いつも「今回は短めに」と思いながら打ち込み始めて結局は相当な長さになっているのですけど、今回は一時間半という限られた中で執筆を完了せねばならないので、短文でできるかな?
covid-19の大きな影響から鍼灸の研修会は軒並み大打撃を受けてしまい、学生が研修会になかなか参加しないという流れがさらにひどい状況になってしまいました。漢方鍼医会においてはさらに内部に大きな問題が発生してしまい、滋賀漢方鍼医会は本部が第三段として発行した最新のテキストを無視しています。無視するしかないのです。
けれど、無視しているだけでは活動が継続できないのであり特に新しい人材育成にはまとまった資料が必要不可欠ということで、自分たちで作り直すしかないということで現在は私が一人で元原稿を打ち込んでいます。理論は他にいくらでも専門書が整った時代であり、それこそ漢方の整理については中医学が理路整然と提示してくれているのですから、実技に特化したテキストを作ろうというのが基本です。
一つ一つの項目を自分の臨床の中から拾い出し洗い直して執筆しているのですけど、ちょうど伝統臨床セミナーで腹診の講師も担当するという機会にも恵まれたので四診法の執筆を間に合わせてきたのですけど、顔面やナソ部で手背を用いて理の状態を確認してきたのですが腹診では使っていなかったことに気付かされました。これは診察では患者を壊すことがありませんから、自分の身体で実験しなくても臨床の中で次々に触らせてもらえばいいのであり、次々に触っていくと「腎間の動悸」が明瞭に触れられることを発見しました。腹診での理の役割は汗が出ているかどうかなのですけど、これは気血津液のいずれもに関わってくるので手背で探るのは「腎間の動悸」に限定したほうが圧倒的に効率的だというのは一日の臨床ですぐ結論できました。
熱中症の治療が近年増えていて脉状で見極める方法などは、メルマガへの投稿原稿で発表してきたのですけど(ホームページに再掲載してあります)、問題は「この状態で鍼灸院で治療をしてもいいのか?」を最初に見極めることです。「隠れ熱中症」であれば患者が命の危険を感じていないのでこちらで指摘すればいいのですけど、急性の熱中症であれば予約の電話をもらった時点より急速に病状が進行していることがあり、治療を続行していいのか冷や汗を流しながら判断したことが何度もあります。それから胃潰瘍を診断してもらえずほとんど穴が開く直前というのがあって、あの時の緊張も忘れられません(おかげで胃潰瘍・十二指腸潰瘍の脈状も忘れることがなくなりましたが)。
この瀬戸際の状態では、脈診だけで決断をすることがとてもできません。自身もありませんし、恐怖を感じているのですから感覚も鈍ってしまうはずです。この時に「腎間の動悸」、つまり経穴で言えば関元から陰交なのですけどここに力があるかどうかでわかると古典にあります。そして小里克之先生が講義されていた古いカセットテープに、病弱な奥様の治療談がいくつも出てきていたのですが相当な状態でも「腎間の動悸」が感じられたときには助かったものの、最後は「腎間の動悸」が感じられなかったので安らかに息を引き取られたことを語られていました。森本繁太郎先生の話では、筋ジストロフィーの患者で身動きが全くできないほどになっても「腎間の動悸」があったなら行き続けていて、先天の元気だけでも行き続けられるものかという感想を話されていたことがあります。
では、私は今までどうやって「腎間の動悸」を探っていたかというと、実ははっきりした根拠がありませんでした。指頭で探って押し戻してくる力があるかどうか、異常なほどに冷えていないかなどであり、何らかの反応があれば「腎間の動悸」が残っているというくらいでした。
しかし、二度ですが「腎間の動悸」がなくなっているのを探り当てたことがあります。一度目はまだ開業して一年目か二年目の頃、あまりに家族の治療成績がいいので認知症のおばあさんも治療してほしいと言われました。しかし誰の名前もわからない状態だったので「ここまで来ていると認知症そのものは回復できませんよ」と断ったのですが、親戚関係が複雑で「嫁の立場としては何もしていないと周囲がうるさくて」という理由らしく、結果は問わないと言われたのです。一時的に認知状態が良くなった感触もあったのですけど、何度目かに「腎間の動悸」が抜けているという感じになっていたので「これで嫁としての仕事はできたでしょう」と理由にして治療を打ち切ったなら、五日後に亡くなられていたというものでした。
二度目はその前の年に腹痛が全く停止せず血便が流れてくるというので治療はしたものの、大きな病院で検査を受けてくるように指示したのを無視していて、次に来院したときには末期の大腸がんでどうしようもなくなっていました。一ヶ月の余命宣告から三ヶ月は延命できたものの、その日はやたらと腹部そのものへの施術を求めてくるのであり「腎間の動悸」があまりに弱いのでこちらも腹部へ毫鍼を当てた途端激痛が発生してしまい、救急車を呼ぶしかなかったという結論です。そして、明くる日に店員していた病院へ様子を見に出かけたのではありますが、二時間後に飛び降り自殺をされていたというなんとも後味の悪い最終結果にも。
めったに「腎間の動悸」がなくなっている場面に遭遇することはないでしょうし遭遇もしたくないのですが、手背で理の触診から明瞭に感じられるようになり安心して治療へ移れるように、これからはなります。
執筆中のテキストには違ったエピソードを収録しましたし、進行表に従って腹診をすれば30秒もかからず考察のための病理産物の情報が集められるようになりました。covid-19のパンデミックで集まっての実技がなかなかできない間に一人でできる範囲の修練は続けてきたつもりですけど、一人での臨床だと病理考察の手順が面倒になっていて切り分けツールと脈診で大多数の証決定をしていたことを反省したのが、今回の正直なところでした。病理考察を面倒でも毎回考えておかないと証決定はどうしても癖に流されてしまいがちになり、酷いとVSOP(very specil one patane)になっているかもしれません。当たり前にみんなで集まって実技修練ができること、本当にありがたいことなんです実は。