救急にも最短で的確に伝えて処理をしていったかの記録です。途中に少々生々しい表現があるかもしれませんけど、鍼灸師というプロの医療従事者の立場として、そして子供として最大の敬意を払いつつスムーズに送り出していくのかを考え行動した記録です。親や身近な人を見送るということで、どこかで資料として活用されたなら幸いです。

 まず私の両親は、これで二人とも他界してしまいました。親父は満87歳になったばかりながら後期高齢者であり、天寿を全うしたと言えるでしょう。おふくろについてはおばあちゃん、本当に本当にありがとうに記録させてもらっているのですが、満72歳になったところでのクモ膜下出血からの即死状態でした。現代では早すぎるという印象だったのですけど、親父の場合は「無事に見送ることができた」というのが、警察の見聞が終わり少しショックから心が解き放たれたときの率直な感想です。
私が結婚をするまで一緒に住んでいた実家は、息子からしても日本家屋の良いところがしっかり受け継がれている大きな家です。お袋が先に亡くなってしまい後片付けが一段落するまではわかるのですけど、昭和が二桁になったばかりの世代であり一台で商売をして築いた財産ですから自分の家は離れたくないと、その後もずっと一人で暮らすことを選んだ親父。性格的にも同居はできないと子供の誰もがわかってはいたのですけど、途中から週の半分はお手伝いさんに来てもらっていたので生活面で不自由していることもなかったのではありますが、年数が経過すると生存確認を怠れません。幸いにも鍼灸院が目の前ですから新聞を実家の方へ配達してもらい、仏壇へのお参りも兼ねての生存確認を毎朝していましたし、当初からこのようなサイクルだったので男一人の家でも規則正しい日課があり荒れ放題ということにはならなかったのでしょう。学生時代には柔道を、社会人ではゴルフと大きな身体で運動をしていましたし血筋としてもあまり病気をせず、2型糖尿病が四十代から出ていた以外は最後まで健康に不安を感じることがありませんでした。ただ、これも血筋ですが認知症の傾向はあり、財産管理等は最後までできていたのですけど物忘れの酷さは際立っていたところでした。

 冬の彦根地方は何度か積雪になるのであり、鍼灸院の駐車場を2013年に拡張したときに融雪装置を埋設したので非常に楽にはなっていたのですけど朝から水を流さねばならず、積雪量が多くなると全盲では一人で出勤してこられない私の代わりに親父が作業をしてくれているのも日課でした(ついでに嫌味を言われるのも日課でしたが、苦笑)。2023年1月25日は、ほぼ暖冬できていたのに「10年に一度という大寒波」と天気予報やニュースで繰り返されていた積雪のある朝でした。「おやっ、今朝は何も作業がされていないな」と送ってきてもらった奥さんと話していたのですけど、以前にも何度か曜日を間違えていたとか量が少なかったので面倒だったとかで作業されていないことがありましたし、エアコンの室外機が動作している音が聞こえていたので声掛けすることなくこちらで作業をしてしまいました。気温は非常に低かったのですけど積雪は21cmと大騒ぎするほどでもなく雪質がサラサラであり、主要な道路は除雪がされていたので自動車も走っていて、午前中のみの診療でしたから仕事が終わったならすぐ帰宅をしています。このときにもエアコンの室外機が停止していたことを確認しているので、遅くから起床していたことがわかります。ちなみに前日になる24日の朝はまだベッドで寝ていたところで会話をしていますし、夕方に吹雪になってきたので「危ないので自宅まで送ってやろう」と携帯に電話があり、その後に娘を高校まで迎えに出ているのでそのまま鍼灸院にも回ると奥さんから連絡がありましたから、「自動車で一緒に乗せてもらって帰る」と折り返しの電話をしたのが、結果的に最後の会話となったのでした。

 命日となった明くる日の1月26日、途中までは送ってもらったのですけど鍼灸院の近くは感覚的にわかることと、強く凍結はしていたものの「この程度なら午後の患者さんは普通に来院できるだろう」という程度に道路も回復していたので、鍼灸院の朝の掃除を済ませてから実家へ向かいました。すると、実家の入り口の除雪作業が何もされていません。裏口の鍵がかかったままというのはあり得ることであり2日分の新聞が入っていたこともまだ決定的証拠ではないのですけど、この時点では「悪いことが発生していないように」と祈る気持ちで鍵を自分で開いて中へ入りました。まずいつもと違っていたのが、ダイニングのドアが不自然に開いたままになっていたこと。でも、この時点でも何度かは経験したことのある光景でしたが、ちょっとおかしすぎるということですぐベッドへ。
 ベッドの布団はきれいであり足元は温められているのですが、親父がそこにはいません。変な開き方をしていたのでダイニングで声掛けしても返事がなかったので今度は居間の方へ戻ると、なんとこたつがなぎ倒されているという状況で散乱しています。状況は限りなくアウトに近く、冷静にならなければと思うのですけど心拍数が上昇してきました。次に可能性が高いのは洗面所ですから向かうと、椅子がトイレのドアの前までなぎ倒されておりここにも返事がありません。完全に異常事態なのですが、ここが視覚障害者でしかも全盲の悲しさで、目で見て確認することができないのです。でもでも、後期高齢者で一人暮らしということから想定問答をしていた状況の一つに当てはまっており、プロの医療従事者としての対応をせねばということで、これ以上慌てても自体が急展開することはないと深呼吸をして段取りを考え整理しました。どうしてもしなければならないことは第一に親父そのものを発見することであり、第二にはもう亡くなっていたとしたなら事件性がないことを証明できなければ最悪ケースは司法解剖になってしまうので、これはあまりに可愛そうで避けたいですから現場の保全です。
新聞を取って仏壇にお参りをしてしばらく喋るだけですから朝の実家に来るときにいつもは電話を持ってこないのですけど、道路状況からキャンセルの連絡があるだろうとこの朝だけはコードレスを持ってきていました。けれど携帯電話はないので奥さんへ直接電話ができません。そこで姉の家には固定電話がまだあったはずだとかけてみるとすぐ通じたので、相当に厳しい状況であり腹をくくってこちらへ来てほしいということと奥さんへも連絡をしてほしいとまず伝えました。その後はできる限り私の力ででも探し出したいと、仏壇の前や奥の座敷、そしてお袋が倒れていた今の奥の方と「お父さん」と思わず叫びながら探したのですけど、手にも足にも親父を触れることができませんでした。
これは色々な意味で携帯電話も必要だと、絶対に途中でケガをしてはいけないと足元を慎重に確認しつつ鍼灸院へ一度戻ってから実家を目指していると、子供を学校へ送り届けたところから回ってきた奥さんと合流しました。腹をくくってから中へ入ってほしいことと、ドアを開くのは仕方がないが勝手にあれこれ動かさないようにと念を押して家の中を探してもらうと、大きな叫び声がします。玄関の土間にうつ伏せでの親父がいて、息をしていないことがひと目で分かるというのです。その時には少し離れた場所にいたので、「脈拍があるか?」と尋ねたなら全く触れないという返事がすぐ戻ってきました。第一発見者を限っておいたほうがより無難なので、触るのは私一人だけがいいと説明をしてまず呼吸の音がしていないかをもう一度聞いてから脈診も奥さんに続いてしましたけど、当然ながら何も反応がありません。腹はすでにくくれていましたから状況をもっと整理しなければということで、次に指を触れるとカチカチになっているという感じでしたが、肘は動いたのです。死後硬直は約四時間位で始まり、二時間くらい経過すると大きな関節はまた動きますから死後から六時間は経過したと予測できます。目の見えている人たちのほうが遺体が土間から移動されるまで光景が辛かったでしょうけど、司法解剖へ回されないことをここからは優先すべきです。


 蘇生の可能性はないのですから、まずは警察への電話をしました。親父は一人暮らしをしていて高齢であり、私は息子で医療従事者なので死後硬直を確認して事件性がないことを証明するために現場を保全していると伝えました。全盲なので他の人に目で確認してもらった情報も含んでいるが、玄関まで来る間にケガをしていて外傷からの出血があるものの、顔面から土間に落ちているのにその後に暴れた痕跡がないので最低でもこの時点で意識はなく、絶命した状態で転落していたのかもしれないというところまで伝えました。状況説明は我ながら完璧だったと思うのですけど、鍼灸師とか全盲というのが今ひとつ理解してもらえなかったのは仕方がないのかも。救急の方へも連絡が必要だと言われ、もう一度電話をかけ直してほぼ同じことを説明しました。
 ここで法律の壁というのかマニュアル通りに進めるしかなかったというのか臨機応変ができないというのか、電話の向こうから仰臥位にして心臓マッサージを救急車が到着するまでやりなさいという指示です。死後から六時間は経過しているだろうということと、発作の原因は分からないが苦しかったので家の中が散乱しているので遺体も含めての現場保全をしたほうがいいのではないかと何度か質問を返したのですけど、それでもやらなければならないと言われたので警察から疑問を投げられたなら必ず証言してほしいと断って仰臥位にして心臓マッサージを私がやりました。このときにはもう戻らないとはわかっていても、親父との最後の時間だということで思いを込めて心臓マッサージをしました。お袋のときにも人工呼吸をしたのですけど、背中に膝を入れて気道確保をしたなら何度か心臓が動いたので顔色が少し戻り、パニックになっている第一発見者の親父が助かるかもしれないと大慌てをしているのにプロとしては期待をさせてはいけませんし残酷な宣言をするとその場が壊れてしまうと言葉を必死に選んで話していたのを思い出しつつ、心のなかで「長い間ご苦労様でした」と言葉をかけていました。
 余計なことですけど、「息をしていない」と何度も断っているのに、covid-19への対応でマスクを装着させてほしい、そこになければタオルを掛けた状態で心臓マッサージをしなさいと言われたのは、なんなんでしょうね医療と言うのは。真剣に怒りがこみ上げていましたよ、私。そんな法律の縛り方をするから補助金医療で儲かる分野が出たり、風評被害を含めて見えない圧力で経済が追い詰められて自殺者を出したりするんじゃないですか!!コロナ関連死と言われる人数よりも、経済的に追い詰められて死を選んだり社会から脱落せざるを得なくなった人数のほうが遥かに多いこと、わかっとるんか政治家という魑魅魍魎みたいな奴らは!!

 話を本論に戻しまして、救急のほうが先に到着をして、事前説明の通りの状況だったということで死後硬直の状態も確認され、近くに内科のかかりつけ医もあったということで蘇生の可能性がないことと死亡診断書が自宅で書いてもらえるということで不搬送事案で処理されると言われました。手回しが良くて救急車の他に警察との連携のために別の自動車でもう一人来られていて、後からの警察との引き継ぎをしていってくれました。警察の方はそれが仕事ですからこちらもわかっているのですけど、本当に自宅でひとり亡くなっていたのか・こたつや椅子がなぎ倒されているのは争ったのではないことを調べられて概ねの聴取が終わるまで一つの部屋に集められるのでありました。でも、外傷があってもケガであり土間に血痕が飛び散っていたということもないので聴取の内容に食い違いがなく、後半は確認作業という感じでした。
 弟がもう一人いるのですけど、救急が到着してからの連絡にしています。設備の仕事をしているので現場であり、すぐには来てほしいものの今からどうにもなることでもないので慌てず確実に向かってほしいこと・奥さんにはすぐ連絡をしても子どもたちは学校から戻ってきてからでいいとしました。もちろんうちの子供も学校から戻って初めて知らせたのであり、お世話になったおじいちゃんが突然いなくなってしまったことへのショックは大きかったようですけど、遺体というものを見るのが初めてだったことも強く脳裏に残ったのではないでしょうか、私がそうだったように。親というものは死ぬことまで教えてくれる本当にありがたい存在なのだと改めて感謝しましたし、私も自分の子供へそのようなことが伝えていけるように努力を続けねばとも思ったのでありました。
 「わしの葬式は直径の子供と孫だけの小さなものにしてくれ」と何百回も聞いていましたし、お知らせしないことを心苦しく思える方はおられたものの本当に身内だけの家族葬ということにさせてもらいました。また「わしの葬式はドンチャンサワギにしてくれ」とも言われていたので、一連の準備が整えられそうになってからは本当にみんなずっと笑って見送っていました。
 またまた余談ですけど、鍼灸院の方は前日までに積雪の影響で調整があったことから9時の予約がなく9時30分もキャンセルが入ったので、午後の近所に住んでおられるパートさんに連絡をしてすぐ来てもらい可能な限り予約への対処をしてもらいました。11時の患者さんが固定電話の登録しかなくそのまま来院されたのですけど、警察に事情を話したなら治療をしてきてかまわないということなので行ったり来たりしながらですけど午前中に一人治療をしています。午後にも別件で電話をしていたときに入ってきたキャッチホンは本日にどうしても苦しいということなので、時間的に組み込めそうということで治療を受け入れています。一番困ったのは葬儀が土曜日ということで予約が25人を超えていましたから、命日の夜に枕経が終わって親父を囲みながら思い出話をする時間帯に私一人で電話をかけ続けていたこと。私の家もそうですが、時代的に固定電話が廃止されていて通じないケースがいくつかあったのですけど、親子や親戚がわかっることがほとんどでそちらから連絡を回してもらえたのはラッキーでした。携帯電話に留守電が設定されていないのもちょっと困りましたが、これはかけ直してもらえたのでやっぱり携帯電話の威力でした。これ以後、なるべくカルテデータは携帯番号に書き換えさせてもらっています。もちろん電子カルテがあったからこそ、すぐ調べられたというのも大きいです。

 本論はここまでなのですが、鍼灸の研修会で少しずつ話しをしていたならいくつか質問を受けたので、最後にそのことも付記しておきます。
 まず遺体に触れたときの感覚についてなのですけど、まさに「気」が感じられない物質という感じでした。生きている魚はもちろん気が巡っているのですが、スーパーで売られている魚もまだ鮮度が良ければ少し気を感じられるものの、干物になった魚を触っている感じに近かったです。けれど嫌なものに触っているという感覚ではなかったです。不搬送事案となったときにかかりつけ医がなかったならという質問も出ましたが、かかりつけ医がなかったならおそらく病院へ搬送して死亡診断書を書いてもらわねばならないと思います。あるいは死後からの時間がかなり経過していると、救急車ではなく運搬をしてくれるサービスを頼んで死因を特定してもらわねばならないでしょう。外国籍だったり願い出らがない場合は公益社が斡旋をしてくれるそうで、仏教協会のような組織への取次というような感じになるそうです。最近は家族葬が非常に多くなり、葬儀会館から火葬場へバスで移動するようなことはなく自家用車で往復してもらうことがほとんどであり、葬儀場へ戻ってきて初七日というよりもお骨をもらってきてその日は解散というケースも多くなっているとか。ただ、よほど大きな葬儀は別として家族葬だから経費は安いという感じでもちょっとないような。
加えてですが、後日になって消防署勤務で救急隊員もするという患者さんが来院されたので、当日に感じていた疑問とその他について話をしてみました。事件性がないことを立証するために先に警察に電話をしたのであり、救急へも連絡が必要だと言われたのは死亡確認が必要なのでわかるのですが、警察からどうして回してもらえなかったのだろうということについて、どれくらいの頻度かは分からないが警察からの要請で出動することはあるという話でした。対応した人ごとの違いなんでしょうか。それと玄関土間にうつ伏せという事件を疑われても仕方ない状態だったので「心臓マッサージを救急車が到着するまでやってください」と指示されたことに対して疑問を返したことについて、さらに「息はすでにしておらず死後6時間は経過していると推測される」と何度も繰り返しているのにcovid-19対策でマスクを被せなさいと指示されたこと、2つも重なると笑うしかないという表情ながらルール通りの対応をする人だったのかもということでした。心臓マッサージをしている間に骨折させてしまったなら余計に事件が疑われてしまうのであり、実際に救急隊員が脳梗塞を起こした腰の曲がっているおばあさんを無理矢理に仰臥させて心臓マッサージをしたものですから肋骨も腰椎も骨折だらけになってしまったという、笑えない実際の話を別の患者さんから聞いたことがあります。
それから不搬送事案について具体的な事項は覚えていないが確かに何度も遭遇しているということで、救急車は生きているか蘇生の確率がある人を乗せるのが仕事ですから、ここは納得です。では、今回はかかりつけ医が近くの開業医だったので午前中の診療を終えたならすぐ来てもらえたのですけど、かかりつけ医がなかったり死後から数日以上経過して司法解剖が必要だと言われたなら、ご遺体はどうやって搬送するのかという質問には「部外者なのでわからない」ということでした。自家用車で勝手に搬送することはもちろんできませんし、病院を転院するときのワゴン車のようなサービスが滋賀県にあるのかもわからないということながら、病院で死亡してから自宅へ戻るには霊柩車を使うということなのでそれに準ずるのではないかということでした。なるほどなるほど。

 最後に鍼灸師として。両親どちらも希望通り自宅で最期を迎えられました。そして「認知症は嫌だ」「寝たきりは嫌だ」「下の世話だけは絶対に避けたい」と言い続けていたのですけど、ピンコロがいいのだとほぼ理想通りでした。鍼灸院を開業しているのに長く入院させていてやせ細った状態でというようなことはなく、治療の効果が結実したのだと示してくれたこと、息子の立場以上に胸を張らせてもらえました。長い間、本当にご苦労さまでした。