『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

軽擦を行う意義と経絡治療(その2)

 「軽擦を行う意義と経絡治療」第二弾になります。
 前回では「経絡というものが先に発見されて、それを効果的に操作するために考え出された道具が鍼灸である」というところまで書きました。そして、経絡を操作しないものは鍼灸術とは言えないという話へ進んでいます。

 もう少し経絡が発見された話をしていまして、最初から十二経絡全てがあったのではなく順次追加されていったことから、やはり経験から全身の経絡とは体系づけられていったものとするのが妥当であると思われます。
 その証拠に劉邦が全館を建国した時に現在の湖南省長沙を治めるように命じられた王の墓(馬王堆漢墓)から、「十一脈灸経」という本が出てきており当時の経絡は十一しかなかったことが分かります。最後に追加されたのは心包経であり、その前が三焦経だったということも分かっています。
 これら書物が書かれた時代にも魚や鳥や豚などは食していたのですから内臓がどのように存在していたかなど分かっていましたし、中国では人体解剖が禁止されていたという説もありますけど罪人を処刑後に解剖して正確な解剖図を描いていたものが残っています。西洋医学は目に見えるもの手に触れられるものの世界へ走りましたけど、中身が分かっているのに敢えて生命現象を重視した医学を構築したというのが古代中国の偉いところなのです。
 これらの歴史から見ても、経絡を動かすということが生命へのアプローチに最も大切なことであり、経絡を効果的に操作するための鍼灸をしなければ本物ではないというのが経絡と鍼灸との関係での結論です。
 話が横道に反れて、昨年の北海道での伝統鍼灸学会から会頭公園の一部を引用させてもらいました。
 古代人は生命現象を司る右脳が活発だったので、経絡を発見し体系づけることができました。そして左脳が発達することにより文字や書物を書くことができるようになり、後世へ伝承することができるようになりました。
 しかし、左脳が発達するあまり生命現象に関することが段々と直接理解できなくなってしまいました。左脳の爆発的発達にはそれなりの意味があるのですからそれはいいとして、古典に書かれていることが実践できないということは我々のレベルの方がまだその域に達していないと理解すべきです。
 この話には、ため息の連続でしたね。



 午前中の最後にまとめて質問を受けてみたのですけど、率直に「中医学と経絡治療の違いが分かりません」との質問が来ました。

 実は私も遅ればせながら中医学を勉強し始めているところであり、走りかけが偉そうな意見を述べますけどその整理され体系づけられている基礎は大いに活用し鍼灸界全体の共通語として用いるべきと考えます。
 何せ国家予算をつぎ込み中国をあげて研究しまとめてきているものなのですから、その基礎理論は揺るぎないものであり洗練されていて当たり前です。少なくとも五臓六腑のことは古典にしか書かれていないのですからこれを基準としているので、どんな流派の鍼灸であっても共通部分であり、ここが理解できなければ経穴(ツボ)さえ議論することはできないはずです。
 ですから、漢方鍼医会においても過去には毛嫌いしてきた風潮はありましたけど中医学の基礎理論はしっかりもらって共通語に立脚して内部も外部も話をすべきだろうと考えています。

 それで中医学も経絡治療も、基礎部分については基本的に同じです。鍼灸術なのですから、ここは当たり前のことなのです。
 違うのは治療法があるかどうかです。少し悪口になりますけど、中医学は隙のない理論で弁証論治を組み立てているといいますけど実際に鍼を施す段階になると「この理論だとこのツボを使ってみたい」と、いきなり経穴の作用に頼ったものへ急降下してしまいます。脉診などで多少使えるものかの確認はされているのでしょうけど、やっていることは経穴の作用に頼ったことだけです。治療家の手技による力などありません。
 これに対して経絡治療はまず治療すべき経絡を選経し、その中から選穴を行って手技を施していく、文字通り経絡の力を最大限に発揮させる治療法が存在しています。
 それをパターン化はしながらもバリエーションには制限を加えない画期的な証決定で効率的に運用しているのです。その証決定を間違えないように二十・三十にチェックするための一つが軽擦であり、証が正しければ先程のような素人でも分かるほどの変化がすぐ現れるものなのです。

 まだまだ不思議で理解できないことばかりのようですが、治療の段階になると当てずっぽで最後は経穴を決めていた自分に、今やっと気付いたようです。