『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

開院から二十年目に入ります

 『にき鍼灸院』が開業をしたのは平成元年の三月六日(月曜日)ですから、今日から二十年目に入ることになります。「私は現在四十二歳ですから当時二十三歳での開院でしたね。

 以前にも少し触れましたが当時の盲学校は中途失明か全盲は自宅開業、学齢の弱視は病院勤務という路線がおきまりだったのですけど、私には病院勤務には全く興味がありませんでした。現在のような就職状況であるなら病院希望が通りにくいので自宅開業を考える学齢の弱視もいるでしょうけど、進路指導の先生方は「驚いた」という表現をされていましたね。
 そして鍼灸専門という情報が学校へ届いた時には、もっと驚かれていたようです。。

 これは専門課程に入学する前から「治療家」をハッキリ意識していたからであり、その証拠に入学時点で「検定試験の前には特別な受験勉強はしない」と既に決めていました。
 現在のような国家試験だとさすがに受験勉強は不可欠ですが、「受験勉強をしないと資格取得できないのであれば治療家とは言えない」というポリシーを本当に貫きました。三学期の授業は検定試験のための復讐であるとか、基礎部門は生理の教科書を一度だけ読み返したとか全く受験勉強を無視することは到底できませんでしたけど、でも二週間前まで知的障害のある小児鍼患者と水泳をしたりなど特別な勉強はしませんでした。
 そして日本国の法律的制約もありますし鍼灸という技術からも、鍼灸師の本領を発揮するには開業しかないということで、私の父親が建物関係にも明るく財力があったというラッキーはもちろん感謝しきれない後押しになったのですけど、今考えると本当に思いきったことをしていましたね。
 それと視覚障害者なのに助手へ入れてもらえたこと、師匠にも大感謝です。

 開業をするということは借金なども含めて不安材料だらけであり後戻りは出来ないという背水の陣でしたが、技術的には学生時代から伝統鍼灸のみであり助手としての修行もしてきたのですから本人としては自信を持っていました。いや、自分にそう言い聞かせなければ何歳であってもできることではありませんし、来院される患者さんは完成した技術があると信じて来院されるのですから当然の決意です。
 ところが、ここ数日で「二十年目に突入しましたよ」という話をしていると、古くから来院されている患者さんに「本当に若かったね」と何度もいわれるのは、社会人としての経験不足を危惧しながら治療を受けてもらっていたという証拠ですね。

 それはこちらでも分かっていましたし、まして見たことも聞いたこともない脉診をされて手足に浅い鍼をして、やっとご期待の背中へ移っても浅い鍼ばかりでは拍子抜けでしょうから、「治ったらええんやろ」と当時から強気の発言はしていましたけど継続をしてもらうために考えたことがあります。


 それは、治療の終了宣言をしてしまうことです。
 まだ歯医者が混雑していた時代であり、「歯医者はゆっくりゆっくりしか治してもらえないので一通り終わったなら最初の箇所がもう悪くなっている頃」という皮肉をあちこちで聞いた時代ですから、慢性的に患者側が持っていた不満ですからハッキリ終了宣言を出してやろうと考えたのです。


 これは脉診を行う鍼灸術のみが行える特権だと認識しています。それに治療家を目指してきたのですからいつまでも鍼灸に頼った生活をしてもらおうというのが目的ではなく治療から卒業をしてもらうことが目的なのですから、卒業証書に代わる終了宣言を出したのです。
 世界中の医学が束になっても回復過程は予測しかできないのに対し、脉診をすればアクシデントさえなければ予言のできるケースがかなりあります。全ての症例で予言できるわけではありませんし予後不良の疾患も多いのですけど、治療可能な疾患は軽いものでは初回から重いものでもメドが立ったなら残りの治療回数を宣言することはできますし、実際にほとんどその回数を外したことがありません。
 ですから「脉診流」を宣言していますし、ドメインはwww.myakushin.infoなのです。

 開業してその日のうちに「後何回で終了です。と宣言してしまうことは、内心非常につらいものがありました。
 鍼灸を受けようという人口はパーセントにすればほんのわずかであり、新装開店だからということで物珍しさから来院した人がほとんどでしょうから口の達者な人が多いはずなのに、敢えて終了宣言をどんどん出していきました。

 東京ディズニーランドやUSJに代表されるテーマパークはリターン顧客を獲得できるかどうかが勝負といわれますけど、鍼灸院もずっと継続してくれる病弱な人を捜すのではなくリターンをしてくれる潜在的鍼灸ファンとなってもらえるようにすべきではないでしょうか。
 二十年目に入るに当たって、思い出したことの一つでした。