技術屋というものはそれなりの経験ができてくると道具にもこだわるもので、それなりになってくると自分専用というのかオリジナルというのか、自分が発案した道具を手にしたくなるものです。
だからといって私が「それなり」の部類に入っていると自ら宣言しているわけではないのですけど、鍼灸師の手足である鍼を試作してもらっているので軽く報告です(と書きながら軽くならないのがこのブログでありますけど)。
当院で用いている鍼は90%が「ていしん」という鍼です。鍼灸師なら誰でも知っている古典の霊枢・九鍼十二原篇ですが、その前半では文字通り九種類の鍼が紹介されており一種類の針のみでは治療に対処しきれないということがここだけでも読み取れます。
残り10%はローラー鍼・員利鍼・集毛鍼・円皮鍼・皮内鍼などで、わずかでも刺入されるのは集毛鍼と円皮鍼と皮内鍼だけですから治療中に患者さんの身体へ深く刺鍼するということは十年以上もやったことがありません。
瀉法鍼というほとんど当院でしか使われていない道具があってこれは刺激量が結構強いのですけど、この鍼でもわざわざ刺鍼されない構造になっているので刺鍼をしての治療はしていないと書いても、過言ではないでしょう。
それで「ていしん」なのですが、文字としてはかねへん(金)に是非の「是」と書きます。この文字はJIS第二水準には含まれていないので、ワープロ専用機や普通のパソコンでは表示されません。ユニコードで指示するか外字フォントをインストールする必要があります。
意味としては「金属が接する」というところで、皮膚面が凹むほど押しつけてはいけないという意味にも解釈できるそうです。
つまり「ていしん」とは刺さない鍼というよりも刺してはいけない鍼であり、それも接触までで手法を行う鍼という意味です。現在の鍼灸業界での主流は毫鍼であり、日本では主に鍼管を用いて叩き込んでの刺鍼による施術が大多数ですから、ある意味では常識破りの治療法でありますし、ある意味では治療家のこだわりが前面にでている治療法でもあります。
もちろん毫鍼を否定などしていませんし、患者さんの体内へ侵入できるのですから毫鍼には可能でもていしんには難しいことだってあります。しかし、臨床上では不都合を感じないので「ていしん」のみでの治療になっているだけの話です。
それでは、またまたシリーズになるでしょうが「ていしん」について書き進めていきます。
さて「ていしん」にも種類があり、種類というよりも一番改良しやすかったのでしょうが先輩たちが自分オリジナルの「ていしん」を残してくれています。
私が一番最初に手にして今でも使っているものは「小里式ていしん」であり、これは東洋はり医学会の初代副会長であった小里勝之先生が考案されたものです。
材質には色々あるようですが真鍮か銅が一般的で、長さは10cm弱。両端は少しずつ細くなっていて片方は鋭いのですが、もう片方には米粒のような丸い先端を付けているというものです。
写真を掲載しておきました。
堅い材質なので道具箱に入れっぱなしにしたりポケットへ入れておくのに便利で、現在では小児鍼の時に使用しています。持ち方や小児鍼の方法については、ビデオでも解説、小児鍼のページをご覧ください。
この「小里式ていしん」ですが、最初は米粒のような先端がくっついている意味が分かりませんでした。
研修会で教えてもらったのですが、古典にもていしんは丸い側で補法を行うと書いてあり鋭い側では軽く当てただけでも皮膚面が凹んでしまうので瀉法となることから、丸い側で補うとのことです。
でも、米粒ほどの突起は抜鍼時に困るものですから両端ともやや鋭い程度にした改良版もでてきて、一時は愛用をしていました。
この「小里式ていしん」ですが、最近になってとても印象深い治療があり感謝を新たにしているところなのです。
昨年末に実母が高度のくも膜下出血で突然の他界をしてしまい、悲しみは止まらないものの葬儀の準備をせねばなりませんから深夜になったので体力温存のために少しだけでも睡眠を取ろうということになりました。
一番ショックを受けていて気落ちもしている実父ですが、第一発見者での恐怖感も抜けず布団へ潜り込んだなら「寒い寒い」を連発します。脉状は沈で数。しかも耳が小さくなってきていてうわごとまで発し始めます。
「このままではひょっとしなくても二人分の葬儀を出さねばならないかも」と必死での治療が始まったのですが、小里式ていしんの硬さがあったからこそポケットからの出し入れにも耐えてくれて迅速な応急処置ができたのでありました。
また急な出来事と心労が重なったので体調を崩してしまった家族は他にもいて、小里式ていしんを一本ポケットへ入れておくだけですぐ治療ができたことには本当に感謝するばかりでした。
私は視覚障害者ですから事務的な手伝いができませんし、他の手伝いも見えている人たちの行動力とは違いすぎますからお任せするしかなく、働き盛りの年齢なのに何もしていないという肩身の狭い想いを治療という形で補えたことに胸をなで下ろすと同時に、自分の選択してきた治療法へ誇りを強くした瞬間でもありました。