『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

ど派手だった夏期研名古屋大会、今後の課題と併せて反省文

 主題:『漢方はり治療のさらなる飛躍』、副題:『難経による補瀉論 -陰陽調和の手法-』で2017年8月27日から29日にかけて、第22回漢方鍼医会夏期学術研修会名古屋大会が開催されました。私はすべての夏期研に参加してきたのですけど、特に名古屋漢方鍼医会が主催の時には演出が派手という印象がありますね。あっ、名古屋ですから「ど派手」ですね。ちょうど名古屋で「日本ど真ん中祭り」というのがあったばかりらしいのですけど、略称が「ど祭り」ということですからなんでも「ど」をつけて派手にしたがる土地柄ゆえ、今回もど派手な夏期研になりました(笑い)。
 あっそうそう、最後のまとめでも書きましたが見切り発車の部分があった大会ですから、どうしても隅っこをつついた書き方にしかならなかったのですけど、非常に盛り上がり今後につながる大会に間違いなかったことを先に記述しておきます。

 その中でも副題:『難経による補瀉論 -陰陽調和の手法-』というのは、今回名古屋漢方鍼医会が研究を始めている「難経をこんな風に読んだならこんな風な手法があるのでは?」という、新しい手法を追加しようではないかという試みを盛り込んだものでした。4年前の大阪大会でそれまで治療法則といえば六十九難もしくは七十五難といわれてきたところへ、四十九難や五十難からすれば病因へ直接アプローチができるのではという発表が本部で何度かされていてそれを具体化したのに続いて、新しい読み方から新しい手法を目指したというところでしょう。
 まぁ大阪から出てきた五邪論による治療も、本部が鳴り物入りでカリキュラムへ組み込んだ時邪についても漢方鍼医会としては現状はどちらもまだまだ未消化です。はっきり言って両方を使いこなしている人を見ていませんし、そこへ新しい手法を加えようといわれても未消化がまた増えなければいいのになぁと最初に大会趣旨説明を聞いたときには正直思ってしまいました。
 滋賀の先生は肝実証の延長ですから邪論での治療へかなり取り組んでおり、臨床で使いこなせる会員が多くなりました。そして従来の気血津液論も使い慣れており、どちらも同じレベルで考えています。理解しやすい・手の出しやすい方からやればいいのではないかとこれは「引き出しは多い方がいい」という近江商人根性の発想なのでしょうか(苦笑)。ちなみにまだ公に発表できる段階ではないものの、時邪を応用して気血津液論と邪論のどちらを優先して考えれば効率的になるのかという、切り分けツールの開発は形になっており滋賀漢方鍼医会の会員に追試してもらっている段階です。

 それで新しい手法についてまず書き切ってしまうと、指導を受けながら実技をしたのが一度きりでありこのときの脈状については確かに大きな変化があったものの、三点セットで比較するとそれほど評価できるバランスでもなく、モデル患者も「まぁいいかもしれない」程度の感想でした。別の班でも同じような感想だったということで、その後に治療室で追試はしてみたものの脈状は大きく変化するケースがあっても三点セットではバランスがよくなく指導を受けたときと同じくらいの結果であり、何より使える場面の説明が複雑で今がその使えるときなのかどうかがよくわからないまま時間が経過してしまいました。
 また手法には適切な長さの時間があるはずであり、収斂ツールが既に確立されていてyoutubeにも可視化したビデオもアップし存在しているのですが、新しい手法ではどうしても長時間の手法になってしまうという矛盾を質問しても回答が得られていません。何より提唱者から確実な再現性が現段階ではまだ得られていないということでトーンが次第に落ちていっている麺もあるので、個人的には再現性が確保されてからもう一度追試を再開させてもらおうかなというところです。
 ただ、今回いわれている手法で一つ思い出したことがあります。下積み修行をさせてもらった師匠のところでは一通りの診察をしたならいきなり背部へ大量の置鍼をするというのが概ねのパターンだったのですけど、学生上がりの私が置鍼をさせてもらうと鍼が立ってしまいぶらぶらして不安定なものにしかならないのに、師匠がされるときれいに水平に近い角度になるだけでなく、とても安定しているのです。鍼管を水平に近い角度にして切皮する方法についてはすぐ修正できたのですけど、置鍼を安定させる方法がわかりませんし師匠は何も教えてくれません。自分で置鍼に使うのと同じ寸六のステンレス鍼五番を購入して暇があれば自分の身体で練習をしました。最初は鍼管を抜き去ってさらに鍼を押し入れるのかと考えたのですけど、痛みになることはあっても安定しませんしパルス通電するような大げさなこともされていない様子です(その当時は視力がありましたけど手さばきが見えるほどではありませんでした)。試行錯誤の結果、切皮は普通に指でたたき込むのですけど鍼管を抜き去った直後に竜頭を母子と示指でわずかに握り治すと安定するのだと発見しました。本当にわずかの力であり、毫鍼ですからミクロンの単位なら深く刺さったのかも知れませんけどミリの単位になるほど力を入れると痛みにしかならなかったのです。そして抜鍼時も最初は患者さんから気が抜けてしまうようなことしかできなかったのですが、押手を作ってわずかに下方向へ圧を掛けることにより鍼を引き上げることなく抜鍼ができるのでした。今回提案された手法の解説と酷似とまではいいませんが共通点が多いのは、大会直前になって思い出したことです。標治法での追試は、まだこれからです。

 さて実際の様子ですけど、まず懇親会のど派手さは前回もプロの民謡奏者を呼んできてライブ演奏をしたというど派手さでしたけど、尺八に三味線に太鼓で盆踊りを実行してしまうのですからど派手もど派手でしたね。三味線を弾いていたのはうちの娘と同級生になる天野先生の娘さんということで、これにも「どえりゃー」驚きました。ノンアルコールビールの早飲み競争に丁子に乗って参加もしていましたが、その前に還暦を迎えた双子の新井先生へ無理矢理赤いちゃんちゃんこを乾杯直後に正面で着せてしまうというパフォーマンスを私もやってしまいました。還暦祝いというのはちゃんちゃんこだけでなく赤いずきんに白い扇子の三点でセットらしく、赤ずきんちゃんの新井先生がしっかり写真撮影されました。
 グループディスカッションが今回は一日目にプログラムされたのですけど、これは賛否両論で今後の課題も多いところでしょう。一日のみの参加者も結構多いのでディスカッションは大勢の方が有意義なのですけど、私が所属した班は研修部へ上がってきたばかりの人たちで学生も混在していましたから、発表者の内容について行けていなかったのが事実です。入門や研修レベルの人を考えるともう少し実技が進行しないと話したいことが明瞭にならないでしょうし、二日目が実技オンリーになると疲れすぎるという意見も多くありました。今回のように新しい手法を提案するというのがメインなら、一日目の子の時間帯に実技シンポジウムの方がよかったのではというのが、実際を経験してからの感想です。

 ここからは実技時間の話です。私は講師陣としての参加の方が既に長いのですけど、今回は一度目の講師合宿が姪の結婚式と重なってしまい欠席せざるを得なかったので一般参加を希望したものの、実行委員長から二度目の合宿にさえ参加できればとのことで、そうであれば古株としては若い先生たちのサポートができればと入門部の担当を希望しました。基礎を作るというのはどんな技術にしても最も大切なことであり、滋賀漢方鍼医会の月例会においても半年に一度は聴講を担当するように回ってくるのですけど自分自身の基礎を見直すという点で、私は基礎修練というものが大好きです。本部だけでなく地方組織でも入門部は「新版漢方鍼医基礎講座」に書かれてある範囲のみで実技を行うことが原則であり、「技術者としての手を作る」という意味で本部入門部では毫鍼を用いることが義務づけられている点だけが違っているだけでした。しかし、普段はていしんしか持っていないのですから毫鍼を分けてもらって基本刺鍼ができるようにと事前の練習だけちょっと時間がかかりましたね。
 ところが、ここで今回想定していなかった誤算が発生しました。大阪や滋賀だけでなく地方組織では入門レベルからていしんを使うのが当たり前になっているというか、ていしんのみでの治療が習得したいので漢方鍼医会へ入会してくる人がほとんどであり代名詞にもなっているのですから、本部入門部に所属している人以外は毫鍼を本治法の技術としては全く修練していませんでした。しかも、会場へ来て初めて毫鍼を使うのだと知った人さえいたのですから、基本刺鍼を受けていて気が抜けてしまい全身倦怠に襲われてしまいました。左耳は詰まった感じになってしまいますし、グループディスカッションへ入る前に自己治療をしてその後も何度か治療はしたのですが、全身倦怠が回復するには三日間も必要でした。夏期研そのものが終わって名古屋駅まで戻ってきてもこの私が飲み直すことなく自宅へ直行したのですから、どれだけしんどかったかということです。反省会でこの話は少し触れたのですけど、夏期研では入門でもていしんを使えるようにしないと現状に沿っていないと実感しました。

 二日目になり、二時限目は脈診と腹診の修練です。菽法脈診の指の動かし方は思っていた以上に上手で、総按と単按で随分と触れられる脈状が違うということに驚いていた触覚にこちらの方が驚きました。でも、普段の指導で単按という方法を教えていないという証拠でもありますけどね。モデルをあげてそれぞれの菽法の高さを全員で検討したのですけど、上達が早かったです。三菽の指をスライドさせた状態での重さは、やはり入門レベルでしっかりくせにしておかないとと改めて思いました。
 脈診と腹診だけで80分という配分ですから脈診の方に興味があるのは当たり前で、「ここは一つ夏期研ならではの実技をやってみましょう」とサービス精神を出して、昔の特技を披露してみました。いわゆる事前動脈を用いての不問診です。耳前動脈というのはイメージしやすいように名付けられた村言葉で、浅側頭動脈のことです。経穴でいえば胃経の下関や頬車浮緊に触れられる浅い動脈を外耳道の高さを臍の高さとイメージし、前後上下は身体の部位と対応しますから浅側頭動脈の拍動が前後上下に蛇行しているので症状のある部位が特定できます。脈を押さえることで痛みの程度も読み取れますから、これで不問診が可能になるというものです。
 これは自分で書くのも変ですが大反響で、全員の目の色が変わりました。現在の臨床室では六部定位で治療経過を読み取る不問診の方が重要であり、症状の箇所の特定をして患者さんをわざわざ驚かせるようなことをしていては仕事が詰まってしまいますからほとんど行っていないのですけど、開業時はこの耳前動脈による不問診で一気に人気が集められたのは事実です。耳前動脈による不問診については、実際に受けた班員からもリクエストをいただいていますし経過から指の当て方まで一度詳しい資料として残しておきたいので、次のエントリーの耳前動脈での不問診と、分肉の間を揩摩するにまとめました。
 全員の耳前動脈による不問診を終えたところで腹診の実技へ移ったのですけど、最後に耳前動脈を診察した女性をそのままモデルに使ったなら強い悪血反応があります。悪血の反応をとらえるには粘りを探るのですけど、粘りを探るのには指を揺らすことであり反対側と比較をするというのも重要なポイントです。ところがこの悪血反応が年齢の割に強いというよりも沈殿しているという感じであり、六部定位で脈診すると昨夜の懇親会で暴れていた様子もないのにやはり沈殿しているという感じなので普段の治療があさっての方向を向いているのだろうと、身体状況も治療を受けるたびに変な感じになっている様子なのでちょっと反則ですけど七十五難型の肺虚肝実証で本治法だけやりました。途端に脈診も腹診も変化しただけでなく、みるみる手足が温かくなっていく様子はこれまた全員が驚いていました。その後はまた腹診の実技に戻ったのですけど、内臓下垂に遭遇したので腹診もリアルタイムに目で見てわかる変化をすることに、またまた声が上がっていました。

 三時限目は前半が講師による実技公開で、二時限目の耳前動脈による不問診があまりに衝撃的という反応だったのでこちらでもやってみると、やはり目の色が変わりました。標治法ではゾーン処置も公開したのですけど、頭へ邪専用ていしんをタッピングで施術しているとリアルタイムで背部一面が緩んでしまう状態に、ますます目の色が変わります。最後にローラー鍼と円鍼で背部の気を広げて流すという仕上げについても「そんな方法が」という感じで、頭の中がいっぱいそうでした。耳前動脈での不問診はこちらでも全員に体験してもらい、ローラー鍼と円鍼は筋肉の割れ目、古典では「分肉の間」と表現されている箇所へ入れることが大切だという実際を最後に体験してもらっています。「証決定について班員にも考えてもらえるように」という実行委員会からの指示は、後半にどのみち時間がなくなってしまうことがわかっていたので最初の治療をする時点できちんとこなしておきました。
 四時限目は総合治療で、今回の夏期研では班員をシャッフルして組み直したので講師側からすれば一度は実技を一緒にしている人たちばかりであり、入門の場合は少しずつ体験していることが違うのは班員同士でも刺激になっている雰囲気でした。班員の力で証決定をして本治法を行うことが目的ですから、四診法で治療する経絡の目標をまず立てるというプロセスを第一にしたものの、最後は流注を軽擦して三点セットでいい反応の経絡を選経し続いてこれも経穴を軽擦して選穴していくという方法で、自力で証決定してもらいました。初心者の段階では、流注を軽擦して証決定してしまうというのは今でも反則技だとは思っていませんし、まずは独力で治療できるようになることが大切だと考えます。研修会にまじめに出席してまじめに教えられた基本は練習していても、独力で治療をしていなければそれは臨床のための練習ではなく「練習のための練習」にしかなっていないのであり、学生ではなく一度社会人になってしまった人こそ独力で道を開き治さねばならないのですから流注の軽擦から選経ができることは重要です。後は勇気を出して、最後まで治療を自分で完成させてしまうことです。最初は家族や知人に実験台をお願いすることになるのでしょうけど、それは西洋医学で動物実習をしているのに等しいことですから「うまくなってから臨床をしよう」などという発想をしないことです。

 まとめになりますが、副題の『難経による補瀉論 -陰陽調和の手法』というものがまだ主催者の名古屋漢方鍼医会内部でも足並みがそろっていない段階であり確実な再現性も確保されていないというレベルですから、高く評価した人とそうでない人の差が大きかったのではないかと思います。気になったのは基調講義の人フレーズで、「診察・診断をして指で経穴を探って脈状変化を確認したのだが鍼をしてみるとそれほど脈状が変化しておらず・・・」というところで、そこから新しい手法を提案することにつながっていたとしたなら大きな問題でしょう。個人的には新しい手法は脈の浮沈に重点が置かれているような印象であり、気血津液論からでも五邪論からでも選経・選穴と衛気・営気の手法で脈状変化が十分に得られており、えられないときには「何かが間違っているぞ」と診察の方をやり直すというアプローチでやってきましたから、何度かレクチャーを受けている間に手法で脈状をコントロールしようというのはお世話になっていた頃の東洋はり医学会のやり方を思い出してしまうのでした。
 それに大阪漢方鍼医会の話を聞いていると、邪が存在する深さの段階を細かくされてきているようであり、それに対応する手法も細かくなってきているような印象でした。名古屋の話にしても大阪の話にしても、漢方鍼医会発足の起爆剤となりほかの研修会と一線を画している菽法脈診が、どんな扱いになってしまったのかと足並みをそろえるためにも本部で確認する必要があるのではと感じました。また先ほどの指で触ったときには脈状が変化するのに鍼をするとそうならないというのであれば、小里方式による修練法を講師同士で検証して本当にそうなのかを確認しなければならないとも感じました。
 見切り発車の部分があり初めての取り組みもあって今回の夏期研名古屋大会は反省文を兼ねた報告ではどうしても隅っこをつついてしまったのですけど、ど派手な大会は記憶に残る人が多かったでしょうし次への課題として十分なものを残してくれました。特に運営面でのきめ細やかさは会員が多い地方組織でないと手の回らないところであり、心づくしのおもてなしをいただき感動しています。