『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

証決定をもっと素早く厳密に

 昨年末から来院されている患者さんの治療で、半分心苦しさを感じながらも自分の仕事に信念を持っていてよかったと思うことがあったので書いてみます。

 患者さんは四人目を妊娠中で、主訴は咳が止まらないこと。職業は看護士で訪問介護をされているのですけど、あまりに咳がひどすぎて現在は休業させてもらっているとのことです。
 五歳と一歳には双子がいて四人目の妊娠は思いがけないことだったということですが、昨年に引っ越しをしてきたこともあって慣れない土地で体調の崩れたものが戻らなくなってしまったとのことです。
 医者へは通ってみたのですが妊娠中なので薬が飲めず、あまりの咳き込み方から助産院より紹介されて来院されました。

 当初は特に夜中の咳き込み方がひどく身体が温まると余計に咳が出るということなので、症状からも脉診からも肝虚肺燥証と診断。これは肝血中の津液が不足して発生した虚熱が肺をあぶるため、肺が乾燥して咳が出るというもので身体が温まった頃から咳き込むというのが特徴になります。
 あまりにひどい咳と高齢で、しかも連続での妊娠中であることから年末までは完治は無理としても咳き込み方が楽にはできるだろうとの予想で治療を開始したところ、夜は何とか眠れる程度までに回復しました。
 年が明けてからは七ヶ月なのに胎児が下がっているので治療間隔を少し開けながらやるべきと判断しましたから、完治は二月に入った頃だろうと告げていました。
 ところが、ここから予想に反して一進一退の状態が続いてしまい、二週間前には風邪も入って咳き込んだ時の尿漏れが最悪の状態になってしまいました。

 それで今日の状態ですが、一週間前の治療後から状態が急速に回復して二月に入ると不思議なくらいに体力も戻ってきて、咳はまだ残るものの苦痛を全く感じておらず、笑顔で来院されたのであります。

 さて今回何がいいたいかですが、一つ目は世界で唯一予言のできる治療法の素晴らしさであり、もう一つは証決定をさらに厳格に行う方法の確立です。

 医療というものは様々な形で人体へアプローチがなされるものであり、それによって回復がするのですからどんな医療にも正解も不正解もないでしょう。唯一あることは、病や外傷から回復したという事実だけです。
 しかし、回復過程については予測であって必ずその通りになるとは限りません。
 ところが脉診をすれば、アクシデントが発生した場合を除き予言ができるのです。死脉というのがあり、死の転帰を迎えるかどうかが分かるといいます。私は確実なものは一回、それらしきものは数回脉診したことがあります。

 死脉があるのなら完治するまでを予言できる脉診も存在するということで、これは隠しているのではなく文章でまだ表現できないだけのことなのですけど、私の経験から九割以上その回数を外したことがありません。
 現時点でのギリギリの表現としては、寸関尺それぞれの胃の気レベルが整って一本に触れられる状態というところでしょうか。その整ってくるタイミングを逆算して、残り回数や期間を予言しています。
 それで今回も完治のタイミングを脉診から予言していたため患者さんは途中で迷われていたかも知れませんけど、最終的には絶大なる信頼を得ることができたわけです。

 ここを池田政一先生は「最終的には霊的なひらめきがありセンスの問題もあるからしゃあないのよ」と発言されましたが、「しゃあない」で割り切ってしまうと経験豊かな鍼灸師以外は施術を受けられなくなってしまいます。
 そこで古代の偉人たちが考え出したのが「証」ということになるのでしょう。

 治療パターンを集約しながらもバリエーションに制限を掛けないという画期的な治療システムであり、技術伝承のために考え出された治療システムと言い換えてもいいかも知れません。
 ですから会派ごとに証の考え方は色々あって不思議でありませんし、その方法で実際に患者さんが治癒していることこそが何よりの事実ですから否定することはできません。

 しかし、今回の患者さんの例から痛感したことは「この方法が本当に最短距離だったのだろうか?」ということです。ほぼ治癒したのですから、特に患者さんからは感謝の言葉をいただいたのですから最低限間違いではなかったのですけど、途中に苦しませてしまったことが自分の中で理解できないのです。
 当初の肝虚肺燥証については納得しているのですけど、そのまま症状中心に考えて証を変化させることなく治療を続け、風邪によって悪化したことから腎虚陽虚証から七十五難型の肺虚肝実証へと変化させています。
 実際に肺虚肝実証で治療した直後からあれほど冷えていた手足が暖かくなり、助手に見てもらうと顔色も赤みが差してとてもいい色になっていたということは、もっと早くに肺虚肝実証へ転換すべきではなかったかということです。

 手法の的確さによる治療力の差は確かに治療家ごとに発揮されてきますけど、ここはプラス要素であって本体はやはり証決定が的確かどうかでしょう。証決定が的確でなければいくら手法がうまくても治る確立は低くなりますし、経験が浅くても証決定が的確であれば時間は要しても必ず治癒してきます。
 ここで余談に反れますが、テレビなどで知られている一般の深く刺鍼する鍼灸術には証という考えそのものがないので、治療力そのものが段違いですから私は問題にしていません。
 昨年から夏季学術研修会のソフトウェアを担当していて、軽擦を確認ツールに選経・選経というステップで証決定を固めるべしと主張してきたのですけど、まだまだ患者さんサイドからすれば厳密で素早い方法に磨きを掛けねばならないのだと心の中で少し詫びながらも、独断と一部では非難されながらも押し進めてきた研修テーマが間違いではなかったことに自信を持ったのでありました。
 それと難経七十五難型の肺虚肝実証に対する治療にも、また自信と信念が深まりました。