『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

PTSDについて

 駅ホームからの転落事故について報告を続けていますが、治療そのものは順調で完全に日常生活へ復帰していますし仕事も今までどおりに動けるようになっていますので、付随症状について今回は報告します。
 それは前回にも軽く振れていますが、心的外傷後ストレス障害PTSD)についてです。

 大地震後によく聞かれているPTSDですが、突然の逃げ場のない天災だけでもそうですが、建物の倒壊や肉親の死亡を目撃したなどでは精神的ショックが大きく大変だろうということは想像していました。また最近の通り魔事件や暴行事件などでも、全く同じことでしょう。
 ところが、転落直後に自力でホームへはい上がりすぐ命の助かった私にでさえ、この症状が襲ってきたのです。

 「すぐ列車が近づいていたなら反対側へ転がりながら逃げられたのか」「受け身はしていたが頭を強打していたなら無事で済んでいただろうか」、左尺骨の外傷も案外とひどいもので改めて触った時に「もし骨折していたなら治療室復帰はどうなっていたのだろう」などと、そんなことは考えなくてもいいのに突然に転落事故のことが思い出されては勝手に恐怖を感じてしまうのです。
 不幸中の幸いだったかも知れませんがとにかく今回は無事だったので「よかったよかった」だけでいいはずなのに、勝手に恐怖が襲ってくるのです。
 私の場合は「ゲゲゲの鬼太郎」を見ている程度で恐怖は一瞬で過ぎ去るのですけど、命の危険を感じていた時間帯が長かった体験なら、子供でなくともホラー映画のように悲鳴を上げるほどの恐怖が襲ってくるに違いありません。

 何度か体験している間に、どうしてこのような症状になるのかを分析してみました。
 まずは無意識の領域に打ち込まれてしまった恐怖です。人間が克服できない恐怖とは突然の大きな音と転落といわれていますが、これは生物的なことで哺乳類共通のものといえるでしょう。猫は見事な空中回転で着地しますけど、木の上で生活するために会得した能力であり身構えた状態からでないとやはり顔は引きつっていますし、サルだって木から落ちることがあります。避けようのない恐怖に再び遭遇しないようにと、常に警戒するようになってしまうからだと思われます。
 マスコミで報道されているのはここまでなのですが、私は超意識レベルの関与にも気付きました。転落の際に聞こえたような気がするお告げの声ですけど、これから発生する事態に対して選択肢を一つに絞らせて行動を促すためのものだったのではと分析しています。これが聞こえていたからこそすぐ自力でホームによじ登ることができたのであり、最小限の被害で事態が収拾できたのだと思われます。しかし、転落の際に超意識が想定した様々な場面が記憶のどこかに残っているために突然それが思い出され、次の行動を判断しようとして現実との境にはまり込んでしまい我に返って恐怖を感じるのではないでしょうか。
 パニックになるというのは、超意識が想定してくる中から選択肢を絞りきれないために行動が支離滅裂になるもので、当事者に聞けば分かることですけど完全に我を忘れているものです。

 ですから精神病に対して「頑張れ」など励ましの言葉は逆効果であるのと全く同じで、PTSDを発症している人に対して「恐怖を感じなくてもいい」などと諭すのは逆効果です。
 発生している症状は正常なものであることと、早く脱却したいのは確かだろうから忘れさせるのではなく「次のためにどのように生かしていこうか」と提案することであり、「生きていることを感謝しよう」と提案することではないでしょうか。

 「精神という海で修行者は泳ぎ病者はおぼれる」といわれますが、緊急事態の時でも脱出策を自ら切り開いているはずで、それがしっかり掴めるかどうかだと思います。
 逆にパニック状態から脱出する方法ですが、「今自分はパニックに陥っている」と自ら言い聞かせることが最適です。そのためには訓練が必要であり、パニックに陥りやすい人は普段から反復訓練するしかないでしょう。