“わたSHIGA輝く国スポ・障スポ”ということで、1981年の“びわこ国体”から44年ぶりに国民スポーツの祭典が2025年に滋賀県で開催されました。2025年10月26日のボウリング競技で、スポーツマッサージのボランティアにかかわらせてもらったので、主には鍼灸のの立場からのスポーツボランティアについて少し感じたことを書きます。しかし、リハーサルなしでマニュアルも存在せず、選手のケアを少しお手伝いというだけのものですから大げさでありませんから、あしからず。
まず前述のようにリハーサル施術もマニュアルもなく、施術前後にカルテ記入をすること、時間が基本15分(最大20分)、そして絶対にやってはいけないことは施術前よりも状態を悪くしないことというのが滋賀県からの指示でした。「もし医療処置が必要なら救護所の方へ回すこと」ということで、痛みに対する施術はなく競技前後の緩和処置が目的とされました。普段の鍼灸院の仕事なら「なんじゃそんなふざけた処置は!!」となりそうですが、遠方からの出場選手へのケア(緩和処置)であり、キュア(救護治療処置)とは目的が明らかに違うからということでボランティア要請を受けたときから割り切っているので、ここには引っかからず。
しかし、鍼灸は用いても構わないということで、ディスポの毫鍼や無煙灸は用意されていました。もちろん私は持参したていしんを用いますので、消毒関係無しに適宜用いていました。
ボウリングは肢体不自由者もしくは知的障害者の競技で、2日間のうち後半の日程でした。つまり、決勝の時間帯ですから競技集中ということで試合後に訪れた選手がほとんど。軽い痛みを訴えられるので「さてどうしたものか」とその場で考えるのですが、カルテ記入の間に脈診せず瞬時に方針を決定していくスリリングさは逆に面白かったです。肩関節痛は肩甲骨周囲からのものか大胸筋によるものか、右足は肉離れで左足はシンスプリントを起こしている、競技中に骨盤が歪んでしまった、緊張で試合前に手が動きづらくなっているなどなど、門信徒触診だけでの方針決定はより集中力が必要でした。そして結果を確かめるようにマッサージして答え合わせをしていくのは、最終的な責任を追わないからではありますがこれは楽しい。筋肉を「触る」という点で、とても勉強させてもらいました。
私はあんま・マッサージ・指圧師の免許も持っていますが、社会人になってからはマッサージ施術で金銭をもらったことが一度もありません。自称「ペーパーマッサージ師」です。ただ、そこは指や手が覚えていますから施術には問題なし。東洋はり医学会時代に福島弘道先生を始めとする先輩諸氏から、あんまをすると「指先に力が入りすぎるから微妙な鍼の操作ができなくなるので鍼灸専門を目指せ!」と叱咤され続けてきましたが、特に押し手についてはこれは確かなのでできる限り手根での施術をを心がけはしました。ベッドの高さが低すぎるので行えませんでしたが、肘揉みができれば、もっと良かった。つまり、スポーツマッサージでは大きく筋肉を動かすことが一番で、オーバードーゼを考えると「分肉の間」は逆に意識しないほうが事故を起こさないというのが一日を通しての結論になりました。
けれど全てのケースで脈診はさせてもらい、全身状態の把握もしています。というより、脈診を行わないと落ち着きません。本治法も一人を除いて結局行っており、本治法後に喋りなどで数分間だけアイドリングタイムをおいて総合的には仕上げています。独自診察技術を持たないのに普段も施術している人たち、心臓が強いのだなぁと逆に感心してしまいます。ケアに徹していて、全くキュアというレベルを考えないのでできることなのかな?
そうそう、打ち合わせも始まらない待ち時間に盲学校の大先輩になる高齢の方が気分が悪くなってしまい、とりあえずベッドに寝かせて休んでもらうことに。最初はちょっと意地悪に付き添いを兼ねていた若い先生の様子を見ていましたが、緊急事態ですから治療をということで脈診すると猛烈な数脈であり、冷や汗の上に冷えのぼせになっています。邪気論での治療の典型であり、肺病で経渠へ営気の補法。数分後には数脈が落ち着いて胃の気も出てきましたから、暖房のない場所なので座位で服を着せたまま手を入れて三振をして、二木式奇経鍼で押し流す処置を行うとリアルタイムで顔色が戻り、本人からも回復したという感想が。滋賀県の管轄内ですから医療スペースへ移動してもらい、高齢者なのでそのまま帰宅となったのは仕方のないところです。周囲から「さすが鍼灸専門」と言われたものの、いやいや、これくらいはできるレベルに全員あってほしいのですよ伝統鍼灸学会の理事としては…。
本論としては、ここまでです。ここからは半分以上愚痴の話なので読み飛ばされて結構ですが、今後のためにやはり記述しておきます。
ボウリング会場は鍼灸院から徒歩3分のビバシティですが、8時に集合とあったので正直に数分前には正面玄関に到着していたものの誰もいません。当日は激しい雨と風だったので「外は大変だから中へ入ってしまったのだろう」と、大会関係者のネームプレートはあらかじめぶら下げておいたので通用口から入っても、案内の人がいません。エスカレーターはもう動いているので三階まで上がるしかないかと登っていくと、途中で鍼灸師会の先生が見つけてくれました。早速に施術場所の確認をと思っていると向こうも予想されていて、「実はボウリング場ではなく立体駐車場の一部で行うんです」って、滋賀県側が指定して設置したのですから文句も言えませんがこれはひどい。まずビバシティは大きいですからボウリング場と立体駐車場が離れすぎていて、移動してくるだけでも随分かかってしまいますし看板が建てられている程度ならスポーツマッサージが実施されていることを知らない選手団のほうが多かったでしょう。知っていても「底まで移動して」となっていたのでは?
そして立体駐車場なので濡れることは直接ないものの、大雨と強風の三階ですから雨粒もすぐそこまで吹き込んできています。屋外であれば風を防ぐテントの中でしょうし、屋内なら競技場のすぐ横にどちらも救護施設と並んで設置されるものと思いこんでいましたが、どうしてこんな左遷状態だったのか滋賀県へ鍼灸マッサージ師会から改めて質問してもらいたいです。当然ながら施術を受ける選手も寒かったでしょう。電動ベッドを用意していなかったとまでは言いませんが、車止めで動きにくいスペースに低いベッドが配置されていたこと、現場のことを考えないお役所仕事だったと評価せざるを得ません。
「国スポ・障スポ」という名称は国民体育大会・全国障害者スポーツ大会を2024年の佐賀大会から改名されたもので、国体も二巡目を終えようとしてスポーツ施設の建設は整い、またオリンピック・パラリンピックを目指す選手は海外を含めた長期強化練習が当たり前となり、世界陸上選手権の直後だったのでそのまま出場してくれた選手は多かったものの国スポの陸上競技は同窓会のような雰囲気だったとか。水泳もシーズンラストの大会が恒例で、お祭りだとラジオで堂々と金メダリストが話していました。国スポはその役割に終止符が打たれようとしている感じです。
44年前の「びわこ国体」デ同時開催された第17回全国身体障害者スポーツ大会、車いすバスケットと盲人野球の団体競技以外の個人競技は一生に一度しか出場が認められていなかった時代で、悲壮感を持っての参加ですから中途障害でそれまでスポーツとは縁がなかった人でも真剣に練習に取り組み大会への意気込みは並々ならぬものがありました。私の最大の黒歴史ですが、大会直前に学校内で問題発生の片翼となって開会式の大会旗入場メンバーから外れざるを得ない、そこから1年後の島根国体へ出場するまでの悔しさは未だに忘れられません。ここから水泳を長く続けられるように放ったのですが、きっかけがきっかけですからねぇ。
その後に私は徳島・福島・広島と三度もグランドソフトボール競技で出場をさせてもらいました。個人競技と違ってリトライできる気持ちの軽さは、いい経験で黒歴史からやっと抜け出せたかも。まだ障スポの種目には取り入れられていませんが、ゴールボールとブラインドサッカーの団体競技も経験させてもらいました。個人競技は出場回数制限が取り払われ、パラリンピックの流れから「ゆうあいピック」として別開催されていた知的障害者スポーツ大会と統合されたことが大きな変化となったでしょう。国際大会は身体障害者が主体ですが、国内大会は活動量の大きさから知的障害者に軸が写っている感じがあり、以前のような悲壮感を持った大会ではなくこちらもお祭りになりました。ですから、障スポもそろそろ役目を終えた印象があります。相当な費用がかかっている毎年の何処かで開催される大会、この経費を災害対策の方へ回すべきでは?
ここにはかけませんが、控えている時間に関係者のほとんどが不愉快になる言動の数々があり、ここだけは後味が悪いことに。しかし、44年ぶりの滋賀県開催の大会に少しでも関わることができ、万博もそうでしたが「やっておけばよかった」と不参加を嘆くことなく参加させてもらった満足感と充実感をいただきました。関係者の方々、大変お世話になりました。そしてありがとうございました。