『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

漢方鍼医会20周年記念大会レポートその5、「取穴書」について(中編

漢方鍼医会20周年記念大会レポートも第五弾で、「取穴書」の総まとめ中編です。秘話ではないのですけどあれもこれもエピソードというか製作過程を書き残しておかないと、次の改訂で本当の価値が失われないようにと思って書き続けていたなら、やはり文章量が増えてしまいました。
 今回は第一回検証合宿の様子をできるだけ再現し、実技をすることで取穴書作成委員会そのものが変化をしたことを読んでいただければと思います。

 第一回目の検証合宿は2010年11月に開催されました。既にメーリングリストやそれぞれが持ち帰っての検証実験によりある程度のコンセプトは固まっていたものの、実技をどのように実際には進められるのかを検討するというのが本当のところでした。最初に半時間ほどで経過説明とコンセプトの確認を行ってしまう予定だったものが、蓋を開けてみれば従来使われてきた本部と滋賀の取穴文章がどのように製作されたかまで振り帰って確認をしなければならず、一時間半を要するというハプニングからのスタートでした。
 大幅に時間がずれ込んだので、会議室の使えるタイムリミットがありますから実技を急ぎます。とりあえず順番ということで肺経の少商を検討してみたのですが、いきなりつまずいてしまいます。というのもWHO標準経穴に基づいての図版が既に市販されてきており、合致している経穴については鍼灸師ではないもののプロが書いた図版が出回っているなら、鍼灸師の立場としてはどのように表現をしていけばいいかと図版担当の先生はかなり悩みながら参加されていたので議論が空回りし始めます。爪の根っこは表面からは見えませんし、その前に部位に書かれている爪甲基底部というのがどこを刺しているのかがハッキリしません。ヒントは古典に「宛宛たる中に在り」という表現があることで、「爪の根本でも柔らかくなっている部分だよ」というなら爪の形状は根本に近づくと中心側へ曲がってくるので、その延長線上に柔らかな部分があるという結論に達し、ここで脉状も腹部も肩上部も全てが改善することを確認できました。つまり、標準経穴では爪甲の垂線をそのまま延長して取穴させているので、我々の確認したものと早速に食い違ってきたのです。「どのようにすればその経穴が求められるのか」の表現が大切だと、図版についても文章についても気付かされたのは、カウンターパンチを食らったような感じでした。
 話が合宿からいきなり飛んでしまいますけど、肺経を含めると合計九つの経絡で井穴の取穴方法は同じになりますから表現には注意の上にも注意が必要で、単純ながら見えない部分まで表現をするのが難しく井穴については最初から最後まで書き直しを続けることになってしまいました。部位や取穴法については合致していたものの、先程の「爪甲基底部」がどこを表現しているのか委員の中でも出版の半年前まで食い違っていた事実もありましたし、どうやって筋肉ではない深い部分の感触のことを表現をすればいいのか、第四章のまめ知識も含めて悩みに悩んだ経穴でした。
 それから井穴の部位を「爪甲根部を去る一分」とやや古くに免許を取得された方々は習ったと思いますが、これは明らかな間違いでした。爪が露出している部分が爪甲で皮膚に隠れた部分が爪根だと解剖の教科書にもありますから、部位の表現を簡略化し間違えにくいようにしたのだとは思いますけど、言葉を勝手に合成して教えられていたことになります。また新しい教科書となる『新版経絡経穴概論』(医道の日本)では寸法に一分や五分という表現がされていますが、公式和訳では0.1寸となっているので調べてもらうと「分」は日本独自の単位であり、「取穴書」では世界標準での表現を取り入れようということになったので、古典を除いては「分」の単位を採用していません。

 話は検証合宿に戻りまして、時間がないので本部と滋賀で食い違っていた経穴について先に検証してしまおうということになりました。まず肺経の尺沢は上腕二頭筋腱の尺側か橈側かということですが、これは肺経の流注だけでなく心包経の流注までも考慮すると橈側だという結論であり、すぐ確認もできました。しかし、女性の場合は右を治療側として用いることが多く脇を大きく広げて取穴した時には尺側に反応がずれてくることも確認できたので、注意書きを付けることにもなりました。
 胃経の足三里ですが、脛骨祖面の求め方に食い違いの原因がありました。これは下側からなで上げてきて指が止まる箇所が脛骨祖面の下端になると解剖の本も合わせながら確認はしたのですけど、そこから腓骨頭とを結ぶ線上で脛骨側三分の一という定説ではもう少し脉が動きません。モデルを変えると動くケースもあったのでどういうことかと『詳解・経穴部位完全ガイド - 古典からWHO標準ヘ』(医歯薬出版)を調べてもらうと「連線」という表現がされていました。連続線と解釈してもらっても構わないでしょうし、連接した線上ということで経絡経穴を理解しやすくするために流注を線で描いた図を用いるので直線的なイメージを持ってしまいがちですけど、本来の流注とは広がりと深さがあり中心となる流れでも体表に合わせて曲線となっているのですから筋肉が大きく膨れている前脛骨筋では個人差があって当たり前だったのです。スタンダードな位置より、連線を考慮して取穴するとピタリと当たってきました。
 もっと書けば経穴は全て連線上に位置しているのであり、骨度法でうまく経穴を配置しているなら連線の概念も今後は広く取り入れられるべきと強く思っています。ただし、連線という言葉を中国語の辞書なども含めてみんなで探したのですけど出てこないので取り入れるべきかどうか議論に議論を重ねました。中医学では割と頻繁に使われていることがその後に分かったことと、決定打は「医学用語というより一般的な用い方の範囲でしょう」と外部からのご指摘をいただき、採用することになった経過があります。

 この足三里を調べるのに、部位が「犢鼻と解渓を結ぶ線上、犢鼻の下方3寸」となっているので犢鼻と解渓も同時に調べる必要がありました。犢鼻の部位を見てもらうと「膝蓋靱帯外方の陥凹部」となっていて、これは従来の知識だと外膝眼に当たります。しかし、考えてみれば梁丘が大腿直筋の外側で足三里も前脛骨筋上にあるのに、犢鼻だけ突然に膝蓋骨尖の直下というのは流注に無理がありすぎます。もっと資料を見てもらうと中国も韓国も犢鼻=外膝眼というのが当たり前で、日本だけが違っていたとあります。
 犢鼻は子牛の鼻に似ていることから命名されているのが明白であり、外膝眼と内膝眼の間に鼻が存在しているという文字の解釈だけで勝手に変更されていたのではないか?と、容易に謎は解決をしました。地理的に近いはずの中国・韓国・日本で経穴の部位がかなり異なっていたというのは、伝承時に「村言葉」が発生してしまい、それがその地方では当たり前の常識になってしまったからだろうということも、容易に想像されるのでありました。
 そして触診による確認もポイントがつかめてきたので解渓の部位は割とすんなり合意したのですが、古典の表記に「腕上陥中に在り。」とあって、「えっ、足なのに腕という文字が出てくるのは何故?」ということでまた騒然となり、あちこちの古典をひっくり返してもらうと腕という文字は窪んでいる箇所という意味で使われていると判明して一件落着。古典が示してくれている部位というのは相当に正確なものなのだと、改めて認識させられたのでありました。
 たまたま隣の経穴になる衝陽では、古典に書かれていることと従来の知識が食い違っていることは分かっていたので標準経穴を見ると、「第2中足骨底部と中間楔状骨の間」となっていて関節接合部ではありません。「そんなアホな」といいたいところですけど犢鼻や連線のことがありましたので実際に検証をしてみると、関節接合部ではほとんど脉が動かなかったのにリスフラン関節上だと大きく脉が動くことには、思わず全員驚嘆の声を上げてしまいました。

 そして標準経穴のことを、「文字から解釈したものなので我々の経験の方が勝っているはず」と全員での検証に取りかかる前はジェラシーも含めて斜めのスタンスだったのですが、胃経を調べるうちに「まずは古典を十分に吟味してある標準経穴を前提にしようではないか」と、自然発生的に委員会全員のスタンスが変わったのです。
 時間がありませんから足の経穴の方が調べやすいので、胃経の解渓と並んでいるという認識はあっても経穴書ごとにばらつきのある脾経の商丘を調べてみます。注釈に「内果前縁の垂線と内果下縁の水平線の交点」とあり、これは縦横の軸がハッキリしていて部位の特定が容易であり、実際に検証してみても脉が動きます。その後の文章化で指の動かし方について思い切り悩まされましたが、検証そのものは簡単に一件落着でした。
 そして商丘のもう一つの注釈に、「中封の後、照海の前にある」とあり、「えっ、中封は前脛骨筋が第一中足骨へ付着する部分から少し足首側へ戻ったところじゃないの?」という臨床で散々用いてきたところとは違うことが書かれてあります。中封の注釈にも「商丘と解渓の中央にある」とあり、確かにこれは聞いたことのある話でした。それで検証をしてみると、ここは確かに従来用いてきた場所でも相当に脉が動いたのですけど標準経穴の方が圧倒的によく動きます。「今までの臨床は一体何だったんだ!」という驚きとともに、「うーん降参」という感じでした。
 後日談になりますが、中封は経絡治療の世界だけが食い違っていたようです。標準経穴になる前の教科書でも中封は商丘と解渓の間であり、「漢方鍼医会に入会してから中封の場所を修正された」と、入会から浅い会員からの話をその後にいくつも聞きました。池田政一先生と雑談をさせて頂く時間があり、中封の場所を尋ねると従来の場所を示しながら「井上雅文先生に指導してもらったから間違いない」とのことであり、「雅文先生は親父に教えてもらったと語られていたそうです。中封の場所を変更したのは井上恵理先生かどうかまでは分からないものの、経絡治療創世記に効果を得るため色々と工夫をして治療点が発見されたものが、先輩からの指導だからといつの間にか中封そのものとして伝承されてしまったのではないかと想像されます。従来用いてきたものは確かに優れた治療点であり、治療家ごとに治療点を持っていること自体に何ら問題もなければ効果が得られるので特色となります。しかし、経穴と治療点は違うという認識が大切です。

 第一回の検証合宿で実技の方法はわかり、全体的な進め方についても見えてきました。臨床経験に違いはありますけど実技をしていて経穴一つ一つに真剣に取り組む医院の先生方がいて、それでいて神経質に検討しているのではなく「次は何があるかな」とわくわくしながら実技が楽しみになりました。実際に「次の合宿はいつ?」と、心待ちにするほどでした。
 その後に文章やDVDへとまとめる作業で、七転八倒の「産みの苦しみ」が待っているのではありましたが、この検証合宿から派生してきた取穴実技は現在進行形であり、漢方鍼医会が行う取穴の修練はモデル点の修得から一歩踏み出した段階へと進化しました。。
 実践的な実技修練として知られている「小里方式」ですが、証決定に至るプロセスや治療手順を学ぶには小里方式に勝るものはやはりないと思います。しかし、今までなら「生きて働いているツボ」を捉えるのに小里方式の中で指摘された感覚を覚え込むしかなかったものが、検証合宿の中からでてきた実技により経穴そのものの感触を覚えられるようになり寄り強力な治療につながっています。いや、もっと正直に書けば経穴もしくは治療点に鍼は当たっていたと思うのですけど経穴を捉える技術そのものが進化をしたので、一本の鍼によって経絡を動かせる力が増大し本治法の鍼数の大幅な減少につながっています。もしかすると名人といわれた偉大なる先輩は、経穴を捉える技術に卓越していたからではないかと想像をするくらい、鍼数を減らすことに成功しています。それは毫鍼でもていしんでも同じことです。