今回は滋賀漢方鍼医会公式テキストとして準備し、すべての執筆担当をしたまだ未編集のデータが手元にあります。これを二木清文の個人著作と衣替えすることとなり、その改めての決意表明のための備忘録です。いつものブログ記事からすれば、とても短いものになっています。
「滋賀漢方鍼医会のテキストを発行したい」という意見が出てきたのは、夏期学術研修会で毎年のように新たな華々しい提案が出てきていた時期があったことです。あの頃は「うちの地方組織の色を」という感じで、新たなものを出さねばならないという脅迫感のようなものさえ感じていました。これは受講する側も大変ですが、指導担当をする講師陣はもっと大変。冬場に概略が発表されて年明けの指導員合宿で実技交流を行っただけなのに、5月と7月のリハーサルでもうそれを組み込んだ実技の流れを行わねばならないのです。
滋賀漢方鍼医会が二度担当したとき、一度目に腹部を用いての臨床的手法修練法を導入しました。しかし、これは数年間に渡って導入を促してきたものがやっと実現されたものでした。テーマの「証決定への手順」も、段々といきなり経穴に指をおいて脈の評価を他の人達に求めてという小里方式が秘伝口伝から集団研修できる技術へ脱皮させてくれたのを台無しにするので、選経・選穴の順で絞り込んでいくことを再確認させただけのことでした。二度目では脈状を意図的に作り出すという取り組みをやってみたかったものの、これは自分たちでも少し焦りすぎだったことを反省して臨床的自然体に切り替えています。臨床的自然体についても、数年前から広めてきていることでした。
ですから、滋賀漢方鍼医会としても、二度目の取り組みの時点で「勇み足」があったのでそこまで大きくは言えないものの、その失敗を教訓にしてもらえればよかったのに逆に地方組織の「この色」が強調されていってしまったのです。
決定的にこのままではいけないと感じたのは、「陰陽調和の手法」というのが出されてきたときでした。鍼の手法は調和をもたらすために行うものですから、まず名称そのものがおかしい。さらに衛気の補法はみんながやっているのですが、営気の補法を実践できないのにわずかな垂直の操作で変化を出すなど、毫鍼でも難しいと思われるものができると主張してくるのです。何度も何度も実技での照明がないものは受け入れられないと繰り返したのに、決定事項だからと押し切られるので、納得できませんから入門部の指導に回してもらいました。滋賀では誰も相手にしていませんでした。その後の追試も、もちろんしていません。
このままでは「新版漢方鍼医基礎講座」と違いすぎる実技になっていきます。時間経過とともに実技が変化することはそれは進化ということで構わないのですが、あまりに路線が違うます。そして困ったことに数年すれば新たに提案されてきたものを忘れています。効果があるものはいい味があるので取り込むべきと、すべてを乗りこなそうとしているのは滋賀だけなので、自分たちの経験でまとめ直したものを作るしかないと考えるようになったのです。
時間的に戻りますが、20周年記念は二泊三日の大盛況で行われて、「新版漢方鍼医基礎講座」のテキストに加えて、「取穴書」が発行されました。「20年経過してようやく漢方はり治療が完成の域に達することができた」という実感だったのですが、この夏期研ですでに邪気論の発表がありました。何度か経脈の詰まりを直接除去する治療法があってもいいということで講義があったのですが、まさか翌年の夏期研の実技が邪気論のみになるとは…でした。
邪気論が実技として入ってくることそれ自体は不自然でなかったものの、時間を区切って一部のみにすればよかったのに、いきなりすべてを邪気論というので大混乱です。しかも、脈差診での虚実判定が主観的で病理考察にもつながりにくいということで菽法脈診を発足時から導入してきたのに、祖脉だけでなく各部の脈診にも虚実判定を復活するというのが大混乱です。そしてもっと困ったことが、「乗り遅れるな」という感じで指導者クラスが邪気論のみでの臨床をこなそうとしたこと。まるで熱病に感染してしまったかのようでした。
滋賀では邪気論ということは跳ねた脈状だと該当できるかもとルールを決めて少しずつ追試をすることにして、一気に切り替えることをしませんでした。そして治験例が積み上がってくると確かに邪気論での治療は効果的であり、何より七十五難型の肺虚肝実証は邪気論なのですから、併存できるものということに数年掛けて落ち着きました。わざわざ乗り遅れたことにより、ルートを複数獲得できるようになったのです。そして治療法が併存するマニュアルが必要だと感じてきたのです。
決定的に「自分たちのテキストを作成しなければ」と決意することになったのが、本部がテキストの更新版になる第三弾の構想を発表したことでした。なんと「衛気の手法」「営気の手法」としてきたものは一応残すものの、補瀉に手法を切り替えるというのです。地方組織への意見聴取も、賛否もなく問答無用で切り替えるとしてきたのです。素問や霊枢はとても大切ですが、難経を基準に治療を組み立ててきたのにそれをひっくり返すというのです。しかも「ていしん治療をするなら古典に書かれてあるていしんの条文を厳守して」と、先祖返りをするとまで言います。
covid-19の騒動も入ってきて、二木清文という存在が鬱陶しく思われていることは特区の昔から知っていましたがそれでも本部へは意地で通っていたものの、「実技の検証もないようなテキスト発行が認められるか」と立ちはだかりました。これだけは拒めず、その頃に瀉法の手技が確立できていなかったので苦し紛れに何やら命名していたものを実技で照明すべきとさらに立ちはだかったなら、「これは本部入門部のテキストだから別に使ってくれなくて構わない」と逆ギレされてきました。そしてこの喧嘩を他の誰も止めてくれなかったので、本部を退会することにしたのです。自分で執筆するしかないという決意とともに。
covid-19で実技研修ができなくなっていましたが、いち早く実技を再開したのは滋賀漢方鍼医会です。このときには自主勉強会という形にして、会場でぼちぼち集まれるようになってからも数年間はそれまでの財産を有効活用するということで会費を徴収せず、無理なく再開させてきました。
そして自主勉強会ですから本部だけでなく他の地方組織と足並みを揃えるなど気を使わなくても構わないので、「押し流す奇経治療」や「押し流す処置」、「ナソ処置」は概ね完成していましたが「ムノ処置」を追加で完成させ、二木式奇経鍼で筋の深さを直接動かせるようになって皮毛・血脈・肌肉・筋・骨の段階ごとにていしんを持ち替えてアプローチしていける治療法が確立できました。
完全に独創できたからの成果であり、もうここまで来るとテキストとして一つのものにするしかないです。そして私たちが研究してきたものを、堂々と鍼灸業界に知らせたいし、広めたい。そのために最初は滋賀漢方鍼医会が発行するテキストという前提で執筆を提案したのですが、何人かで手分けしているといつまで時間が経過しても原稿そのものが完成しませんし、さらに編集をとなるともっと完成しませんから、執筆は一人でやりきってしまいました。
それが実技に特化したテキストということで経験談や治験例をあちこちに埋め込んでいたなら、滋賀漢方鍼医会がやってきたことの色がうすすぎて、二木清文の著作で監修をしたという形に変えたほうがいいという通告をもらったのです。何段階かの編集をしてもらっている間に、そんなニュアンスは聞いていましたから驚きはしませんでした。
発行者が変更になったことでもう一度全体を通しての筆入れ作業が必要になりましたが、打ち上がってから1年半経過した間の新しい情報を無理のない範囲で入れ込んでは行きます。それにしても一年間だけでこれだけの量を、よく打ち込んでいたものだと自分でも感心しているのでありました。