『にき鍼灸院』院長ブログ

不定期ですが、辛口に主に鍼灸関連の話題を投稿しています。視覚障害者の院長だからこその意見もあります。

気のせいですよ、いえ違います

 鍼灸院を訪れられる患者さんは、特に初めて鍼灸治療を受けられる患者さんは西洋医学の治療を受けていたのに思ったほどの効果がなかったので思い切って鍼灸治療を求めてこられるケースがほとんどです。その中には検査をいくら繰り返しても異常がなく、とうとう最後には「気のせいですよ」とか「気にしないようにしなさい」などといわれてしまったケースに何度も遭遇しています。症状があるので時間も費用も費やして受診しているのに、「気のせいですよ」などといわれた日には目の前に座っている人が医者ではなく悪魔に見えてしまったでしょうね。これは私の仮説なのですけど、その担当医がほとんど病気をしたことがない人だからではと考えています。
 例えば骨折を経験していたならその痛みと回復までの苦しみを知っているでしょうし、胆石や腎石の息も詰まってしまうほどの痛みを経験していたなら思わず親身になって患者さんへ接するでしょう。自らに頭痛が頻発するのであれば安易に服薬しての弊害を知っているでしょうし、出産を経験しているのならお産の時の励まし方も違ってくるでしょう。自分が癌になってしまい、その後の命に対する考え方や癌患者さんへの接し方が変わったという話を聞いています。
 ところが自分が病気やけがをしたことがなかったなら、他人の苦しみというものが理解できないのですから患者さんの訴えが錯綜している上に訳が分からない病気であれば、診療の忙しさやタイムスケジュールの遅れにいらだって思わず「気のせいですよ」と口走ってしまうかも知れません。おもしろいといってはその患者さんに失礼ですけど、「この病気はストレスが原因ですからストレスを貯めないようにしなさい」といわれたという事実があって、「ストレスが溜まっていることくらい分かってるわ、そのあんたの言葉が余計なストレスになるんやんか」と、鍼灸院で吐き出したかった言葉を私たちが代弁して笑い飛ばしたりなどしていますけど。

 しかし、鍼灸院や鍼灸師なら必ず患者さんの訴えと同化して親身になれるのかといえば、それはやはり個人の経験が大きなウェイトを占めてくると思います。私は男ですからお産の経験がなく、不妊や妊婦さんの苦しみに対して想像とその他の症状からアプローチしていたのですけど、結婚をして自分の子供が産まれてくるまでのプロセスを経験してからの接し方は確かに変わったと思います。それでも女性からすればまだ違う面があるのでしょう、きっと。
 ですから医療人というのは様々な経験をする人間性豊かな人物であるべきであり、建物の中にこもってクランケ(疾患者)を扱う立場になってはいけないというのが今回のエントリーの第一の結論です。忙しい中でも時間を工夫して外出し、スポーツしたり音楽や芸術を楽しみ家族生活もして、それはストレスのはけ口であると同時に様々な経験の蓄積となりますから患者さんのことをクランケではなくクライアント(依頼者)として見れるようになるはずです。決して「気のせい」で症状は発生してきません。

 ここで話が転換しまして、私は痛みに対して冷酷な面があるというのか痛みを強く訴える患者さんほど最初に冷静な観察をします。敢えてそのようにしています。これは私に先天性の緑内障という病気があるからで、目の病気なのですけど末期の癌を覗けば人間が感じる痛みの中では最も強い病気といわれるくらい、その苦痛を経験しているからです。
 最初に痛みを感じると、慌てて動き回ったり声を出したりするものです。ドアで指を挟んだり子供が転んだ時のことを想像していただければおわかりでしょう。その次には痛みがつらいのでうずくまってきますが、これもドアで指を挟んだ後に息を吹きかけながらうずくまることを想像していただければ分かるでしょう。その次にはうずくまっていると気が紛れないので体位を変換させ、その次には体位変換で新たな痛みが発生するのでうずくまって・・・。つまり痛みが進行するたびに、うずくまることとのたうち回ることを繰り返すのです。
 そして、とうとう痛みにより失神するのですがこれを緑内障で経験しているので、私は診察した時に「あの時と比べてどれくらいのレベルなのかな?」と置き換えるのです。それで大げさでオーバーアクションだけの人とか、本当につらいのに耐えきっている人とか緊急を要するケースなどに区別します。これは自分の経験からでてきていることなので自信があるからです。

 その緑内障ですが、今でも時々痛みに苦しんでいます。昨年などは春に冗談で子供が手を振り下ろしてきたのが右目に命中してしまい、自己治療によりすぐ立ち直ってきたのですが回復しきらないうちに第二弾のパンチをもらってしまい、長期間発作が連発して一ヶ月以上も回復に掛かりました。自分でも元気がなくなっていることが分かったくらいです。
 それでも小学生の時には二十歳くらいまでには失明するだろうといわれていたものが、高校一年生の時の原因不明の眼球痛から思い切って点字に切り替えたことが転換点となり、奇跡的に視力低下が止まりました。それでも検査入院していた大学病院でも十数年保てればといわれていたのですが、今年で四十六歳になりますけどテレビに何が映っているかは分かりませんがまだ光が見えています。これは鍼灸治療による自己治療をしてきたからです。
 鍼灸術というものは患者さんへの治療だけでなく、自分自身へも治療が出来るという優れた医術です。特に本治法を行う経絡治療においては、手の届かない箇所に痛みなどがあっても対処できます。この自己治療を行わないという鍼灸師が多いといいますから、本当に不思議な話です。鍼灸師は自己治療により自分の健康を保ち、技術研鑽の基礎とすべしが第二の結論です。

 自己治療については刺さないハリ ていしん入門 森本式てい鍼を使った治療(岸田美由紀著):ヒューマンワールドに詳しく書かれています。敢えて追加を書くなら、自分のことですから証決定が患者さんの時よりも難しいのですけど脉診の場合なら浮沈・遅数が整う選経・選穴を優先することでしょう。自分で気持ちいいと感じる経穴に目を奪われすぎないことです。それから手の経穴を使う場合、いつもの刺し手と押し手のコンビが出来ないので目的とする経穴の5mmくらい離れた箇所からで構わないのでゆっくり接触させながら鍼を引いてきて正確に当てることでしょう。それから足りなければ何度でもやり直せばいいという気持ちで、抜鍼は早めに行うこと。気持ちいいからといつまでも鍼を当てていると、必ず後でだるくなります。それから治療終了後には、数分間でも必ず休憩をして誤治になっていないかを確認すること。それでも思い込みで誤治はやらかしてしまいますけどね。
 自己治療により緑内障だけでなく、肋骨骨折や転落事故での打撲から胆石や虫垂炎に至るまで、何でも治療し回復してきました。病気を多く経験しているので、決して「これは気のせいですよ」なんて言葉は私の口からは言い出せませんね。