『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

第38回日本伝統鍼灸学会に参加して(前編)、難経は片手ずつの脉診

 去る10月30日(土)31日(日)に、福岡県で開催された第38回日本伝統鍼灸学会に参加してきましたので、その感想を書きたいと思います。今回は前編になります。
 今大会は内容が非常に広範囲であり、特に来年の全日本鍼灸学会との共催大会で「日本鍼灸とは何か」について定義というのかアピールというのかが採択されるとのことで、それに向けてのシンポジウムへの意見は後編に回したいと思います。

 まず初日の10月30日ですが、台風がどこまで本州にも接近してくるか天気予報に数日前からやきもきしながらの出発となりました。幸いにも各地からの飛行機も無事に飛んだとのことで、新幹線で移動した私は携帯電話を通じての交通状況の中継局に勝手に活用されてしまったのでもありました。
 午前中の学生向け講義については時間的に間に合わないので午後の開会式から参加したのですけど、会場の「アクロス福岡」はとにかく広い。それから可動式座席の座り心地がきつく、おしりの痛みは帰宅してもまだ残っていましたね。直前に座席を確保してもらい会場が地下二階であるとの連絡を携帯電話にもらっていたのですぐ移動できましたけど、脳外科学会の案内もあったとかで、大きな大会をしているのに一般の人たちへのアピールは弱かったと感じました。脳外科学会といえば、いつぞやプロ野球の日本シリーズが福岡ドームにくるかも知れないという時に先に日程が押さえられていて、嫌がらせまで発生したという学会ですね。向こうも毎年この時期に開催しているんだ。
 一日目は一般発表から特別講演、そして二つの教育後援を受ける形でのシンポジウムへと進行して、終了したのはなんと18:20でしたから長丁場で頭の中は既にパンパンでした。中身については後ろで総合的に書きます。

 その後は懇親会が開かれたのですけど、実は全体の懇親会に出席したのは初めてでした。漢方鍼医会の三代目快調である福島賢治先生が三月に勇退されたので四代目会長である天野靖之先生を中心に、どのような形で伝統鍼灸学会に関わって行かねばならないかということから出席を強く促されたからなのでありますけど、実は一番はしゃいでいましたね。
 何気なく指定テーブルへ着席したのですけど、右隣には北辰会の先生が着席されたので昨年の実技公開のことから色々と質問しました。臨床上はまだまだ手法や鍼の種類が存在しているもののシンプルに整理を最近はしてきたこと、毫鍼ではディスポが回避できないことから藤本蓮風先生が考案され製作してもらった鍼を使っていること、脉診との整合性を重視していることなど、中医学ベースでありながらも現代中医学とは違っているという印象でした。
 それから左隣の女性は卒業後間もない修行中とのことであり、脉診で本当に診察ができるのかというレベルから話が始まりました。ところが後日談になるのですけど、帰宅してメールチェックしたなら遠い地方からの問い合わせの患者さん、偶然にもこの女性と距離が近いので紹介しておきました。縁というものは、あるものなんですねぇ。それから何度も食事の世話をしてくれた席の離れていた女性、新宿に居住していながらも研修会に託児がないためになかなか出席できないとのこと。もっと聞けば漢方鍼医会のことも知っていて、漢方鍼医会には託児システムが既にあることを伝えたなら思わず手を握って感動されているのでありました。
 他にも東洋はり医学会関西支部から大勢の先生が来られていて、ここは助手時代に所属していたところですから先輩・後輩ともに知人が多く、宮脇和人先生だけでなく師匠である丸尾頼廉先生にもお会いすることができました。それから酔った勢いで首藤傳明先生のところへ押し掛けていくと、ていしんでの超浅刺で回復した例がいくつかあることを教えてもらいました。「ていしんは刺さらないので超浅刺はないですよ」と思わず突っ込んでいたのですけど、超浅刺と同じく回旋を加えるので首藤先生には「ていしんでの超浅刺」だそうです。宮川広也先生にもお話しさせてもらえて、シンポジウムへの意見を求められました。そして松田博公先生は「鍼灸ジャーナル」での取材以後での再開となったのですけど、事前にメール連絡をしておいたこともあってまた色々なお話をさせてもらうことができました。取材後にあった変化のことはもちろん、動画でていしんでの手法による身体への効果の違いや手法時間の重要性が収録できたことなどお話しさせてもらえました。

 二日目も一般発表から参加をして、会頭講演から会長講演へと続き、午後は実技公開でした。実技は篠原 昭二先生(明治国際医療大学)と、小林 詔司先生(積聚会)を見学させて頂きました。
 篠原先生の経金治療については理論的には以前から分かっているつもりであり、実技を見せてもらっても臓腑から経脈そして経金へと影響が及んできたものに対して有効であるという流れを確認できたように思います。何よりも関連性を確認するために、流注のいくつかの経穴を必ず診察することと?C血(おけつ)の触診には「粘りが必ずある」という点について、おろそかになっていた面があったかも知れないと気付かせてもらいました。それから小林先生の募穴から素早く証決定し治療へという流れ、円熟の技とユーモア溢れる説明も大変参考になりました。


 さてここからが本当の感想となるのですけど、伝統鍼灸学会に参加したことがなかったりよく知らないという人でも「寄せ鍋状態だなぁ」ということは読み取れたと思います。それも具材がそれぞれに強く個性を主張している寄せ鍋であり、時には他の具材を押しのけんばかりの主張をしています。これを「色々あっておもしろい」と捉えるか「味付けにまとまりがない」と捉えるかは、個人それぞれでしょう。
 私は「おもしろい」と思うので毎年参加しているのであり、例えば教育講演で霊枢の方が素問よりも早くに書かれたという話には驚きました。今までは呪術的な面がある素問の方が先で、これをベースに臨床的な霊枢が書かれたという西洋科学的な分析で教えられてきましたからそのまま信じていたのですけど、馬王堆の最近の研究では霊枢の方が早いというのが既にスタンダードになっているそうです。また素問・霊枢・難経の教えがそのまま流れていたのではなく、江戸時代途中までの経穴名や哲学は現在のものとは大きく異なっていることなども初めて知ったことですし、統計的に鍼灸の需要や鍼灸師の数などを紹介され今後の展望を見据えていこうという講演にも興味深く聞かせてもらいました。

 今回の大会で私個人が大きく変わった面としては、教育講演の中で「よく読めば難経の脉診は片手ずつの脉診だ」とあっさりいわれていたのですけど、どうしても忘れられない一言になっています。脉診にはいくつかの方法があり全身を映している「鏡」なのですからいくつかの方法で脉診すべきと思って実践もしてきました。そして六部定位といわれる現在の脉診は、難経以降に記述された「脉経」という本が基本になっていることも知っていました。しかし、あれほどあっさり「片手ずつの脉診だ」といわれたなら臨床家としては、両手同時に脉診する方法が得意なので優先してきたものを見直さねばなりません。
 私の師匠の師匠という先生は不問診ができた方であり、その血統ですから助手に入った時には「不問診をしなさい」といわれるだけで脉診はほとんど教えてもらえませんでした。時々「この脉はこんな脉状と表現されるんだよ」と教えてもらったことを手がかりに、いつしかある程度の不問診はできるようになっていました。ですから脉に触れた時のインスピレーションというものを得るために両手同時にする脉診が私の中では標準であり、これはこれからも変わらないでしょう。しかし、古典の世界を再現するには書かれてあることを実践する必要がありますし、後進育成という立場からも鍼灸の普及という立場からも客観的修練法が必須であり、「難経は片手ずつの脉診をしている」のであればそこからスタートすべきだと感じました。
 もちろん今までも陽池穴に拇指を当てる形の脉診と当てない把握をするような脉診、それから両手同時にと片手ずつなど色々なバリエーションで実践はしてきたのですけど、明確に分けて臨床室に取り入れてみました。まずは両手同時に陽池穴へ拇指を当てる形で脉診して不問診も含めて全体像をつかみ、次には把握する形での脉診を、空いている片手は患者さんに沿えて手首を反らせる補助として使いながら行います。するとどうでしょうか、まだ数日しか経過していないのに明らかに脉診する対象が違ってきました。つまり、両手同時の時には五行や十二経絡のバランス全体がよく眺められ、片手ずつの時には五臓の病理についての情報満載であります。

 「なんや今まで偉そうに色々と文章を出したり発表しているのにその程度のことも」とお叱りを受けるかも知れませんが、私が拝見した限りでは反応を探り脉もしくはその他が変化すればすぐ鍼をしているスタイルか、理論はあっても施術する前に確認されないスタイルかのどちらかに見えました。理論があってそこに反応があるか反応を裏付ける理論があるか、そして病体が動くことを確認してから施術するというのが臨床だと考えるのですけど、全てを揃えていた実技には出会えませんでした。
 脉診の方法を敢えて意識的に使い分けることにより全体バランスと病理情報のどちらもを見落とさないようにできればと、今取り組んでいます。そして脉診だけでなく四診法を総合判断し、病理考察と整合性が取れているかも検討してから選穴した経穴を軽擦することにより病体が動くことを確認し、手法を行っています。
 一言でこれほど臨床に影響があった大会も記憶にないのではありますけど、生き物である臨床にこれからも取り組んでいきたいと決意を新たにした大会でした。