『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

軽擦を行う意義と経絡治療(その4)

 「軽擦を行う意義と経絡治療」の第四弾となり、いよいよクライマックスへ突入と行きたいところなのですけど、一昨日に滋賀漢方鍼医会の例会があり、軽擦の実技について徹底検証を行ってみましたので、その報告と感想を今回は挟んでみます。

 何故今回は徹底検証を行ったかなのですけど、今年の第十五回漢方鍼医会夏季学術研修会は滋賀の主催であり、ハードウェアだけでなくソフトウェアも担当するのでメインターゲットをどこに絞るかという問題がありました。
 もちろん本部研修会と連動してのことであり、今月行われた学術仏手債の合宿を受けて直ちに実践へと移したわけです。私は弟の結婚式がありましたので残念ながら欠席でしたけど。

 本部での合宿テーマは「説明のできる治療」ということで、我々鍼灸師の側はもちろん患者さんにも理解いただけるしっかりした理論の裏付けがある治療をもう一度見つめ直そうということでありこれは同時にお医者さんへも東洋医学理論により説明ができるという意味であり、証決定の手順を統一していく第一歩でした。
 そして病理考察から導き出された証を確認するためにはまず選経を確定させねばならず、選経の確認方法には経絡を流注に従って軽擦し、脉診だけでなく腹診や肩上部など全てが改善されていることが認められなければなりません。そして選経が確定できたなら選穴へと進んでいきます。
 このような手順は基本的な確認方法であり、今まで軽視してきたわけではないのですけどどうしても脉診が重宝であるために脉診へのウェイトが高くなっていたり(悪い表現では脉診偏重になっていた)、病理考察からの治療を重視するあまり導き出された経穴を直接触診しいい方向性が見いだされたならベストな選択かどうかにこだわらずそれだけでよしとしていたことから、特にベテラン陣の個性が強くなりすぎて糖衣月番をもう一度構築しなければならないという声が挙がってきたため、説明のできる治療」が「証決定の手順」が今クローズアップされてきたのです。

 その実技結果は、ベストな治療法を選択するために「まず選経を確定させ選穴へ」というステップが重要であることが確認されました。また病体が冷えているのか熱を持っているのか、つまり陽虚証なのか陰虚証なのかの判断を割と簡単に済ませてしまう傾向にあったのですけど、問診レベルで割り切ってしまうと判断を誤るケースがあるので総合判断が重要であることも判明してきました。
 しかし、選経を確定させる段階で考え方だけでなく実技にも各班でのばらつきがあったとのことであり、「この段階を統一するのが夏季学術研修会でのメイン実技にしていこう」と本部学術部会で提案し賛同が得られましたので、理事会の承認を得なければ正式なものにはならないのですけどタイムスケジュールを逆算すると決定段階に入らねばならないので、滋賀だけのことですから少々見切り発車で実技を行ったわけです。
 ここはまさに滋賀漢方鍼医会が地道にノウハウを蓄積してきた部分であり、基盤構築のために夏季学術研修会が終了するまでは滋賀の行ってきた方法を無批判で実践してもらって全国統一を果たし、その後に改良のための意見をこちらとしてもどんどん採り入れていきたいということで下駄を預けてもらいたいと計画中です。

 かなり長い前置きとなりましたが、滋賀での実技結果はほとんど統一されていたものの、軽擦する範囲が全体的に狭かったことと衛気の軽擦で思い切りの足りない人もいました。また学生の実技に関しては、まだまだというレベルでした。
 ここで指導者クラスでは確認されているのですけど、まだ公式見解ではない衛気と営気の軽擦の違いについて記しておきます。衛気と営気の手法で一番大きく違うところは押し手の重さと鍼の角度なのですけど、これを延長して営気の軽擦はやや重くして行うものと考えて追試していたのですけど、これでは予期した変化を得ることができませんでした。手法の場合には作用させる深さの違いであることを考えると軽擦の場合には作用させる流れの速度を意識しなくてはならないのではと思いつき、衛気は経脈外を巡るいわゆる「気」であるため脉診が瞬間的な変化をすることからも分かるように素早く動きますから衛気の軽擦はなるべく素早く行い、営気は経脈内を巡る陽気ですから衛気のような俊敏な動きはないため営気の軽擦はゆったりした速度で行ってみると、予期した以上に身体変化が現れ特に難経七十五難型の肺虚肝実証と腎虚証の鑑別が見学者の感嘆の声でも読み取れるほど、明らかな変化として分かるようになりました。
 営気の軽擦する重さという点については、ゆったり動かせば指自体の重さが自然に掛かってくることから術者が意識をしなくてもいいということが分かり、逆に素早く動かさねばならない営気の軽擦では雑にならないことの方が肝要で「軽やかにスピーディーに動かす」と表現した方が的確かも知れません。それと「どちらの手法が今必要なのか」を考えて行うことであり、一度軽擦した経絡や経穴から新たなものを試す時には逆軽擦で影響をうち消してから次へと移ることも重要なポイントです。

 ここでまた横道に反れますが、「軽擦で試して身体症状が改善すれば証決定はできる」とか「分からなければとりあえず軽擦をすればいい」と主張しているのではなく、あくまでも選経を確定させる一つのツールに軽擦は過ぎません。いい例が難経七十五難型の肺虚肝実証で、鍼を行う経絡は腎経なのに証は肺虚肝実です。症状は腎の司るものにばかり偏っているのにその原因は脾であるなど五臓間の影響による病理も多数あり、病理考察ができなければ本治法はうまくいかないのです。

 ですから安易に「よく理解できないから軽擦をして決定しよう」では困るのです。

 しかし、病理考察は言ってみれば術者が立てる仮説であり、その治療が成功して初めて正論であったことが証明されるのであり、即座に答え合わせのできるものではありません。それ故にベストの選択をするため、あるいは間違った選択をしないために確認ツールはいくつも必要であり脉診や腹診を中核として四診法の総合判断で証を導き出したなら、擬似的に経絡を動かしてみてその運用方針で不都合が生じないかを見ているのが軽擦と言うことなのです。

 さて滋賀の実技に話を戻しまして、選経を確定させるための軽擦と取穴をするための軽擦に本質的な違いはないのですけど、普段はそこまで考えずに臨床をしているためか選経を確定させるための軽擦はできる限り大きな範囲で行った方がよりハッキリした結果が得られるのに範囲の狭くなっていた人が見受けられました。また手の形により指が重すぎたり逆に空中を滑っていたり、自分の身体で行っていれば不都合はすぐ分かるはずなので自己治療をどれくらい行っているかの証明にもなりました。厳しいですが、学生は自分の身体へほとんどていしんも毫鍼も行っていないようでしたね。
 続いて証に関係なく十二経絡の原穴付近を全て軽擦する練習もしてみたのですけど、手では肘まで患者側の手をベッドに突けておいて角度を調節するとか足では術者が立つ角度を変えるなど「臨床現場での自然体」が、半分程度しかできていませんでした。術者が楽な姿勢をしていないと病気という気に対抗するいい気が送り込めないので、これも少し練習すればすぐ体得できることなのですから、夏季学術研修会までに継続的な練習を約束しました。

 結論に入っていきます。
 「軽やかにスピーディー」な衛気の軽擦には、少し抵抗感のある人もおられるかも知れませんけど自己治療で確かめればすぐ納得ができます。練習も簡単で、数日で必ず習得できる技術です。営気の軽擦については、現在行われている軽擦のほとんどが営気の軽擦と思われますのでそのように考えてください。
 それから流注に対する注意点はこれだけでまたシリーズが組めますので割愛してありますけど、学生はほとんどできていませんでしたから臨床家であってもよく復讐されている方でないとうまくできていない可能性が高いでしょう。一度じっくり経絡流注を観察してから、軽やかでスピーディーに指が引けるものなのか試してみてください。

 それでも経絡治療に限らず軽擦という技術は鍼灸にとって欠くことのできない基本技術ですから、今年の夏季学術研修会のテーマ(まだ仮題ですけど)「証決定を踏み固める」を支える実技として、地味ですけど着実に取り組んでいきたいと私も修練に励んでいます。