『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

右眼球をどストライクで打撲してしまった一大事、自己治療はやっぱり素晴らしい

今回は単なる備忘録のようになってしまいますけど、それでも自己治療の大切さと重要性については言及したつもりなので、どなたかの参考になれば幸いです。

 まずは臨床雑感あれこれ『にき鍼灸院』に投稿した、「本日は五条悟のような状態」って、そんな優しいものではなく をここにも転載します。
「本日は五条悟のような状態です」と、軽口を言えるようではなく、実は深刻な状態での仕事をしていました。これも自己治療ができるからこそ、実現できたことです。
全盲というのは思わぬところで大きな事故に遭遇してしまうことがあるという見本のようなもので、昨日にパソコンを終えて帰宅しようとまず扇風機を停止させてから椅子にかけてある白衣を取ろうとしたその瞬間、椅子の背もたれに右目がど真ん中のストライクで衝突をさせてしまったのです。扇風機さえ使っていなかったなら、順番が逆だったなら、歴史には「たら」「れば」という言葉はないのですけど、まさにほんの少しのタイミングでの事故でした。
あまりの痛みからその場でうずくまったのですけど、そのうちに全身が震えだしてきました。それでも今ここには自分しかいませんし、気絶したわけでもないのでなんとか自力で次をせねばなりません。次に確認したのが眼球から出血していないかであり、もし出血をしていたならこれは救急車を呼んで手術を受けねばなりません。
出血していなかったので、これは病院へ行っても全盲では何もすることがありませんから自己治療のみで対しすることを決意です。それでも痛みの波が段々と大きくなってくるので、思わず手を止めてしまうことはあってもまず自宅まで戻らねばこのまま鍼灸院で動けなくなってしまうので、気力だけで戻ったのでありました。でも、自宅へ戻ったなら気力が尽きてしまい、目の周囲を冷やすタオルを手伝ってもらって交換したりなどで一晩やり過ごすことになっていきます。保冷剤のおかげで、最初一番痛かった内眼角の方の痛みが取れてしまったのは大きいです。それと今回は眼圧の上昇がないこと。いや、まだ結論は出ていませんが眼球の機能を潰してしまっているかもしれません。
一晩経過して安静時の痛みはかなり落ち着いたものの、立位になると痛みの波があります。まずは標治法的なところを、特に奇経治療をすることで立位での痛みがある程度抑えられるようになったので出勤をしてきましたが、本当は自身がありませんでした。でも、こういう日に限って予約の電話が多く、逆に患者さんに助けられての一日になっていきました。
五条悟(ごじょう さとる)」というのは、漫画やアニメの「呪術廻戦」に出てくる最強呪術師の名前で、あまりに能力が高すぎるので普段は目隠しをしているそうなのでこんな表現をしてみました。

さて、ここから治療経過へ話を進めていきます。今後のことを想像すると現実を受け入れたくないという気持ちが最初に沸き上がっていたというのが本音です。まず当日はミニブログへも書いたように痛みがあまりに強すぎて指が震えてしまいますし姿勢も十分に変えられないので、保冷剤で右眼球周囲を冷やすのが精一杯。トイレへ何度か立ったのですけど、空間認知ができないので壁を伝ってでした。朝になると安静時の痛みだけはなんとかなったので、まだ詳しくは書けませんけど研究中の「押し流す奇経治療」から、はっきり覚えていませんが右の衝脈を押し流しました。反応が今までに触ったことがないほど粘っこくなっていたことだけはしっかり覚えています。それだけ全身の帰結は渋滞していたということです。
 けれど「押し流す奇経治療」でふらふらはしていますけど起き上がれるようになったので、とにかく鍼灸院へ出て動いたほうが気血の循環は改善できるだろうと出勤を決意。でも、正直一日仕事ができるのか自信はありませんでした。体力が一気に落ちているので何かを食べておかねばとうどんを作ってもらいましたが、うどんをお腹へ入れるだけでも気合が必要な状態。目やにでまぶたが開きませんから眼球そのものが見えなかったのですけど、事務員のパートさんへ事情を説明すると逆に恐怖されていました。今までにも仕事を休むべきかという緑内障発作や左上腕の骨折なとがありましたけど、今回ほど自分でも「よくやるよなぁ」と思ったことはありませんでした。
 昼休みになって、やっと本格的な自己治療です。といっても病理考察が成り立つ状態ではなくまずは全身循環をというところなので、朝に続いて奇経を押し流してから脈診と腹診はしましたけど時邪への対処と最初から決めていました。暑気あたりが一番典型ですが症状があまりに矛盾していて病理が成り立たないときには季節の邪を除去することで気血の循環を取り戻せますから、それに準じたわけです。8月29日でしたから五気では秋ですから、肺経の経渠から衛気の瀉法です。暑気あたりの患者さんのような劇的な改善はもちろんありませんでしたが、全身の帰結がめぐり始めた実感はありました。それと同時に午前中の治療は私の身体内部の気を患者さんへ注ぎ込む形になっていたので、一瞬で眠りに落ちてしまい午後のパートさんに起こされるまで気絶に近い状態でした。ただ、このあとに反動で眼球は最高潮に膨れ上がってくるのであり、目やにがあまりに気持ち悪いので一度指でまぶたをこじ開けたなら激痛が走り、思わず悲鳴を上げてしまうほどでした。

ここから二週間、夜に自宅へ戻ると食事以外は横になって保冷剤で眼球周囲を冷やさねばならない状態が続きました。目やにがあまりにひどいのですけどこじ開けるとまた痛みになりますから、朝にシャワーで顔面を流水だけで洗って清潔に気をつけました。二週間ずっと気になっていたのがウィルス感染を起こしていないかであり、もう見えないと言いながらも眼球は脳が外へ突出しているような存在ですからウィルスにやられていたなら命取りになるので、強気の判断はせず常にチェックしていました。
 打撲直後に娘に眼球の状態を見てもらったなら真っ赤だけど出血はしていないということであり、ギリギリの状態でしたけど自分の診察は正しかったと自己治療をもう一度決意しました。一週間後に産婦人科ですけど現役の女医さんが来られたのでやっと半分くらい開くようになってきたまぶた越しに眼球を見てもらっても、外傷はなさそうだということでした。「もし病院へ駆け込んだなら痛いのにまぶたをこじ開けられて検査があり、その後は強い消炎鎮痛剤と抗生物質の点滴を交互にされただけに思うのだけど」と質問をしたなら、専門ではないので正しくは答えられないが外傷が認められないならそうするしかないだろうということでした、やっぱり。「そんな強い点滴を交互にされたなら体調が悪くなりそう」との問いに、絶対に体調そのものは低空飛行になるとのことでした。そして一週間経過していると言いながら、「眼球を思い切り打撲しているのに自己治療で乗り切ろうなんて恐ろしいこと自分にはできない」とも。いや、視力が少しでも残っていたなら自己治療のみという選択肢はなかったかもしれません、やっぱり。
 さらに一週間後に同じ女医さんが来られたのでまぶたもほぼ開くまでになっていたので少し時間をかけて観察してもらうと、充血はまだまだだが血管が切れているようなことはなさそうで瞳なども傷はなさそうということでここでウィルス感染も含めてピークは越えたと安心できました。その後に「本日の症状は?」とこちらが問診すると、「一週間前の激烈な片頭痛は一度で解消して体調もほぼ戻っているのだが、まぶたの痙攣がまだ残っているので気持ち悪いから追加の来院をしてきた」って、落ちをつけてどないしまんねん、先生!!

 話を鍼治療へ戻して、二度目の治療の証を忘れているのですが実はあまり改善がなく、三度目からはまだ猛暑の真っ最中ではあったもののそれ以上に全身が熱く眼球も熱がこもっているので、それまでのスポーツマンハートで遅脈気味だったものが見事に数脈でもあり陽経からの治療をまず選ぶことに。眼球のことですから肝経との関連が一番深く、持続的な痛みを伴う症状なので邪気論を選ぶのも順当になります。すると剛柔ということで大腸経を用いるのですが、まずはこもっている熱を処置したいということで「身熱す」を司る栄穴、二間へ営気の補法としました。眼球の熱が下がり始めたなら痛みを重視して「体重接痛」から兪穴になる三間へ営気の補法と変更しています。邪気論の部類ではあるものの、この場合は経絡が停滞してしまうので経脈ないの営気を動かすことで治療効果が出せているのではと考えられます。そういう意味では肺虚肝実証も脾虚肝実証も肝実を解消させているものの、経脈を大きく動かすことで肝血が動くのであり経脈病の治療をしているのではないかというのが最近の考えでもあります。
 打撲から一ヶ月経過して、日常生活は戻ったのでスポーツプラザも再開し、まだフルパワーには戻さず試運転くらいですけどプールとランニングマシンで運動からの循環も測っています。まる一ヶ月も運動をしていなかったなら、プールで少し泳いただけなのに老廃物が排出されてくるかゆみと快感、なんとも言えなかったです。一ヶ月半経過した現在、まだ眼球の痛みそのものは持続的に感じられており調子が悪いと気になって仕方がありませんが、治療室はフルパワーに戻っています。ただし、入院していないほうがおかしいくらいの一大事なのでまだ身体に熱がこもっている感覚はあり、治療は肝病ということで右三間から営気の補法を持続しています。
 全盲だからこそその場で腹をくくれたのではありましたが、もし病院へ駆け込むことになっていたとしても自己治療はやっていたはずです。自分の身体に発生したことは忘れませんし、火事場の馬鹿力で編み出した方法であったとしても治療技術は自力に繋がります。「鍼灸治療がうまくなりたければ自己治療をすること」とは先輩諸氏から聞いてきた言葉ですけど、先にも書いたように鍼灸院を開業していて今までに何度か仕事を休まねばならないのではという危険なことがあったのですけどその度に自己治療で乗り切れており、そして治療の幅も広がりました。もう還暦が見えてきた年齢ですから今後はこんな危ないことを経験したくはないものの、またまた自己治療に助けられ成長させてもらえた事件でした。鍼灸という技術は自己治療ができること、こんなに素晴らしいことはありません。