今年の「院長ブログ」は、東京へ向かう新幹線の中で時間制限付きの一気に執筆する形式が定番になっており、今回も伝統鍼灸学会の理事会へ出席する車内で打ち込んでいるものです。
9月23日ですから「秋分の日」の振り替え休日であり、二週連続の三連休の最終日ということで「なんでこんな日に」というところです。学術大会の一ヶ月くらい前には理事会を開かねばならないということからですが、「連休の最後ならオンラインでの参加が楽なのに」といきたいところが、珍しく「視覚障害者支援委員会」からの議題が出されているので、対面でなければならないのです。
具体的な議題ですが、過去の学会誌をテキストデータで残しておきたいというものです。50周年記念誌には50年間の学会誌がPDF化されDVDで付属してきました。ところがところが、これが画像処理のみでテキストデータが抽出できなかったのです。今回の主なターゲットは視覚障害者のためですが、テキストデータが取り出せるようになっていると論文への引用など活用の幅が大きく違ってくるので、学会全体の取り組みとすべきではないかと話が大きくなりました。議題が通れば私が担当することになるでしょう。
PDFが普及し始めた頃からの問題で、晴眼者には過去の雑誌類は目で読めればそれでよく、処理が簡単ということで画像撮影しただけというPDFが反乱するようになりました。HTMLやPDFは、全てのユーザーが使えるようにと画像には代替テキストを付ける義務があると規定はされているものの、そこまで熟知して製作されていることの方が遥かに少ないものです。特にPDFでは文字に対しては全く同じテキストデータが埋め込まれていることが、本来は義務です。メーカーの説明書などはさすがに制作基準をクリアしているので独力で調べることができるものの、それでも時々変なロックを掛けているものがあります。改ざん防止の意味かもしれませんが、自分たちで閲覧してもらうためにwebへアップしているのですから、ロックを掛けることそれ自体が無意味です。PDFからテキストデータだけを抜き出してくれるフリーソフトを、途中に使わねばなりません。
HTMLやPDFを製作するソフト側が完全対応で、代替テキストが付加されていないとエラー表示になればいいのですが、エラー表示を出さずに進行するので困ってしまうのです。ホームページの製作ソフトも当初はこれと全く同じ状況で、写真類は引っ張ってきているファイル名を読み上げるだけでほとんど何も分かりませんでした。画像とリンクが重ねられているものはひたすらアドレスを読み上げてくれるので、うっとうしいことこの上なかったです。これらは大手ソフトメーカーのものがほとんどだったので、指摘から改善されました。でも、最近のワードプレスなどへテンプレートをはめ込んで製作しているページは、やはりテンプレート側が対応しておらず、また「画像」としか読み上げされない写真類が増えてきています。ソフトメーカーが小さいので、以前よりやっかいかもです。
PDFに話を戻して、30周年記念のCDでは、15年目くらいからの学会誌はテキスト抽出がされており、その後の20年も印刷会社にデータが残っているでしょうから、15年目までのものをOCRソフトでスキャンすればいいことになります。幸いにも40周年記念のCDは全ての学会誌にテキストデータが付加されているという情報であり、これが手に入れば手作業がスキップできることになります。60周年記念では、PDFに加えてテキストデータも付属させられると、以後の活動が楽になるので、今のうちに作業が完了できればと考えています。
さて、伝統鍼灸学会の理事も二期目へ入り、なんだか当たり前の活動のようにしていますが、本音は時間が制約されてちょっとしんどいです。医療界全体がそうですが、30代で何か発表や発言をしてもほとんど相手にされず、40代でもはな垂れ小僧扱いです。50代になってようやく発言を着目してもらえるようになり、60代が一番脂が乗り切るという感じです。私の鍼灸師人生は元々から60代に大きな成果が残せればとターゲットを絞ってきました。これが目の前に迫ってきていて、滋賀漢方鍼医会が独自の実技に特化したテキスト発行に向けて動いている真っ最中であり、鍼灸院の本職に加えて二つの仕事をこなすのはちょっとしんどいところです。
でも、存在感が薄れている視覚障害者の鍼灸師たちに目をもう一度向けてもらうために、伝統鍼灸学会の仕事もとても大切です。50周年記念誌は企画から分厚いものが出てくることが想像できたので、これをボランティア任せで音訳や点訳してもらおうとしても大変すぎて完成しないことさえ予測できましたから、有志を募って視覚障害者の鍼灸師自らで点訳作業をしました。60周年記念誌が製作される頃にはすっかり電子ブック化されているはずなので、ここまでしんどい作業は最初で最後でしょうと思っていたなら、まだ学会誌がテキスト化できていないという問題が残っていたわけです。
「視覚障害者支援委員会」という名称は今年度からのもので、それまでは学術大会での点字プログラム発行と学会誌が発行されたなら印刷会社から出てくるテキストファイルを配布することがほとんどで終わっていましたから、流派を越えて委員会として集まっているのはここだけなので技術交流を提案しました。最初は昭和の癖の強い先輩方ですから、「他人の家へ足を踏み入れるようなことは」という雰囲気はあったものの、学術大会での実技では手を出して触らせてもらえるチャンスがほとんどなく、話を聞くだけで終わっていましたから、まずは他の研修会の技術を手で触れることから始まり、雰囲気が変わりました。委員へ登録してもらってすぐ提案を出していたので、次の委員長へ指名されてもしまいましたが。
幸いにも他の委員も入れ替え時期に来ていたので、技術交流は大いに受け入れられることになり、PRのために委員会のページを作成してyoutubeにも動画をアップしてと今までの活動を変化させられてきています。そして実技交流も変化をして、項目を絞ってお互いの流派の実技の比較をやり始めていますし、主に盲学校の生徒と教員ですが伝統鍼灸に触れられてこなかった視覚障害者へ、入門講座としても開放してきています。
次の目標は、来年(2025年)第53回大会が東洋はり医学会主管であり、東洋はり医学会は福島弘道先生たち視覚障害者が設立し大きくなった経絡治療の老舗ですから、視覚障害者の参加者を優先にした実技セッションの時間を委員会で受け持つことです。東洋はり医学会からも委員の先生たちがいるので、担当してもらえるように次の連絡会議からリハーサルを二度入れ込むことにしています。これが成功すれば、毎回の学術大会で視覚障害者の優先枠のある実技セッションを持てるかも知れませんし、実技セッションのあり方そのものを変えていけたらもっといいのにと期待しています。
「あぁ本職以外の仕事が増えてしんどい」といいながら、今からの10年間の脂が乗り切るだろう鍼灸師人生を楽しみにもしているのであります。