昨年の「院長ブログ」は、伝統鍼灸学会の理事会へ向かう新幹線の中で執筆したものばかりになっていましたが、年が変わってもまた理事会で東京へ向かう新幹線の中での執筆からスタートになりました。
理由については何度も書いていますが、2023年の12月から執筆に取りかかっている滋賀漢方鍼医会公式テキストの打ち込み作業で毎日時間が取られすぎているので、院長ブログの適当にまとまった文章を打ち込むタイミングがなかったことからです。それで東京へ向かう新幹線の二時間くらいの間、時間制限付きで執筆することにより圧縮した内容が書けることが多いので、チャレンジ企画となっていました。でもでも、公式テキストの本文は打ち込み終わっているので、この次には全般的な裏話をゆっくり書ければとは思っています。
今回は瀉法について取り組んできたことを振り返ります。瀉法にまつわる公式テキストには掲載しない話が次々に浮かんできたので、新幹線の中だけの執筆には治まらず治療の合間で続きを執筆しました。
八木下勝之助先生は、「虚実をわきまえて補瀉するのみ」の一言だけで、公演を終えてしまったという有名な話があります。お酒が大好きな先生だったので講演が始まる前から飲み始めて、まともな話を聞いておかねばとせかしたならこの一言だけで余計に飲み続けたという裏話を聞いたことがありますが、本当か嘘かは分かりません。本当だったとしても、実に見事な一言です。
私の経絡治療臨床投入第一号は、何度も取り上げていますが鮮烈な記憶になっています。本治法で陰経を補ってから陽経へ入ったところで「思い切って瀉法で処置すればいいんだ」と前日の研修会で指導を受けていたことから、瀉法を行った途端に腹痛が発生してきた苦いデビューからでした。これが瀉法によるものなのか本治法全体がまずかったのか、あるいは胃痙攣は以前から発生していた人なのでたまたま大きなものが発生したのか、デビュー戦で患者の身体を思い切り壊せるほど実力があるはずありませんから、原因不明のままです。「瀉法というものは効果は大きいが恐ろしい」というのが、私の中に刻まれました。
ところが、下積み修行へ入るとオーソドックスなスタイルではなく先に大量の背部置鍼を行うという独特のスタイルを師匠はされていました。本治法が最後であり、治療終了時に症状が残っていたなら座位で脈診をして、軽く触れて陽経に残っている邪を探されていました。陽経からチョンという感じで瀉法を去れ、症状を除去されました。漢方はり治療では陽経から軽い瀉法をというやり方は行いませんし、菽法脈診からも矛盾するので臨床でもこのようには行っていませんが、見事に猩々を除去されていたので、事実は事実です。
それから肺虚肝実証、これは東洋はり医学会の相克調整での肝実証ですから肝経へ直接補中の瀉を行っていたのですが、これもリアルタイムに症状ガ除去されていました。ただ、中封の位置が間違っていたことと太衝も流注の真上には取穴していなかったので、肝実証としては当時からもちょっと怪しかったですが。
自分で開業をして、本治法からはいるオーソドックスなスタイルには切り替えたものの、前述の肺虚肝実証と困った時だけですが陽経から邪を抜くことは引き継ぎました。ロケットスタートに成功したのは、まさしく瀉法のおかげでした。
しかし、継続治療をしてくると次第に肝実証の劇的効果が落ちてしまいます。適当に時間を空けることで無力にはなりませんでしたが身体が慣れてしまうのか、あるいは負荷が大きすぎて反応を患者の身体が抑えているのか、肝実証の乱用は次第に控えざるを得なくなりました。ステンレス鍼で結構な深さまで刺鍼もしていましたから、痛みを指摘されることもありましたし。
それでも陽経への補中の瀉や瀉法は確実に身体が動いており、難病といわれた患者さんに貢献できたと思います。ところがところが、順調に臨床をこなしていると思っていたなら相克調整ですから陰経へ三本か四本、そして陽経は脈が少しでも指の感触が悪ければ補法か補中の瀉を行いますから、また四本か五本も手技を施していました。気が付けば十二経絡なのに少なくても八本から下手をすれば十一本も手を入れており、経絡を積極的に動かしているものの、「これでは単なる凸凹の調整だ」と、強烈な自分への疑問になってきました。
そこへ漢方鍼医会が創設されるという話が舞い込みます。菽法脈診には苦戦しましたが、まだ六十九難ガチガチで下合穴を加えるというスタイルながら、陰経へ二本と陽経へ一本の合計三本、劇的に本治法の数を減らせて「治療とはこういうことだ」と、自分自身へ疑問を持たなくてよくなりました。
池田政一先生が「補って補って治す癖がある」という話をされ、「七十五難型の肺虚肝実証も珍しいものではない」とも言われますから、偶然に遭遇した七十五難型の肺虚肝実証には営気の補法を即興で考察して用いて、肝実が落とせた感動は今でも忘れられません。七十六難にある「衛気の陽気に対して営気は陰気だから、陰気を補うことで瀉的な効果がもたらされる」という難経の教えにたどり着けたと、衛気の補法と営気の補法の組み合わせで本治法は成立できるという喜びは、肝経へ直接瀉法を行っていた反省から抜け出せました。
でも、「臨床は生き物である」と言われるように、一つ壁を破るとまた次の壁がお招きもしていないのに立ちふさがってくれます。
一つは滋賀漢方鍼医会の会員はすんなり七十五難型を臨床で応用してくれるのに、本部を含めてほとんど浸透してくれないこと。時々「困っていた症例が肺虚肝実証かも知れないとやってみたなら見事に回復できた」と報告をしてもらえるのですが、いつの間にかその人がまた忘れてしまい継続的に臨床をしてくれないのです。
非常にもったいないことです。生理・病理からすれば、思春期以後の女性患者の半分以上は肺虚肝実証になるのに、そのように取り組めば難しいはずはないのにわざわざ違う方向からしか見ていないようです。肝実を脈診だけで見ようとしている節が大きいようですが、腹診で肝腎の間の粘りを探れば、本当に簡単に見つけられるのに。
次に、本治法では衛気の補法と営気の補法で困ることはないのですが、標治法においては瀉的なものを用いないと、やはりバランスが取れません。瀉法鍼という超強力アイテムは早くから応用していましたが、強引に局所の血を動かすもので名称と異なって瀉法ではありません。ローラー鍼は手法としては瀉的ですが、皮毛や血脈より深い肌肉であることと、受け手には完全に補法です。
これまた偶然に、バット型のていしんを試作しては重さから断念せざるを得なかった時に、軽量化と邪を煙突のようにして抜くことが出来るかもと、半分遊びも手伝って龍頭の先端に穴を掘っていた邪専用ていしんが本体だけ先に完成していました(名称は後付で決めています)。
垂直に皮膚へ立てていると恐ろしい勢いで気が抜けるので、構造的な狙いは正解でしたが使い道がないので、しばらく放置していました。あまりに疳の虫が強い小児鍼へ思い出して応用してみると、これが著校ですから小児鍼のようなタッピングを自分の身体へ試してみると、気は抜けずに邪だけを払うことができていました。邪の方が、気よりもさらに早く動くからです。これで標治法で邪が停滞している部分への処置が可能になりました。
続いて、邪気論を乗りこなそうとしてなかなか菽法の高さへ治まりきってくれない状態の頃、側頚部の硬結が強烈な患者へ本治法の直後に側頚部へタッピング処置をしていると、カメラのオートフォーカスのように菽法が自動補正されたことに気付きました。十二経絡の調整を一本か二本できっちりこなしてしまおうということ、それ自体に土台無理があって、動きの速い陽経から邪を払ってやることで、本治法が無理なく仕上げられているのだとわかり、邪気論が乗りこなせるようになりました。
「こんなに便利なものなら」と、理論的には生気論へも応用できるはずと実践してみると、カメラのオートフォーカスのように菽法の高さへ自動補正をしてくれます。本治法での手法を自動補正してくれるということで、ナソ処置が誕生しました。そして菽法脈診は、最強の脈診へと進化をしました。
さらには「どうして経絡治療には頭部を用いる治療がほとんどないのだろう「とずっと疑問に感じていたこと、WFAS2016でのステージ発表を見ていて、ゾーンという言葉から連想される「ゾーン処置」を開発し、背部標治法をシステム的にこなせてしまえるようになりました。
頭部の表面は陽経だけが巡っているのであり、側頚部の延長で動きの速い邪だけを払うことで背部全体が自動補正できる処置法になりました。何より人間は「天の邪鬼」ですから、頭部のタッピングの気持ちよさです。頭を使う・頭ほど美味しい箇所はないのに、今まで手つかずだったことを思わず自分で笑ってしまいました。
衛気と営気の使い分けに加えて邪専用ていしんで邪を払えるようになり、「これだけあれば十分」といいたいですが、そうならないのが臨床です。「用語集」を見直すと、衛気の補法・衛気の瀉法、営気の補法・営気の瀉法と補瀉全てに言及があり、営気の瀉法は瀉血としているので、衛気の瀉法だけが確立できていないのが分かります。いつの間にか漢方鍼医会は「衛気の手法」と「営気の手法」の二つでいいとしてしまった時期があり、補瀉という言葉を使わなくなったことが、その後の迷走になったのでしょう。
ついでに書くなら、脈診で虚実の判定をするのがあまりに主観的だということで脈差診から菽法脈診へシフトしたのに、いつの間にかまた虚実のことを言い出したのも迷走の原因です。私は脈診だけでの不問診が決行できるのですが、下積み修業時代は本治法をさせてもらえるチャンスそのものが少なかったので虚実への興味もわざと薄くしていましたが、いざ開業して毎日すべての本治法を担当すると本当に虚実は脈診だけでは分からない、困って腹診を重視するとしばらくは調子を戻しても、今度は当時の腹診法が強引だったのでまた脈診重視へと戻ることを繰り返しており、虚実に振り回されたくないということで漢方鍼医会を選んだところもあるのです。
ここで「虚実を弁えて補瀉するのみ」へ戻ってきます。本治法へもやはり瀉法は必要で、一番有名なのが井穴刺絡です。営気の瀉法ともいいかえられますが、滞りを排除することにより一気に経絡活動が復活し、瞬間的に解熱するなど朝飯前でした。結果的に補的な効果がもたらされているのですが、経絡の疎通のために排除の理論が優先されただけです。ここを詰将棋をするように議論を始めるとどうにもならないので、経絡の疎通のための手法だったということで収めましょう。
井穴刺絡は時代に合わないので陽経から剛柔理論による調整に置き換えられましたが、それでも井穴刺絡に代わる衛気の瀉法による治療法は必要だと感じていました。そこへ邪気論に続いて大阪漢方鍼医会から提唱された季節の治療、経絡反応が異常低下した暑気あたりなどでは瀉法による直接の邪気の排除が必要で劇的効果につながります。五気に応じて選経と選穴が自動的に割り出されるので、問答無用で治療法が決まってしまうのには臨床上問題を感じますが、適合する時には本当に劇的な効果になります。
手法は、術者が邪を受けないようにていしんは逆さに持ち、即刺徐抜を行います。即刺のために、吹き矢の要領で一気に息を吐いて上半身がわずかに揺れる状態を利用します。これは大阪漢方鍼医会で基礎を教えてもらった上に、持ち方と即刺の工夫を加えたものです。
さて、またまた問題です。井穴刺絡と同様に季節の治療が必要な患者に遭遇すると劇的効果が実感できるのですが、確立が高くありません。いや、臨床家であれば遭遇するはずなのですが、最初は典型的なものでないと見抜けないのであり、一度体験すると次からは度胸ができて応用範囲が広がるのですが、典型的なものは偶然でないと出会えません。そして、その前に瀉法という手法の練習ができていません。
滋賀漢方鍼医会の中でもほとんど一人で衛気の瀉法の報告をしていたわけですが、ハント症候群から顔面麻痺の後遺症で痙攣が残る患者さんが複数来院され、あまりに不快感を訴えられるので「一本だけなら」と、実験もできていないのに顔面へ衛気の瀉法を行うと、とても気持ちいいという反応です。すぐ昼休みに自分の顔面で実験すると、あれほど腹部はもちろん下肢でも自己修練のためといいながら行えばダメージマックスになる瀉法が、数本行っても平気なのです。限界を見極めようと繰り返して、30本くらいで流石に倦怠感は出てきましたが、臨床的手法修練法の瀉法が開発できたと、嬉しくて仕方ありませんでした。
わかってしまえば「どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう」ですが、ゾーン処置の理論と同じく顔面には陽谿のみですから、数本であれば十分に耐えられる箇所だったのです。これ以後の詳細は滋賀漢方鍼医会公式テキストにありますので、発刊後にはぜひとも確認してください。
ていしん治療(道具のほとんどがていしんで刺鍼を行わない治療)へ自然に切り替えて20年以上、「かゆいところへ手が届かなければ届く道具を作ればいい」という発想もしてきて、ようやくここまで来ました。「経絡治療の臨床研究」を発行してから20年、その後を出版しなかったのは理論だけでなくていしんの技術の確率が絶対だと感じていたからです。
臨床では補法が正しく確実にできることが前提条件ですが、道具を活用することで邪を払うことは簡単です。これで補瀉のかなりがカバーできますが、瀉法が必要な場面では絶対に瀉法も必要です。最近では口の中の異常や耳鳴り系統のものへ応用して好成績ですし、頭部へ直接行うことでパニック障害が一気に解消できたなど、まだまだ「臨床は生き物」です。